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こはくこくはく

 昼休み、教室と廊下には異質な雰囲気が立ち込めていた。廊下で立ち話に花を咲かせていた人達は静まり返り、脇にはけ、教室の窓から押し合いへし合い廊下を見ようとする群衆の声だけがただ響いていた。まるで映画の決闘を申し込む場面のように、堂々と廊下の真ん中を歩く1人の男の姿。彼の目線は、廊下の奥にじっと注がれていた。

 僕は自分の席に戻った。今から何が起こるかなんて、わかりきったことだ。というのも、この異質な雰囲気はなにも今日に限った話ではない。時々、月に2度くらい起きる。皆も今から何が起こるかわかりきっているはずなのに、どうしてあんなに注目するのだろう。

 どんよくなアメジストのような紫のオーラから目を背け、シャーペンを握った。廊下の様子を伺うより、今日の給食の感想を書く方がよっぽど重要だ。

 再びペンを走らせようとした時、後ろから話しかけられた。

「ね、あれってなんの騒ぎ?」

振り向くと、高本さんがいた。

「え、知らない? 時々起きることだけど」

「え? そうなの?」

 高本さん―――フルネームは高本詩葉(うたは)。僕と同じ詩という漢字が入っている―――は仲の良い友達だ。僕が唯一話せる女子でもある。一生分の会話をする勢いで毎日話し続けていたら、いつの間にかとても仲良くなっていた。

 不意に、廊下から甲高い声が聞こえた。


 「桜田さん!!!」


 声は廊下中に響き渡り、教室の窓枠が少し振動した。

「うわ、声でか。今のって白河の声?」

と、高本さんは言った。

「そう。それで多分次は『第42枚目の手紙を読み上げます』って言うと思うよ」

 白河というのはクラスメイトの男子で、桜田は隣のクラスの女子だ。白川は控えめに言って、変人だ。興奮するとめちゃくちゃなことをしでかしたり暴走したりする。かなりやんちゃなやつだが、まあ悪いやつではない。


 「第42枚目の手紙を読み上げます!!」


 第一声の余韻が消えないうちに、また声が響いた。高本さんは声を弾ませた。

「すごい、あたってる! ...というか、42枚も何書くの?」

「それは聞いてたらわかるよ」


 「桜田さん! 君は! まるできれいに拭いた黒板のように! 美しい!」


 白河は噛み締めるようにさけんだ。高本さんは呟いた。

「え? もしかして......こくはく......!?」


 「僕と! 僕と――――」

 「ごめんなさい!!」


 白河の声を遮った桜田の声がこだまし、徐々に消え、廊下に沈黙が訪れた。

 「あらら......」

高本さんは再び呟いた。

「42回目、か......。メンタル強靭すぎだろ」

「強靭というか、狂人というか......」

 やがて白河が沈黙を破った。


 「どうやったら僕と―――」

 

「センスがなーい! 比喩がへたー! もっと文学的な文章にできたら、考えます!」


 高本さんは目を丸くした。

「えー!? 意外にきっぱり断らないんだ!」

「これは僕も予想外だ。今までこんな展開なかったのに」


 「―――まじで!? よっしゃあ!! キタコレ!」


 白河が喜びのあまり叫びを上げた時、歓声と拍手がどっと起こった。指笛を吹く人もいた。

 「でも、白河に文学的な文章なんて考えれるの?」

「うーん。ちょっと厳しいかもしれないな」

 そう話していると突然、横からドタドタドタっと音を立てて誰かが駆け寄ってきて、僕はガシっと両肩を掴まれた。

「助けてくれえ、詩郎!!」

白河の声だった。僕と高本さんは飛び上がった。

「痛っ! やめろ! 離せ!」

「ちょっと、2人とも転けちゃうよ!」



 「......つまり、手紙の文章のアドバイスが欲しい、と?」

「はい、そうです」

白河は深く頷いた。ようやく暴走モードから抜け出したようだ。

「まあ、ちょっとあの文はセンスなかったね」

高本さんは笑って言ったが、白河にはぐさりと刺さった気がした。

「...単刀直入に言うが、白河、おまえは比喩が下手くそすぎる。黒板みたいに美しいってなんだよ」

「捻ったほうがいいかと思って」

「まあまあまあ、捻るのは確かに大事だ。だがもっといい言葉を選んだほうがいい。少なくとも黒板よりましなやつをだ」

「たとえば?」

「たとえば? そうだな―――雲ひとつない夜空に光る月のような唯一無二の美しさ、なんてのは?」

白河が目を輝かせている傍ら、高本さんはレッドエメラルドのような顔色を浮かべている気がした。白河は言った。「おまえ......前世は詩人か? すごくいい。でも、俺はそんな長文を言える気がしないぞ」

「なら単語で考えればいい。ルビーのように、とかな。日常のふとした時に、いい言葉が思いつくかもしれん。ちょっと意識しながら過ごしてみろ」

「わかった。さんきゅう」



 「4時間目の体育ってしんどいよね」

階段を上っていると、高本さんはそう言った。

「わかる。空腹で空腹で、体が動かない」

「お腹すいたね。今日の給食は?」

「今日は最高だよ。今日の献立は、ご飯、鶏肉の琥珀揚げ、そして味噌汁」

「いいじゃん! その琥珀揚げってさ、普通の唐揚げとは違うの?」

「実は僕もよく知らないんだ」

「じゃあもっと楽しみだね」

 フロアに入ると、そこには幸せが立ち込めていた。「わ、いい匂い!」

「琥珀揚げのいい匂いだ」

「そうだ、あれやってよ、あれ」

彼女は思い出したように言った。

「あれって?」

「あれだよ! えっと、イノガシラゴロー? の真似!」

......イノガシラゴロー? いのがしら、井之頭? あ、井之頭、五郎? ...ちょっと待て。まさか、毎日心の底から給食を楽しみにしているのも、食レポを書いているのも、全部気づかれているのか!?

「な、なんで知ってるんだ」

「いつも友達にやって見せてるじゃん。気づくに決まってるでしょ」

そういうことか―――っ。

「まさか見られていたとは......」

「見られて困るの?」

「いや、困るってわけじゃないけど。なんというか、僕のキャラじゃないというかさ」

「キャラじゃないっていうか、むしろいつも通りだよ」

「いつも通り?」

「うん。喋り方が読んだ本とか映画とかによく影響されてるじゃん。最近は太宰治かな? 『走れメロス』が国語で出てきたばっかりだもんね」

「なっ。御名答......。まさかそこまで気づかれていたとは。鋭いな......」

「ってなわけで、真似してみてよ」

「うーん。今日だけしかやらないよ」

「はやく!」

僕は微笑を抑え、軽く咳払いした。

「廊下に立ち込めるこの香ばしい匂いが、体育で使い切った体力を蘇らせ、一気に食欲をかき立ててくれる。もはやここは学校の廊下ではない。飲食店が立ち並ぶ街の、路地裏だ――――」

そこまで言って、僕は若干の苦笑を浮かべた。しかし高本さんは満面の笑みを浮かべた。

「すんごい! ちょっと感動しちゃったよ」

「感動要素あった?」

「なんというか、ほんとに好きなんだね。...好きなものに本気になれる人って、すごくかっこよく見えるな」

「そ、そうか」

これは......つまり、かっこいいって言われたんだと、受け取っていいのだろうか?



 「手を合わせてください。いただきます」

相変わらず日直が号令をかけるのは遅い。しかしそんなことも気にならないくらい、胸騒ぎがする。ああ、落ち着け、落ち着くんだ。飯の時間は、飯に集中する。己の鉄則を忘れるな。

 目を瞑り、1度深呼吸した。......よし、いつも通りやるんだ。

 今日の献立は、真珠のように美しく輝くご飯、安定の味噌汁、そして―――鶏肉の琥珀揚げ。米、味噌汁、揚げ物。定番の構成だ。これこそ、原点にして頂点というのだろう。

 はじめに、味噌汁を1口。熱すぎず、ぬるくもない。体を温めるのに丁度いい温度だ。食堂から徐々に徐々に、体全体がじんわりと温まっていくのを感じる。ああ、かなり落ち着いてきた。

 さて、では本領発揮。メインディッシュへ行こうじゃないか。平たい皿を持ち上げ、琥珀上げの姿をじっくりと拝んだ。一見唐揚げと似ているが、よく見ると全然別物だ。この黄金色(こがねいろ)に輝く衣......まさに琥珀の名を冠するにふさわしい美しさだ。

 では、実食! まるで本物の琥珀を扱っているかのように、ゆっくりと琥珀揚げを口に運んだ。―――な

なんだこれは!? 笑みが溢れ、心が溶ける。サクッとした衣の先に、柔らかい身。その幸福な旨みと清楚な旨み、そして食感のフュージョン! ああ、なんたる愉悦!


 「......い、おーい。おーい! 聞こえてるからー?」

 突然耳に甲高い声がなだれこんできて、我に帰った。

「おい、聞こえてるか?」

白河の声だった。

「あ、ごめん。全然聞こえてなかった。それでどうした」

「こはくって何? 太陽の塔?」

「太陽の塔? それ万博だろ。琥珀っていうのは宝石の1種だよ」

「ちょっと調べてみるわ」

 彼は学校配布のタブレットを取り出した。

「最初からそうすればよかったのに」

「うわ! すげえきれいな宝石だ! ――――はっ!!」

そこで白河に電流走る!

「これ、使えるぞ。これならいける。今度こそ成功させてやるぞ!」

声は教室中に響いた。

「声がデカい! 給食中はボリュームを下げろ」


 ごちそうさまでした。今日も、ウマかった――――。僕は、怪盗だ。あんなに美しかった琥珀を、ものの10分で懐の中へ消し去ってしまったのだから。おや、そういえば、白河はなぜ突然叫び出したんだろう? ...いやいつものことか。



 明くる日の昼休み。教室と廊下には異質な雰囲気が立ち込めていた。廊下で立ち話に花を咲かせていた人達は静まり返り、脇にはけ、教室の窓から押し合いへし合い廊下を見ようとする群衆の声だけがただ響いていた。まるで映画の決闘を申し込む場面のように、廊下のど真ん中を堂々と歩く1人の男子――いや白河の姿。彼の目線は、廊下の奥にじっと注がれていた。

 乱れる群衆の後ろに、高本さんと一緒に佇んだ。今から何が起こるかなんて、わかりやしない。たとえ皆の頭で視界が隠れる最後列でも、僕は見たくて仕方がなかった。

 「うまくいくと思う?」

と、高本さんは言った。僕はゆっくりと口を開いた。「わからない。でも、何か違う気がする。雰囲気こそ同じだけど、僕の直感が何か違うと言ってるんだ。だから今日ばかりは見たくて仕方がない」

「私も、なんとなく違う気がするの、今。はあ、お願いだからうまくいって......」

僕にはその言葉が、白河に向けられたものではないと感じた。無論、直感でしかないが。

 不意に、群衆が一層身を乗り出し始めた。頭の位置が少し下がったおかげで、廊下の壁を見ることができた。

 人と人とのわずかな隙間に見出したのは、手紙を握る白河の手。その手はぎゅっと握られ、ダイヤのように固い意志を醸し出していた。やがて、群衆も静まり返り、白川は声を上げた。


 「桜田さん!!!」


 すると――――


 「はい!!!」


 なんと、桜田が返事をした。群衆は再びどよめいた。やはり、何かが違う。桜田が返事をするなど前代未聞の事態だ。


 「第43枚目の手紙を読み上げます!!」


 この言葉を心の中で同時に唱えた。次に彼はどんな言葉を口にするのだろう。42回目の翌日。たった1夜。たった1夜で再び挑もうと思える言葉。彼は一体、どんな言葉を書き上げてきたのだろう。


 「綺麗だと思って拾った石が、数年後に琥珀だとわかった話を、知っていますか。僕も今、同じ状況です。初めて君に会った時、ただ美しいと思っていただけなのに、だんだんと、目に映る美しさが輝きを増してきました」


 僕は呆然とした。今喋っているのは、本当に白河か? 彼の口からは想像もできない言葉選びと長文。たった1夜で、彼に何が起きた?


 「しかしながら、僕にはその美しさを表す語彙がありませんでした。でも昨日、ようやくわかったんです。君にふさわしい言葉が。桜田さん、君は――――」


 皆、息を呑んだ。


 「琥珀のように、美しい!!!」


 度肝を抜かれた。そして理解した。昨日、白河がなぜ叫び出したのかを。


 「君の美しさに惚れ込んでるんです! 僕と、僕と――――」


 強く目を瞑り、固唾を飲んだ。42回を上書きするか、42回の上に立つか。果たしてどっちだ――――


 

 しかし訪れたのは、沈黙――――。43回目、か。全員がそう思った時だった。


 「土曜日は映画館集合でもいい?」


 桜田の声が響いた。


 「―――まじで!? よっしゃあ!! キタコレ!」


 白河が喜びのあまり叫びを上げ、歓声と拍手がどっと起こった。指笛を吹く人もいた。

 「やった! うまくいったね」

「1夜でこの変わりよう......。正直、感動した。白河の台詞(こくはく)に......」

 そう話していると突然、横からドタドタドタっと音を立てて誰かが駆け寄って来て、僕はガシっと抱きつかれた。

「詩郎!!」

泣き叫ぶような声だった。

「うわっ! 今度は抱きついてくるのかよ!」

「やった、やったよ!!」

「わかった、わかったから離せ!」



 「......まあ、よかったな」

「お前のおかげだ」

白河は深く頭を下げた。ようやく暴走モードから抜け出したようだ。

「昨日の手紙が霞んで見えるね」

高本さんが笑いながら言うと、白河は苦笑いした。

 その苦笑いを最後に、誰も何も言わなくなった。僕は俯いた。

 「どうしたの? 元気なさそうだね」

と、ふいに高本さんは言った。

「もっとどんちゃん騒ぎしてくれよ!」

「それ白河が祝われたいだけでしょ。......ほんとに大丈夫? もしかして体調悪い?」

僕は慌てて返した。

「ああ、いや、大丈夫! 体調は万全...」

「ほんとに? やっぱり元気なさそうだけど......」

「あ、わかったぞ! お前...さては俺に嫉妬してるな? お前も彼女がほし―――」

「ちょっと! 言い方失礼すぎ!」

「いや、いいんだ。もう何も言わないでくれ......」

白河め......恨めしい。先を越されるなんて―――っていう本音を、ここで言うのはなぜだか気が引けてしまう。

 高本さんは白河をにらむように見た後、僕を見た。アクアマリンのような優しい表情で、小声で言った。「......そのうち叶うと思うよ」

「そのうち、叶う......?」

僕には意味がわからなかった。盗み聞きした白河はニヤニヤしながら言った。

「おいそれって、もしかして?」

「ち、ちがっ......。ちょっともういい加減にして! 黙っててくれる?」

顔を今度はルベライトみたいにした彼女は、僕の手を掴んだ。

「ねえ図書館行こう? うるさい人の近くにはいれないよ!」

 返事をする暇もなく、ほぼ強引に手を引かれて教室を飛び出した。

 「......こりゃ確定だな。サファイヤのような春、とでも言おうか。さーて、詩郎に負けないくらい、幸せに生きるとすっか!」

 無論、創作です。献立以外は。

 この作品には、あるものが頻繁に登場していたのですが、皆さんお気づきでしょうか?

 もったいぶらずに答えを言ってしまうと、ずばり、宝石です。アメジストとか、アクアマリンとか、あとルベライトなんかも書きましたね。

 どうしてこんなにも宝石が登場するのか。題材が琥珀だからです。単純ですね(笑)

 宝石って、結構な種類があるんですね。知ってるだけ挙げてみろと言われても、10個すら言えるかどうか...。しかし数が多いぶん、物語に仕込みやすかった(笑)

 さて、頻繁に登場する宝石ですが、藤原詩郎がどのように用いているかにぜひご注目いただきたいところです。そこにお気づきになれば、この物語の衣より先を味わうことができることでしょう。

 もう1度言いますが、無論、創作です。献立以外は。

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