布石を打つ・4
スルギのための邸がもうすぐ完成する。高位の内侍は養子を迎え、財産をその者に継承させる場合が多いが、スルギはそんな事は無論しない。私が「一代限り」と言う事を強調したのが良かったのだろう。
「病後の金大状元の為の住まいを作る」と言う話も、思いの他、廷臣たちの反対は無かった。
今のスルギは内侍府尚薬職の客分として籍を置いている形だが、医科の第一席合格以来、内医院との連絡も緊密に取るようになった。恵民署での貧しい庶民のための医療活動も自ら積極的に行い、身分の上下にはまるでこだわらず、優れた学識とひたすら患者のためにと考えるその姿勢で、たちまちの内に内医院の内にも支持者を多数作り上げた。
「時々、妓房で飲もうと誘われますが『鼓子には用無しの場所だよ』と言って断ります。断っても銀の一つかみも持たせるので、そうそう悪口も言われずに済むでしょう」
鼓子とは男の物が不全なものを指す蔑称だ。陰で宦官の悪口を言うときなどに「鼓子のくせに」などと言う訳だが、その言葉を自分であっさり口にして、すっと銀を出すのだから、確かに余り悪くは言わないだろう。
「医師としての技量を上げるためには、沢山の症例にあたりませんと」
余りに熱心で体を壊しかねないと祖母や大妃様が心配なさるので、三日に一度は恵民署の激務を休むように命じている。それでも今度は宮中の診療を希望する内侍見習いや女官見習いたちがかなりの数尚薬職に尋ねてくるので、ゆっくり休むわけには行かないようだ。
「伝染病対策のための東西の活人署をもっと、普段も活用するべきですね」
どうやら貧民に粥を施す活動はこのところサッパリ行われていないらしい。おかしな話だ。
「どこに穀物が消えちゃうんでしょうか?」
「誰かが取り込んでいるな。うむ。調べさせよう」
スルギの提案で活人署での医師の診療を毎日行う事にした。正八品の賛奉の医官達は業務は過酷であるのに余りに薄給だと聞いたので、米や麦、冬には炭を支給するように命じた。公に報酬を上げるとなると色々揉めるので王の個人的な褒美という形を取った。判内侍府事が直接届けるので、まずは安心だ。
活人署の穀物類は沈家の者が取り込んでいた。沈守己一人を呼んで「罪滅ぼしに粥の施しを真面目にやれば許してやろう」と申し渡しておく。娘の中殿が他の側室と揉めてばかりなのも注意しておいた。
「公にするつもりは無いが、貧しい民から更に搾り取るようなまねはするでない。中殿がまたえらく贅沢な髪飾りをつけておったが、あれ一つで活人署の粥ぐらい賄えそうだがの」
「主上殿下、恐れ多い事でございます」
「国庫も随分と厳しいのだ。髪飾りにする資金が有るなら、本来の税を正しく納めてほしいものだ」
「まさかそのような事は」
「知らぬと言うか。ほう、ならばそう言う事にしておこうよ」
スルギにその話をすると、険しい表情になった。
「隠田の調査などに支障が出ませんでしょうか? 父親はともかく、あの沈家の長男は刺激すると厄介だと思うのです」
新たに出そうとしている献策書に横やりが入るのではないかとも、恐れているようだった。確かに長男・知宣は大変な切れ者だ。
「ならば、スルギが得意な資金計画をはっきり明示した献策書にしてみたらどうだ? 他のどんぶり勘定で適当にやっている連中に対する牽制にもなろう」
「承知いたしました。やってみます」
数日後に甘藷の栽培法をはじめとする新しい農法を取り入れた地方の建て直しに対する献策がスルギから提出された。その改革を実行するのに、どの程度の予算が必要かと言ったきわめて具体的な内容が書かれているのが皆の目を惹いたようだった。
「献策書と言うよりは、商人の帳簿でも見せられているような気がします」
「何に幾らかかると言う点までしっかり固まっているのは、それだけ本人が実効性に自信があるからでしょうな」
「机上の空論では無い、と言う事なんでしょう」
「だが、その、甘藷なるもの、真に食べられますものですか」
「我が昌嬪様のおっしゃるには、その甘藷なるもので作った菓子がことのほか美味であったそうですぞ」
「ほお……そう言えば、中殿様も良い味だったとおおせでしたな」
別に彼ら高官が自腹を切るわけでもなく、宮中の勢力争いとも関係無い事なので、金大状元のお手並み拝見と言う所なのだろう。
こうして、スルギの建策はどうにか実行できるめどが立ったのだった。