コーラー
マリア先生の下で働き、一週間が過ぎた。
特殊な業務形態ではあるものの、大分慣れた。また、職場自体が自由であるため、のびのびと楽しく働くことが出来、愛着を持っていた。それだけでなく、何よりも、非常にやりがいを実感できることが良かった。
正直、「仕事にやりがい?そんなの本当にあるの?」という思いを持ち、働くことは金を稼ぐためだけだと考えていた俺にとって、大きな衝撃であり、疑問だった。
ならば、なぜ、この仕事に俺はやりがいを感じるのか?
一度、休憩時間に、屋上で東京湾を眺めながら、真剣に考えてみた。
そして、出した答えは、マリア先生が好きだからだ。
マリア先生の喜ぶ顔や笑顔が観たい。マリア先生の研究のお手伝いがしたい。
とにかく、マリア先生の力になりたいという思いから、やりがいであったり、楽しさであったりとポジティブな感情が生まれるのだ。
「ちょっとこっち来て、手伝てくれ」
普通に、俺はマゾなのだろうか?……………ま、そんなことは、どうでもよくて、今日もまた、俺はマリア先生のお願いを聞くのだ。
「お~~い、ユウゴ!聞いてるのか?」
「ハイハイ、聞こえてますよ」
急いで、マリア先生の元へ向かう。
マリア先生は、ダイニングテーブルに様々な機械を並べ、それらをパソコンにつないで、カタカタと調整を施していた。
「これは、何をしているんですか?」
ここにきて、今までにない大掛かりな行動に、さすがに尋ねる。
「ああ、今から『実験』をしようと思っているんだ」
「え?実験ですか?
こんな、適当でいいんですか?」
マリア先生の研究の規模を考えるに、もっと、大掛かりな器具を使ったものであると考えていた。それが、まさか、卓上で完結するようなものとは、驚きだ。
「ああ、薬物実験をしようと思っているからな。
そうなると別にここに大きな器具をそろえる必要はないんだ」
「へぇ~~。それで、俺は何をすればいいですか?」
「これを被ってくれ」
ヘルメットの様な被る形の器具を差し出す。
周囲には基盤が取り付けられ、数本の管がマリア先生のもとにあるノートパソコンに繋がれていた。
俺はマリア先生の言う通りに被る。
そして、俺はマリア先生の手に引かれて、椅子に座らされる。
「それで、何をするんですか?」
「これを解いてもらう」
そういって、マリア先生は一枚の紙を差し出す。
そこには、「あなたの年齢は何ですか?」「私たちが今いるところはどこですか?」「100から8を順番に引いてください」など、幾つかの勉強とは異なる設問が用意されていた。
用紙の質問内容を読み、ピンときた。授業で習ったことがある。これは、認知症診断テストだ。
「特に、気張らず、いつも通りに応えてほしい。分からなかったら、飛ばしてくれ。
準備はいいか?」
「はい。準備オーケーです」
「よし、よーい、スタート」
意外にも可愛い掛け声と共に、テストを始める。テストに集中する意識外で、被るヘルメット器具が唸り声をあげながら、起動する。
机の上にあったポールペンを手にして、問題に対する。
すらすらと答えて、早く終わらせよう。そんな気分でいた俺は、しかし、そうとはならなかった。
「………あれ?」
分からない。
全然分からない。
急激に汗が噴き出す。こんな簡単な問題がなぜ、分からない。出来て当然の問題であるはずなのに。今まで出来ていた事、当然にあったものが、唐突に失われたような不安感に襲われる。
二度、深呼吸をし、落ち着きを取り戻す。
よし。とりあえず、俺は分かる問題から取り組んだ。
予定よりも大分遅れて、15分かかり終了した。
「出来ました」
マリア先生は「ありがとう」と言って、用紙を回収する。
「これで実験は終わりですか?」
「いや、まだ、あるぞ。今度は、これを飲んでから、もう一度、同じ問題を解いてもらう」
そういって、差し出されたものは、一錠の薬だった。
グロい色をしていた鮮やか赤と青が縞々の薬。決して、自然界では生まれないだろう配色だった。
めちゃくちゃ心配だ。身体に異常をきたすのではないだろうか?
そんな不安が心を支配する。
さすがに、天才科学者御舟マリア先生だから、飲んだ途端、死ぬようなことはないだろうが、とにかく本能的に心配だった。
「これは、何の効果があるんですか?」
「身体が熱くなる」
「えっ?ヤバいじゃないですか。絶対に何もないのに飲んじゃダメでしょ」
「大丈夫大丈夫。ほらよっと」
マリア先生は強引に俺の後頭部を鷲掴みにし、薬を口の中にぶち込んだ。
俺はそれを反射で飲み込んでしまう。
「ああっ、何してくれるんですか?
これ完全に倫理違反でしょ!」
「うるさい」
「いった」
無慈悲に拳骨をもらった。
「さ、もう一度、これを解いてくれ」
再度、テストを目の前に出される。
依然として、頭にはヘルメット実験具があるのだが、今度は先ほどと異なり、すいすいと問題を解くことが出来た。その事に少しばかり、安堵した。おそらく、俺が飲み込まされた薬が何かしらの作用を起こしたのだろう。
「出来ました」
「ありがとう。これで終わりだ。君は仕事に戻ってくれ」
「わかりました。っといても、別にもう終わらせて、暇なんですけどね」
大分、仕事にも慣れてきて、ルーティンが完成しつつあるため、手の抜きどころや早く終わらせる方法もなんとなく、分かってきたのだ。
「なら、そんな有能なユウゴに、特別にいました説明をしてやる」
「えっ、いいんですか?」
「ああ、徹夜で実験計画を作ったから、実は今結構疲れているんだ。
少し、休憩がてらに、話してやるよ」
そういって、マリア先生は部屋を出る扉に向かう。
「え?どこに行くんですか?」
「屋上だよ。休憩するって言ったら、あそこだろ」
どうやら、屋上に行くらしい。
このクソ暑い日に屋上行くのは、少し億劫であるが、俺がマリア先生に反論出来るわけもなく、付き従う。
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「あっつぅ」
屋上に出る扉を開けるとムワッとした熱気が顔を襲う。
夏の太陽は相変わらず、燦燦と輝き、視界の先にある海は、濁りながらも、凪いでいた。時たま、届く潮風の香りが気持ちよかった。
マリア先生は柵の前にあるベンチに座っていた。
「ほら、こっちこい」
そういって、隣をポンポンと叩く。
俺は無言で隣に座る。
やはり、マリア先生は大きいなと思った。女性に言っていい事かは分からないが、肩幅や胸部など、俺とマリア先生の血の違いを実感した。
と、唐突に冷たいものが頬に触れる。視線を向けると――
「ほらよ、実験参加のお礼だ」
コーラーを差し出してくれた。
やはり、アメリカ人らしくコーラーが好きなのだろう。
「ありがとうございます」
俺は受け取り、開栓する。
甘くも締まった独特な匂いが鼻を抜ける。早速、コーラーを飲み込む。喉の奥が痺れるような炭酸と甘い味が美味しい。さらに、この暑い日に飲むというのもコーラーの味を一押ししている。
「ぷはぁ、美味しいです」
「当たり前だ。天下のコーラー様だぞ」
ふと、気付く。いま座るベンチが全く暑くない。いや、もちろん暑いのだが、この真夏日に外にいるのに、茹だる様な暑さではなかった。頭上を見上げてみれば、白いボックスが設置されていた。そこから、冷たい風が流れている。
「マリア先生、あれなんですか?」
「ん?あれか?あれは、簡易型エアコンだよ」
「簡易型エアコンですか?あんな小さいのが、エアコン?」
「ああ、詳しくは知らんがあれは、この研究所で開発したものではないかな。外にはない、この研究所だけのものだ」
すげぇ。やっぱ、日本有数の研究所なだけあって、色んなものが置いてあるのだな。
御舟研究所の凄さを再確認した。
「タバコ吸ってもいいか?」
俺が了承する前に、懐から紙煙草を取り出し、口にくわえて火を点ける。
「………まだ、オッケーしていないですよ」
「うるせぇ」
無慈悲に肩パンしてきた。
折角、断りを入れるという優しさを見せてくれたのに……ひどい!
「それで?何が聞きたい?」
マリア先生は、俺の無言の抗議をシカトして尋ねる。
一応、マリア先生の方から、実験の詳細を説明してくれると言ってくれたのだけど、かなりダルそうだ。
ただ、まぁ、俺自身、先ほど起こった現象に興味がある。ここはとりあえず、疑問に思っていたことをきこう。
「俺が被っていたあのヘルメットみたいな器具は何ですか?」
実験の最初に被ったあの特徴的な器具。様々な導線が繋がっていたものだ。
「あれは、人の脳波を測ると共に、疑似的に脳の神経細胞が機能しなくなるようにする機械だ」
「こわっ!機能しなくて支障はないんですか?」
「いや、普通に一部機能しなくなる」
「えっ?」
それって、やばくないか?俺、死ぬんじゃないか?
マリア先生から言われ、フリーズする。
しかし、すぐに異変に気付く。マリア先生の様子がおかしい。
「ぷっふふ…ふああはははは」
マリア先生は堪えきれないといった様子で、大爆笑する。
「機能しなくなるわけないだろ。
あははははは。間抜けすぎるだろ。今の顔は」
「………」
なんだ、この人!ひどすぎるだろ!
こっちは真剣に心配したんだぞ。
「すいませんね、間抜けで。俺はマリア先生と違って、天才じゃなくて、凡才ですから」
少し、当てつけのように言う。
すると、どこか、自嘲気味に笑いながら言う。
「別に私は天才じゃないさ。
ただ、人より少し努力の仕方が上手かっただけだ。よしんば、天才であろうと、それが直接幸せにつながるわけじゃないさ」
そんな顔で、そんな風に言われたら、何だか俺が悪いみたいじゃないか。
ただ、マリア先生の剝き出しの感情に触れた気がした。
俺は、もっと、マリア先生を知りたいと思った。
だから、踏み込んだ質問をした。
「マリア先生は、いま、幸せじゃないんですか?」
「う~~ん、そうだなぁ――」
天才科学者がまるで、無理難題に直面したかのように、
頭を悩ませる。
「まぁ、不幸せじゃないって感じだな」
そして、言葉を探しながら紡ぐ。
「こうやって、一つ大きな課題を終わらせて。それを労うために、海を見ながらコーラーを飲む。たった、それだけだけど、私は今、そこそこ幸せだ。
たぶん、他にも私の日常の中に幸せは、いっぱい隠れているんだと思う。例えば、煙草を吸ってる時だったり、朝起きてコーヒーを飲むときだったりさ」
なんか、全部体に悪そうだな。
「でも、ただ、私は強欲だからな。『そこそこ』だけじゃ足りないんだ。
今の私に、今の結果に、私は満足できないんだよ」
そういって、空気を払拭するように、おどけながら言う。
しかし、目はどこか遠くを見つめていた。
結局、マリア先生の心の深くを知る事は出来なかった。




