1話 氷の公爵に嫁ぐことになりました
「おまえの婚約が決まった。相手は、ベルンハルト公爵だ」
お父様のその一言で、私の平穏なお茶の時間は終わりを告げた。
手にしたティーカップが、かちゃりと不穏な音を立てる。
「……今、なんと?」
「だから、ベルンハルト公爵だ」
静かに繰り返す父の声が、妙に遠く聞こえた。
クラウス・ベルンハルト公爵。
王家に匹敵するほどの権威を持つ、ベルンハルト公爵家の当主。冷徹な軍略家として知られ、感情を持たぬ一族とまで噂される彼の二つ名は――“氷の公爵”。
「お待ちください、お父様。それはつまり、私があの“氷の公爵”に嫁ぐ、ということですか?」
「そういうことだ」
さらりと言い切る父に、私は頭を抱えたくなった。
政略結婚が珍しくないことは、理解している。
貴族の娘である以上、家のために結婚するのは当たり前のこと。
……でも、よりによって、氷の公爵!?
(あの冷酷無比な男と夫婦になる未来なんて、想像できるわけないでしょう!?)
おそらく会話もろくに交わさず、淡々と義務を果たすだけの、冷え切った夫婦関係――。
そう思った瞬間。
視界が揺れた。
瞼の裏に、光の粒がちらつく。
淡い残像が浮かび、やがて鮮明な映像へと変わっていく。
――雪。
静かに降り積もる、白銀の世界。
その中心に立つのは、私。そして――クラウス・ベルンハルト。
彼は、私を抱きしめていた。
冷たい空気が肌を刺すはずなのに、彼の腕の中は驚くほど温かい。
私の髪をそっと撫で、穏やかに微笑んで。
『リディア……愛している』
……え?
衝撃で、思考が止まる。
でも、映像は消えない。
彼の瞳には、確かに愛しさが宿っている。
言葉だけじゃない。指先の触れ方も、表情も、仕草も――どれをとっても、私を心から大切にしているとしか思えない。
(信じられない……)
だって、あの冷徹無比な公爵が、こんなにも優しく微笑むなんて――。
次の瞬間、ふっと映像が霧散し、私は現実へと引き戻された。
「リディア?」
父の声に、はっと顔を上げる。
目の前には、相変わらず厳しい顔つきのお父様。
未来の映像があまりに鮮明すぎて、しばらく現実感が戻らなかった。
でも、確かに今視えたのは――未来。
クラウス・ベルンハルトが、私を溺愛している未来。
「……いえ。少し驚いただけです。申し訳ありません、失礼いたします」
私はティーカップをそっと置き、立ち上がった。
足元がふわふわと浮ついて、現実と夢の境目が曖昧になったかのようだった。
(あの未来、本当に起こるの……?)
あの氷の公爵が、私を溺愛する――そんな、ありえない未来が。
でも、もしそうなら。
それがどんな道を辿って実現するのか、どうしても知りたくなってしまった。
◆
私、リディア・カートレットには、誰にも言えない秘密がある。
未来を、視ることができるのだ。
まだ起こっていない未来の断片を、垣間見る力。ただし未来は唐突に視えるもので、タイミングは選べない。
この秘密を知っていたのは、私が三歳のときに亡くなったお母様だけ。
『いいこと、リディア。絶対に、誰にも話してはだめよ』
もしバレたら、魔女として処刑されるか、国に囚われて利用されるか。
幼い私に、お母様は繰り返しそう言い聞かせたのだという。
この世に生を受けてから十九年。あの判断は正しかったと、今でもお母様には感謝している。
――ただ、正直に白状すると。
未来視というのは、そこまで大した能力じゃない。
見たいと思って視えるものではないし、そもそも未来なんて、コロコロ変わるものだから。
この能力は発動するたびに「こうなる可能性があるよ」と教えてくれるけれど、それが確定しているわけではない。
たとえば子供の頃、市場で「知らない女の子とぶつかって、その子のリンゴが泥まみれになる未来」を視たことがある。
でも、ちょっと歩く位置をずらしてみたら、何事もなく通り過ぎた。
ほら、変わるじゃない。
未来視というのは、いわば「空模様」のようなもの。
黒い雲が垂れ込めていても降らない日はあるし、雲ひとつない青空から、突然の土砂降りになる日だってある。
だったら、傘を持って出るか、お日様に向かって洗濯物を干すかは、こっちで決めればいい。
つまり――未来は、自分で選べる!
今回視えた未来。冷酷な公爵様が、私を抱きしめて「愛している」と甘く囁く未来。
それだって、ただの一つの可能性。
でも、それが現実になるなら、超ラッキーじゃない!?
(いやもう、せっかく視えたなら、むしろ“当たり”の未来にしなくちゃ損でしょ!)
新連載です。
お読みいただき、ありがとうございます!
全7話で完結なので楽しんで読んでくださると嬉しいです。
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