Ⅰ
貴方は何時だって優しかった。
どうして目の見えない私に優しいんだろう。
一歩外へ出てしまえば誰かの助けなくは生きていけないような女など面倒くさい筈なのに。
「…そんなことを言わないでくれ、俺は貴方の傍にいたいだけなんだ」
弱音を言うたび困ったように言う貴方は、どんな顔をしているんだろう。
きっと私の傍でオロオロしてる。
この目が見えたなら…貴方の姿を見れたのに。
「シスター、貴女が俺を見たら貴女はきっともう俺と話してくれなくなってしまう」
えぇ、でももう貴方に私は囚われているの。
どこまでも優しい貴方に。
出会ったのは雨の日だった。
教会の外で暴漢に会い、目が見えない中必死に逃げ惑っていた私を救ってくれたのが貴方だった。
暴漢の呻き声がすぐ近くで聞こえ身を強ばらせた私に気付いた貴方は恐る恐る私の近くに来た。
「あぁ…雨に濡れてしまっているな。済まない…気付くのが遅かった」
「い、いいえ助かりました…!!ありがとうございます。親切な方、名前は?」
私の濡れた髪に触れ申し訳なさそうに言う彼は、名前を尋ねると一瞬動きを止め私の手を取った。
「名乗る程の者ではないよ。シスター、早めに帰ると良い。貴女のような美しい人は攫われてしまう」
温かい手に耳に届く優しい低めの声。
出会った時の貴方の印象は不器用そうだけど紳士的で優しい人…だった。
あれから私が教会の外へ出る度、彼は心配してるのか私の傍に居てくれるようになった。
教会の外は苦手。
何故って言われれば…盲目の私を嫌う人が多いからとしか言えない。碌に仕事も出来ない私が、教会でぬくぬくと生きているのが気に入らないのだと誰かが話していたのを聞いてしまった事もある。
私が住んでいる町は昔から頑強な者が多い。それは優秀な兵士を生み出している町だから私のような弱い者は必要ないのだ。
だから町に出れば必ず何処かで悪意を感じた。
もちろん良い人だって居る。
むしろ大体の人は脆弱な私を気遣ってくれる。
だけれど、心の弱い私は少ない悪意に容易く負けてしまうのだ。
…彼はこの町で随分名前を知られているらしく彼が傍に居るだけで私は大分守られているのを感じた。
悪意が伝わってくる事が明らかに減ったからだ。
普段は張り詰めた空気を持っている彼が、私の傍に居ると何処か雰囲気が緩くなる瞬間が好きだなぁって思ったのは結構前で。
そう認識した途端、彼の傍にいるのが恥ずかしくなった。いつも気遣ってくれて紳士的な彼を好きにならない人は居ないだろう。
でもそんな彼に私は相応しくない…。好きになってもらえるはずもない。
私は教会の外へのお使いを別のシスターに代わってもらうことが多くなった。
外へ出れば彼に会ってしまうからだ。
***
暫くしたある日のことだ。代わってもらっていたシスターが病に倒れ、私が外へ行くしかない状況になってしまったのは。
彼女が病に倒れたのは初めての事だろう。彼女自身も驚いていたほどだ。
外へ出てももう彼には会えないだろう…何も言わずいきなり会わなくなってしまったのだ。
彼だって怒って私の前に姿を表さなくなってしまったはずだ。…自分で招いた事なのに酷く落ち込む。
溜息をついて私は門を出た。
教会から少し離れた時だろうか。
「…何故俺を避ける、シスター」
後ろから急に抱き寄せられ驚く私に届いたのは酷く沈んだ悲しげな声だった。
「避けて、など」
「避けている。俺が何かしたのか?それとも俺の事を知ってしまったのか…?」
気まずくて口篭る私の言葉を遮る彼に普段の余裕なんてなく、耳元に触れる吐息は目が見えない分更に鋭敏に感じ取ってしまう。
「貴方は…何もしてない。それに…貴方は優しいって事しか私は知らないわ」
…好きなのに。私が知ってる貴方は優しいって事しかないなんて笑える話だわ。
…名前も知らない人に恋に落ちただなんて。
「…何もしてないなら何故…だめだ、今更貴女から離れたくない…」
優しい人。そしてどこまでも残酷な人。
期待させないで。
貴方にこれ以上心囚われたくない。
「…やめて、離して…!!」
「逃げないでくれ、シスター…頼むから…」
身を捩って逃げようとする私の身体を離さないように彼は力を込めてきた。
「貴女が居なくなったら、狂ってしまう…」
懇願するような声に心が揺らされる。
こんな状況じゃなければ、どれほど嬉しかっただろう。恋い慕う彼の腕の中だ。
夢を見るように幸せな心地だっただろう。
…私だって貴方に会えない間苦しかった。
とっくに貴方に囚われているのも分かってた。
だからこそ逃げたかった。
私のような者を好きになってくれる人なんて居ない
って思うから。
「…逃げないから…離して」
抵抗をやめ、彼の腕に手を添えて言うと彼は張り詰めていた息を吐き出して力を抜いた。
「…優しい貴方には分からないかもしれないけど…私のような者を揶揄ってはいけないわ」
こうして好きになってしまうから。
そう言おうとした時だった。
「揶揄ってなど…!!俺は貴女の事が…好きなんだ。本当は少しだって離れたくないほどに」
揶揄っては…と言った途端、空気が凍った。
そうして、いつもより強い口調で言われた言葉は私にとって都合が良すぎる。
「う、嘘よ…そんな事」
「本当だ、信じてくれ…!!」
有り得ないわ。そんな夢みたいな事。
だけど彼は真摯な声で私に囁く。
その声には抗い難い魔力みたいなのがある。
「…それが本当なら、私だって貴方の事が好きよ」
叶うはずもないと。だから伝える気はなかった。
…気持ちを捨てようと必死だった。
けれど、貴方も同じ気持ちなら…この想いを捨てなくて済むのなら。こんな嬉しいことはない。
私の言葉に彼が息を飲んだのが分かった。
「貴女が俺の事を…夢みたいだ」
語尾がふにゃりと緩んでる。こんな彼の声を聞くのは初めてだ。
この恋はしてはいけなかった。
けれど、私は後悔しないだろう。
一生分の恋を貴方にしたんだから。