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偶然の出会いと優しさ

 どこか薄暗い向こうから、光が差している。


 薄らとまぶたを持ち上げると、光は木漏れ日だとわかって。柔らかく差し込む光に、風にそよぐ葉がこすれる音がする。サァッとなる音が、耳に心地良い。


 そのどこか現実味のない光景と音に、ぼんやりと虚空を見つめて。


 あぁ、きっとこれは夢だ。


 そう思って、再びまぶたを下ろして。


「…っ!!!?」


 そして不意に頬に冷たい水が当たる感覚がして、そのまどろみから強制的に起こされた。次の雫がまた頬にあたる前にと、逃げるようにしてバッと跳ね起きて。


「……ぇ?」


 思わず疑問が声になってこぼれ落ちる。


 頬に当たった水の、鋭いくらいの冷たさは夢じゃないことを表しているのに、視界には先程までの見慣れた道なんかなくて。


 そこにあったのは、まるで富士山の樹海のように青々とした緑。何故か目の前には、さっきまであった桃園もないし、マンションも見えない。

 踏みしめた地面にはふかふかの土があって、いつもの踏み慣れたコンクリートの面影はどこにもない。

 混乱してる私をよそに、名前もわからない鳥の聞き慣れない鳴き声が、木立の中に響きわたる。


(……ぁ、そうだ、スマホ)


 呆然としたまま、握りしめていたスマホの画面を思い出して、画面をつける。


 薄っすらとした期待を裏切るように、画面の中には圏外の文字が踊っていた。心のどこかで、こんな場所には電波なんてないんだろうなと思っていたので特に驚きはしなかったけれど。


 けれどそのことを認識したと同時に、どうしたらいいのかもわからない状況を、どうにかしなければならない現実を突きつけられてしまった。


「どうしよ…」


 救いを求めるように見上げた空には、ほぼ真上に太陽があって。眩しくてすぐに視線を地面へと伏せた。


 どこからか先ほども聞こえた鳥の鳴き声のようなものと、よくわからない動物の鳴き声とが聞こえてくる。


 人の気配があるようには思えないこの森の中、呆然と立ち尽くすことしかできない。

 きょろきょろと辺りを見回しても、どこも同じように木々が立ち並んでいて、違いなんて見つからなくて。


 上から差し込む陽射しから逃げるように、木陰に避難した。


「こういう時はもう神頼みしかない…よね?」


 再度周囲を確認しても変わらない光景に、やけくそに似た気持ちになりながら、テレビとかで見たことがある、枝に道を決めてもらう方法をしようと小枝を探す。


 このままずっと森の中にいて、誰か待つよりはマシなのでは?と思ったので。


 用途が用途なので、小枝はなるべくまっすぐなものを選んだ。そうして見つけたわりとまっすぐに見える小枝を、地面に垂直に立てて手を離した。


 ぱた、と倒れた枝が示していたのは、右。その結果に合わせて右に行こうと、一歩足を踏み出したときのことだった。


 ――パキッ


 誰かが枝を踏み折る音がして、咄嗟に音の出所へと視線を動かす。そこには、ほっかむりをしたお年寄りの姿があった。


 さっき見渡したときには見えなかったけれど、きっとそれはあの人の腰が曲がっていたせいで、木々に隠れて見えなかったのだろう。


 私以外の人がいたことにほっと息を吐いて、その人に近寄ろうとして、


(あれ……?)


 ふとその姿に、違和感を覚えた。なんだか、そう。

 まるで、歴史の資料集に載っているみたいな服装だったから。


「…おや、こんなところでどうかしたかね?」


 私の気配を察知したのか、その人は私の方に体を向けながら、どこか訝しげな声で質問を投げかけてくる。


 そして私の姿を認めると、目を見開いて。


「…いんや、なんでもない。お嬢さん、ここがどこかはわかるかい?」

「わからないです。起きたら、ここにいて」

「じゃろうて。怪我はしてないかい?」

「ないです」


 それなら上等だ。そう言ったお婆さんは、どこかいたわしげな色を隠さぬまま、私に質問を重ねる。


「そうだ、お嬢さんのお名前は?」

「……野々村、華です。あなたは?」

「わしはヨネじゃ。華ちゃんや、ここでは(うじ)は名乗らんほうがええよ。御付きはおらんのかえ?」

「…おつき?同行者のことですか?それなら、最初から一人です」


 その言葉を聞いたヨネさんは何度か頷くと、くるりと背を向けた。


「ちょうど孫をつれて娘が遠くに行ったで、華ちゃんさえよけりゃあ、うちにくるとええ。まあどちらにせよ、森を抜ける必要があるでな。このババの背中について来い」


 そう言って迷うことなく歩き出すので、その言葉にも一理あると後ろをついていくことにした。

 それになにより、この森の中に一人残されるのはいやだったので。


「辛くなっても頑張って歩いてくれな。日が暮れりゃ鬼が出るよ」

「…お、鬼?」

「そうさな。この村で昔から子どもを育てるときに使う言葉にもあるぐらいじゃからな」

「そうなんですね…?」

「夜の森には行っちゃならん。鬼が出るって子どもに言い聞かせるんじゃ。鬼が出なくても野生動物は出るからな。危ないことには違いない。華ちゃんも夜の森には行かんようにな」


 その会話を最後に、黙々とその背中を追い続けて40分ほど。ようやく視界が開けてきて、木々がぽっかりと抜けた場所についた。


 どうやら、森から抜けて村にたどり着いたようだった。


「…っ、は。は、つ、ついた?」

「ようこそ、神有村(かみありむら)へ」


 かみありむら、それがこの村の名前らしい。薄々感じていた通り、広がる景色はなんというか、戦国時代の村のようだった。


 それも栄えている城下町とかじゃなくて、普通の農村の。


「その細っこい足でよう頑張ったの。ババの家はここじゃ。一人でいるのも寂しくなってきたところだで、気が済むまでゆっくりしてくとええ」

「ありがとうございます…!」


 村に入ってすぐの、森寄りの場所にあるお家が、ヨネさんの家だった。昔話で見たことのあるような外観のそのお家は、なんだかとってもレトロな雰囲気がするけれど、泊まれるタイプの観光スポットみたいと思えば悪くはなかった。


 きょろきょろと周辺を確認すると、他の家もみんな似たり寄ったりだったので、これがスタンダードな形らしい。


「あの、お金とかは持ってないんですけど……!でも、できるだけ、その。お手伝いはします!!!」


 音がしそうな勢いで頭を下げた。擬音をつけるなら、ぺこ、ではなくてガバリだろう。


 お世話になるにあたって懸念点は何個かあったけれど、何より先に頭に浮かんだのがお金だった。


 こんな無一文の厄介そうな人間に、一晩貸してくれるだけでもありがたいのに、ヨネさんは気が済むまでいたらいいと言ってくれる。返せるお礼がないことが心苦しかった。


「……っ」


 グッと手を握りしめる私の視界の隅で、勢いよく下げられた頭にヨネさんがびっくりして、火打石を落とすのが見えた。


 ぱち、ぱちと薪の燃える音がしているが、ヨネさんは何も言わない。やっぱり迷惑だったのかなぁ、と弱気になりかけたころ。


 いつまでも続くかと思われた無言の空間に、突如吹き出すような音がして。


「はっはは!!あぁ、びっくりした!!そいつは有難いねえ。そんときゃ、よろしく頼むよ」


 ヨネさんはそう言って目尻を優しく細めて。何もないわたしにも、この人は優しい。


 いつのまにか迷い込んでしまって、いつ帰れるのかもわからないけれど、この人にだけは何があろうと恩返しがしたいと思わされた。


「そうそう、華ちゃん」


 思い出したようにヨネさんが口を開く。


「この村にいる利市(りいち)って男にゃ、あまり近寄らんほうがええ。この村では唯一と言って良いくらいの若ぇ男だども、あまり良い気がせんでな。ありゃ………」


 最後のところはぱちりと爆ぜた音がしたことで聞こえなかったけれど、ヨネさんの言いたいことは十分に伝わったのだから大丈夫だろう。


 曰く、この村に一つだけある、広くて見事な造りの家。それが村長の家だという。近寄らないようにしよう。


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