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遭遇・1

もうすぐ、重要人物が登場します。

 世子に定まった頃から眠りは浅くなった。王位についてからはそれが更にひどくなり、毎晩必ず夜中に一度は目を覚ます。二度三度と言う事も珍しくは無い。医師達の言うように運動をし、食べ物の偏りが無いように用心しても、大した変化は無かった。


「お心の問題で御座いましょうなあ。これ以上、薬や針では何とも出来ません。後宮でどなたかお心の安らぐお相手がおできになりますと、事情が違ってきますでしょうが」


 そのように診断された。明珠や成弘が奇妙な死を遂げたせいもあって、私は後宮の誰にも心を許せずに居る。それが体にも現れたのだろう。皆、実家の勢力を伸ばし、安定させるために後宮に送り込まれてきたのだ。本当は私の事もどう思っているのやら、未だによくわからぬ。あれらは私に抱かれ体を開くのは「義務」だと思っているとしか思えない。心が満たされる事が無いのも当然だろうか。


 中殿にも子を作らねば、釣り合い上もよろしくない事は承知していたが、ただでさえ中殿と緊張関係にある側室たちをなだめるのに疲れてしまい、よそに逃げ場を求めてしまった事が有る。


 ふと目についた下仕えの者を、幾度か寝所に呼ばせたのだ。一人は庭先で掃除をしている時にたまたま出くわしたのが、もう一人は庭先で転んだのを見たのがきっかけだった。共に身分は軽かったが、それぞれ愛らしい女たちであったので近く承恩尚宮として取り立てるつもりだった。何より、即位以来夜の眠りが浅く、一日中疲れた感じが抜けなかったのだが、あれたちを抱いて眠ると、熟睡できたのが有りがたかった。


 だが、私の心配りが足らず、手配が遅れたのがいけなかったのだろう。一人は子を流産して、もう一人は井戸に落ちて命を落とした。適う限り手厚く葬り、それぞれの実家に財物を贈らせたが後の祭りだった。私と関わったせいで、罪の無い若い女二人と赤子が一人命を落としたという事実は、何ら変わりようがなかった。


「二人とも毒物を飲まされたようでございます」


 判内侍府事の報告を聞いて、私は怒りで体が震えた。だが……中殿にも側室達にも犯行の動機は十分ある。半年以上かけて、調べ上げたが、実行犯と思しきものは既に殺害されていた。一番怪しいのが中殿だったが、確証が無い。確証も無いのに廃妃にもできず、私は後宮に行くこと自体が大きな苦痛になりはじめていた。


 不眠症は悪化した。私は発狂しそうだった。


「そうだ、街に出てみよう」


 そんな風に思いついて、一人で供もつれずに宮殿の外に出た。外の空気が吸いたかった。気分を入れ替えたかった。私は手元に官服を隠し持っていたので、それを着た。赤い色から本来の持ち主は王と直接面会する資格のある堂上官タンサグァンのものだと知れた。戦のゴタゴタのせいで紛れ込んだものであったのか、存在に気が付いて以来、使う事も有るかもしれないと、長い間仕舞い込んでいた。


 改めて確かめてみると、胸背ヒュンベと呼ぶ官位と職種を現す階級章には、正邪を見分ける聖獣ヘチが刺繍されている。司憲府サホンブの長官である大司憲テサホンのものに違いない。位としては従二品だから、まずまずの高官と言えようか。この服の本来の持ち主は恐らくは清との戦の頃に亡くなった前任者だ。そうだ林正哲イム・ジョンチョルだ。


 私が世子であった頃、世子専用の学問所である世子侍講院の侍講官の一人にその人物が居たはずだ。侍講官は次代の王の朝廷を支えるにふさわしい人物が選ばれる。本人の文官登用試験の成績だけではでなく、妻の曽祖父に至るまで身元を調べ上げて任命するという念の入れようなのだ。恐らくは私が王位についた時に、林正哲が側近の中に居ると不都合だと考えた連中の仕業だろう。


 林正哲は明を崇拝していた連中とは違い、早くから清と手を結ぶべきだと主張していた。そして、いざ、戦となった時には、断固として清と戦うべきだと主張した。至極まともな事を言っていたはずなのだが、敵対勢力に『嵌められた』らしい。事実無根の罪で死罪となり、家族は奴婢に落とされた。気の毒な話だ。

 正しい事を公然と主張すると、寄ってたかって引きずりおろされかねない。事と次第によっては先々代様の様に王でも廃位させられ、命を奪われるかもしれない。朝廷も後宮も魑魅魍魎の巣だ。腐った泥沼だ。


 官服のおかげで暗くなった宮殿の中を誰にも疑われず、真っ直ぐ門まで歩いてこられた。そこに輿も無く供もいないのを奇妙に思った者がもしかしたらいたかも知れないが、誰も声をかけなかった。それでも内侍府の手練れの者たちには気づかれたような気がする。撒いた方が良いかどうか、私は少し悩んだ。撒いたとて、行く当てが有るわけでもなし、必要以上に判内侍府事の気を揉ませても後が厄介な事になりそうだ。


 夜空は澄み渡り、秋の美しい月が辺りを照らしている。松の林をゆっくり歩くと、気持ちが伸びやかになってくる。ひときわ大きな大木を目指すようにして歩いていると、笛の音が響いてきた。染み入る様な美しい音だ。この旋律は聞き覚えが有る。我が国の曲ではないし、おそらく清の曲でもない。はて、一体全体どこで聞いた曲であったろう?



ヘテもヘチも語源は中国の中国の伝説上の動物「獬豸」(カイチって読むらしいです)です。お役人はヘチ、一般民衆はヘテと呼ぶものだったらしいです。

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