王承1 東海の名太守
中原名士 王承 全3編
既出:王渾3、王導15、王導17
王導27、司馬越3、王羲之13
楽広4
東晋建立の際、功績第一位に選ばれたのは
王導でも、王敦でもなく、
王承というひとだった。
太原王氏の生まれ、
非常に寡欲にして清廉な人であったという。
そんなひとが東海郡に赴任された時の
エピソードを覗いてみよう。
ある小役人が、池の魚を盗んだ。
彼が取り調べを受けることになった。
すると、王承が言う。
「周の文王も、
民と池を共用していただろう。
池の魚一匹、
惜しむこともあるまいよ」
また、夜間往来禁止令を破り
役人に引っ立てられた人がいた。
取り調べには、王承も参席。
そのひとに聞く。
「そなたは、
どうしてこのような時間に?」
そのひとは答える。
「先生よりいくつかの書物を
お借りした所、夢中になってしまい、
時を忘れてしまったのです」
それを聞き、王承は言う。
「勉学に励む者を
鞭打ったところでどうなる。
人民の教化には学びが求められる。
その学びに励む者に
罰をもたらすのでは、
物事の本質をないがしろとしよう」
そして部下たちに、
かれを家にまで送るよう命じるのだった。
王安期為東海郡,小吏盜池中魚,綱紀推之。王曰:「文王之囿,與眾共之。池魚復何足惜!」
王安期の東海郡と為りたるに、小吏は池中の魚を盜み、綱紀は之を推す。王は曰く:「文王の囿、眾と之を共にす。池の魚を復た何ぞ惜しむに足らんか!」と。
(政事9)
王安期作東海郡,吏錄一犯夜人來。王問:「何處來?」云:「從師家受書還,不覺日晚。」王曰:「鞭撻甯越以立威名,恐非致理之本。」使吏送令歸家。
王安期の東海郡に作さるに、吏錄に一なる夜を犯したる人來たる。王は問うらく:「何處より來たりや?」と。云えらく:「師が家より書を受け還じ、日晚を覺えず」と。王は曰く:「甯越に鞭撻を以て威名を立つるも、恐るらくは致理の本に非ざりたることを」と。吏をして送らしめ家に歸せしむ。
(政事10)
王承
中原名士、最後の一人。東海郡、つまり司馬越の封爵地の統括者であり、また司馬睿の下で人士を一手に取りまとめたのもこの人。その人士のうち王導や王敦が大活躍したためかれの存在感は薄くなりがちだが、この二つを読んでなんとなく納得した。この人割と下のものに好きにやらせて、最後の最後でケツ持ちだけするタイプの人だわ。そりゃ功績第一位なのに目立ちません。素晴らしい。
甯越
春秋時代の人。農民出身だったか、死ぬほど勉強しまくり、遂には王の教育係を任じられるにまで至った人。




