第17話 『 価値の形 』
━━━というぐらいに照らすところで、スマホを操作しようとする手を止めたワタルリは壁にもたれたままズルズル腰を下ろした。その顔には表情がない。
『……………』
嘘をつき続けている人間の心はどこか空虚である。
自分のせいで子供を一人死なせた。それなのにあれこれ見聞きして歩き回っていると、心の裏について回る暗いモノに精神が魂から剥がされてゆくような肉感的な気配があるのだ。剥離したそこには虚がある。風景が綺麗だとか冒険みたいでワクワクしてくるとか、全部虚しい嘘だった。
それでもワタルリがなんとか自分の異常な精神を誤魔化せているのは、どこかでメメンは生きているんじゃないか、眷属とかいう不思議な存在なんだから本当は無事なんじゃないかという空想が僅かに心の空虚な部分を埋めようとしているのだ。メメンが自分で言ったように命が幾つもあるというのなら、けろっとした顔でまたワタルリの元へ現れるんじゃないのかと。
そうして空虚な人間になるのを先延ばしにするようにして、虚を空想で埋めているのだ。
━━ここは魔法の異世界だろう
不思議の世界だろう
異世界だろう
異世界物語なら不幸なんてそうそう起こらないだろ。取り返しのつかないことなんて━━━━━
『汝ぁ、誰ぞ人を殺したじゃろう』
『!?━━━━━』
頭に響く声に弾かれて顔をあげたワタルリは2人の顔が見えない。
暗闇の中で2つの火点が明るく、暗く、瞬いている。
死神の眷属が長い息を吐く音が聞こえた。
『いい貌じゃのぅ。…汝ぁ、人草の魂の分際で心の内が見えん。因果ゆうやつがな』
『…』
『じゃが儂らぁ顔を見りゃぁ、そいつが人殺しかどうかなんぞ解る。貴様んは初めて人を殺したんじゃろう』
それだけ言って、ブンヤはそれ以上何も言わなかった。
その指摘がなんの意味があるのかワタルリには分からない。咎めるわけでもなく、慰めるという風でもない言葉。
横で聞いているだろうスガルも口を挟むことはなかったが、やはりブンヤと同様にワタルリを人殺しだと思っているんだろうか。
『手前共は何もお訊ねしませんよ。…詮索はしないんデ』
『俺はメメンを死なせました』
『……』
『猫、…猫神…ニボシ…の…眷属……まだ…小さい、子供を……ふ、船が…か、…河に…落として━━━━━』
訊ねない、詮索しないと言われてワタルリは反射的に事実を吐き出した。
吐露して、それ以上はもう言葉にならなかった。体の震えで歯の根が合わないのでは、まともな声にならないだろう。ただ鼻水を啜る音だけが繰り返し船内に響いた。
『ようございましたね』
『…━━━━━』
『それはようございました』
『━━━━━━━━━━━━━』
意味がわからない。闇の中で際立つハスキーボイスだが、グロテスクな語意に反して優しげに聞こえるスガルの言葉。その意味が分からなくてワタルリは闇を見つめた。その視線の先の顔はどんな表情か窺い知れない。
だがその死神スガルの言葉のニュアンスを噛み砕くうちに、言葉の意味とは別の角度からワタルリに気づきを与える感覚がある。それはギャップのようなもの━━━━価値観の違いだ。
この異世界は、人間ではない眷属というのは、やはりワタルリのいた地球世界とは違う異世界なのだと今、腑に落ちた。
しかしあの河に落ちて消える事が良い事なはずがない。川で最初に出会った警備船の幽界眷属達も河に落ちることを警戒していたように思えるし、スガルもそれはさっき「消えちまう」と言っていたのは否定的な意味合いじゃないのか。魂が消えて無くなるのが良い事だなんてそんな訳ないだろう。
それがワタルリの思う価値観だったのだが、しかし今のスガルの言葉でよく解らなくなった。
ワタルリが知らないだけで、何か河に消えることに意味があるのかなんなのか。何ほども異世界を知らないワタルリには考えても考える材料が無くて考えるだけ無駄で。
ワタルリが黙っていると、低い位置の火点がポトリと床に落ちて潰れ、火の粉が散るとともに細くて深いため息が聞こえた。
『━━さっきの、お手前様の質問ですが…この黄泉の河は、因果の流れです』
『………』
『因果の流れに呑まれちまうと、因果の流れの一部になります』
『…━━』
『変化の乏しい裏宇宙にいるよりも、表に出てって、良くも悪くも因果を拵えた方がいいんデ。界界を、…眷属界での立場を変えるためには……それは、手前共のような眷属達もわかっちゃいるんですがね……個我を失うというのは……でも、親神に喰われるよりは…』
ポツポツと、死神スガルは言葉を漏らした。だがそれは、さっぱりワタルリには意味不明な概念だった。
ワタルリの知ろうとしたところはメメンの安否である。消えてしまったあの猫神の眷属は死んだのか、どこかで生きているのか。自分は本当にメメンを殺してしまったのかを。
『…それが、眷属が死ぬって事なんですか?』
『そうとも言えます』
『……?』
『常世で死ぬことは、浮世で生まれるってことなんデ』
『…え?━━━』
『ばらけちまうし、縁組はめちゃくちゃでしょうがね』
『猫神の眷属ならぁ、お似合いじゃろう。あいつらぁあちこち勝手に縄張りしよってからに、食いもんだの寝る場所だのと気ままにしよる。どこでもプラプラしよるけぇの。その分、思いがけん事故で死による。本望じゃろうよ』
2人とも何を言っているのかやっぱりワタルリにはよく理解できないが、死神達の言いたいことはたぶん、メメンは現世に転生して何者かに生まれるのだということだろう。たぶん。
なんだか分かったような解らないような気持ちでいるワタルリは、ともかくメメンに心の中で謝るしかなかった。
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床に落ちた火点が踏みにじられてか火の粉が散って消え、煙草休憩おしまいかと思いきやブンヤがもう一服煙草を燻らせ始めた。マイペースなおっさんだ。
スガル姉さんが間を持て余してか何処かへ行ってしまい、またすぐに戻ってきた。
『ブンヤ、この船はどの部屋もやたら積荷ばっかりじゃ。それに、動いてるように見えて動いてないんじゃないか?停泊してんだろう』
『浮いとるだけかもしれんの。船首の形状はゴブリン船じゃったが、船旗も印も見当たらん。ゴブリン共はどこにおるのか…厳い船じゃから、探せばどっかにおるかも知れんがの……じゃが、こうして侵入者がおるのに気付きよらんのは、寝とるんかいのぅ』
『誰も居ねぇんだとしても、航行日誌とかどっかあるだろ。幽界と霊界の眷属が使う船室を探してみるか…広すぎてどこか解らねぇけど、たいがい船尾楼のあたりか』
『……それぁいいが、積荷ぁなんなんだ。御霊ぁ運ぶ船によぅ、おかしいじゃろぅ』
『ブンヤ、火を消せ。もういいだろ』
積荷を探ろうとしたブンヤが注意されて渋々煙草を踏み消し、手近な積み荷の箱に触れるとすんなり蓋が開いた。鍵も封もしてないのである。
積荷というとワタルリも気になる。スガルも積荷を漁っているらしくて暗闇のあちこちからガサゴソ音が聞こえるのが無性に気になったワタルリは手に持ったままのスマホを操作して今度こそフラッシュライトを点けた。
ぼんやり明るく映し出されたのは大小様々の箱や歪な形状に梱包された何かを積み上げて括った何かの山。部屋の隅に小さなテーブルと椅子がある他は積荷だらけだ。
その一つの箱を開けたブンヤとスガルは一瞬振り返ってワタルリの持つスマホを怪訝に凝視したが、すぐに積み荷の方を見て黙っている。
ややあって、ブンヤが両手に変なものを持ち上げては繁々と眺めて口を開いた。
『━━━なんじゃぁこりゃぁ……魔石…結晶か。…そっちは、そりゃぁ書籍か?』
『本…だけど、文字が読めねぇな…━━━いや、読めるか。表紙の文字が解らねぇが、読み仮名がある。どれも地表世界の文字だ。パングラストラスへリアの…うん、中身も読める……けど、これぁ……』
『━━っあ!……』
スガルが手に持ったその本の表紙を見て、ワタルリは思わず声を漏らしたのだ。
”異世界通信”
そう表紙のタイトルに漢字で書かれている。
その表紙絵には、ワタルリの大好きな異世界系アニメ『Re:無職に祝福新世紀マギカの刃〜鉄コンBlameな特攻の私立探偵ヘドロ課長”死狂いグラップラーろくでなしボボ島くん”に殺し屋卓球部は手を出すな!〜大魔境友あれ編』のイラストが飾られている。
主人公”天空の城AKIRA”と、ヒロインキャラ”ゲゲゲーノ=アズミ・バガボンド13さん! ”、それにマスコットキャラの”チェンソー・ザ・ボッチ”も描かれているではないか。かなり美麗なイラストに見えるが、何処の神絵師の手によるものだろう。
というか、なんでそんな物があるのだ。
『読み仮名を読む限りでは、”異世界通信”983947856号…出版は……異世界…クラブ…?……同人誌サークルってやつか…編集長は━━━━━……おいブンヤ、これぁ…』
『禁書か』
『ちょっとすんません』
『?…あ゛?ッ!』
『!?』
ワタルリはとりあえずその禁書の写真を撮った。盛大にフラッシュが光を放ち間抜けなシャッター音が鳴るとブンヤもスガルもギョッとして顔色が変わってしまった。
ワタルリは怯えつつ、今更だが初めてカメラ機能を使ってみて画像の保存を確かめると、撮ったはずの画像ファイルはすぐに消えてしまって元の状態に戻っている。やはりワタルリのこの霊体が所持している文物は変更的な事象を起こせないのだ。
でも痛みはわかる。
ブンヤに胸ぐらを掴まれたワタルリは勢いよく持ち上げられて真上の梁に強かに後頭部をぶつけて呻きを漏らした。そのまま無理やり引っ張られてというか引き摺られるように艦内を物凄い速さで移動して階段を何度も上り甲板上に出るとぶん投げられてネイマールチャレンジみたいに転がり船縁にぶつかって跳ね上がると倒れ込んだ。学生服はズタボロで身体中打撲だらけだしメガネは何度吹き飛んだか解らないが、少し時間が経つと元どおりの姿になってワタルリの胸中に恐怖だけが残った。
甲板上はやけにだだっ広くて明るい。
『ぅぅ゛…ふぐぅぅ゛……』
『餓鬼ィッ!!余計なことすな!貴様んは積荷に触れるんじゃねぇ!!!』
『ブンヤ、大声出すな。もう行くぞ』
『チッ…船尾楼ちゅうとどっちじゃ…あっちか。おい貴様ん立て。さっさとゴブリンに引き合わせて終いじゃ』
なんで死神達が荷物を漁ってよくて俺はダメなんだとワタルリは葛藤したが、小鹿みたいによろよろ立ち上がってなんとか2人について歩いた。
船尾というのは船の後方ということだろうが、その船の一角には船の上だというのに割と大きな建物がある。ちょっとした砦か櫓のような━━というより、デザイン的には神殿みたい佇まいだろうか。ちょっと入ってみたくなる。
━━と、その建物の扉がわずかに動いた。
『━━』
『……』
その気配に気付いたブンヤとスガルは様子を伺うべく立ち止まった。
遠くてよくわかならいが、手荷物を持った小さな人影が扉を開けて、その後に続く長身の人物と小柄な人物が何やらテーブルのような物体を運び出すのを見上げている。
『………さっきの…てゆうかあの子…』
『あ!わぅ!さっきの人だ!メメンと一緒にいた人!』
『あれっ?ああ!ちょうど…いや〜これはこれは…どうしてこんなところに……よいしょ。ペルくん、投票箱と投票用紙を取ってきてください』
『あ、さっきの奴だにゃ〜…よいしょと』
建物の外にテーブルを置いた彼らは、葦原で出くわした面々の中にいた3人。だと思う。
その中の印象的な1人、長身でストライプの目立つビジネススーツ風の貴族みたいな衣装を着た七三分けの男。━━その彫りの深く、青白い化粧をしたような顔色の面長の額からは凶悪な感じのする曲角が2本伸びている。彼は魔界から出張できてるとかなんとか言っていたのをワタルリは覚えているが、つまり魔族とかそういう人なんだろうか。記憶世界で見た魔王ベニベニの仲間達に非常に似ている気がする。
だがそれよりも、最初に出てきた少年の顔の既視感が今になってじわじわ思いだされた。警備船の小舟に乗っていた犬人の少年ではないのか。葦原で見たときは思いださなかったが、そういえばそうだ。
と気づいた途端にまたメメンのことを思い出して、ワタルリは息が苦しくなってきた。とても顔を上げていられず━━━━━
『メメンの飼い主かにゃ?』
『━━ッ…!!』
『おや、チャルドラさん。こちらの有権者の方とはお知り合いでしたか?』
『知らないにゃ〜。この人からメメンの匂いするだけだにゃ〜』
近づいてきたネコミミの女の子の言葉にワタルリは心臓が跳ね上がった。
メメンの知り合い━━その猫人の少女には、ワタルリがメメンと居たことが分かる匂いがするのだと。
メメンを死なせてしまったことを知ったら、この女の子はどんなに怒り悲しむだろう。
というより、自分は殺人罪で逮捕とかされて刑務所的なところに収監されたりするんじゃないのか。このネコミミの女の子は本当はメメン殺しの犯人を捕まえにきたんじゃないのかと、ワタルリは目を合わせられずガタガタ震えている。
『お待ちください。お手前様方は…?』
『魔界の者じゃな。この船ぁ貴様んらの船か?ゴブリン界の霊船かと思ったんじゃがのぅ』
『あぁ!それで!この船に立ち寄られたと!先ほど葦原でおっしゃっていた件!なーる!…しかし、いや〜まさか!この船は、さる止ん事無き魔王殿下の所有される物件にて。…私は魔王選挙役員として、職務の都合上、こちらの船から界界を渡るために界門の利用を許可されております…』
『━━魔王殿下の船…?』
『…ほうかぃ。じゃが、誰もおらなんだがのぅ』
『いえ、この広さですからねぇ。住人と出くわすこともなかなか無いでしょうね。ですが一応、この船は一部賃貸として貸し出している部屋も有りますので、そこで借り暮らしの者達が何人かいらっしゃるはずですが…』
『『…━━━』』
ワタルリは甲板に上がるまですごい速さで引き摺られたから船の中を見れなかったが、船内は無人では無く人が住んでいるのだという。この巨艦はどうやらゴブリンの魂を乗せて運ぶ船ではないらしい。
ブンヤとスガルが互いに目配せをしたのがどういう意味かわからないが、もうこの船に用はないと判定したのだろうか。
謎めいた積荷といい気になる船だが、見当違いだったというわけだ。
だが、━━━魔王の船。
この船が魔王の所有する船であること。異世界通信というあの雑誌がここにあったという事をワタルリはしっかりと記憶した。ワタルリの元いた世界のあのアニメの表紙絵の本がこの異世界にあることは、つまり、やはり異世界と取引をしているような存在がいると考えることもできるだろう。
積荷と魔王が関係あるかは分からないが、魔王ベニベニがスマホを操作したりワタルリの正体を看破したことを鑑みると、異世界召喚の関係者と繋がるという線はないでも無いのではないか。
『━━━━━…』
『魔王選挙だったな、忙しいのぅ。先だっての大陸間大魔王戦で頭数が減ったぶん、━━いや、各大陸の魔王戦も合わせるとずいぶん魔王が減ったじゃろう。そういうわけか』
『…それで、手前共の連れからも投票をとるんデ?』
『ええ、ええ。おっしゃる通りです〜。今もう開票して集計をと、明るい甲板でお茶でもしながら〜と準備していたのですが…折りよく一票の方から来ていただきまして有難うございます!いや〜しかし、こう忙しくては新大陸の開拓に手が回りませんな』
『おぉ、あの大陸の北の…ドグラニカ新大陸じゃったかの?』
『そ〜ですそうです。あ、私は南の方の新大陸の担当なんですが、まだ名前も決まっていないあの大陸は…真性魔女ドラドラが東部の山脈と平地を混ぜっ返してしまったんで一悶着ありまして…山はあっちがいいとか、湿地はこっちがいいとか、日当たりがどうとか、地下がどうの、気候がどうの入江の形がどうのと…困ったもんです。それで、どこの界界も進捗が止まっておりますでしょう?稼ぎ時なんですけどねぇ』
『じゃろうの。人類種はどれも戦争でだいぶ死によったから、裏宇宙は因果で溢れかえっとる。企画も上からひっきりなしに降りて来とるじゃろう。大変じゃの』
『あの大陸の諸神は社稷を全て絶たれましたからね。大陸の人類種があれだけ殺されては…因果の確保も解放も、天界は今あれこれ忙しいでしょう。魔界も休んではおれませんね。もしかして、本当はお手前様も現場に立ちたいんデ?』
『確かに。そうです。やはり前線で人草共に混じって工作して、一端の魔族として人草の勇者に討ち果たされるのが華ですからねぇ。戦争作りも、天神達に先を越されては魔王戦は面白くなりません。まぁでも、この票回収の仕事も重要ですから、一票たりとも取りこぼすことはできませんよ』
『わかったわかったwはっはっはw魔族は大変じゃ』
『ご苦労様デ』
『……』
無言でいるワタルリに用事があるという魔界の役員さんと死神2人は、話すうちに砕けて来てご近所さんみたいにお喋りしている。まじで和みすぎてブンヤはもう煙草に火をつけているし、駅の喫煙室でリーマン達が話し込んでいるみたいな雰囲気になってきた。
彼らの話す内容はまたもやワタルリにはよく分からないが、魔王、魔王、と魔王が連発していることから現世では何か大変なことが起こっているのかもしれない。ワタルリがいた戦場のような状況が世界中で頻発しているのだろうか。そんな殺し合って何がいいんだろう。殺し合いで得する奴らがいるとしたら、何の為にそんなことを。
その異世界の価値観がワタルリには分からない。
ワタルリのいた地球でも常に戦争はあるが、その目的はというと、形や理由はどうあれ、結局は自国の為のあらゆる資源の独占的確保による命と自由の維持だろう。それでいて、国を動かす中枢の権力者達が自陣の体勢のためにやっているということかもしれないというイメージがある。
そして兵隊をやっている個人などはというと「殺さなければ殺される」という恐怖や怒りからくる義心で殺し合いをせざるを得ないだけで、人殺しを楽しむ為に戦争している地球人なんてほぼ居ないに違いないとワタルリは単純に思っている。
だから、こんな楽しそうに戦争と殺し合いを語る異形の者達が理解できない。その価値観の根っこは何なのだと。
『わぅ、閣下!投票用紙と箱〜持ってきました!』
『お!ぁありがとうペルくん!でも今は閣下とかやめようね!…どうも〜!私、人草の魂の方から投票を受け付けております魔界の者です。こちらの投票用紙に次期魔王候補者魔公爵の御記名を。わからない場合はいずれかの魔王の名前でも結構です。どうか人草の汚き一票、憎き一票をよろしくお願いします〜』
『…━━━』
割と腰の低めな魔界の役員さんから差し出された小さな投票用紙と小枝みたいなペンをつい受け取ったワタルリだが、問題が幾つもある。
まず文字を読み書きできない。異世界の文字など知らないから日本語で、カタカナ平仮名で書くしかないだろう。どうでもええわ。
しかし書こうにも魔王候補という”魔公爵”なる人物が何なのか分からない。
だからと言っていずれかの魔王の名を、と言われても━━━と、これは心当たりがある。ワタルリが知っている魔王の名はベニベニだけだ。魔王がたくさん居るという事についてはワタルリのイメージする異世界の通りで困った世界だなと思った。
だが、ワタルリは選挙の投票など行ったことがないのでよく分からないのだが、候補者ではなく魔王の名前を書くとどうなるのだろう。それに、その魔王の名を書く理由もよく分からない。
『あの、教えて欲しいんですけど…これって…なんていうか、魔王の名前を書くとしたら…どういう理由で書けばいいんですか?よく分からなくて…』
『はい。そちらは、もっとも憎くむべき魔王の名を御記名ください』
ワタルリは納得してカタカナで”ベニベニ”とだけ書いて投票箱に手を伸ばした。この一票がどういう意味のあるものなのか、どういう考えで投票するものなのか、それについてはよく分からないまま何となく。
その書かれた名前を見る魔界の役員は、目を細めて和かに微笑んでいる。
『━━━━━魔大公オマンティス閣下…?』
投票のその瞬間、変に静まりかえった空間に死神眷属スガル姉さんの声が聞こえて、魔界の役員さんの眉間に深く長い谷のような縦皺が刻まれるのをワタルリは正面から見て恐ろしかった。