10.老人と想像力
深山に案内された地下の楽園で比嘉先輩と出会った。
比嘉先輩は相変わらず自由奔放で、口を開けば馬の話になる。
彼女は去り際に気になる言葉を残していった。
橋を渡り終え小さな島に着くと、亭の中では三人の男たちが酒宴を開き、陽気に議論を交わしているところだった。
宴席の中心にいるのは老年の男で、青紫色の和服を着流している。鷲鼻の上に太縁の眼鏡をのせ、白髪交じりの頭髪はマフィアのようなオールバック、好々爺のように眉尻を下げているが、風貌からして只者ではあるまい。
老年の男が湯飲みのような杯を呷ると、赤ら顔の筋肉ダルマがすかさず杯を酒で満たす。この筋肉ダルマはタンクトップ姿で、乱れた髪の色はブロンズ、顔立ちが派手なので西洋人のように思われる。年頃は三十代半ばだろうか。流暢な日本語で喋っているが声は酒焼けの影響か掠れており、吐く息がスピリタスの領域に到達していることを僕は後に思い知らされる。話し声がいちいち大きいので、当然態度もデカい。
筋肉ダルマがウイスキーをラッパ飲みすると、老年の男を挟んだ先にいるインド人みたいな顔立ちの男が眉をひそめ不快を露わにした。エキゾチックなその男はこんもりと口髭を生やしており、年齢は筋肉ダルマと同じく三十代くらいに見える。真っ赤なポロシャツをラフに着ているものの、背筋がきちんと伸びているので品位を感じられる。箸を使い料理を口に運ぶ仕草は滑らかで静か、ガハハと豪快に笑う筋肉ダルマとは対照的で、酒に酔っている様子はない。手元のグラスにはウーロン茶と思しき茶色い飲料が入っている。
個性に富んだ顔ぶれが居並ぶ宴席は、まるで首脳会談であるかのように尋常ならざる空気で満ち満ちていた。
さらに、亭の島には宴席を囲んでいる男たちの他に女性の姿もあり、個性的な彼らと比べても殊更に異彩を放っている。僕と年齢が近そうなその女性は、宴席の男たちと距離を置いて亭から離れた水際に直立しており、服装は白と黒の道着姿である。時代錯誤のサムライとでも見做せばいいのか、彼女の腰には長短二本の刀が差してあった。
「あの子が桃田さんだ」と、深山が言った。
「比嘉さんがお気に召している桃田さんだ」
彼女は長い黒髪を後頭部で一束に結わえており、蝶結びにした赤い髪紐が大変可愛らしいのだが、猛禽のように鋭い眼光で僕のことをつぶさに観察しているのは何故であるか。右手を刀の柄に置き、こちらが不審な挙動をすれば即座に一刀両断してくれそうな気配を濛々と立ち上らせている。
「桃田さんは剣術の達人なんだ」
「もしかして、あそこで飲み食いしている人たちの護衛役とかですか?」
「そうそう。彼女は金欠だから、ここで用心棒のアルバイトをしている。地上にはこの聖域を脅かそうとする輩が何人もいるからね、用心棒は必須なんだよ」
こちらに敵意がないことを示すため桃田さんに会釈すると、彼女も姿勢を正して律儀に頭を下げてくれた。剣術の達人というからには相応の給金で雇われているのだろうが、アルバイトという響きが如何にもケチくさい。深山の話によると比嘉先輩もまた演奏家としてここで働いているらしい。もちろん専属契約しているのではなく、日雇いのアルバイトとしてである。
小気味よく杯を干した老年の男がようやく僕たちの到来に気づいたようで、「おや」と、渋みのある声を上げた。
「おかえり深山君、そちらが例の子だね。ベンガル君から野に遺賢ありと聞かされていたが、存外平々凡々な容姿をしているねえ」
「俺もその点は気になっていますけど、大事なのは外見ばかりではありませんよ」
「合点、それもそうだな」
老年の男は枯れ枝のような身体を揺すって「ほっほっわははっ」と高笑いした。
「まあ君たちもここに掛けたまえよ。好きなだけ飲めばよい、食えばよい」
促されるまま腰かけに尻を落ち着けると、老年の男が鷹揚に頷く。それから男は宴席に集った面々の紹介を始めるのだった。
*
本名なのか仮名なのかはさておき、筋肉ダルマの名をエヴリー、インテリ風の男はベンガルという名前らしい。
エヴリーは世界を股にかける大冒険家で、人類未踏の地に踏み入って己が可能性を拡張することに心血を注いでいるそうだ。「俺様に不可能などあってはならない」というのが彼の信条であり、前人未踏の文字を己が手で書き換えたときに無上の喜びを感じる性分なのだという。
インドで生まれ育ったベンガルは電脳空間と現実世界の互換性について研究している。つまり彼は研究者なのだが、僕なんぞには理解の及ばない研究をしているようだ。電脳空間を現実世界の上位概念であると立証した上で、「情報を制する者によってすべてが支配される世界」を構築しようとしているとかなんとか聞かされた。よく分からないが、危険なにおいのする人物である。
そして、彼らを紹介してくれた老年の男こそが、この地下世界を生みだした件の想像主であった。
「この庭園に集う者は皆、比類なき才能の持ち主なのだよ。斯く言う儂も小説家として一時代を築き上げた実績がある。想像力で儂の右に出る者などおるまい」
想像主が池の方に目を向けると、目線の先では太公望が水面に釣り糸を垂らしている。ぷかぷかと浮かぶ小舟の上でじっとしている熊男は、遠目だとテディベアのようで大変可愛らしい。
その時、庭園を流れていたそよ風がぴたりと止んだ。想像主が「来たな」と言った直後に、まるで沸騰したかのように池の水が大きな泡を噴きはじめた。暢気に座っていた太公望がむくりと立ち上がり、不安定な足場を物ともせずに踏ん張る。ラインを巻き、雄叫びと共に釣り竿を頭上いっぱいに振り上げると、彼の真下の水面がこんもりと山のようにせり上がった。
「あいつ、ついにやりやがった!」
興奮したエヴリーの嗄声が響く。
せり上がった水面から波が押し寄せ僕たちがいる島に襲いかかった。危機を察知した桃田さんが素早い足運びで小高い亭の上に避難する。幸い波は亭まで達しなかったが、飛沫が宴席を濡らし、僕たちの頭から足先までを満遍なく濡らした。
「ほわっはっはっは、あやつこの庭園を釣りおった!」
水中から現れたのは、航空機を丸呑みにしてしまいそうな巨大亀の頭だった。巨大亀の鼻先に豆粒サイズに見える太公望の舟がちょこんと乗っている。食べられてしまうのではと見ていて気が気でなかったが、太公望が舟を降りて巨大亀の口から釣り針を抜くと、巨大亀は目を細め、大人しく水中に戻っていった。太公望は何事もなかったかのように再び小舟の上で釣り糸を垂らしはじめる。
「我が庭園は、亀の甲羅の上にある」
飛沫を被って乱れた髪を整えながら、想像主が揚々と言った。
「そしてあの亀もまた、儂の想像が生みだしたものなのだ」
その後、水に濡れた料理や酒瓶が散乱した宴席を全員で片付けながら、この人たちがどういう集まりなのかを聞かされた。
才能溢れる人たちの集い。それはすでに聞かされている。
「儂とベンガル君、エヴリー君、深山君、その他多数の非凡な男たち。ここにいる者たちは人類の至宝だ。我々の遺伝子は後世に広く残さねばならんのだ。そうだろう?」
想像主は転がっていた杯を手に取ると、中身が半分ばかり残っている一升瓶を杯に向けて傾けた。なみなみと注がれた焼酎を一息に飲み干すと、双眸を爛々と輝かせる。
矍鑠とした想像主は天界より降臨した神様のように両手を広げてこう宣った。
「『血統倶楽部』へようこそ。儂らは君を歓迎する」




