七 白狐の記憶
秋の夕暮れ。
神社の境内には、どこか寂しい風が吹いていた。
香月重三郎は縁側に腰を下ろし、煙草をくゆらせていた。足の傷はまだ治り切らない。
「……まだ痛むか」
背後から声がした。振り向くと、銀狐が月明かりを背に立っていた。
「まあな。人間は足一本で生活が変わる。昨日まで歩けた道が、今日は杖をつかなきゃ進めなくなる」
「馬鹿げている。脆弱すぎる」
重三郎は苦笑し、煙を吐いた。
「だが、その脆さの中でやり繰りするのが人間だ。……お前は羨ましく思ったことはないのか? 白狐のように、人に慕われることを」
銀狐の肩がわずかに揺れた。
「羨ましい、だと……?」
「いや、違うなら違うでいい。ただ、そう見えただけさ」
沈黙。
やがて銀狐は縁側に腰を下ろし、月を見上げた。
「……白狐は、人に近すぎた。笑い、泣き、裏切られ、それでも寄り添おうとした。だからこそ、死んだ後も人に祀られ、稲荷として残った」
重三郎は耳を傾け、煙草の火を細める。
「吾は違った。冷たく、距離を置き、人を見下した。だから、ただ生き残っただけだ」
黒い瞳がちらと重三郎を見た。
「残ったのは吾ひとり。金狐も、白狐も、皆……」
言葉はそこで途切れ、喉にひっかかるように消えた。
重三郎は深く息を吸い込み、灰を落とした。
「……そうか。お前、死にたいと思っていたんだな」
「……昔はそう思っていた。だが、違う」
銀狐の声はわずかに震えていた。
「吾は、人間が分からなくて……悔しかっただけだ」
銀狐の声は、夜気に溶けて消えた。
重三郎は煙草を持つ手を膝に置き、ただ静かに煙を吐いた。
婚約者を失った娘に与えたものは、死。
かつて仲間を失った銀狐こそが、それを欲しかったのかもしれない。そう重三郎は感じた。
それ以上、言葉はなかった。
狐は月を仰ぎ、重三郎はその横顔をちらと見やる。
縁側に並んだ二つの影だけが、虫の音に揺れていた。
煙草の火が小さく赤く瞬き、夜が静かに更けていった。




