(四十一)海賊
海面のすぐ下は、真っ黒だ。
浅い海底にびっしりと生えているのは黒い珊瑚。魔物の珊瑚は、その茂った枝先から白い粒子を生んでいる。季節を問わずに産卵される魔物の卵だ。この小粒の真珠のような卵たちは黒い珊瑚礁を回流し、タンゲイトーに近付く船を待っている。いったん船底に取り付いて芽を出せば、牙を持った小さな珊瑚の化け物は船体を食い荒らして沈めてしまうのだ。
今、白い女神号は、リリィーナが魔法で護っている。
普通、港の無い島へ上陸するには、海岸の見えるこの辺りから上陸用の短艇を出して上陸する。だが、リリィーナは海岸まで送るというバルディ船長の申し出を断った。短艇を操るには二人以上の漕ぎ手が必要だ。この船の船員をタンゲイトーに近付けて、万が一にもリングマスターや黒騎士に人質に取られたら、リリィーナのリスクの方が大きくなる。
「船長、わたしが下りたら、すぐに沖へ出てください。マークされているのはわたしですから、沖に出ればリングマスターの魔法は届きません。そろそろ局の方の船も来ていますから、合流しておいてください」
「ああ、いいとも。こっちも助かる。しかし、あんたは?」
「わたしとの契約はここまでになります。後の指示は局の船で聞いてください。明日の朝、太陽が昇るまでにはすべてが終わっています」
リリィーナは艦橋から甲板に下りた。
帆を吊り下げる横静索にはさきほど登った船員たちが並んだままで留まっている。脱出の合図がされた場合はすぐに帆を張り、島から離れる手はずだ。
リリィーナは手すりの切れ目に立った。
ここが港ならば、手擦りの切れ目から渡り板を渡して下船するのが普通だ。
船上のあちこちから好奇心に満ちた視線を感じる。
艦橋へチラリと目をやると、数人の甲板員がギクリと身動きした。魔術師の行動が不可解なのだろう。
では、リングマスターも待っていることだろうし、少少サービスするとしよう。
リリィーナはポケットから銀の小さな剣を出し、一振りして長剣へと変化させる。銀の刃は月光を浴びてギラリと光った。
あちこちで、おお、と驚嘆の声が上がる。
リリィーナは剣で甲板の中央辺りを指した。常ならば甲板をうろついている甲板作業員は、帆係と見張りをのぞいて船室に避難させる。それでも乗員の三分の一は見ているはずだ。
「海に眠る魂よ。蒼い海底深く、朽ち果てた船の荷箱に集められし者ども」
張り詰めた鋭い声を、潮風が運んでいく。微妙な抑揚を付けた声は、長い長い余韻を甲板の上に響かせた。
これは魔法の呪文ではない。何も言わずとも魔力は行使できるのだが、航海中に世話になった船員たちへの恩返しに、魔法使いらしいパフォーマンスのプレゼントだ。これで向こう一年は自慢話になるだろう。
甲板の中央に薄い靄が漂い出した。
艦橋近くでひとりの船員が腰を抜かした。仲間に助け起こされながら甲板の方を指差し、アワアワと震えている。
「おい、しっかりしろ」
バルディ船長が声をかけると、
「すごい、すごく光って……輝いて……甲板全体が燃え上がっているみたいだ」
惚けたように繰り返した。
「そうか、おまえ、ちょっと魔法が視えるんだったな。怖かったら、船室に隠れていろや。おい、連れて行ってやれ」
バルディ船長は近くの部下に命じた。
靄はキラキラと光り、右回りに渦巻き始めた。
「潮にまみれた魂どもよ。いま、再び海上に顕現せよ。月が果てる刻限まで」
光が渦巻く甲板の板目の隙間から黒い影がニュルリとあふれ出し、風船のように膨張した。いくつもの黒影が縦に横にと引き伸ばされる。
影に四肢が生えた。おおまかな形が整うと、膚色や服の色彩が滲み出てくる。日焼けした顔、ごつい手足。白麻シャツに革のズボン、腿まである長いブーツ。
甲板に、招かれざる異形の船乗りたちが、次次と立ち上がっていく。
甲板から渦巻く光が消え、リリィーナは剣を下ろして魔法の出来映えを眺めた。
とてつもなく凶悪な人相の海賊どもだ。
すぐ近くのがっしりした男の顔は、額も両頬も刀傷が刻まれている。こいつが持つのは幅広の剣だ。傷だらけの刀身はさぞかし多くの血を吸ってきたに違いない。その隣のずんぐりした男は革のチョッキに身を固めて湾曲刀を携えている。あちらの背の高い男は両手に短刀を持っているという具合。
海賊は総勢三十人。黒騎士一人につき、一人が対戦する計算だ。
甲板に海賊が勢揃いすると、船のあちこちでどよめきと悲鳴があがった。
「海の亡霊だ、あいつ、死んだ海賊の亡霊を呼び起こしやがった!」
「船長、大変だ、海の悪魔が船に来たんだ!」
「慌てるな。ありゃ、召喚魔術ってやつだ。海底に眠る海賊の魂でも呼び寄せたんだろう」
「でも、あんなにたくさんの亡霊ですぜ?」
「ああ、一度にあれだけ操るとは、さすがは名高き不思議探偵だな。心配するな、呼び出された亡霊は術者の命令しか聞かないから、俺達を襲ったりはせんさ」
さすがはバルディ船長、炯眼だ。
もっともこいつらは本物の亡霊ではない。
すべて偽もの。
リリィーナが海の記憶と月光の粒子を利用して作り出した幻影だ。形を維持できるのは、今夜の月の位相が変わるまで。
リリィーナはほくそ笑んだ。船上にはリリィーナの魔力が渦巻いている。ド派手に魔力を振るったのだ。魔法の光は船体を包み、天空に向かってはじけ、海上に生まれ出た小さな太陽さながらに耀いた。
この海域にいる魔法使いならば絶対に気付く。もちろんリングマスターも。そうでなくては意味がない。
海賊どもは動きだし、船の両側に備え付けられた短艇に群がった。




