第28話 『 回転する剣の炎 』
━━━異世界への遷移。
ワタルリはこの異世界へ本当にやってきてしまったという事に初めて真面目に向き合った。理科も数学も理解しないワタルリだが、過去や未来へ移動するというタイムスリップや、宇宙空間を超えて他の惑星に移動する事が人類には甚だ難しい事だというのはインターネット上のオカルト知識で知っている。
タイムスリップするには光の速度を超えないといけないし、他の星へ行くにしても様々な問題があって、現在の人類の肉体のままでは困難極まるという。それなのに、時間や空間を超えるのですらなく、全く違う世界へ遷移するなどとは、もうそれは科学的な考え方で分かるものなのかどうかも解らない次元の現象だった。
ただ、それらの実現にはある種の解決策があるかもしれない。
時間や空間を超えることに人体が耐えられない事が問題ならば、人が一度死んで、後で肉体も記憶も元に戻せるとしたらどうだろう。肉体が一度死ぬか、或いはなんらかの形で保存され、タイムスリップした後や異星に到着した後に再構築されるとしたら。不可能の実現である。人体を冷凍保存した後に他の惑星へ運び、到着後に解凍するという手法はSF映画などではお馴染みであるように、不可能だろうがなんだろうが空想的な解決策があるにはあるのである。
ワタルリの異世界遷移は時間や空間の超越とは別物だろうが、なんらかの方法で為されたのはワタルリの存在自体が明らかにしているのだ。どうやってかそれは実現され、異世界遷移させられたワタルリは帰還方法がわからないでいる。
『…………………………』
稚拙な落書きにも見える魔法陣が異様に不気味なものに見えた。ワタルリの元いた地球世界とこの異世界とを分かち隔てるものがこれなのだと思うと、本当にこんなものが?としか思えない。地球世界もこの異世界から見れば異世界だろうが、その異世界からこの異世界へと”異物”を遷移させるなんて事は異常すぎた。
魔法少女たちが言っていたように、この魔法陣は何かが変である。本当にこの魔法陣の過去の記憶世界を見て大丈夫だろうか。
『━━━━━ニャム…この世界では其方の言葉は…そうさな、ほぼ通じぬ。故に、先々何かと不便があろう。吾輩と契約せよ。言葉を授けん。』
『!?』
俯く幽霊ワタルリの背後に魅力的な提案を呼びかける声がかかった。絶望的な無表情の顔を上げてみると、ピンク色の化け猫ニボシが声をかけているのは召喚されたワタルリである。
怪しい化け猫の不透明な提案になんの返答もできないでいるワタルリは魔法少女達の顔色を伺っては目を白黒させ、口を噤んでいる。なんとも情けない姿に見えたがこの状況を見るのは二度目だ。
━━━━━もし、この時━━━━━契約して異世界の言語を理解できるようになっていたら
魅力的な提案とワタルリが思ったのは、この過去の瞬間に幾ばくかの後悔があるからだろう。
化け猫ニボシと契約する事で異世界の言葉を授かり、魔法少女たちと会話できていたらワタルリはどうなっただろうか。異世界で楽しく冒険する人生があったのかもしれない。
幽霊ワタルリは今でもそんな怪しい契約なんてする気持ちになれないが、だが、もし━━━━━あの化け猫と契約していたら━━━━━━━━━━━
「━━━━━あのー、前向きに検討したいので、詳しい話を聞かせてください」
━━━━━………━━━━━!?
『ニャム。よかろう━━━何が知りたいマオ?』
「契約することで生じる責務というか、デメリットというか、諸々の注意点だったりか…そういう縛りの辺りを教えてください」
『ニャムニャム。めんどくさい人草だマオ…まず当然、吾輩に供物を捧げることだマオ。生贄は月に一回用意するマオ。感謝のお祈りは毎日するマオ。それから━━━━━』
━━━━━いやいやいや!俺は言ってない━━━契約なんて━━━━━!!?
言っていないはずの文言を言っている。目の前のこいつらは幽霊ワタルリの記憶に無いことを口走り、そのワタルリは契約に前向きだという。そんな筈がなかった。
契約することでどんなデメリットがあるのかは確かにワタルリが気にしていたことではあるが、今この記憶上のはずのワタルリが口にしているセリフは幽霊ワタルリの過去の記憶に絶対にあり得ない事象なのだ。
━━━━━!!!オイ!!待てよ!!!それやめろ!!!お前は━━━━━━━━━━━
こいつは俺じゃないか。俺は俺のはずじゃないのか。こいつが俺ならこんなセリフをいう筈がない。
信じられないことを喋る自分を見て幽霊ワタルリはそいつが本当に自分なのかどうか解らなくなってくる不安を振り払うようにして掴みかかり━━━━━掴みかかろうとしたはずの自分の腕が無いことに気がついた。
魂の、幽体のワタルリの体が今まであったはずである。それが無かった。体を見ても何も無い。
━━━━━俺は━━━俺が…なんで何も無いんだよ
『━━━まだ知りたいかマオ?』
「ふむふむ、なーる……ふむふむ。わかりました。じゃあ、思い切って、しちゃおっかな!」
何も無くなった幽霊ワタルリが困惑している間にその謎のワタルリは契約を進めてしまった、冷蔵庫でも買うかのように契約を決めてしまったのである。
だがそれは幽霊ワタルリには許せなかった。許せないが、しかし何も無くなった今の自分がなんなのか解らない。
━━━━━俺はなんなんだ
俺はもう
俺は無いのか
消えてしまった
じゃあ俺は何だ
嫌だ
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
━━━━━どうして━━━━━━━━━━━━
消えてしまって、自分が自分じゃなくなるというようなことをワタルリは恐れてきた。自分が解らなくなるなんてことを。絶対にそれだけはあってはならなくて、自分だけは手放したく無かった。だけどそれがもう無くなってしまった。なんでこんな事が起こったのか解らない。まだ自分の意識はここにあるのに、もう自分の幽霊の体すらない。
それなのに、目の前には艮 弥瑠璃がいるのだ。それなら今の何も無い自分は何なのか。目の前の艮 弥瑠璃と自分は同じではないのか。
「あんたの名前は?」
「あっ!?名前!?うわーわかる!言葉がわかる!でもやっぱ日本語吹き替えだ!すげー!!」
「名前を聞いてるっすけど」
「ウシトラ・ワタルリです。おっすおっす!よろしく!かわい〜なぁマジで」
「…!」
「かわいいとか…wうけるっすね」
「…あぁ、お、おっす」
━━━━━━あ…
契約したワタルリと魔法少女たちの会話に突き放されたように感じる。この疎外感を感じている何もない自分の正体にすぐに気がついた。
幽霊ワタルリは契約を保留して魔法少女に見放されて虐殺されて死んだワタルリだ。
そんな異世界人生はワタルリの望むべくも無い人生である。
つまり、ワタルリにとって失敗した人生。
━━━━━俺は、失敗した自分。なら、あいつは━━━━━
「…ウシトラ・ワタルリね。…ウチはチャーチ。こいつはアメリ。そっちはキロロ」
「え?あれ?チャッキと、アグロと、キンジーじゃないの?」
「「「!!!???」」」
「…何で…?…ウチらの名を…」
「…なかなかやるっすね。まあこれで”おあいこ”っす。こういうミステリアスな人ってキンジーの好みじゃないっすか?」
「知らない。うるさい。どうするのこの人?とりあえず事務所連れてく?」
「そこまではウチらは頼まれてない。…けどまあ、ここに置いといたらヤバイからな…それに色々聞きたいこともある」
魔法少女達と話す艮 弥瑠璃の身柄は保護される流れのようで、何処かへ連れて行かれるらしい。
この化け猫ニボシと契約する選択をしたワタルリは、成功したワタルリなのだろう。
成功と言っていいのではないか。拒否して1人になったら殺されて死んだのだから。目の前のワタルリはこのまま生きていくのだろうから、寿命を伸ばしただろう。それは成功である。
それならば、失敗した方の自分は、今の自分は、何もない自分はどうなってしまうのか。このまま━━━━━━
━━━━━嫌だ
待って
消えたくない
俺は俺なのに
お前は俺じゃないか
幽霊ワタルリは今まで記憶上の存在たちに手も触れず怖れてきた。
近づき、触り、心が同調すれば、記憶を見ている自分がその影響を受けすぎて狂うだろうと。まして記憶上の自分に触れたら、見ている自分と記憶上の自分とが混ざってしまうだろうと。記憶世界に同期して本当の自分がわからなくなることを恐れてきた。
だが、それは逆をも意味するのではないか。
━━━━━失敗した世界線の主人公はどうなる
その並行世界の世界線はどうなる
このまま消えているなんて
変化のない世界にずっといるなんて耐えられない
お前が俺なら、俺は俺だろ
何も無いワタルリは意識だけで動いて肉身ワタルリと同じ場所に立ち、魔法少女達を見た。
すると、意識に世界が混ざろうとするのが解る。それはまるで、夢の中で目が覚めてゆくような。
心が微睡む
世界が微睡む
自分
自分
自分━━━━━
自分は自分なのに
自分がどこにもいない
ここは何処でも無い
朧げになる世界が音を立てて崩れる。
星が散るように爆ぜて煌く。
魔法少女も化け猫ニボシも崩れて消える。
星が散るように爆ぜて煌く。
世界が終わってしまう。
夜空の星が全部落ちて闇が覆うように。
終わりの音を奏でながら光が消える。
そこにあった世界はどこへ行ったのだろう。
命たちはどこへ行ったのだろう。
さようなら。さようなら。
寂しい音が、哀しい曲を。
さようなら。さようなら。またいつか。
終わってしまう世界を哀れみ、慈しむように。
━━━━━音々はワタルリに迫ると、囲むように周って止まった。
目の眩むような闇が満ちた。
やがて闇たちが蠢いて、ワタルリの耳を打った。
『………?』
暗闇の世界に立ち並ぶ薄ぼんやりした白い人型がある。
それらの発する音々は聴く者の自我を震わせる、耳元で囁くような音。
聴く者を知る者━━━━━ワタルリは自分自身に気がついた。
周りは暗いし、薄っすら見える人影たちは誰なのだ。急に失礼だと思う。
それも、彼らは手に手に何か重そうなものを掲げているじゃないか。丸い輪っかのような。あれは何だ。蛍光灯か?俺に部屋の蛍光灯を交換しろというのか?そんなの自分でやれよ。ジジイか?
━━━ああジジイか
ジジイの頼みなら他でもない聞いてやろう
お礼にチップをくれよな
タンス預金してるのは知ってるぜ
あとで一枚もらっておくからな
ジジイの棺桶に俺はジジイの大好物のからあげくんレッドを大量に詰め込んでやった
先祖思いの孫だろう
だからそれくらいの…あれ?
ジジイはもう死んでるだろ
それに4人もいるのはおかしい
てゆうか、年寄りじゃないな
翼が…コスプレ?誰━━━━━━━━━━━━
眉根を寄せるワタルリの顔から出てくるものがある。
煌く小さな刃、無数に輝く小さな剣先がワタルリの顔面を貫いて眼前に飛び出て、それがどんどん増える。
それらを目で追ううちに体全身から剣先が飛び出ては曲線を描いてワタルリを出入りしているのに気付いた。
全ての小さな剣先が光の帯になって動き、光速が無数の弧光となってワタルリを星屑のように煌めかせた。
全てが眩い塵になって。
意識が解れる最後の瞬間、取り囲む人影の間から白い顔がワタルリを覗いた。
見た事のある顔だと思ってワタルリは目が釘付けになる気持ちでいたが、自分が今どういう感情なのかわからない。
中天の月のように白い顔の少女。感情のわからない顔の彼女がワタルリの顔色を伺うように見ている。
その白い細腕が伸びて━━━━━━━━━━━━
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『━━━━━━━━━━━縁無きに起こり無し、起こり無きは結び至らず』
『されば縁世の縁路の縁尾を断たちた』
『夢と消えにし縁の理にて、厄ヶ魔の咎魔、弧光なす廻天の劔炎を持ちて、今この縁世を開闢の無に帰せり』
『然るに、あに図らんや。彼は迷々たる因果の葦牙。其は外法の者か』
大きな翼を持つ天眷達は次元の梢に止まって訝しげに佇んでいる。
性別のわからない子供のような声を投げかける、もの静かな彼らの好奇の視線。その先には、真っ白な顔を長大な黒髪で覆った小さな女の子が立っているだけだ。
周りは闇で、何もない。ここは縁の終わりの世界。
少女は有翼の彼らの方を一顧だにしない。
彼女は、かつて此処にあった異世界因子の所在を確かめるように両手をひらひら泳がせている。
でもどこにもその名残は無くて、少女は両手をパタリとおろした。
『ム ノ ムコウ』
『━━━━━━━━━━━━』
『マタ キテネ』
ワタルリはそこにいないのにそれらの様子が見えていて、それなのに自分がどこにいるのか分からなかったが、少女の大きな瞳と目があうと眠たくなった。
闇を見据えた少女は満面の笑みで、しかし含みのある口元の歪みで、異世界の旅立ちを祝福していた。




