第76話 故郷のために
「レノは、マリアンヌをこんな形にさせた者を暴く覚悟はありますか?」
覚悟。突然問われ、私は困惑した。ただ、返事は決まっている。……私がずっと守りたいと思ってきたものをぶち壊してくれた犯人。母さんをこんな風にした犯人。その人だったら、母さんを元に戻す方法について、何か知っているかもしれない。その禁術についても知れれば、解除の呪文にも辿り着くかもしれない。
……せっかく手がかりがあるのに、このまま泣き寝入りなんてできるわけがない。
「あるよ」
「たとえ、この村を離れなくてはならなくなっても?」
私はハッキリと頷いた。父は眩しいものを見るように目を細めて、口を開いた。
「もし、『レノ』という名前を失っても?」
「………え?」
どういう意味だろう。私はきょとんと父を見つめたが、父は答える気がないのか、じっと私を見ている。
覚悟を問われているのかもしれない。私はもう一度、しっかりと頷いた。
「痛いのとかは嫌だけど、それでも、必要があることなら、なんでもするよ」
「……なんでも、ですか。………レノは本当に、良い子ですね」
それは父の欲しかった言葉だったらしい。父は嬉しそうに微笑んで、私の頭を撫でた。一通り撫でて満足したのか、立ち上がり、懐から再び木ぎれを取り出した。そしてそれを、私に差し出す。
「レノ。ひとつ、お願いがあります。これはこの村にとってとても重要で、やらなくてはならないことで、しかしレノにしかできないことなんです」
「私にしかできないこと?」
父から杖を受け取りながらも、私は怪訝そうに聞き返した。
「ええ。……見てください。この荒れた村を。この村を、元通りにしたいとは思いませんか?」
「で、できるの!?」
私は驚いて父を見た。こんなにもボロボロになってしまった村を元の姿に戻せるのだろうか。村の中は魔獣の足跡により、『穢れ』に満ちている。そのうえ、父の言葉通りならば、私の魔力もまだまだ充満しているはずだ。そんな混沌とした村を、リセットすることができるなんて。
父は、私たちの足元に広がる村の様子を薄っすらとした笑みを浮かべたまま、眺めていた。
「レノなら、できます。ですから手始めに、」
ぶわりと下から吹き上げるように、風が吹いた。
「この村を焼いてください」
父の柔らかな髪が、風に揺れる。長細い手が、乱れた髪を抑えつけるように耳に撫でつけた。私はそれを見ながらも、首を傾げた。聞き間違えだと思ったからだ。
「え……っと。父さん? 今、何って……?」
「心配はいりません。やり方は、今から私が教えます。レノにとっては、初めての魔法ですからね」
「魔法……」
「本来ならば、然るべき場所で魔法の使い方は教わるものですが、今のこの領地ではなかなかそれは難しいですからね。それに、レノはまだ四歳……いえ、もうすぐ五歳でしたか。何にせよ、学校に通えるのはもう少し大きくなってからなんです」
だからまだ我慢してくださいね、と父は子煩悩な親のようににこにこ顔で言った。……村を燃やす? 何のために? 私は引きつった笑みを浮かべて、父に聞き直した。
「燃やすって、どうしてそんなことをするの?」
「この村は魔獣に蹂躙されてしまいました。この村の状況がどうなっているのか、もうレノには視えているでしょう?」
私はもう一度村を見渡した。焼き尽くされた家や、崩壊した家、ぐちゃぐちゃな畑。そしてそれらに共通しているのは、黒い靄が残っているということ。
「魔獣が厄介なのは、退治をしても、浄化を行わなければその地は穢れたままになってしまうということです。ですから、この地もなるべく早くに浄化しなくてはならない……遅くなれば遅くなるほど、穢れはその地域に広がっていきますし、根深いものになってしまうんです」
父は私に利き腕を聞いて、そちらに杖を持たせた。そしてしゃがみこみ、私の背後に回る。
「この地の魔力の土壌は、年月をかけて、レノのものになってしまっています。ですから、領主の力が及びにくいんです」
「え? 領主の力って……まさか、領主様は魔法使いだったってこと?」
ぎょっとして後ろにいる父へ首だけ向けて問いかけると、思ったより近くに父の整った顔があった。父はきょとんとした後、面白そうに笑った。それはまるで、自分の子供が常識はずれなことを言ったのが、かわいくて面白くてたまらないといったような笑い方だった。
「レノは時々抜けていて、目が離せませんね」
「それはどういう、」
「レノ。レノの魔力で、一度村を燃やして土壌を整えた後、浄化させてもらいたいんです。これは普段、訓練された騎士団がやるようなことですし、ここまでの規模になれば、本当は領主がやるようなことです。ですから、レノの身体への負担は、相当なものになるでしょう」
私の疑問をねじ伏せるように、父は私に前を向かせ、後ろから囁いてきた。その言葉は、私の度胸と、覚悟を試しているようなもので。
「力の流し方や、杖の動かし方は、私が後ろから補佐します。レノは、その流れに乗って、魔力を注ぎ込むことだけに集中してください。……できますね?」
「で、でも、みんなは? みんなは大丈夫なの?」
燃やすというと、大火事になるということだ。ここから見える限り、まだ村のみんなは広場にいる。騎士団の人たちもだ。火事になれば、当然家も畑も全部燃えてしまうだろう。あの黒い靄を消すために焼き払うのであれば、それは広範囲に渡ることになる。その後、村のみんなはどうなるんだろう。私だって、どこに住むんだろう。
私の頭には矢継ぎ早に心配事が浮かんだが、父はそれを遮った。
「レノ、レノ。見えますか?」
父の指さした方角に、私は視線を上げた。それは、月がすっかりと低いところに回ってきている姿だった。
「襲撃があってから、結構な時間が経過しています。レノの心配はもちろんのことですが、その心配はいずれも、私がすでに手を打っていることです。レノは私を信じて、とにかく魔法を使うことに集中してください。……言ったでしょう? 質問事は、全てが終わって落ち着いたら、ゆっくりと、ですよ」
「………分かった」
もはや、そう言うしかなかった。父がそう言うのなら、それを信じるしかない。私はぎゅっと杖を握りしめる。……魔力の流れを意識したりだとか、魔力を注ぎ込むだとか、そんなこと、やったことがないのだからわかるわけがない。
でも、だからといって、やらないわけにはいかない。だって、私がこの村をこうしてしまったんだ。そう思うと、哀しくてたまらなかった。私のせいで魔獣が集まり、そのせいでこの村は穢され、その上に今から村を燃やされるのだという。全部、全部、私のせいだ。
……それならば。今となっては、私が出来ることなんて、限られている。無知だったとはいえ自分がやったことの後始末くらい、自分でやらなくては。
「……ああ。それと、もうひとつだけ約束してもらいたいことがあります」
杖を持った方の腕を後ろから父が握り、もう反対の手で私のお腹を支えた。これで、もしも私が倒れこんでも、父の意外と頑丈な胸板クッションのおかげで大丈夫そうだ。
「何?」
「……今までの話、つまり、レノや私が魔法使いであるということ。そして、マリアンヌがこのようなことになってしまったこと。これら全てを、全て口外しないと約束してください」
父の言葉は、納得できるものだった。もし私たちが魔法使いだとバレれば奴隷行きだし、母の件も、今は犯人が誰なのか分からない状況で事を大きくしたくない父の気持ちも分かる。
先ほどから静かに後ろで待機しているクロードのことを思えば、父は色々なことを内密に動かしたいと考えているのだろう。父がこの一年ほど、こちらに来れなかった理由もまだ聞けていない。何か事情があるのだろう。
それに、母がこういうことになって、その後、その復讐に父が一生懸命になっているとなれば、正妻の方も良い顔はしないだろう。私にとって、あの魔法石に関する情報を入手できる相手は、父しかいない。その父が正妻によって動きづらくなるのは避けたいところだ。
「分かった、約束する」
私はすんなりと頷いた。その瞬間、腕に何かが巻き付いた感覚があったような気がしたが、その直後に父がぎゅっと私の腕を握ったので、気のせいだったかもしれない。
「では、レノ。いきますよ」
その途端、父が触れているお腹から、何かが入り込んでくるような感覚があった。力の弱いジャグジーに当たっているような感じだ。お腹から感じる流れが、全身をめぐっていく。そのうちに、杖先に光が灯っていくのが見えた。
父は何度か複雑に杖を素早く振り、杖先を村へと向けた。
「あっ」
思わず声が出た。唐突に、何軒かの家が燃え始めたのだ。まだそのことには誰も気づいていないのか、村の人たちは広場に固まっている。だが、騎士団の人には何らかの合図になったらしい。慌ただしく黒い服を着た人たちが動き始め、荷馬車に人を案内し始めた。
「移動するの?」
「はい。もちろん広場には引火しないように魔法をかけますが、彼らもこのままあそこでずっと過ごすわけにはいきません。近隣の村に受け入れをして頂く手筈になっているんです」
本当に、父は色々考えてくれていた。私はホッと息をつくと、後ろから父の真剣な声が聞こえた。
「こら、レノ。集中しなさい」
「ご、ごめん」
みんなが無事にこれからも生活できると分かった私は、今まで散漫だった意識を集中させ、父から流れてくる魔力を感じた。……ジャグジーというか、流れるプールだと思えばいいのかな? サーフィンみたいな? 波と同じように思えばいいのかも。父さんが流してくれる揺れを、私がもっと大きな波に変えていけばよさそう。
波が出てくるプールを浮き輪で泳いでる状況をイメージすると、火の勢いが増した。それを見て、父は杖を動かす。その杖の動きに合わせて、炎も横へ横へと広がっていった。
村が燃える光景は、見ていてとても虚しいものだった。
確か、あの方角は先生の家があったところ。
広場を超えて左に行けば、あの広いところがマルタンの家だったはず。
あの手前の方の畑は、よく行ったっけ。
ああ、あの奥の方はブランを採りに行ったところだよね。
で、あの左手の大きな家が、サロメの家。あのあたりの畑は草抜きにも行ったなぁ。
……そして。あの家は。
私と母さんが二人で暮らしていた、ちっぽけな家。
そのどれもが、今や真っ赤な炎に包まれ、真っ黒な煙を吐き出している。ここまで匂ってくる煙臭さに、パチパチと何かが燃えて、爆ぜる音。この距離でこの臨場感だ。広場にいる村のみんなは、もっと怖い思いをしているのかもしれない。
そちらに目をやると、みんなは我先にと急いで荷馬車に乗り込んでいた。……リアムは目を覚ましただろうか。ロジーヌやボーモン、サロメやヒューゴ、そして何より、ジョルジュは無事だろうか。……マルタンは、もう、ロジェのことを………。
「レノ」
父が励ますように言った。気付かないうちに、私はぽたぽたと涙をこぼしていたらしい。
……ごめん、ごめんなさい。
ごめんなさい。
私のせいで、ロジェは。
あの小さな家の中で、たった一人で。この炎に包まれて。
私を守ろうとしてくれたせいで。私を攫おうとしていたのは、私の父さんだったというのに。
大きな背中。暖かい手。いつだって見守ってくれている、優しい兄のような存在だった。
私はロジェを殺した騎士団側の、領主側の人間である父の隣で、今、この村を燃やしている。再生のために必要なことだと分かってはいるが、それでも苦しかった。
魔獣と戦って散っていった多くの者もまた、埋葬している時間的余裕などなかっただろう。そんな彼らを、私は今、まとめて火葬しているのだ。
私は泣きながら歯を食いしばって、杖を握りしめた。震える身体を、後ろから父が優しく抱きしめるように支えてくれている。私はこの哀しみを波に変えて、身体から解き放つ。魔力に乗せられたその感情は、一際大きな炎の柱となって燃え盛った。
「……偉いですね、レノ。そろそろ、一度休みましょうか」
横にスッと杖を軽く流すと、先程まで地獄の業火のように燃え上がっていた炎が全て一瞬で消えた。まるで夢を見ていたようにも見えるが、黒焦げになった全ての家や、畑、そしてこの煙臭さが全ては現実だと脳に直接訴えかけてきていた。
「レノ、大丈夫ですか?」
心配そうに父が言った。こちらの顔色を確認するように覗き込まれているような気がしたが、私は父の方を見ずに、まっすぐ村を見た。震えそうになる足を叱咤して、私はお腹を支えてくれている父の手の上に、自分の空いた手を重ねる。
「大丈夫。次、いこう」
「……分かりました」
再び、父が杖を振る。今度は優しく、まるで合唱の指揮をするように。すると、ゆっくりと、黒焦げだった地面が薄っすら光り始めた。
白く、淡く光るそれは、最初は一か所だけだったが、やがて黒焦げになっている村全体へと広がっていく。光が広がれば広がるほど、身体からどんどん何かがごっそりと抜けていくような感覚があった。おそらく、これが魔力なのだろう。父の魔力の流れに合わせるように、私は身体の中の魔力をコントロールしていく。
やがて、淡い光の中に、緑が見えた。穢れなのか焦げなのか分からないくらいに焦土と化していた地面に、薄っすらと草が生え始めたのだ。それはゆっくりと、しかし着実に成長していった。完全に燃えてしまった黒焦げの家にも緑が覆う。
……魔獣と出会った時、その足元の草花が枯れていくのを見た。穢れは、たぶん、その地の成長を阻害してしまうものなのだと思う。だから、その穢れを焼き払い、浄化することで、その地が元ある姿へと戻すのだ。
きっと、あのままだと、農業が主たる産業であったフルール村は、完全に壊滅することになっていただろう。だから父はこうやって、この地を浄化することで、なるべく元ある姿に戻そうとしてくれているのだと思う。もちろん、失ってしまったあの野菜や果実たちは戻ってこない。でも、これからまた、一から育てることは出来る状態にまでは戻せそうだ。
たくさん、たくさん実りますように。私は心からの願いと祈りを込めて、杖を握る手に力を込めた。すでに体力は限界を迎え、目を開いていても、瞼が落ちてきてしまう。ひどく寒くて、熱い。膝から崩れ落ちそうな身体を、父が後ろから支えてくれているからこそ、やっと立っていられる状態だった。
それでも私は、なおも祈った。この地に、また元ある生活が戻りますように、と。
「……もう、十分でしょう」
父はそう言って、再び杖を軽く横に流す。すると、淡い光は消え、緑の成長も止まった。
すっかり私の足首くらいにまで緑が生い茂ってそうな村を見て、私はほっと息を吐いた。と途端に身体から力が抜け、がくりと膝をつきそうになったところを父が抱き上げてくれた。
「レノ。よく頑張りましたね」
私の手から転がり落ちそうになる杖を父がキャッチして、懐に仕舞う。そして私の頭を、優しく撫でた。その感触が心地よくて、私は瞼が勝手に落ちてしまっていることに気付いた。ひどく疲れていて、手足を動かすことさえ億劫で。それでも、私は聞かなくてはならなかった。
「……これで、もう、だいじょうぶ………?」
「ええ。レノのおかげで、もうこの村は大丈夫です。元通りになりますよ」
「また、みんなと、暮らせる……?」
「そうですね。また、この村の方々はいずれ、元のように暮らせますよ」
父の言葉に含みを感じたが、私は抗えない眠気に引きずられるように、意識が遠のいていった。最後に見えた父の笑顔がとても優しくて、でもその優しい笑みがロジェの顔と重なり、私は目を閉じた拍子に涙を流した。
ピクリとも動かなくなった私を抱いた父は、もう二度と村の方を見ることもなく、クロードと二人、闇夜の森へと消えた。
長々とお付き合い、ありがとうございました!
第1章、終幕です。
少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。ブクマ・評価もありがとうございました。
暫くは第2章の制作のため、お休みさせて頂きます。
再開目途についてはまた活動報告にてご連絡させて頂きます。
宜しくお願いします。




