うごめくもの・5
王妃冊立の儀式を執り行う数日前に、初めて当の沈寿貞に会った。醜い、と言うほどではなったが、何を考えているのか読み取りにくい糸の様に細い目と、女の顔にはいささか不似合いなあぐらをかいたような団子鼻は、寿貞を高貴な姫君と言うよりは性格の悪い下級の女官のように見せていた。立ち姿もすんなりとは行かず、ずんぐりむっくりとして、少女と言うよりは中年女のようであった。
「新しい中殿様はお気の毒なお顔立ちとお姿だ」などと側室付きの女官どもが噂していたが、確かに本人の落ち度ではないので、気の毒としか言いようが無い。
礼儀作法・立ち居振る舞いは身分相応で、話しぶりは賢げで悪くも無いと思った。女として魅力的とはさっぱり思えなかったが、後宮を治めてくれる様になればそれで十分なのだったが……全くの期待はずれであった。
儀式も無事終わりやれやれと思った矢先、沈中殿はすぐに側室達と角を突き合わせ、幾つかの揉め事を起こした。下仕え同士が殴り合いのけんかをするとか、互いの住まいの筆頭の尚宮同士が大声でののしりあうとか、ろくでもない事ばかりが立て続けに起ったようなのだ。
「中殿には全く失望させられました。後宮を治めるどころか、自分が騒動の元になっておるのですからね」
祖母は疲れた表情でそう言ったものだったが、全く同感だった。だが国王としてはそうも言っておれない。
「中殿の不徳は、寡人の不徳だ。すまぬがこらえてくれぬか」
「徳の少ない者」を意味する寡人と言う王としての自称は謙譲の美徳を示す言葉とされるが、私の場合、文字通り徳が足りないのだと思う。あざといとは思ったが、全ての側室の住まいを回り、順に抱きしめてやったり手を握ったりして機嫌を取った。そもそも、本当に心を許した相手に寡人などと言う堅苦しい言葉は使わないのだが、どの側室にも心を許せない私のよそよそしい気持ちがつい、表に出てしまう。
心を許せないと思う一方で、子が出来ると肌が馴染むというのか、好いた惚れたという間柄ではなくても「一応」身内なのだと思う部分は有るのだ。娘たちはどの子も幸せになってほしい。だからその母親をあまりぞんざいには扱いたくないのも、また、真実だった。
「翁主は私より父上に抱いていただいた方が、嬉しげです」
昌嬪にも淑儀にも昭容にも、同じような事を言われた。王の娘に生まれたからと言って、幸せの保証が有るわけでもない。大体どの子も私の娘なのに、側室が産めば翁主と呼び、正室が産めば公主と呼んで差別する。実にいやな習慣だ。しかも政争の道具として、不逞の輩に利用されかねない危うさを生まれた時から背負わされている。だが、その幼い無垢な命を、王として私もまた利用しているのだ。側室たちの実家を抑え込むために。その事を十分に自覚していながら、やはり我が子は愛しいのだった。
申貴人は私の想いが今も亡き明珠の上にのみ有る事をよく承知していた。亡き人の思い出話をすることが出来る数少ない相手であったし、煩いことは言わなかったし、愚かしい振る舞いも無かった。貴人の生んだ翁主二人はよちよち歩き、愛らしい様子で言葉を話すようになった。自然と良く昼食を一緒に取ったりしたが、もはや床を共にする事は無かった。このころから貴人は体調を崩していたのだ。それが、毒によるものだとは、そのころは露ほども思っていなかったが。
「中殿様にもお子をお授けなさいませ。そうなされば、苛立っておいでのお気持ちも治まりましょう」
性格は温順には程遠く見目もよろしくない中殿を、私も正直言って持て余していた。毎朝、祖母と大妃様の後、挨拶には行ったが、いつも事務的で、ごく短い訪問であった。正直言って、閨を共にする気にはまるでなれなかった。だが、貴人の言葉通り、あの中殿にも、気が進まなくても娘を一人ぐらいは持たせなくては治まらないのかもしれないと、うんざりした気分になった。
「そうだな。それ以外……方法が無いか」
申貴人の前で有ったが、私は大きなため息をつかずにおれなかった。
後宮の主な人々を上げておきます。これから登場予定の親族の名前なども含んでいます。
・判内侍府事
宮中に仕える内侍、つまり宦官の頭。貧乏な士大夫の息子。色々後ろ暗い過去の秘密も有る模様
・大王大妃様
祖母。父王の母。元来は分家の王族の正室に過ぎなかったが、思わぬ事件で息子が即位した後、政治権力を握るようになる。宮中の廷臣たちに、にらみが利く。政治的な感覚が鋭い。
・大妃様
継母。父王の後妻。暴君とされ廃位された先々代国王の正妻腹の長女。父王との間の子供達は全員幼いうちに死亡した。何らかの陰謀によるものらしい。
・明珠
王世子時代に輿入れした正妻。最初の中殿。唯一の家族と言える存在だった。毒物を飲まされていた疑いが有る。王子・成弘を出産後死亡。
・沈王妃
名は沈寿貞と言う。実力者で右議政の沈守己の娘。一番上の兄は切れ者の知宣。二人目の中殿で、側室達より後から輿入れした。
・金昌嬪
官僚トップの領議政の金恩成の孫。祖父以外の親族は官位も官職も振るわないのが悩み。野心家らしい。
・申貴人
一番入宮が早い。目敏く賢い人らしい。亡くなった前の中殿とは仲が良かった。健康を損ねている。仕えている者は皆忠実。翁主二人の母。
・朴淑儀
父親は高名な学者の朴時烈。兄弟たちは皆有能で出世株。
・張昭容
家柄の格式のせいで一番身分が下の側室。実家は豊か。兄の張季良は学者なのに阿漕な高利貸し。些細なことで激昂して、すぐに周りの者を打つ。




