(五十五)秘められた禁足地④
老人は恭しくお辞儀をした。
右手に野球ボールほどもある真珠の珠を持っている。
「トイズマスターを殺したのか?」
リリィーナは胸の前に上げていた銀の剣をゆっくりと下ろし、切っ先を真珠色の床へ向けた。
「死んではいません。この方は大切なお客さまです」
ですが、と老人はにっこり笑った。
「あなたはお客さまではない。私の国では歓迎いたしかねます」
「君がリングマスターなのか。王城では姫君を助けてくれたそうだが」
だが、老人の答えは無かった。
床から生えた真珠色の棘は天井まで成長すると、風を切って襲ってきた!
リリィーナは切り払いつつ、後ろ向きに跳びずさること三歩で扉の外まで後退した。先刻まで黒騎士たちが倒れていた場所を過ぎると扉に背を向け、祭壇から駆け降りた。
と、ゆっくりと、扉は閉まり――、
一呼吸置いて、扉の奥で、ズシンと重い音が轟いた。
祭壇の後ろの壁が膨らんでいる。閉まった扉を中心に、黒い蜘蛛の巣のごときヒビ割れが放射状に走った、次の瞬間、壁は爆発した。
リリィーナは体の前に魔法で光の防御壁を作り、飛んでくる石の破片を防いだ。
祭壇の後ろの壁が、きれいに無くなった。
白い部屋がひと続きになり見通せる、が、壁を破壊した犯人が視界を塞ぐ。
玉座の周りから伸びた何本もの真珠色の長い棘だ。鋭いその尖端部分一メートルくらいは棒のように硬いが、残りの長く伸びた部分は蔓植物のような、もしくは軟体生物の触手さながらしなやかだ。
棘の動きが止まった。
刹那、長い棘は一斉に襲いかかってきた!
一本、二本、三本、四本――真珠色の槍攻撃を切り払いながら、リリィーナは右へ跳び、左へ退いた。
「どうしました、不思議探偵さんとやら。逃げてばかりでは、こちらへは来られませんよ?」
玉座と老人を護るように円形にびっしり生えた不揃いな高さの棘の隙間から、ニヤつく老人の顔が見える。
リリィーナはさらに後方へと跳躍した。
尖端の槍の穂みたいな部分を切り落としても、残された長く伸びた部分が触手みたいに巻きつこうとする。びゅっと風を切って飛来した数十本を、リリィーナは跳躍最中の空中でまとめて切り捨てた。
ところが、先に切り捨てた棘に隠れて、伏兵の一本がいた。リリィーナの左の二の腕をかすめた後で切り落としたが、そいつは、二の腕の袖を切り裂き、皮膚を傷付けた。血はほとんど出なかった、浅傷だった。――――が、傷口から鈍い痺れが始まった。ついで左肘が急激に冷えて感覚が乏しくなり、肩の方にも痛いような痺れがジワジワと上ってきた。
「――毒か」
リリィーナは剣を持った右手を左肩に当てた。すでに左腕の感覚は無くなり、だらりと垂れている。
リリィーナはさらに退がった。祭壇の間に最初に入ってきた出入口近くまで後退する。
すると、棘の攻撃が届かなくなった。
長く伸びられる距離の限界があるのだ。
切られた棘も、再生にはそれなりの時間が掛かるらしく、先の尖りを失ったものは、一度引っ込んだらすぐには再戦を挑んで来ない。玉座の周りで縮こまり、丈の短い草のようにおとなしく佇んで、槍の切っ先が再生するのを待っている。
そのときだ。
玉座のトイズマスターが身じろぎした。額を隠した長い前髪が目の上にも落ちて半ば隠されている顔が、その角度が、玉座の右横に立つ老人の方へと向けられた。
トイズマスターは何を見ているのだ?
老人の顔?――――いや、その視線はおそらく、老人の手の真珠玉だ。
そうだ、なぜあの老人は、あれをあんなに大事そうに胸元で抱えているのだ?
リリィーナは、前に出た。真正面から突いてきた槍のような一本を力で弾き飛ばし、背後から襲ってきた別の三本をまとめて切り捨てた。
棘の攻撃を躱して移動しながら、老人への距離、角度をいくつかの角度から眺めて計算する。
正面からは棘の攻撃に阻まれて無理だ。下方からでも届かない。なぜって、玉座の周りの低い位置は棘だらけ。尖端を失った棘の集団が縮こまり、強固な壁を形成している。
リリィーナは祭壇へ突進すると見せかけて、次の棘が来る寸前で左へ急カーブし、横の壁に向かって跳躍した。
壁を蹴り、さらに高く飛翔する。空中で、左右から襲ってきた数十本の棘を躱して身を捻りざま、右手を振った。
銀の剣は、一条の銀線となって、飛んだ。
苦鳴があがった。
尻もちをついた老人の右手から、切られた指が三本落ちた。砕かれた真珠玉の、残りの破片もこぼれ落ちた。
銀の剣は、老人の右手とそこに持たれていた真珠玉と右胸部を、斜め上から下へ一直線に貫いていた。
すべての棘が動きを停止した。
老人は無事な方の左手で、右肺を貫く銀の剣の柄を掴んだが、剣の柄はビクともしない。
「馬鹿な……死ぬはずが……トイズマスター、助け……を……」
玉座のトイズマスターへ振り向いた縋るような目を向けた老人は、見る見るうちに数百歳も年を取ったかのように、顔中が皺だらけになり、肉付きが無くなって、骸骨のような顔になっていく。
「あ、あ、そんな――――永遠の命と、若さ、は…………」
老人は、コトン、と右に体を倒した。銀の剣に貫かれたままで、その全身は、干からびた干からびた木乃伊と化していた。




