11.血統倶楽部
想像主、ベンガル、エヴリー、深山、その他諸々の男たち。
地下庭園に集った彼らは『血統倶楽部』という胡散臭い組織を結成しているようだ。
現実離れした出来事が立て続けに起こり、これは夢の中なのだと自分に言い聞かせながらも、僕は男どもの卑猥な野望に巻き込まれていく。
日本が一夫一妻制の国だというのは敢えて確認するまでもない周知の事実である。一人の男が一人の女だけを愛し、また女も一人の男だけを愛して番となる。時を同じくして二人以上の女とイチャラブすることは日本国民の倫理に反する。同性婚への理解は進んでいるのだろうが、一夫多妻制を是とし主張する無謀な人はこれまであまり見たことがない。
国家や民族によっては一夫多妻制や一妻多夫制を選んでいたりするのだが、余所は余所、うちはうちだ。だのに『血統倶楽部』とは、一人の優れた男が多数の女とイチャラブできる明るい未来を目指しているらしい。
「君は競馬に詳しいみたいだな。当然何のために馬を競わせるのか、その目的も知っているだろう」
想像主に言われて僕は答える。
「……優れた遺伝子を残すため、ですか」
「左様だ。優れた牡馬、つまり優駿は数多いる牝馬相手に種付けするよう求められ、一方で子を残すことを許されない牡馬もいる。競走馬の生存競争は過酷だが、しかしね、儂は生物の在り方として正しいと思っているのだよ。優れた個体の遺伝子を残さなければその種族に進歩はない。たった一人のパートナーと添い遂げようとするこの国の倫理観は如何にも美しいが、儂には窮屈に思えてならない。当事者同士の合意があれば何人の女と愛し合っても、そして抱いてもよいのではないか。女だって優れた男に抱かれたいのではないかと、常々考えているのだよ。
これは儂だけの主張ではないぞ。昨今話題となっている若者向けの小説を読んでみよ。一人の男主人公に対してヒロインが複数人いる小説がざらにある。しかしヒロインとは女主人公であるから複数人いるのは語義に反する。サブヒロインとはなんだ? なにゆえフィクションにこのような立ち位置のキャラクターが求められるようになった? 人気作にヒロインが複数人いるものが多いのは、読者や著者がそれを理想としたからに他ならぬのだ。
男たちは皆、本能では複数の女たちをできるだけ平等に愛したいと願っている。小説の流行がそう物語っているのだから、一夫一妻に縛られる必要などないのだ。そもそも遥か昔は、高貴な身分の男が側室を持つことは当たり前であった。
儂は今の世の中を嘆いているのだよ。男とは闘争する生き物ではなかったか? 好きな女がいれば闘争によって己が能力の高さを示し、優れた者だけが求愛を成功させて遺伝子を残せるのではなかったか?」
*
ようやく長い講釈が終わった。
自分たちの優秀な遺伝子を後世に残して栄えさせたいのか、それとも単に見境なく発情する自分を正当化したいだけなのか。想像主の真意は分からないし、未だかつて恋人がいたことのない負け組の僕が共感できるような話ではなかった。
想像主が言ったことは男本位の一方的な主張に過ぎないので、女性の反応が気になり、僕は桃田さんの表情をちらりと横目で窺ってみた。
すると、凛と佇んでいた桃田さんがこちらの視線に気づいたようで、口を一文字に結びながらも何か言いたそうにしている。
桃田さんの目は語る。
「私は剣の腕を買われただけのアルバイトです。血統倶楽部の皆様相手に意見できる立場ではありません。意見できないので、ノーコメントを回答とさせていただきます」
なるほど彼女の眼光は僅かながら憐憫の色を帯びている。なので桃田さんのことはそっとしておいてあげた。
想像主の話を引き継いで、今度はエキゾチックな顔立ちのベンガルが僕に近づいてきてこう言った。
「君は血統倶楽部の活動と君自身とが無縁だと思っているね?」
ハンサムなインド人は顎に指を添えて、僕の顔をまじまじと鑑別するように見つめる。
「潜在能力を自覚していないようだね。君は自らを卑下しているようだけど、それは認識不足によるものだ。君には優れた能力が秘められているし、同居人の水谷紗羽良や成宮小百合からは異性として一目置かれている。つまり、君さえその気になってしまえば、二人の女性を虜にできる」
「……夢の中とはいえ、都合のいい話ですね」
「何か言ったかい?」
「いえ、なにも」
どうやら僕は彼女がいない現状に大きな不満を抱いているらしい。敬愛の対象であるサハラ嬢と、深山に想いを寄せている成宮と、両者とも僕のことを異性として認識しているわけがないのだ。それに二人を同時に自分の恋人にしようなど、言語道断な思い上がりである。
「そういえば、想像主が言っていた気がするんですが」
「なんだい」
「あなたが僕を血統倶楽部に推薦したんですか?」
「ああ、そうだ」
「どうして僕のことを知っているんですか? 水谷紗羽良や成宮についても知った風なこと言ってますけど」
ベンガルの目が怪しく光った。
「私はあらゆる情報を自在に入手できるんだ」
「へぇ、それはすごいですね」
夢なんてものは常識の範疇で語るべきではないのだろうが、それにしても今回の夢はおかしな奴ばかり登場してきて対応に困る。情報支配者のベンガルを横に押しやって、再び想像主が喋りだした。
「先程ベンガル君も言っていたが君は二人の乙女から好意を寄せられている。水谷紗羽良と成宮小百合、どちらも魅力的な女性に相違ないのだろうが、とりわけ水谷紗羽良から異性として好かれることには大きな価値がある。水谷紗羽良に信頼されている、それこそが君が持つ才能の本質と言っても過言ではあるまい」
僕は溜め息を吐いた。愛だの女だの一夫多妻だの遺伝子だの才能だのと捲したてられ、下らないと思った。何よりサハラ嬢や成宮の心中を勝手に想像して、然もそれが真実であるかのように妄言を撒き散らしているのが気に入らない。
これは僕の夢なのだから、想像主たち血統倶楽部の生みの親は、知らず知らずのうちに限界に達するまで抑圧されてきた僕自身の性欲ということになるのだろうか。僕は紳士でなければならぬというのに、サハラ嬢や成宮相手に発情し、彼女たちからモテていると妄想してしまうとは、まったく紳士にあるまじき悪徳三昧である。これではただの破廉恥漢ではないか。
僕は語気に不平を滲ませながら想像主に反論した。
「彼女たちから好意を寄せられているなんて嘘です。僕はそんなできた男じゃない。それに成宮に至っては他に好きな男がいると、……聞いたような気がします」
一瞬、視界の隅にいる深山に焦点が合った。深山は口を挿んでくることもなく、相変わらずの涼しい顔つきで散らかった宴席を片付けている。
共に陸上部のエースだから成宮と深山はお似合いである。僕はそう思っていたのだが、深山もまた血統倶楽部の一員であり、能力のある男が複数人の女性と関係を持つことを良しとしているのだ。元より深山の二股については聞かされていたが、改めて血統倶楽部という淫猥な男の組織に所属しているのだと思うと、成宮が深山を愛しているという現状は面白くない。考えるほどに胸がムカムカして不愉快である。
確かにここは夢の中で、血統倶楽部というのは僕が無意識に膨らませている妄想の産物に過ぎない。深山が血統倶楽部に所属しているというのは妄想の中の設定なのだ。ならばここにいる深山が血統倶楽部に所属しているからといって今さら彼を拒絶するのは筋違いである。しかし、やはり深山という男は不快だ。仮に友人として付き合うのであれば良い奴なのかもしれないが、成宮を縺れる痴情に巻き込んだのが気に食わない。考えれば考えるほど深山は不愉快な奴だ。浮気者の深山と成宮が愛し合うのは不愉快だ。こんな男に靡く成宮も不愉快だ。僕にとっては何もかもが不愉快だ。
ところで。
はて、どうして不愉快に感じるのだろう?
いつもカリカリと不機嫌の刃を研いでいる成宮を気にかけたところで、無情に尻を蹴られるのがオチだというのに、どうして僕は成宮と深山の恋愛を不愉快に思わなければならないのか。所詮は他人同士の恋愛事だ。不純であろうといくら痴情が縺れようと、本来僕には関係のないことなのだ。むしろ色恋に興味なさそうな成宮が男を愛せたのなら、陰で喜んでやるのが同居人の務めではなかろうか。深山に他の恋人がいるのだとしても愛は愛だ。成宮が深山を好いているのならそれでいいのではなかろうか。
ひょっとすると、僕は成宮小百合のことが好きなのかもしれない。だから彼女が深山と不純な関係を持つことが心底気に食わないのだ。なるほどこの仮説は理に適っていそうだ。
否、しかし、尻を蹴ってくる鬼のような女を好きになるなど、やはり道理に合わない。僕はそんな歪んだ性癖など持っていなかったはずである。成宮を好きになる理由に思い当たるところがないのだ。不思議なことである。それに、僕にはサハラ嬢がいるではないか。彼女に抱いている感情は恋慕の類ではなく敬愛と呼ぶに相応しいものであるが、サハラ嬢を差し置いて僕の中で成宮の存在が大きくなるなどありえないのだ。
「優れた男とは、懐が深く大きな包容力を持つ男である」
想像主が言った。
「成宮小百合が深山君を好いていることは先刻承知である。一方で彼女は君のことも好きなのだ。ならば深山君と競って彼女を奪い、その好意に報いてやるのが男気というものであろう。その上で水谷紗羽良の恋心にも応えてやればよいのだ」
「僕が二人に愛されている根拠などない。あなたの言っていることは妄言ばかりだ」
「これはベンガル君が探ってくれた情報なのだ。間違いなどありえないのだよ。ベンガル君が提供してくれた情報を活用して、儂は齢七十にして十七人の若い愛人をつくれた。ベンガル君の情報は信用できる」
「しかし」
「まあ落ち着きたまえ。いずれ二人の恋心に気づくときが来るだろう。成宮小百合は足が速いから深山君の子孫を繁栄させるのに役立ちそうだが、君にだって深山君から彼女を奪う権利がある……んっ」
痰が絡んだのか、想像主はそこで言葉を区切り喉を鳴らした。
「んっ、んふっ、すまんな。年を取りすぎると上手く話せなくなるのだ。自慢の想像力も年々衰えてきておる。まったく困ったものだな。
えーと、何だったかな。……そうだ。実を言うと成宮小百合のことはあまり重要ではないのだよ。水谷紗羽良に愛されることにこそ価値がある。二人の女を抱いてやる器用さがないのであれば、君には水谷紗羽良との恋路に専念してもらいたいのだ」
「なぜですか?」
不承不承ではあるが、サハラ嬢や成宮が僕を愛しているのを前提に話を進めなければ埒が明かないので、僕は想像主にそう聞いた。
すると想像主は袖手して、僕によく言い含めるよう一言一句に重みをつけながらこう言ったのである。
「水谷紗羽良には、若かりし日の儂をも凌駕する想像力があるのだ。彼女の遺伝子は何としてでも後世に残さなければならん」
老いた男は僕を睨むように目を細める。揺れる瞳に秘められている感情はおそらく羨望なのだろう。彼は僕に嫉妬しているようだった。
「水谷紗羽良が心許しているのは君だけだ。彼女は警戒心が強く、他の男を受け入れようとしない。彼女の貴重な遺伝子を残してやれるかどうかは君次第なのだよ」
叶うなら、無理矢理にでも儂の女にしてやりたいのだがね。
言葉にはしなかったが、想像主の言いたいことは手に取るように分かる。このような性欲と血統の亡者がサハラ嬢を穢していいはずがない。
それでも紳士であるために怒りを抑えていると、想像主は飽きもせず悠々と語りだした。
「女を選ぶとき儂は大方ベンガル君の情報を当てにしているのだが、水谷紗羽良とは直接会ったことがあるのだ。その上で、儂は彼女を唯一無二の才媛だと評価しておる」
想像主が語ったのは、またしても途方途轍もない話であった。