第3章
その『ウナートラ』という都市は、奈良や京都によく似た雰囲気をもつ街並みだった。
もっとも、それはカッキーの感じた第一印象の話なのだが、彼も実際にそれらの土地を訪れてみた経験があるわけではない。
ドラマとかアニメとか、そういう映像作品内で強調される、なんとなくそれっぽい古都のイメージである。
とはいえ、多くの日本人がカッキーと同じような感覚でこの都市の風景を眺めるのではないだろうか?
紅葉しているのではなくそういう種類らしいのだが、街路樹から目に飛び込んでくる鮮やかな『くれない』が少しだけ彼に郷愁の念を抱かせた。
「どうしたのですかユータさん? さっきからキョロキョロして・・」
レーヌが不思議そうに尋ねてくる。
「うん。この街なんていうか・・故郷の感じと似たとこあってさ。懐かしいなって。」
「そうなんですか・・私もこの街の景色、好きなんです。木々の紅さに心がふと物哀しくなったりするのですが、建物などを見てると不思議と落ち着きますので。」
そうそう、そうなんだよレーヌ。
カッキーは嬉しかった、やはり生まれた世界が違っていても人はどこか根っこの部分で森羅万象に共感出来るような気がしたのだ。
ウッキー ウッキー!
・・サルはウキウキするのか。
都市の近くまでは転移ゲートのロールを使って来たのだが、街の中へは普通に入ることが出来た。
そうそう、どうやってロールを転移先に運んでいるのかだが、もちろんカッキーが恵方巻きに乗って先行しつつレーヌとタカが後を追う形で転移することで大幅に移動時間を短縮しているのである。
途中で方向を修正して目的地を目指すには、レーヌの魔法『アザマスディテクション』が必要な為、ひとっ飛びとまではいかないのが玉に瑕だが、この方法を思いついたおかげで一行は長距離の旅においてものすごい楽が出来ているのだ。
思いのままにダミナートへ帰ることも朝飯前なのである。
カッキーが既にボルトゥーナ戦で見せた空中スクーターを操る練習にもなっているので、まさに一石二鳥。
ちゃんと時間を見つけては予習、練習、研究をしているのだ。
難なく入れたとはいえ、事前に密偵から得た情報によればウナートラは既に守護霊獣の支配下におかれた状態である。
ちなみに、前回のことがあるのでその密偵にはさまざまな検査を行なってあるが、それは杞憂に終わっていた。
そもそも、密偵の報告内容は具体的な支配のされ方にまで言及されたものであり、それによると支配というよりは『統治』であるというのだ。
つまり、守護霊獣がこの都市のトップに立ってからというもの、住民は皆自分たちの意思で従っているということだ。
レーヌはこの街へ入ってからというもの、こっそりと通行人に魔力探知の呪文をかけたりしてみたが、やはり住民たちにも異常は見られない。
「だいたいのあらましは密偵から聞いてはいますが・・直接ここの人とも話をしてみたいんですよね。」
「そうだね。より詳しい話も聞けるかも知れないし。となると・・」
「政治的な人脈なら、この街にもありますよ。なんでも今は霊獣の下に付いてナンバー2になっている前総督とか・・でも・・」
もう少しこう・・庶民派の声が聞きたいんです。そろそろ夕方ですから、人の集まるお店でオシャレなカクテルでも飲みながらチャンスを伺いましょう。
酒場、盛り場、賭場、サバト。支離滅裂なことばかり宣う酔っ払いも数あれど、案外そういう人が解放感を持ちやすい所には偽らざる真実が転がっているものである。
「店に入るのはいいけど、タカは入れてもらえるのかな?」
「このままだと街中の飲食店はムリですよね。変装用に服を買ってあげますので、お店では帽子を目深にかぶってあまり顔を見せないようにしてくださいね、タカ。」
ウッキー!!
タカのコーディネート1分で完了。
お金持ちのおばさんがペットに着せてるような子供服みたいなのをあれこれ選ぶのかと思っていたが、ふつーに帽子付きの作業着だこれ・・
一仕事終えた後の小柄なオッチャンをイメージしてみました、とのこと。
まぁ酒場だからな、それもそうだ。目立っても困るしな。
そして、カッキーが魔法使いとしてではなく女としてのレーヌのガチスキルを見たのはこの後だ。
メイクをケバめのものに変え、髪をオールバックのポニテにまとめただけで・・お、面影が消えた!?
こっちはこっちでかわいいけど・・かわいいしよく見るとレーヌだけど・・これで服も変えて知らずにすれ違ったらきっと分からない。
「私この街でもかなり顔を知られていますから。さすがに人混みに紛れて情報収集するならこのくらいしておかなければ。」
酒場の照明なら、これで私もタカもなんとかなると思います。一応、私とユータさんは恋人同士ってことで口裏を合わせてくださいね、絡まれると面倒なので・・
唇に、街路樹とはまた別な意味でカッキーの心を切なくさせる『くれない』を乗せ、レーヌはいたずらっぽく微笑んだ。
開店からしばらくは客もまばらだったその店も、いよいよ外が暗くなるにつれて次第に賑やかになってきた。
店のいちばん奥の角にあるカウンター席に陣取った一行は、甘いロングカクテルをチビチビと嗜みつつチャンスを伺う。
観察するレーヌが壁沿いの通路側、カッキーがその向かいでタカはいちばん目立たないその隣である。
この位置どりだとレーヌのご尊顔が丸見えなので、おそらくはよからぬ目的の若い男などが近づいてきたりもする。
まぁ、それでも連れがいると分かれば大抵の者は残念そうに去っていったし、諦め悪くウロチョロしてるような奴でも、2人が仲よさそうに手を取り合って見せれば舌打ちのひとつでことは済んだ。
当然だろうがレーヌはモテる。いつもより遊んでいそうな雰囲気がある今なら尚更注目は浴びやすいだろう。
カッキーは誰かが席に近づいてくるたびに警戒心も芽生えたが、レーヌと仮初めとはいえ恋人同士として見られているであろうことにささやかな優越感もあった。まぁ、そんなこんなで酒を美味しくいただいていたのだ。
「じゃあ、タカはここで飲んでてくださいね。行きましょう、ユータさん。」
まぁ、酔っ払ったチンパンジーが暴走しては事なので、タカのドリンクは専らバナナジュースだ。テーブルには既に山盛りのカットフルーツセットも置かれているので、俯いて顔は見えないようにはしていてもご満悦である。
レーヌはカッキーと連れ立って、中央に置かれていたフリーの立ち飲みテーブルに向かった。さりげなく2人分空いていたスペースに並んで入り込む。
このテーブルは、知り合い同士でも見知らぬ人同士でもしばし一緒にカンパイしつつワイワイやりましょうという場所である。
新しい人が入ってきたら、まずは両隣の人同士でグラスを合わせ、その後テーブル全体でグラスを掲げて乾杯する。それが挨拶であり、そうしてしまえばもう輪の中だ。
「おふたりさん、旅の人?」
付き合ってるんですか?とかいきなり過ぎる質問は適当に捌きながら、会話を進めてゆく。2人がこの街の者ではなさそうだというのは服装を見れば分かるのだ。民族衣装というほど大げさなものではないが、この都市の一般的な服はデザイン的な特徴がある。
日本の人混みの中にチャイナ服を着ている人がいたら、とりあえずあの人は中国人かな?と思うようなものである。
「はい、ズンドレラ地方の村から観光に来ました。」
「へえー、そりゃまた遠くからよく来ましたね。」
「カブン湖の港にさえ出ればそこからは船ですからね。気楽な船旅を楽しみましたよ。」
ズンドレラ地方、カブン湖、カッキーにはまだ聞きなれない言葉でもちろんまるっきりの嘘だが、レーヌがそう答えるからには意味があるのだ。
「初めて来たのですが、噂に聞いていた通りのステキな街ですね。紅い並木が綺麗で見惚れちゃいました。」
それに、活気があってみんな幸せそうに見えます。故郷の村とは大違い、いつかこんな街に住んでみたいですね。
切り込んだ。俺はネーチャンに見惚れちゃうぜ、とかいう野次は軽い笑顔で華麗に捌くレーヌという名の小悪魔。
「そうだろ!? こんないい街ないよなって、今は本気で言っちゃえるよ!」
そうそう、そこのお兄さんいいよー そういう反応が欲しいんだ。
「今は、と言いますと?」
レーヌはもちろんこの機を逃がさない。
「んー、実はちょっと前までも悪い街ではなかったんだけど・・最近突然総督の交代があってね。この人がとにかくすごい人でさ、こんな短期間でもハッキリ違いが分かるくらい住み心地が良くなったんだよね。」
他の人からも続々と賛同の声が上がってきた。それによると、税金も以前の半分以下になったし、物価もずいぶんと安くなったらしい。それに、都市がお金を出して色々とありがたい施設も作ってくれることになっていて、これからが本当に楽しみなのだそうだ。
なるほど、それで生活に余裕が出てきてみんな幸せということか。聞く限りは至極当然な反応だ。どこの国、地方自治体であってもそういうことを目に見える形であっという間に実現してみせる政などなかなか出来るものではない。いや、現実的には夢物語に近い至難の業だ。
「まあ、羨ましい! その総督さんって素晴らしい方なんですね。何とおっしゃる方なんですか?」
「烏丸さんっていうんだ。」
そう、この都市の人の名前はカッキーら日本人と同じく苗字と名前。しかも、実際に書けば漢字ではないのだが、それとよく似た作りの文字で表されるのだ。
「烏丸さん本当に大したものよね。まだ若いし一見あのイケメン? 見た目がいい優男だから最初は頼りない気もしてたんだケド、今じゃ私もすっかりファンだわ。」
「人は見かけじゃ分からんってね。かく言う俺も心酔してるよ。あの人は絶対もっともっと偉くなる。いつかは統一国家全体のトップに立つなんてことにもなるかもな!」
酒が進んで饒舌になってるアンチャン。あんたが話してるその人、まさにそのトップ中のトップですよ・・
「そうなったら、ワシらもちょっとは鼻が高いわい! おふたりさん、そうなった時のためにも今からフルネームで覚えておいた方がいいぞ、よくお聞きなさい。」
烏丸悟浄だ。
ウナートラの総督府は五重塔である。錦の魚が遊ぶ広大な堀池、その周囲に趣を込めて植えられた木々の紅。そういった雅の中に自身の荘厳さを溶け込ませるように、その塔は静かに佇んでいた。
祠はその領内にある。今は他の例にもれず倒壊しているが、その様すらもともすればもともとそのような設えであったかのように、この庭園は錯覚させてしまうのだ。
懇ろなる水たゆたえし 河の精
「昔、この池に水を引いてくださったという言い伝えもあります。」
刻まれた文字を読み上げたレーヌとその一行に、後ろから声をかける者がいた。
ショートカット・・というかおかっぱ頭に整えた背の高い女性だ。幼さの残る顔立ちだが、年の頃ならレーヌよりやや上だろうか。
二重まぶたのつぶらな瞳に、意思の強さを宿した表情で、彼女は二の句を継ぐ。
「中央都市ダミナート君主レーヌ・リネサキ様・・ご無沙汰しておりました。」
「すみません、忙しいとこ呼び出してしまって・・公の場ではありませんし、なんだか調子狂いますのでもっと普通な感じでいいんですよ?」
「そうか・・ではレーヌ、せっかく訪ねてもらってなんだが、出来ることならこのまま引いてもらえないか?」
観光なら大歓迎だ。だが・・もし・・
「彩奈、話も聞かずにあなた責めるつもりはありません。ウナートラはあなたが治めてきた都市ですもの。でも、幼なじみとして話だけでも聞かせてもらえませんか?」
彩奈。レーヌから親しみをもって下の名前で呼ばれたその女性、ウナートラ前総督『砂小路彩奈』は、フッと肩の力を抜いて柔らかな笑みを浮かべた。
「・・そうだな、では幼なじみとして腹を割って話すとしようか・・」
だが、その前にこれを見てくれ、レーヌ。
目を閉じた彩奈の肌がサッとその色を変える。黄緑色となったその顔には嘴、手には水掻き、頭の上には丸いお皿。
見てすぐにそれをお皿だと言えるのは、テンプレな表現だからだ。
何の? そう、日本では超有名な妖怪『河童』のである。服を着たキレイどころの雌河童なんてカッキーも初めてお目にかかったが・・
ウキャ!?
「・・その姿は・・もしやライカンスロープですか?」
切れ長の目をやや見開き、レーヌは驚きながらも穏やかな口調で言葉を返した。
カッキーは無言でスッと腰に手を伸ばす。
「待て、後ろの少年。驚かせてすまなかったレーヌ。この姿を先に見せたのは、先ほども言った通り腹を割って話すためだ。別にやりあおうというわけではない。」
「・・・」
カッキーは恵方巻きから手を離し、自然体に戻った。
「この力は、悟浄様に私から望んで授けてもらったのだ。他にも数名。私たちはいざという時あの方を護る力が欲しかった。」
「・・分かりました、彩奈。お話、聞かせてもらえますね?」
「ああ。他ならぬお前の頼みだ・・こんなところで立ち話するようなことでもあるまい。総督府の中にある私の部屋へ招待しよう。ところで少年・・お前はレーヌを護る騎士か?」
「はい。世界とレーヌを護る為に一緒に旅をしています・・柿崎ゆうたです。」
「世界か、ふふ、スケールが大きいな。だが、まぁ大小の問題ではないか・・ならば、一緒に来て話に加わるといい。」
彩奈の姿が瞬時に人間に戻る。
「分かり合えることを期待しているぞ。レーヌ、柿崎ゆうた。」
五重塔の3階にある彩奈の自室で、一行は来客用のソファへ案内され、お茶とお茶菓子でもてなされた。
自室という言い方はしていたが、要するに個人用の執務室である。仮眠用の折りたたみベッドくらいは壁に備え付けられているが、ここに住んでいるというわけではなさそうだ。
喋り口調にはちょっと尊大な印象を受けるが、いそいそとお茶を淹れている姿を見ている分にはとても可愛らしくて魅力的な人だ。
「猫派のお前が、いつからチンパンジーなど飼い始めたんだ・・?」
最後に自分も一行と向かい合う形で腰を下ろした彩奈は、意外にも話の切り出しとしてタカに目を向けた。
ムッキャー!? キャッキャ!!
歯を向いて抗議を露わにするタカ。
「タカ! すみません彩奈、タカったらペット扱いするなって・・」
「ああ、それは悪かった。タカ、お前もレーヌの大事な仲間なのだな?」
ウッキー ウッキー!
「ははは、そうか。レーヌのこと、よろしく頼むぞ。」
タカは満足げに胸を張り、下顎を突き出してみせた。
「街はもう歩いてみたか? お前んとこがゲートを封鎖してからは今回が初めてだろう?」
昨晩あの店で、レーヌが嘘を並べた理由がこれだ。ダミナートは現状このウナートラから見れば一方的に往来を断ち切っている。考えなしに話していたら、あっという間に人々の興味がそちらにもっていかれて肝心な話から遠ざかるのを危惧したのである。
「昨日の夜、街の人たちとお話してみて、みんな心から今のウナートラに満足しているんだと感じました。烏丸悟浄っていう人が本当に慕われているということも・・」
ここで、レーヌはハッとして慌てて言葉を取り繕った。
「あ、すみません!? あなたの治めていた頃のウナートラだってとてもいい街でしたよ!?」
「フッ、レーヌ・・お前は昔から変わらないな。いつも私には遣い過ぎるほどに気を遣いながら話す。本当のことだから遠慮はいらないよ。」
彩奈は、ちょっと切なそうに小さなため息を漏らす。
「私が治めていた頃より、今の悟浄様が治めるウナートラははるかに素晴らしい都市になった。それを誰よりも喜んでいるのはこの私だ。」
そうハッキリ言う彩奈の面差しに自虐的な陰など微塵もない。本気でそう言っているのがその場にいる全員に分かった。
あのため息は、レーヌの態度に対しての彼女なりの小さな不満なのだろう。
カッキーには分かっていた。レーヌは即位する以前から地方都市の総督より地位は格上だ。幼なじみにして、自分より年上。レーヌがそんな彩奈のことを慕っているからこそ、常に意識して下から話しているのが分からない人が総督などでいられたはずもない。
分かるからこそ、切ないのだ。
人間関係はさまざまである。気を遣い過ぎても人は距離をとりたがることがある、そんな経験はカッキー自身嫌というほどしてきたのだから。
「・・ある日突然、あの方・・悟浄様が、この総督府の入り口に立っていたんだ。雨の降りしきる日だったな。まるで、迷い込んだ子犬か何かみたいだったよ。途方に暮れた目をしていた。」
部下の者が、何やらわけの分からないことを喋りたてている者がいて困ると言うので、私が直に対応することにした。
濡れそぼってはいたが、なかなかの美男子だ。ちょうど仕事もひと段落ついていた私は、興味半分ひと時の茶の相手として話を聞いてやろうという気になったんだ。
彼の話はわけが分からないというよりは、俄には信じ難い驚くべき内容だった。
なんと、自分は祠からこの都市を見守り続けてきた霊獣『烏丸悟浄』が、邪悪な意思を持つ者によって実体に宿らされて生まれた存在だと言う。
最初に心の中に鳴り響いた命令は、この都市を支配せよ。人間たちを配下に収めよ。そして来たる時に備えよ。だったと、あの方はうなだれながら絞り出すような声で私に告白した。泣いていたのだ。
そして、最後に私の腕にすがりついて言ってくれたのだ。
私はこの都市を、人々を愛している。邪悪な意思などに従いたくはない・・とな。
総督府を後にし、物見遊山や食事を楽しんだ後宿へ戻った一行は、その夜霊獣たちと話していた。
絵面だけ見ると、テーブルに置かれた鹿肉ソボロとマグロ柵のスティックにカッキーやレーヌが話しかけるという奇妙な光景である。
「魔獣体と一体化した霊獣が、良い心を持ち続けているなんてことがあるんですか?」
『あるかも知れんし・・ないかも知れんのう・・』
ボルトゥーナ爺さん〜もっと身のある話をしてくださいよ・・
『我々霊獣は我々、魔獣体は魔獣体でそれぞれ別に存在するものだが、霊獣があの簀巻きによって魔獣体に縛りつけられている存在はまたそのどちらとも違うものだからな。』
『それじゃそれじゃ、ワシもそれが言いたかった。』
それ、ホントかボル爺? あ、なんかいいなボル爺って、心の中ではこう呼ぼう。
「つまり、合体している間は霊獣でも魔獣でもない・・第三の人格というわけですね?」
『そういうことだ。ユータ、私が合体していた時と魔獣体、そして今の私はぜんぜん違っているだろう? 合体していた時の記憶もあるが、自分が自分ではないようななんとも妙な感覚だったな。』
確かに、最初に霊獣スタグホーンとして対峙した時のあのキャラはどちらでもない。
「ということは、あのボルトゥーナも?」
『ああ、魔獣体はあんな生易しいバカじゃないぞ? かけ算とかけ蕎麦の区別もつかないような大バカじゃ。』
うわ、それはバカそうだ・・関わる前に倒せて良かった。
そうか・・じゃあその合体時の第三の人格ってのが善良であれば、烏丸悟浄のようなこともあり得るのか・・
カッキーは、総督府を後にしようとした時に偶然にも遭遇した烏丸悟浄本人のことを思い出していた。
『あれ? お客さんかい、彩奈? ようこそ、いらっしゃい。』
最初、そうだとは思わなかった。メガネをかけた爽やかな青年が、彩奈に見送られようとしていた一行に、にこやかに話しかけてきた時は。
「悟浄様! 私の幼なじみなんです。わざわざ訪ねてきてくれたんですわ。」
悟浄、という名を聞いて一行全員がピクリとしつつも、現ウナートラ総督に対して深々とお辞儀をする。彩奈もレーヌの身分については敢えて伏せてくれていたようだった。
「お忙しい時間帯に押しかけましてすみません。ひと時でしたが彩奈と話せて楽しかったです。今日はこれでおいとましますので・・」
レーヌがそう挨拶すると、烏丸悟浄は心底残念そうにはにかんで言った。
『いやあ、もっとゆっくりしていってくれればいいのに。ボクも一緒にお話したかったな。いや、幼なじみ同士の時間に水を差しちゃ悪いですよね。是非、また遊びに来てください。』
あのメガネの向こうの優しそうな目には、そのさらに奥になにかを含んでいるような気配はなかった。本当に、純朴そうな好感の持てる青年だった。
そして、カッキーが想像していたタイプとは違っていたが、確かにイケメンである。屈託無く笑うので気がつきにくいかも知れないが、ふと真顔で物思いに耽ってみたりなどすれば多くの女性がドキリとするのではないだろうか。
カッキーが、思わずレーヌの顔を伺ってしまったのも仕方がないことだ。
回想から戻ってきたカッキーは、なるべく烏丸悟浄の容姿については触れないようにしながらレーヌと意見を交わす。
「俺の目にはとてもいい人そうに見えたな。」
「そうですね、私もそう感じました。噂通りかなりのイケメンでしたし・・」
「会ってみるまでは、やり手の政治家ってちょっとキザなもんかと思ってたケド、なんだか腰も低い感じで好感がもてたよ。」
「加えてあのルックス・・あれじゃ、惚れちゃいますよね・・」
レーヌがカッキーの男心をペキペキ折ってゆく。
「え、そ、そうなの!?」
「ユータさんは気がつきませんでしたか?」
彩奈は、間違いなく烏丸悟浄に恋をしていますよ。
中央都市ダミナートの君主がよほどのことがない限り世襲制なのと同じく、地方都市の総督もまた血の繋がりによって受け継がれるのが慣習である。
ただ、いくつかの例外や、不測の事態が起こった場合の対処法については明文化もされていた。
今回の総督の交代劇には、一般市民は反訴の権利は与えられていたが、取り決めは全て前総督である彩奈と4人の総督補佐官の合意によって進められたことだという。
要するにまず現政府の判断によって決定した後、その決定にどれだけの反訴が寄せられるかで総意を測るやり方である。
そもそもこの話は、総督府へ匿われていた烏丸悟浄が何気なく政への興味関心を示したことに端を発する。当初、烏丸本人にも政権を握ろうという野心などまるでなく、彩奈たち執政官への意見や助言という間接的な形だったが、その発言のことごとくがウナートラの暮らしをより良く変えてゆくといった、誰もが奇跡と呼ぶようなデータが得られた。
更なる調査分析、市民の声を集めた末に、烏丸悟浄が霊獣の化身であること、初めて出会った日に烏丸が涙ながらに彩奈へ吐露した内容まであらゆることを審議にかけた上で、満場一致で彼に総督の地位を与え彩奈は5人目の補佐官としてそのバックアップに努める体制の構想が出来上がったのである。
もともと、祠のあった場所に総督府が造られるほど霊獣信仰の強い都市だ。
長くこのウナートラを愛し護ってきた霊獣その人であり、実力も非の打ち所がないとなれば、そんな彼に政を取り仕切ってもらうことが街の発展の為に一番良いという結論に達したのだった。
話を聞いた時には喜びの表情を見せつつも、政は人の手で行うべきであり自分こそサポートに回れればそれで良いと答えていた烏丸も、再三乞われてついには首を縦に振った。
元来、政治と信仰には非常に密接な関係がある。後に、この流れはいわば都市という巨大な生き物の先祖返りであると表現した識者もいたとかいないとか。
烏丸の素性はもとより、これまでの陰で成してきた実績の公表、さらには選挙ばりの公約演説など段取りを踏み、最終的に受け付けた反訴の数など都市全体からみればたかが知れていた。
かくして、地方都市ウナートラの新総督烏丸悟浄は晴れて即位の日を迎えたのである。
それはさておき、この流れの中に彩奈の個人的な感情もまた関与していたのかどうかなど、誰にも知る由もない。
ただ、彩奈が烏丸に対して単なる執政官同士の信頼以上の感情を今持っているということだけは、レーヌには分かるのだという。
「彩奈とは昔、2人で同時に同じ人を好きになったこともありまして・・」
その時は牽制し合っていて、お互いのことよく観察していましたので・・彼女のそういうことは今でも見てれば分かるんです。
昔話とはいえ、カッキーにとっては少し妬ける話だ。まぁ、邪推すればレーヌも烏丸のことが気になったので、彩奈の態度や様子にピンときた、と言外に言っているようにも解釈出来るのだが・・ということであればレーヌが彩奈を押しのけてまでどうこうということにもならなそうである。
そういえば彩奈さん、いざという時烏丸を護りたいって言ってたな・・
カッキーの脳裏に、あの時の彩奈の言葉がフラッシュバックする。
お前はレーヌを護る騎士か? ならば話に加わるがよい。 分かり合えることを期待しているぞ、柿崎ゆうた・・柿崎ゆうた・・
そうか、そうだな。俺の方が先に見抜かれていたんじゃないか。
カッキーは、彩奈の想いを理解した。女ってスゲーと思った。
烏丸悟浄はうなされていた。
夢の中だ。物心地が付き、この総督府へ身を置いたあの日からというもの毎晩、彼は同じ悪夢に苦しめられていた。
覚えがあるようで会った記憶もないような影姿が、何度も何度も彼をけしかけてくる。
『支配せよ。すべての民を従えよ。来たるべき戦いの尖兵とするのだ。』
烏丸は頭を抱え必死にその影を追い出そうとするのだが、たとえ一度振り払ったところで何度でも現れては呪詛のようにそう繰り返すのである。
極度の息苦しさを感じて、烏丸は夢の世界からようやく逃げ帰った。
「悟浄様・・?」
心配そうに覗き込む彩奈の顔がそこにあった。
『ハァハァ・・彩奈・・』
すまないが、水を一杯もらえないか?
「今夜は、一段とうなされて・・心苦しゅうございます。ただいま、すぐにお水をお持ちしますので。」
彩奈はやるせなさを隠しきれない表情で、烏丸の焦燥した姿を見やってからいそいそと部屋を出て行く。
額の汗を拭い、まだ胸に重く溜まっていた息をフウと吐き出しながら何気なく部屋を見渡した烏丸は、薄暗い部屋の一角に気配を感じてギョっと目を止めた。
それまでもいたのか、今突然現れたのか。暗がりの奥から、窓から差す月明かりの下へひとつの影が伸びてくる。
それは明らかに人のそれではなかった。
『烏丸悟浄・・我らと同じ生まれの身。いつまでもこのような日々を送れるとは思っておらぬだろうな?』
奇妙な甲冑を着込んでいるようにも見えたがそうではない。その姿、この都市でも好まれる食材のひとつに似たものがあるのを烏丸も知っていた。
「きさま何者!?」
その時、開け放たれたままであった入り口の方から声がかかり、同時にその人物の手がいくつかの飛翔体を窓の下の怪しい影に向けて投げつけた。
月明かりを背負って立つ怪しい影・・身もふたもない言い方をすると海老かザリガニのような外殻を持つ人型の異形なのだが、その影は慌てることもなく両の手の先にある巨大な鋏を持ち上げて胸の前に構えるとこの飛翔物を難なく跳ね返して地に落としてしまった。
硬いもの同士がぶつかり合うような音がしたが、落ちたそれは見る間に形を崩して敷物の生地へと吸いとられてゆく。
その隙に、入り口から足早に烏丸のいるベッドへ駆け寄ったのは彩奈である。
黄緑色の肌、嘴、水掻き、そしてそのヘアスタイルにぴったりマッチの頭のお皿。
ライカンスロープ体である河童の姿へとその身を移していた。
やや遅れて、更に4人の人物が部屋に押し入って来る。全員彩奈と同じく既に変身は完了していた。
彼らは彩奈と共に烏丸の執政を補佐する立場にある者たち、兼彼の身を警護する名目のもと人を上回る戦闘能力を授かった側近のボディーガードであった。
『ほう・・ならばその力は行使出来るということか。』
海老人間は彼らを見渡し、少し関心したような口ぶりで言った。
『烏丸悟浄よ。即刻気を改め、その力を用いてこの都市の全住民を我らが配下とするならばよし・・』
「黙れ! 私たちは望んでこの力を悟浄様よりいただいたのだ! 悟浄様は人の心まで奪うような方ではない!」
彩奈と4人の補佐官が、異口同音に海老人間を非難する。海老人間は構わずに口を継いだ。
『・・さもなくば、ドリガロン様のおっしゃる通り、お前を出来損ないとして処分せねばならん・・』
烏丸の言葉を待たずに、彩奈と4人の補佐官は動き出していた。こういう日の為に、手に入れた力である。1人足りとも迷いはなかった。
「逃げてください、悟浄様!」
彩奈がいち早く、烏丸と海老人間の間に割って入る。
表情の読み取れない漆黒の目を不気味に光らせて、海老人間は静かに両の鋏を構えた・・
カッキーたちが真夜中であってもその異変を知ることが出来たのは、突然霊獣たちに叩き起こされたからである。
しかも、見知らぬ一体が増えていた。もっとも、それは揺らめく陽炎のような河童の姿をしていたので見てすぐに誰なのかの想像はついたのだが。
『守護霊獣の烏丸悟浄でござる。以後お見知り置きを。テケテン。』
ござるキャラか・・本当にまるで違う人格だな。。テケテン?
恵方巻きの食材にこういう表現も変だが、既にスタグホーンとボル爺は話の概要を聞いたようで難しい顔をしていた。
「ん? でも、守護霊獣のあなたがここへ来てるってことは・・」
烏丸さんはどうなったのか?
『それがでござるな・・突然の来訪者の手により拙者との繋がりが断ち切られ、魔獣体の方は暴走してござる。』
まぁ・・今までの話からいうとそういうことにはなるよな。
「来訪者って、総督府に来たわけ? こんな夜中に?」
『左様、同じ守護霊獣の拙者にはすぐに分かったでござるが、あれは守護霊獣ララングストゥが魔獣体と合体した者でござるよ。』
簀巻きに巻かれておったし・・
「話をまとめると、烏丸さんのやり方・・っていうか強制的な支配にいつまでも乗り出さないことに業を煮やしたドリガロンが、そのララ・・なんだっけ?」
『ララングストゥ、でござる。』
「そのララングストゥを差し向けて、烏丸さんからあんたを切り離したってことか。」
『然り。護衛の者も勇敢に立ち向かったでござるが、悲しいかな力の差は歴然。あっという間に地に伏せられてしまったのでござった。テケテン。』
だから、なんだよそのテケテンって?
「え? すみません、その護衛というのはまさか・・」
その、まさかだった。
「それを先に言ってください! こうしちゃいられません! すぐに総督府に向かわないと!」
『相済まぬでござる。拙者もスタやんとボル爺の気を探り、なるたけ急いでここへ馳せ参じたとはいえ話には順序というものが・・』
ボル爺公式かよ・・スタやん?
ん? 待てよ?
「彩奈さんのことも気になるケド、あんたさっき魔獣体の烏丸悟浄が暴走中だって言わなかった?」
『申しましたでござる。』
「暴走って・・何してるワケ?」
『街に出て、出会う人間を片っ端から河童。。もといライカンスロープ化して回っているでござるよ。』
いや、やはり都市だとこんな夜中でも出歩いている人はごまんといるでござるな。
『「早く言え(ってください)! ボケ河童!!!」』
ウキャキャキャキャ! ムキャキャッキャ!
その場にいる全員から、同時に同じツッコミが入った。
カッキーとレーヌは、ひとまず二手に分かれることにする。
「魔獣体の烏丸悟浄を見つけたら、まず近くにこれを設置しておいてください。」
レーヌが転移ゲートのロールをカッキーに託す。
「被害が広がらないように足止めはして欲しいのですが、1人では戦いにくいと思ったらムリはしないでおいてくださいね。」
それから・・それから・・
「分かってるよ。下手に突っ込んだりはしない。早く彩奈さんのところへ行ってあげなよ。」
一刻も早く幼なじみの元へ駆けつけたいだろうという時に、こんなに心配そうな顔で言葉をまくし立てるレーヌ。
どっちが護られてんだか分かんないけど・・まぁいいか、護り合えば。
カッキーの中にも、こうしたレーヌを見ているだけでグングンと『騎士』のパワーがみなぎってくるんだし・・
『じゃあ、こっちが済んだらすぐにかけつけます。行きますよタカ!』
レーヌがタカを伴って近くの転移ゲートを目指した。街中の移動にもやはり便利だ。
もっとも総督府内にはセキュリティ上の問題もあってゲートは設置されていない為、最寄りのゲートからも少し時間がかかるのだが。
簡易ゲートは、一度使うと次に使用が可能となるまでインターバルが必要となるのが難点である。
「さてと、それじゃやっぱり空からかな?」
タカはレーヌのボディーガードに付けたが、上空から捜索するつもりだったというのもある。どちらにも置いてきぼり、なんてことになったら後で機嫌が直るまでが大変だ。
「スコール恵方巻きスクーター!」
カッキーがスタグホーンの力を宿した恵方巻きにヒョイと飛び乗る。
今回は少し出力を抑え、上空から街の様子が分かるくらいの高度で低速飛行をしなくちゃならない。
本当はスピード目一杯の方が遥かにバランスが取りやすいのだが。
「これもまた修業だな。時々こっちの飛び方も練習しておくか。」
若干フラフラと左右に身体を揺らしながらも、カッキーは夜の空へ飛び出す。
しばらく人通りのある場所を目処に探していたところ・・
お? あそこだ!!
既にけっこうな数になっている河童人間たちが、普通の人を襲っている現場を発見した。
なんといっても、彼らは上空から見つけ易いのだ。頭の皿ですぐに見分けがつく。
河童人間たちは、襲った人間を無理矢理ある場所へと連行しているようだった。
かなりガタイの良い男なんかもズルズルと引きづられてゆく。
日本の伝承妖怪である河童は、どんなに小柄でも相撲で大男をぶん投げるくらいに力が強いとされているが、こいつらもかなり体力を底上げされているらしいな。
河童人間たちの行き先はすぐに想像がついた。おそらくは、その向かってゆく先に彼らのボスがいるのである。
目でその場所を追っていくと、果たしてそこには1匹の河童が椅子を設えて鎮座していた。それが魔獣烏丸悟浄であることは、その行動を見れば間違いない。
河童人間は、連行してきた人間を魔獣烏丸悟浄の前に突き出すと、力づくでその頭を彼の方へ差し向ける。すると、彼はその頭頂部に手を当て何やら念を込めているようであった。
その水掻きのある手が発光し、光が収まるとその犠牲者の頭には丸いツルリとしたお皿が出来上がっているというワケである。
これで河童人間の一丁上がりだ。
カッキーは少しホッとした。どうやら、ではあるが河童人間たちはゾンビのように鼠算式で数を増しているワケではなさそうだ。
それぞれ、ライカンスロープの作り方にも差があるようである。
これなら、とりあえずこの場だけに集中出来るというものだ。それに、魔獣烏丸悟浄だけにだけ気をつければ魔力抗体のない状態でもなんとかなる。
前回はなんとかなったが、ミイラ取りがゾンビになるようなことだけはゴメンこうむりたい。
カッキーは、屋上のある建物を見つけて密かに着地した。転移ゲートのロールを広げ、四隅を固定する。これでよし。
では、先制攻撃といくか・・
カッキーには対烏丸悟浄率いる河童軍団への策があった。それに、レーヌにはムリはするなと言われていたけれど・・
彼女たちがここへ到着する前にカタをつけられるのであれば、そうしたい理由もあった。
カッキーは、再びスクーターに飛び乗るといきなり魔獣烏丸悟浄の後ろに降り立つ。
別に後ろから殴ろうとかいう策ではなく、単に正面には河童と人の順番待ちがたくさんいて後ろの方がスペース的に着地し易かったというだけだ。
とはいえ、先制攻撃である。カッキーは素早く恵方巻きにマグロ柵スティックをセットした。代わりに鹿肉ソボロスティックが飛び出す。
「ボルトゥーナさん! 灼熱の力レンタルします!」
前方に向けた恵方巻きの断面がタバコに燻る火種のように赤くなり、次の瞬間その先からレーザー状の赤色光が放たれた!
「ドライヤー恵方巻きレイオブラーバ!」
初手、狙いはもちろん魔獣烏丸悟浄の頭の皿である。まぁ、騎士としては卑怯この上ない不意打ちだが一応この状況は多勢に無勢だ。これで決まるなら決まって欲しい。
一瞬のことだったので、河童人間たちが声をあげるその前にカッキーの放った光線は魔獣烏丸悟浄の皿に直撃していた。
その身体がズルリと椅子から落ちる。
やったか!?
だが、最初は何が起こったのか分からないといった表情で固まっていた河童人間たちも、我に帰るとカッキーへ襲いかかってきた。
「そら、お前たちにもくれてやるぞ! せいぜい気絶くらいまでにしといてくれよ!」
カッキーはレーザーの出力を絞ると、襲ってくる河童、様子を見ている河童、逃げ腰な河童の順に器用にその皿へと照射していった。
この技は、あくまでレーザーが当たった場所を乾燥させて水分を奪うものなので、今使ったものは人に当たってもちょっと乾燥肌になるくらいの威力なのだが河童たちには効果覿面だ。
10数人も倒れたあたりで、他の河童人間も捉えていた人をほっぽり出して散り散りに逃げて行ってしまった。
まぁ、いわば吸血鬼集団の真ん中で太陽拳みたいなもんなのでやつらにとっては恐ろしい技である。
だが、やはりといえばやはり、この程度では魔獣烏丸悟浄は倒せてはいなかった。
もっとも、椅子が障害物となったおかげで追い討ちが後回しになってしまったというのもあるが・・
シャリシャリという音を立てて、魔獣烏丸悟浄はスッと立ち上がってきた。
手には河童といえばこれ、のマストアイテムキュウリ。それを一口齧るごとに、その一端はギリギリのところまで乾いたであろう頭の皿が潤いを取り戻してゆくのが分かった。
乾いた地面のように走っていた亀裂も綺麗に消えてゆく。
「・・なんでだろうな? あんたを目の前にしていると・・不意打ちなんかして悪かったって気になってくるよ。」
月に照らされて、今ハッキリと見えたその顔は、黄緑色で嘴が生えてはいたけれど、あの烏丸の面影そのままだった。役に立っているのかは分からないが、ご丁寧にメガネまでかけたままだ。
「なぁ、烏丸さん・・もうあんたはそこにはいないのかも知れないけど・・もしいるならきっと分かってくれるよな?」
早く、俺に倒されてくれ。
魔獣烏丸悟浄は口元に鋭い牙を覗かせてニイと笑うと、突然屈みこんで細かな砂利が敷き詰められた路へ水掻きのついた両手をついた。
その手を当てた場所から、地を這う鮫のヒレのような何かが放たれる。
路の砂利を巻き込み質量を増しながら、二層の鋭い水の刃は蛇行するようにカッキーへと迫ってきた。
速い! しかも軌道が読みづらい!?
横へ飛んで避けることにリスクを感じたカッキーは、急いで恵方巻きをくるりと返すとレーザーを照射したのとは逆の切り口からドロリとした液体を出して目の前の路へ真一文字に引いた。
瞬間的にその液体はボコボコと泡を立てて、そうカルメラがその焼き上がりに一気に膨れ上がるようにカッキーの目の前へ壁を作る。
ガッガッガガガガ!!! レディガガ!!!
壁の向こう側に着弾した水流の牙は、その表面を削るようにしばし衝撃を加えてやがてその威を収めた。
その間にすかさず卵焼きスティックへの換装を済ませ、雷の刀身を出現させながら壁の前へ躍り出る。
そこには、魔獣烏丸悟浄の足元から続く水の道が出来ていた。
「こういうのは初めてだろ?」
水を武器にするなら、火よりもこいつの方がずっと怖いんだぜ?
カッキーは、自分の足元に注意しつつ、水で出来た道にライトニング恵方巻きブレードの切っ先を突き立てるように当てた。
水上を走る稲妻のスピードはまさしく一瞬、である。この程度の距離であれば、やった瞬間には終わっていると言っても過言ではない。
水の道の表面を小さな爆発に巻き込み砂利を大量に跳ねあげながら、雷撃は魔獣烏丸悟浄の身体全体を包み込んだ。
こうも簡単にかかるとはいえ、既に語った通りこの世界には『電気』という概念がない。あるいは、存在はしているのかも知れないが少なくとも一般的には知られてはいない。
未知の概念を敵に回すというのは、とても不利なことなのだ。
カッキーとて、得体の知れない魔法的なことに対してはレーヌに頼りきりだ。
ともあれ、魔獣烏丸悟浄は頭の皿はもちろん、耳や口からもシュウシュウと白い煙を吹いて再び地面にドシャリと倒れこんだ。
「ユータさん!」
ウッキャー!
その時、ちょうど頭上からカッキーに声がかかった。見上げると、レーヌとタカ、それから彩奈がふわりと宙を降下してくるところだった。
「1人で無理はしないでくださいと言ったじゃないですか!?」
ちょっとムッとした顔をしたレーヌだが、カッキーが無理はしていないし怪我もないことを告げるとホッとした表情に変わった。
「・・終わらせたのですか?」
彩奈の手前言葉は選んでいるが、つまりそれは魔獣烏丸悟浄は死んだのか?という意味だ。
「いや、それは・・」
彩奈がそこにライカンスロープ体で立っていることが、虫の息ではあるにせよまだ魔獣烏丸悟浄の命が尽きてはいないということの証明だった。
レーヌが彼女をここへ連れてくることは、いや、彩奈自身がそれを望むであろうことは、その想いを理解した時からカッキーには分かっていた。
だからこそこんなタイミングよりも、もっと早くに決着をつけてしまいたかったのだ。
そんなカッキーの様子口ぶりに、彩奈が答えた。
「気に病むな、柿崎ゆうた。私も、ここへは戦うつもりで来たのだ。」
あの方が好きだったこの街と・・人々を護るために、レーヌに頼んでここへ来た。
今は安静にしておくようと残して来た4人も、きっと同じ気持ちだろう。
「さあ、魔獣烏丸悟浄にとどめを刺すのだ。世界とレーヌを護るには、それは必要な・・こと・・だろう?」
魔獣烏丸悟浄は、焼け焦げて動かなくなった腕で、必死に腰に巻いたキュウリを手に取ろうとしていた。
おそらくはアレが奴にとっての超回復アイテム。仙人のお豆。一口でも食べれば立ち所に元の力を取り戻すかも知れない。
その姿、その顔を見た彩奈の言葉が強さを失ってゆく。
「! ・・悟浄様!」
張り詰めた糸が切れるように、彩奈が魔獣烏丸悟浄へ向けて駆け出した。そして、すぐ近くでその顔を見下ろした時、ついに彼女の心の中で何かがハジけてしまったのだろう。
「・・ご苦労だったなレーヌ・・ここまで運んでくれて感謝する・・だが、うかつだぞ・・? 私は悟浄様にこの姿を頂いたのだ・・とっくに心は悟浄様のものだ・・決まっているだろう・・なあ? そうだろう?」
嘘だ。河童にとって命ともいえるものを・・あんたそんなにもたくさんその目から流しているじゃないか・・
震える手で、魔獣烏丸悟浄の腰から一本のキュウリを外し、許しを乞うように一行へ目を向ける彩奈。そんな彼女を誰も責めはしなかった。
「バッカ野郎! 責めろよ! 罵れよ! 私を・・!」
「そうですね、今のあなたはほんっとバカみたいですよ。みっともないったらありゃしないです。やるならさっさとやればいいじゃないですか!」
「レーヌ・・なんだと。。?」
「彩奈ってコはね、私の大好きな幼なじみの彩奈はね・・」
自分が正しいと思ったことに、そんな涙なんか流す弱いコじゃないんです!
ハッとした表情で烏丸とレーヌを見比べる彩奈。
「・・ありがとう。そうだな・・」
彩奈の姿がフッと人間に戻る。同時にその手からキュウリが地面にポトリと落ちた。
いつのまにか空を覆っていた雲が、彼女の涙を隠すハンカチの代わりにと降らせたのだろうか。雨が路の砂利の上で弾け出す。
叩きつけるような大量の雨をその皿いっぱいに浴びて尚、烏丸悟浄が息を吹き返すことはなかった。
ー後日談ー 雨降られ 相合傘より 恋合羽
カッキーのドライヤー攻撃で気を失っていた元河童人間のみなさんも、人間に戻ることですぐに元気になった。
その後、乾燥肌に悩むことになった人がいたらしいというのにはちょっと反省したが、その後ウナートラの街で河童を見かけたという噂は聞かない。
総督府のベッドで彩奈からの報告を聞いた4人も、忘れ難い非常に残念なことではあるが、自分たちも心から慕った烏丸悟浄に負けぬよりよい政を目指し、ウナートラを盛り立てていこうという決意を新たにしてくれた。街は生き物だ、彼らにその気がある限り、そこに住む者の1人1人が同じ思いでいる限り、よりよい明日を目指す為に成長を続けるのである。
そして、ここからが意外過ぎる展開。
霊獣烏丸悟浄も、スタやんやボル爺と一緒に行く、と快くカッキーたちの力となってくれることになったのだが・・
黒こげの、しかも河童からはどうにも食材を切り出す気にはなれなかったので、彩奈が落としたキュウリでいいんでね?ということになり、宿ってみてもらったところ・・
『あれ・・? ボクは今までどうしてたんだろう・・やあ、みなさん。また会いましたね。』
「か、烏丸・・さん・・!?」
『はい、烏丸悟浄です。どうしたんですか? みなさん、そんな驚いた顔をして・・』
「ほ、本当に・・悟浄さま・・なのですか・・?」
『もちろんだよ、彩奈。え・・ちょ・・ちょっと、彩奈。みなさんの前で・・』
キュウリをその胸にギュッと抱き、幸せそうに谷間へうずめていく彩奈。
『どういうことじゃい、烏丸悟浄!?』
『そうでござるな・・思うにこのキュウリもまた一つの依り代だったのではござらんか? 拙者が憑依していたのは最初からこのキュウリ殿で・・』
生まれた人格が、魔獣体の意識を抑えていたのかも知れないでござる。
あ、こっちの霊獣烏丸悟浄の意識もちゃんとあるんだ。
んなバカな・・と思うかも知れないが、案外そんなこともあるのかもな。このキュウリ、たぶんずっと簀巻きで魔獣体の腹に縛り付けられてたワケだし・・
『まぁ、真実は闇の中でござるよ。よいではござらんか、彩奈殿もこのように嬉しそうでござるし。』
拙者も女子の胸に抱かれるのは満更でもないでござるゆえ・・
『「お前は寝てろ(てください)! このエロ河童!」』
ムキャキャキャキャキャキャ! ムキャムキャキャッキャ!
その場にいる全員から、同時に同じツッコミが入った。だが、この時は誰もがその思ってもみなかった再会を心から噛みしめていたのだ。
さて、2人の烏丸悟浄と・・どうしても付いてくると言ってきかない彩奈を加え、レーヌ一行が次に目指す場所には果たして何が待ち受けていますやら?
それはまた次回の講釈(第4章へ続く)




