戦争倫理会
戦争倫理会。戦争と言えば、ただの殺し合いと捉えている人も多いかもしれない。だが実際は、開戦に至るまでの政治的な手順や、終戦の際の戦犯の判断、禁制戦術・武器・兵器など様々な取り決めがあり、純粋な殺し合いとは言いにくい。もっともルールは戦闘中では形だけのものという側面もある。だが、ルールを破った数によって後の戦犯や賠償が算段されるため、出来る限りルールの中で勝つというのが原則だ。そんな血生臭い戦争倫理会にこのところ、ある人物からの手紙が頻繁に寄せられている。
せんそうりんりかいのおじちゃんへ
おじちゃんおねがいです。せんそうにぎやまんをつかわないでください。
ぎやまんはぼくのともだちです、だからひどいことさせないでください。
おねがいします。
文字がすべてひらがなであること。ところどころ句点や読点のつけ方が間違っていることなど。おそらくは子供が書いたものであろうと察しが付く。解散選挙に小学4年生を装ってコメントするなどといった不逞な輩もいたが、こちらは正真正銘の子供らしい。活字ではわからないだろうが、字体の崩れがそれを物語っている。
「どうします? また来ましたよ」
「差出人の名前が不明だから、特定できないのが厄介だな」
戦争倫理会の文書整理を担当しているのが、庶務の西野明夫と斉藤幹英だ。この中では明夫の方が上司にあたる。戦争倫理会には手紙や書簡が連日のように送られてくる。各国の情勢の動きを記した資料や戦争現地のレポート文。触発状態にある国の警告文から新兵器の査定の申し出などが主たるものの中、この手紙だけは異彩を放っている。だが、何分子供の意見故過去の手紙は全てシュレッダーに廃棄された。
「…そういやこの手紙が来たのは何通目だ?」
「数えてはいませんが…、100通は確実に超えています。
4か月も前から毎日のように来ていますから」
「そうか…、一度洗ってみるか」
ぎしり。ぎしり。金属のきしむ音。カンカンとゴングが撃ち鳴らされれば開戦の合図。網目のやけに細かい鳥かごの様なものの中に人型をした機械が2機投げ込まれ、ボクシングのファイティングポーズをとっている。機械からはしきりに煙が噴き上がっており、動力は蒸気機関であることが推定される。鳥かごを囲むのは無数の盛りがついた男ども。皆が皆札束を握りしめており、この試合が見世物で賭け事まで絡んできていることは察しが付く。会場は機械から発せられる焦げ臭さと観衆からの汗臭さで何とも言えない異臭に包まれていた。
「…とんだ暑苦しい場所だな。ここがギヤマンファイトの会場か」
「我々ホワイトカラーにとっては居心地のいいものではないですね。
息苦しくてたまりませんよ。酸欠になりそうです」
ギヤマンファイト。
それがこの地下の闘技場で行われている見世物の名前だ。ギヤマンとは歯車と人を合わせた造語であり、その通り歯車で動く人型機械のことを指す。アンドロイドと言えば近未来的な人間に近いものを想像するだろうが、ギヤマンはそんなものとは雲泥の差。服も着なければ、装甲もまばらでところどころ油圧パイプや歯車やネジが露出している。四肢のつき方がおなじということでかろうじて人型に見えるというものだ。だが知能は高く、自立思考を備えている上に会話までできる。そこだけがなぜか空想科学の産物のようなもので、至極アンバランスな存在だ。もっともギヤマンがここまでの知能を有するのはひとえに、彼らが戦争のために人間の軍隊の代用品として利用される目的で造られたからに他ならない。
「未来の戦争用の兵士たちが鎬を削るのがこのギヤマンファイト。
もとは日々製造される彼らの中から逸材を絞り出すために行われていたのが
休戦に入っている平和ボケの中ですっかりエンターテインメントと
化したのがこれというわけらしいですよ」
「でもその休戦状態ももう永くはない、直に戦争が起こる」
戦争倫理会という身の上上、明夫は世界情勢には精通していた。それでなくても、今の触発状態はマスコミがよく報道しているところ。いまここで戦っているギヤマンが戦地に出荷されるのも、もはやそう遠くはない。
「…ここに、本当にいるんですか?例の差出人が?
どこを見回しても、おっさんだらけですよ」
「よく目を凝らしてみろ。NPO法人らしい人がいたらそいつだ。
小学4年生装って手紙書いたんだよ」
「時事ネタ挟んでないで真剣に探してください!明夫さん!
というかNPO法人かどうか見かけでわかるわけないでしょうが!」
言い争いをつんざくようにしてゴングが撃ち鳴らされる。開戦の合図だ。レフェリーがものものしくリングに上がった2機の紹介をし始める。
「今回の試合は、見ものだよ!なにせ、ギヤマンの中でも
名機中の名機と謳われた両者の世紀の決闘だ!
赤コーナー『はじめ』!青コーナー『ジョー』!」
「なんか危ない試合始まったよ!版権的に大丈夫なんですか、これ!」
どこかで聞いたことのある様な名前の2機が歓声に包まれながら殴り合う。金属の身体を持つギヤマンの戦いは生身の人間とは違った重みがあり、なかなか迫力がある。おまけにバトルとマシン。男の好きなものふたつをいいとこどりしたかのようなこの見世物には、ふたりも少しばかりか見入ってしまった。
「なるほど、これは商売になるわけだ」
「賭け事のせいで純粋な声援になってないのがもったいないくらいですね」
とそこでリングの上で1機が倒れ込む。ジョーがはじめの一撃にやられ、リングに倒れ伏したのだ。観客からはジョーに対する声援がかけられる。
「立てぇ! 立つんだ! ジョー!」
「……、もはやこれ言いたかっただけでしょ…」
カウントが数えられる中、ジョーの機体がガタガタと震え、ゆっくりと上体を起こし、立ち上がる。荒い息をするかのように肩の関節を上下させる様はさながら人間のようだ。次の瞬間、ジョーはマウスピースを食いしばりながら振りかぶった一撃をはじめの顔面目がけて繰り出した。
「いっけぇえええええええ!」
そこでひときわ甲高い声援がこだまする。汗臭い男どもの中で爽やかな少年の声はかなりの不協和音。それが耳に入るや否や、明夫はピンと来たのだ。この少年こそ、手紙の差出人に違いない。ジョーが放ったストレートは、見事はじめの右頬を撃った。金属の顔面が波紋を描いて痛々しく窪み、はじめの身体はリングの床に叩きつけられる。すぐさまレフェリーがカウントを始める。
10
はじめの身体はピクリともしない。
9,8…
なおも石のように動かない。数秒ごとに噴き上がっていた煙さえ今は止まっている。熱源との接続が断たれてしまったのか。蒸気機関である彼らにとって、熱源は心臓。それとの接続がなければ、彼らはただの鉄くずになってしまう。
7,6,5…
刻一刻とはじめが鉄くずと判断される瞬間へのカウントダウンが進められていく。10秒のカウントダウン中に機能停止によるダウンから回復しなければ試合は終了。はじめの敗北が確定してしまう。声援の中にはため息など混じりはじめ、握りしめていた札束を早々と投げ捨てるものまでいる。
4,3,2,1…0…
落胆の中試合終了を知らせるゴングが鳴らされると、ジョーの側を応援していた者たちが彼の勝利をたたえて飛び上がる。そして、半ば乱闘になりながらも、はじめの方を応援していた輩から金銭をもぎ取る。何とも浅ましい光景だ。その中でただただ純粋に自らが応援する選手の勝利を喜ぶ少年がひとり。
「やったー! やった、やったぁああ! ジョーが勝った、勝ったぁあ!」
無邪気に歌うように叫びながら、くるくると回転する様は見ていて非常に愛らしい。明夫はそっと優しく少年に声をかけた。
「君がこの手紙の差出人かい?」
明夫が例の手紙を少年に突き付けると、くるくると回っていたのがはたりと止まり、手紙と明夫の顔を交互に見やること3回。そして、表情がきょとんとしたものから一気に晴れあがり、屈みこんでいた明夫に向かって大きく頭を下げた。
「そうだよ! 僕が書いたんだ! おじちゃん、お願い!
ギヤマンを戦争に使わないで! ギヤマンは…ジョーは…僕の友達なんだ!」
その一言でこの少年が差出人であることが確信される。
「君、名前は…?」
「…友順…大木友順…」
幹英が名前を尋ねると少年はそう答えた。そしてすかさず、再びギヤマンを戦争の道具にしないでほしいと頭を下げてきた。例の手紙のごとく何度も。何度も…。少年の健気な姿に、ふたりは残酷な返答をし辛くなってしまった。幹英が口を開こうかとしたのを明夫がそっと差し止める。だが、少年に対する返答は結果として、ふたりのうちどちらでもないものから下されることになる。
「…残念だけど、それはできないと思うよ…」
友順が友達と慕うジョー本人によってだ。試合が終わったあとの闘技場に用はないと余韻に浸ることもなく観客は帰ってしまっていた。試合の賭け金のみが唯一の心配事で、それが分かったらとっとと帰る。そんなファン精神のひとかけらもない薄情な客ばかり。これではせっかくのショウビジネスも廃れてしまうのが目に見えるようだ。閑散としてしまった会場の中で、ぎしりぎしりと金属の身体をきしませるジョー。試合後よろしく、首にタオルをかけており、額に噴きでた汗を拭きとる仕草をする。もっとも漏れ出ているのは汗ではなく潤滑と冷却のためのオイルなのだが。
「ど、どうして!? な、なんでダメなんだよ!」
「…残念だけど…無理な話だな」
「なんでだよ! この国は戦争なんかしないんじゃなかったのかよ!
そう約束したんじゃなかったのかよ!」
たしかに友順の言う通り、この国は一度は戦争を放棄した。二度と戦争を起こさなければ、二度と加担することもない。そう強く誓った。誓ったはずだった。
「…残念だが、時代は変わってしまったんだ。
もとはと言えば、同盟国への物資支援のため海外派遣された自衛軍が、
同盟国側が一方的に攻撃されたのを集団的自衛権が認められていないとして
見殺しにしたアウトサイダー事件が発端。自衛軍の全員が、同盟国の意図的な
報道により、見殺しを大々的に報道され、戦争を放棄したのが
仲間の報復もできない薄情な臆病者と揶揄され、あまつさえ戦争倫理会に
その件が持ち込まれ、国際裁判に発展した挙句同盟国から集団的自衛権を
受け入れることを強要された。それに応じれば、民衆からの批判を
大いに買うことになる。その折衷案で誕生したのが、人間以外の兵隊を
使うというもの。初めはサルやネズミなどを用いた生物兵器や
遺伝子改変による高知能を持つ新種生物の開発およびその使用が
試みられたが、戦争倫理会に入る前に研究倫理や動物愛護の段階で
シャットアウトされた。そこで最終的に出てきたのが、機械人間。
つまるところのギヤマンだ。ギヤマンは人間の代わりに戦地に出向くために
開発されたもの。生身の人間を一切戦争に用いないという
形だけの戦争放棄となったのが今のこの国の現状だ。
ギヤマンが闘わねば、集団的自衛権のもとで生身の人間が戦地に向かう。
それはこの国が戦争に加担する国に
成り下がってしまうことを意味するんだ。」
「くか~…」
「先生、大木君が授業について行けず眠っています」
とにもかくにも、ギヤマン自体人間が戦争に参加することを避けるため、この国がかろうじて戦争で人が死ぬことのない国であり続けるための存在。ギヤマンが人間のかわりとして戦うのは避けようのないことなのだ。いくら闘技場でギヤマン同士の戦いがさながらボクシングかプロレスの試合のように持て囃されていたとしても、それは戦地に出荷するにあたりの品定めに過ぎないのだ。
「やだよ! そんな難しいこと並べ立てたって嫌なものは嫌だ!
ジョーは僕の友達なんだ! 友達がひどいことするのは嫌だ!
ジョーだって人殺しになんかなりたくないだろっ!
だから嫌だ! 嫌だと言ったら嫌なんだ!」
しかし、そんな大人の御託ばかり並べたのが子供に通用するはずもない。友順にとっては、ジョーは友達だから。友達に人殺しはさせたくない。ただそれだけのことしかないのだ。明夫も幹英も同情しないわけではない。社会的な事情がもしすべて取っ払えたなら、自分たちも友順と同じことを思うだろう。だがままならぬ社会というものがある以上、諦めざるを得ない。諦めてもらうしかないのだ。それを必死に拒まれては、かけてやる言葉も見つからない。道徳的に考えれば、叱られるどころか褒められてしかるべき友順の主張をエゴの塊である政治的観念から押し殺さねばならない。骨が折れるとともに、胸が痛くなる問答だ。
「…ありがとう。友順…君の気持ちは嬉しいよ」
言葉に詰まっていると、口を開いたのはまたしてもジョーだった。ジョーは金属製の目玉と眉で、機械のものとは思えない優しく温かみのある笑顔をつくり、屈みこんで友順に向かって笑いかける。
「…じょ、ジョー…」
「でも僕は行かなくちゃいけないんだ。だから友順…
僕は約束するよ、僕は絶対に人殺しになんかならない。
そして、僕は必ず…必ず生きて帰ってくるよ」
「…ほんとに…?」
「ああ、約束だ…」
もう一度ジョーが機械の顔で笑いかけると友順の顔は、今までの険しいものからぱぁっと晴れあがり、嬉々として互いに小指を絡ませて約束を契りあった。