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【第8話】寿命喰らいのグリモワール

「それじゃあ、帰ろうか、リナ」


ジンの言葉に、リナが「うん」と大きく頷いた。


そしてジンは、優しくも厳格な声で最後の詠唱を行った。


「因果、終幕!」


因果の間の、神殿の床を突き破り、現世へと繋がる重々しい門が再び現れる。


開いた門から溢れ出す、光の奔流が二人を包み込み、神殿の色とりどりのステンドグラスが残像となって消え去っていく。


地響きのような音が収まり、気がつけばジンは、見慣れたアンティークショップ『ミクラ』の査定室で目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む月光が、重厚なテーブルと二つの椅子を優しく照らしていた。


因果の間は閉じ、ジンの精神体は無事に肉体へと再変換され、現実世界へと帰還したのだ。


現世へと戻った瞬間、ジンの左手にあった魔導書は姿を消し、目の前には人の姿をとったリナがいた。現実世界において彼女は、人の姿か本の姿のどちらかでしか存在できないのだ。


そして、ジンの右の手のひらの上には、先ほど冥府の天秤の皿から回収した、淡い光の球だけが静かに浮遊していた。依頼主エレーナが復讐相手を永遠の地獄へ落とす対価として捧げた『寿命の半分』だ。


「お疲れさま、お兄ちゃん!それじゃあ、お待ちかねのご飯の時間だね!」


人の姿をしたリナが、嬉しそうに目を輝かせて駆け寄ってきた。精神世界で見せていた、残酷な拷問を楽しそうに執行する無邪気なサイコパスのような雰囲気はなりを潜め、今ここにあるのは、お兄ちゃんが大好きで美味しいものを待ちわびる可愛らしい妹の顔だった。


「ああ、今回もよく手伝ってくれたな。お前の好きにしていいぞ」


ジンが優しく微笑み、手のひらの上で優しく輝く光の球を差し出すと、リナは「いただきまーす!」と元気よく両手を合わせた。


リナは小さな両手で、その光の球をそっと掴み取る。エレーナの残りの命の半分という重い対価は、柔らかく温かい光を放っていた。彼女がその光を口元へと運び、小さく息を吸い込むようにして唇をとがらせると、光の球は「すぅー」っと彼女の口の中へと吸い込まれていった。


「んんっ!すごく美味しい!体の中からどんどん力が湧き上がってくるわ!」


リナは満面の笑みを浮かべ、幸せそうに頬を押さえてくるくるとその場で回った。


次の瞬間、寿命の半分を喰らったリナの身体が、まばゆい黄金色の光に包まれた。大きなエサを得たことで、グリモワールとしての成長のプロセスが始まったのだ。


少女の姿をしていたリナの身体が光の粒子となり、空中で激しく渦を巻く。眩い光の粒子が収束し、分厚く豪奢な装丁を施された、一冊の魔導書が現れた。


魔導書はゆっくりと舞い降り、ジンの手のひらに収まる。ジンが豪奢な表紙を開くと、ページが見えざる手によってパラパラパラと自動的にめくられていく。


やがて魔導書は、まだ何も書かれていない白紙のページのところで動きが止まった。白いページに、青白い光を帯びた魔法文字がじわじわと浮かび上がり、未知の言語で次々と新たな術式が記述されていく。寿命を食らったグリモワールが、新たな魔法を習得していく神秘的な光景だった。


光る文字がページ全体に定着し、最後に力強い文字でタイトルが刻み込まれる。



『鉄の処女(アイアンメイデン):内部に無数の鋭利な棘を備えた、人型の棺を召喚する拷問魔法』



ファラリスの雄牛に続く、またしても精神を無限の苦痛でさいなむための、強力で凄惨な拷問魔法が魔導書に刻まれた瞬間だった。


スキルの習得を終え、新たな魔法の記述が完了すると、魔導書が再度光の粒子となり宙を舞った。


やがて光の粒子が収束すると、少女の姿のリナが静かに床に降り立った。


「やったね、お兄ちゃん!また凄い魔法が増えたよ!」


リナは無邪気に笑いかけ、ジンの袖を嬉しそうに引っ張った。どんなに凄惨な魔法であっても、彼女にとっては自分たちを強くしてくれる大切な力であり、兄の目的を助けるための頼もしい道具にすぎない。


ジンはそんなリナの頭を優しく撫でながら、静かに頷いた。


「ありがとう、リナ。これでもっと様々な悪を裁くことができるよ」


しかし、ジンの瞳の奥には、どこか冷たい憂いと決意の色が宿っていた。


今回の依頼も、理不尽に命を奪われた妹の仇を討つという重く悲痛なものだった。エレーナの執念は実り、犯人は永遠の地獄へと落ちた。だが、ターゲットであったバルド・オルコットは、ジンが探しているシリアルキラー『スマイル』ではなかったし、あいつにつながる情報も得られなかった。


この異世界で復讐屋を営みながら、数多くの依頼を受け、裏の業界の噂を辿ってきた。それでも、両親と莉奈を殺害し、現世で自分と相打ちになったあの悪魔の手がかりには、いまだにたどり着いていない。


転生したスマイルは、今どこで何をしているのか。どんなスキルを手に入れ、どんな身分で潜んでいるのか。そもそも、この国にいるのかさえ分からない状況だ。


だが、焦る必要はないとジンは自分に言い聞かせた。


復讐屋として名前を売り、理不尽な悪によって被害を受けた人々の声を聞き続けていれば、いつか必ず、奴に恨みを持つ者がこの店の扉を叩く日がやって来る。


あいつはきっと人殺しをやめられない。


奴がこの世界でも現世と同じように残忍な快楽殺人を繰り返している限り、その因果が絶対にどこかでつながり、自分の元へと巡ってくるはずだ。


「どうしたの、お兄ちゃん?難しいお顔をして」


リナが不思議そうに首を傾げて覗き込んでくる。その顔が、転生前に目の前で奪われた、大切だった妹の莉奈と重なる。


「なんでもないよ。さあ、夜が明ける前にお店の掃除を終わらせてしまおう。明日もいい商品を店に並べないといけないからな」


「うんっ!わたし、窓拭きもがんばるね!」



――



翌朝、裏通りの一角にひっそりと佇むアンティークショップ『ミクラ』には、いつものように穏やかな時間が流れていた。


店内に並ぶ古い時計や美しい調度品が、窓から差し込むあたたかい朝の光を受けて静かに輝いている。愛想の良い店主と、甲斐甲斐しくお手伝いをする可愛らしい妹。誰が見ても仲睦まじく、平和な兄妹の暮らしがそこにはあった。


ジンはカウンターの中に立ち、古い懐中時計のゼンマイをゆっくりと巻き上げながら、店のガラス扉の向こう側、往来を行き交う人々の景色を静かに見つめていた。


今回も仇である『スマイル』の情報は得られなかったが、確かな対価を得て、新たな拷問魔法を手に入れた。魔導書リナは着実に成長し、準備は少しずつ確実に整いつつあるのだ。


オレは絶対にあいつを許さない。


何年かかろうと、どれだけ世界が広かろうと、必ずあいつを探し出す。


いつか俺自身がこの復讐の依頼主となり、あいつを永遠の地獄に閉じ込めるその日まで。


胸の奥底で決して消えることのない復讐の炎を静かに燃やし続けながら、ジンは今日も朗らかな笑顔を浮かべ、アンティークショップ『ミクラ』の店主として、リナと共に次の依頼人を待ち続けている。



第1章(完)

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