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31.5 朱羅とヨネ

華の気配が遠ざかっていくことを感じて、気を引き締める。向かうのは華が世話になっているという老婆、ヨネの家。


朱羅の記憶にあるヨネという存在は、10にも満たない少女のままで止まっていて、少し不思議な気がする。あれからそんなに時が経っているということが、鬼の身になった自分ではわかりにくいから。老い、という明確な時間の流れが、朱羅には感じられない。まったくない、というのは些か語弊があるけれど。人の一生が今の自分にとっては、とても短く感じる。例えるならば、人間であった頃に見ていた一夏の蝉のように。それくらいの速度でしか、朱羅に老いはおとずれないのだ。


「すまない、少しいいだろうか」

「はいはい、待っておくれな。旅人さんかえ?」


軒先で声をかけると、ややあってから扉が開く。中から一人の老婆が顔を出す。朧げな記憶にあってなお、靄がかる少女の顔は朱羅には思い出せない。けれど、ヨネにはかつての記憶とそう大差ない自分の顔に、心当たりがあったらしい。ハッと息を呑む音が響いて。


「黄炎様……」

「華のことで話があって来た。入れてくれるか、ヨネ」


むかし人里に紛れていた頃に使っていた偽名を呼ばれて、どことなく懐かしいきもちになる。老いて見えない自分は、怪しまれる前に次の村へと行くのが当たり前だった。それが次の村にいきそびれたせいで、鬼とバレてからは人里に紛れるのも辞めたのだが。最後に紛れ込んだ村が、ヨネがかつていた漁村で、朱羅が釣り竿を貰った男のいた村だった。


「あのときは、たいそう申し訳ないことをしました。貴方は献身的に蔵之助の世話をしていたというのに。奇病に罹ることなく、姿も変わらずにそばに居たからといって、石を投げていい理由にはならなかった」

「謝罪はいらん」

「それでも、言わせて欲しいのです。あの後、蔵之助は貴方様への感謝の言葉を口にしながら往生しました。最期に一目会いたかった、とも」


蔵之助、という名前を聞いて懐かしくなる。朱羅に釣りを教えてくれた男で、生への渇望を抱きながら生への諦めを抱えているという矛盾を抱えていた男だった。あるときから血を吐くようになって、誰も自分には近寄らなくなったのだと哀しそうに笑ったのが気にかかってそばにいた男の名前。


「そうか……」


己の正体がバレたのだと悟ったとき。鬼がそばに居ては心安らかではおれまいと、気休めにしかならないだろう薬草だけを置いて立ち去った朱羅に、そんな言葉をかけてくれていたと知って、目を伏せる。村の場所は、なんとなくだが覚えている。海が好きだったという男のことだ。死んだ魂はきっと海に還ったのだろうから、手向けは海にでも流そうと決めて、気持ちを切り替える。


「ヨネ、懐かしい話は今はいい。俺は、華のことについて話があって来た」

「あの子が、何か?」


警戒したように声や態度を硬化させたヨネに、朱羅はそうなるだろうな、と思う。いくら当時善行をしていたとて、鬼だ。人智の及ばない存在に警戒するのも無理はない。どこかでは贄のように差し出させて、嫁取りをするところもあるという。朱羅はヨネを威圧しないように言葉を選んで、己の要望を伝えた。


華のことは自分が責任を持って面倒を見るから、心配せずに娘夫婦に着いていくといい、ということ。それに、いずれは華の気持ち次第ではあるが、朱羅の嫁にしたいということを、包み隠さず。


「そう……。そうなのかい……」


しばらく言葉を失っていたヨネだが、ややあってひとしきり頷くような動作を繰り返すと、大きく息を吐き出して。


「黄炎様、あの子のことをよろしくお願いいたします」


しゃんと背筋を伸ばした正座から、深く、深く頭を下げた。その様子に朱羅も最大の礼を以って、胡座のまま拳を地面につけて頭を下げた。それは妖は人間に頭を下げることはないけれど、心から感謝するときにだけする礼だと蘇芳から聞いた、妖として最大限の礼だった。


「ひとつ、聞きたいことがある」

「なんでしょう?」

「どうしてヨネは、華に俺に近づくなと言った?」


それは朱羅の心の中でもやもやと根を張っていた問い。人ならざるもの、妖だからか。それとも、あの村での出来事を気にしているのか。ヨネの口から正確に答えを聞きたかった。真剣な表情の朱羅に対して、ヨネは口元に手を当てて、まるで乙女のようにころころと笑った。


「だって、貴方とてつもない美丈夫なんですもの」

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