六 亡き人を慕う願い
秋の風が境内を抜けた。
白木の鳥居の下に、一人の若い女が立っていた。二十にも満たぬほどの年頃。
衣の袖を固く握りしめ、祈りの声を絞り出す。
「……どうか。どうか、もう一度……あの人に会わせてくださいませ」
香月重三郎は本殿の軒先からその姿を見ていた。
まだ足の傷は癒えず、杖を突いて歩いている。
痛む足よりも、女の切羽詰まった声に胸がざわついた。
「愛しい婚約者様が……水辺で足を滑らせて亡くなったのです。
一度でいい、一度でいいのです……あの人に、会いたい……」
声は震え、涙が白砂に落ちた。
その背後から、淡く光る水干姿が進み出た。
「ならば、吾が叶えてやろう」
女が顔を上げる。瞳は涙に濡れていたが、そこに一縷の希望が灯った。
「……本当に……?」
「吾の力をもってすれば、容易いこと」
袖が翻り、風が一陣吹き抜ける。
女はその場に崩れ落ち、安堵するように微笑んでいた。
それを見ていた重三郎は、嫌な予感がして眉を顰めた。
◇◇◇
翌朝。
川下から女の水死体が上がった。
髪は濡れ、顔は安らかに眠るようであった。
「銀狐! お前、何をした!」
池の前の灯籠に座っていた銀狐を見つけるなり、重三郎が叫ぶ。
「これで魂は、愛しい男のもとへ行けたであろう」
境内で銀狐は淡々と言い放った。
「ふざけるな!」
重三郎は杖を突き、地を強く踏み鳴らした。
「生きたままもう一度会いたいと願ったんだ! 死んで逢えたって、それは救いじゃない!」
銀狐の瞳が銀に閃く。
「死は終わりではない。むしろ、最も確実な再会の道だ」
「それだけは――やってはならんことだ!」
二人の声が境内に響き渡る。
梟が驚き、闇に羽音を立てて飛び去った。
重三郎は胸を荒く上下させ、拳を震わせていた。
「……お前には、人の心がまるで分かっていない」
銀狐は一歩も退かず、ただ夜空を仰いでいた。
月光に照らされた横顔は、美しくも恐ろしく、そしてどこか寂しげであった。
女の死をめぐる口論のあと、境内には重苦しい沈黙が流れていた。
重三郎は拳を震わせたが、やがて力なく吐息をついた。
「……分かった。お前とは、やはり分かり合えん。分かり合えるなどと思った俺が愚かだった……」
そう告げると、彼は杖を突き、ゆっくりと踵を返した。
その背を見て、銀狐の瞳が一瞬だけ揺らめく。だが声はかけなかった。
近くの木立に、天狗の影が降りてきていた。
普段なら軽口を叩くところだが、今はただ二人を見守り、余計な言葉を挟まなかった。
月明かりの下、静かな三人の距離感だけが不安定に漂っていた。
◇◇◇
夜半。
石段を下りる重三郎の背に、羽音と共に声が追いかけてきた。
「……なあ、さぶちゃん」
天狗が隣に並び、歩調を合わせる。
「オレからは詳しくは話せないが、あいつも可哀想な奴なんだ」
重三郎は黙って杖を突き、足を引きずる。
「わかってくれ、なんて言うつもりはない。ただ……そういう奴だってことは、頭の隅に置いといてやってくれないか」
風が梢を揺らし、虫の声が一斉に鳴いた。
重三郎は煙草を一本取り出し、火をつける。
紫煙が夜に溶けるまで、彼は何も言わなかった。




