第18話 『 虚船の魔大公 』
名を検められて蒼白する魔族の顔貌を覗き込む死神スガルは斜めに固まっていたが、ゆっくりと体制を戻すと素知らぬ顔で襟裾を整えてブンヤの顔を見た。何でブンヤを見たのかワタルリには分からないが、ブンヤは目を白黒させて口ごもり、あらぬ方角を向いて厳しい顔で景色を眺めだした。確かに甲板からの眺望は見晴らしが良くはあるが不自然だろう。
しかし何なんだろうこの微妙な空気は。魔界の選挙役員さんが魔大公とかいう偉そうな肩書だと何かまずいんだろうか。
『━━投票のご協力、ありがとう御座います。…あ、しまったしまった。人草のお方、大変、申し訳ございませんが━━━』
『…はい?』
『ええ、これは投票をいただく前に確認すべきことだったのですが…投票をご希望の有権者様には身分確認が義務付けられております。ご身分を証明する何某かの印はございませんか?貴方様は珍しく、内なる因果の見えない人草の魂でいらっしゃる。お名前などお伺いできれば、当魔王選挙投票委員会の有する人間種人命帳に照合できるのですが━━━』
『…ぇぇ…?』
そんな重要なこと、有り得ないミスだろう。この長身の魔族は新人アルバイトなのだろうか。
だがなるほど選挙の投票というのは投票権を有する者を厳格にチェックするものだろうから、身分証明とかの手続きは筋が通っているとは思える。
しかし名前はこの場合、やはり本名を名乗るのだろう。なるべく本名は名乗らないほうがいいとイオラから教えられているのに、どうしたものか。
『名前は………━━━』
『魂籍登録されているご本名をお願いします』
『━━?こんせきとうろく?…え、…それって…いや、本名は……』
『投票をいただきましたので、お名前をいただかねばなりません』
『いや、でもそれは、そっちが何も言わなかったから━━…じゃあさっきの投票無しで。投票しないっす』
『投票の撤回は無効ですので、お名前を頂かねばなりません。名前も無しに投票などとあっては、魔界憲法魔王選挙法違反により該当の魂個人が起訴されます。今から魔界ゲッヘナ中央公安警察署で取り調べを受けていただきまして、その後魔界デルビリエル半島中央裁判所に出廷していただき、魔界ゲルニカ州ビッグロスト地方刑務所ヘルヘリオス監獄への禁固1000年以下。または転生100回分因果の奉納。または魔族籍参入永年眷属労働等の実刑が科せられます。━━━知らなかったでは、済まされないのです』
『…━━はああ??━━━━━ぅ……』
魔族の抑揚のない声で一方的に並べ立てられた不穏な罪状にワタルリは目を据えて怒らせたが、このとき初めて魔族の顔をまともに見て肝が冷えてしまった。凶悪な曲角の影のさす深い眼窩の眼が黒々と黒曜石のように玄く、そこにただ深く永く変じ難い意志の塊を感じたのだ。それは生きた命を喰らう獣の目である。
何でこんな化物の前に立ってしまったんだろう━━━と、ワタルリは魔族という存在と面と向かって対話するのは今が初めてのことだとようやく自覚して恐ろしくなった。
この魔族は服装といい腰の低さといい喋り方といい巧みに人間のような雰囲気を醸し出すのだが、確かに人間離れした容貌の魔族なのである。近くで見ると肌は大理石のような妙な質感でひび割れており、やたら彫りの深い目鼻や口を縁取る黒い模様が細石のように硬ってグロテスクだ。
魔族はあくまで本名を明かせという。
哀れなワタルリはついうっかりと恨みある魔王の名前を書いたばっかりに、個人情報を奪われる羽目になってしまったのだ。
『━━━これを』
『あ、…』
『━━ふむ。先ほどの…拝見します』
ガタガタ震えて汗をかいているワタルリの背後から妖艶なハスキーボイスが聞こえて、肩越しに白い折文が差し出された。
受け取るのに長い腕を伸ばした魔族は折文を広げて目を落としたが早々に折りたたんでスガルに突き返し、いつの間にかかけているジジイみたいな黒縁眼鏡をクイっと上げてワタルリを一瞥した。本気メガネだろうか。その大きな手は僅かに震えているが、あの書面は全くの白紙のはずである。
『…さ、皆さんお茶を召し上がっていかれませんか?ペルくん、開票は後にしましょう。チャルドラさんと椅子の用意をお願いします』
『わぅ』
『はいにゃ〜』
長身の魔族は一瞬変えた顔色をもう元に戻している。顔立ちはやはり怖いが、犬人と猫人の少年少女が建物の中へ駆け戻るのを横目で見送る眼差しは涼やかに見えなくもない。今度はテキパキと手を動かし、投票箱を中央に据えたままのデーブルにティーカップを並べたり皿に茶菓子を盛りつけたりし始めた。
『ん、いや、せっかくじゃがの、儂等ぁはこれで。おぃ行くぞ、もうこの船に用はねぇの?スガル』
『そうじゃの。ゴブリン界の岸に近づくか…いや、他のゴブリン船に行こう。探せばいくらでもあるからの。お手前様、小舟に戻りますんデ』
『あ…はい…』
『いえいえ死神殿〜!そう急がれずに!人草の方もぜひ!…こちらのお茶、何とも爽やかな緑色でしょう?渋味が良くて味わい深いですよ。”ヘーイ、ミスター・ティー”という銘柄で、美容と健康に良くて御座います。茶菓子なども珍しいものが御座いまして、こちらの”幸せ回帰”なる焼き菓子など、甘味と塩味が丁度よく美味しゅう御座います。さらにはこちらの”国母”なるクッキー!この口に入れてとろける舌触りと香ばしい甘さのハーモニーはもう…!』
『ん、ぉお…そうしたいところじゃが…お前さん、これぁ━━━』
『……(ゴクリ…)』
『っ!?ハ○ピーターン!?ハッ○ーターンだ!!カントリーマ○ムも!なんで!?これ、お○いお茶のティーパック…ぇぇ…?これ、何で?どうしてここにあるんすか!?これは俺のいた世界の━━━━━』
どれもこれも見たことがありすぎるワタルリにとってお馴染みのそれらに思わず声をあげてしまった。
饒舌に品々を紹介していた魔族も生唾を飲んだスガル姉さんも喉渇いてそうなブンヤも神妙な顔付きワタルリを見ている。どういう意味の表情なのかちょっと分からないのだが、やっぱり”異世界”のことは言ったらまずい事だったんだろうか。
だがこれらのまさしくワタルリのいた地球世界そのものの名残を見つけて、ワタルリはそれを異世界召喚の手掛かりと思いたくて、絶対にこの機会を逃したくないのだ。
あの最悪な魔王の部下みたいな恐ろしい顔の魔族が相手でも、これだけは引き下がるわけにはいかない。
『お、俺は!これらがあった世界から召喚されてきた異世界人なんです!地球人!俺を召喚したやつが誰だか教えてください!魔族さん!俺は地球に帰りたくて、━━━━━』
『…━━━━━』
『『━━━━━━』』
一瞬、表情の固まった魔族と死神に顔を向けられて変な沈黙が過ぎ、ワタルリは血の気が引いた。訊いてはいけないことを訊いてしまったのだと我に返ったのだ。何でこんな悪魔みたいなやつに頼み事をしてしまったんだと、自分が現世でどんな目にあって死んだか、死体を魔王に弄ばれたことを思い出しそうになったとき━━━━━彼らの視線がワタルリを見ていないことに気がついた。
ワタルリの背後の遥か向こうで扉が勢いよく開く音がする。
死神眷属の1柱、外の小船で待機しているはずのイッキがもの凄い速さでバタバタ駆けてくるのだ。駆けつつイッキが長大な刀を腰の鞘に収めるのを見たブンヤとスガルはちょうど差し出された椅子を蹴って立ち上がった。
『『ッ!?』』
『お〜〜〜い!!…ちゃちゃちゃ……おまんら!な〜にをのんびりしとるがじゃ!襲撃されとるぜよ!』
『『なにッッ!?』』
『幽界の白面共じゃ!ランマとクーガは船内で応戦中ぜよ!小舟は取られた!おまんらは脱出用のボートを用意せぃ!どっかに有るき!』
『襲撃って、何で俺らぁが━━━━━!?』
『『『『『━━━━━━━━━━━』』』』』
━━━━━血相を変えたスガルが言い終わるころ、辺りに急に影がさして暗くなった。途端にざんざん降りの雨が甲板を打ちつけ、空を見れば巨大な暗雲が黒々と青空を喰らうように膨らみ船に迫るようである。
そのどしゃ降りの雲天に目立つ白鷺のような鳥の軍勢があるのを全員が気付いて見上げていた。群鳥は急角度に進路を折り変えて翼を揃えると、戦闘機の墜落のように錐揉みになって降って来る。
『!!あれぁ霊界の眷属━━━翼人供か』
『ちゃちゃちゃ…下は幽界の眷属共が来とるっちゅうのに』
降って来た白い軍勢は音もなく甲板に降り立つと、水音を散らしてこちらに歩いて来る。
雨が強くてよく見えないが、その姿は鳥ではない。手槍や剣を掲げ持った翼ある白装束の者達━━━ワタルリから見た既視感では、どことなくそれらは、勇者トロリが連れていた冥府の眷属デルリッパと似たような姿に見える。だが彼らはもう少し変わっていて、西欧の宗教画にみる天使とかそういう風貌に近いだろうか。
大きな翼を背負ったそれら十数人が雨に打たれながら行軍して来る様は異様に鬼気迫るものがあって、ワタルリはテーブルと椅子の間で中腰になったまま身が竦んで動けない。
『━━大丈夫、あなた方は船内へ。ここは私が、ただの魔族の端くれである私が話をつけましょう。ペルくん、投票箱と今までの集計表を頼みますよ』
『わぅ…』
『おぅ、儂ぁ残るけぇの。冥神直参眷属、死神が舎弟たる眷属として話つけちゃろう。スガルとイッキはガキ共を船内に入れぃ。そのままランマらに合流せぇ。それまでにボートを探すんじゃ』
白い軍団を迎え撃つのか立ちはだかる長身の魔族と死神は白い人垣に囲まれてゆく。
ワタルリはそれらを見つつスガルに腕を引かれて建物の中へ駆け込んだ。
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