希望の光・5
「あの青年との結婚以外の方法も考えましたが、難しゅうございましょうなあ」
「……科挙を受けさせると言う事か」
以前、スルギに科挙を受けさせて、官吏に登用するにはどうすると可能かという事を考えた事があった。その時は、まだ、あくまで頭の中で、あれこれ考えただけだが……
「庶子が受けてはならぬという規定はございますが、女子や内侍が受けてはならぬという規定はございませんし、ですが、やはり、女子の姿のままは難しいかと……内侍に変装しなくては、実際問題無理でしょうなあ」
「一度で合格できるとは思うが、受かった後、どうするのだ。女子では、表で使えない」
科挙の受験資格は男女の別について何の規定も無いが、官吏については男でなければ無理なはずだ。
「さようでございます。内侍府の場合も……内侍府の高尚薬は科挙に優秀な成績で合格しておりますが、やはり内侍府以外の役職には付けませなんだ」
「高尚薬は探花合格であったな」
「さようです」
探花とは科挙の最終試験である殿試において三位で合格したものを、そのように呼ぶ。探花では、陋習の壁を打ち破るには不十分なのだ、恐らく。
「スルギなら状元合格が狙えよう。状元なら龍頭会の会員になれるし、生涯国王と単独で面談する権利を持つぞ」
歴代の状元合格者の親睦団体の龍頭会の会員は、官吏にも学者にもかなり大きな発言権を持つものなのだ。
「ですが……女である事が周りに知られてしまいましたら、いかがなりましょうか?」
「うーん、そうよなあ。良い。寡人が承知の上で受けさせたという事なら、構うまい」
「ですがやはり、あの方にとっては御負担でしょう。友として、幸せを願うというお気持ちでしたら、ここは林亮浩と所帯を持って頂く方が……」
「友として幸せを願う……か……ううむ……そうよな」
「何れにしても、今日明日中にはお決めになりませんと、『と或る大監』の手の者が暗躍しておりますから」
「分かった。今夜中に決める。うむ……」
「酒でも、お持ちいたしましょう。落ち着いてゆるりとお考えになった方が、宜しいかと」
この時、酒を勧めたのも、林亮浩の事を持ちだしたのも、判内侍府事のちょっとしたはかりごとであったと悟るのは、かなり後であったが、このときは何をどうしたらよいのか、私の理性と感情は色々な意味で混乱していた。
「もっと、酒を持て」
「そのように召し上がっては、微行なさるのに差し支えませぬか?」
「いや、馬にかじりついてでも行く故、大事無い」
「林亮浩はなかなかに男気のある人物ですなあ。つい先日機会が御座いまして、話をいたしましたが」
「すると何か?判内侍府事は、きっぱり諦めろ、そう言いたいのだな?」
少し自分でも、目が座り気味なのがわかる。酒に酔うなど、私としては非常に珍しい事だ。飲めば飲むほど判内侍府事の言う事がまことの事であったとしても、認めたくない自分の気持ちに、嫌でも突き動かされて行く。
「ずっと、ずっと好きなのだぞ。誰よりも。気持だけなら、あの男にだって負けぬ。それなのに……」
「ならば、御決断あそばしませ」
「うん。決めた。行くぞ。馬引け」
後にも先にも、私が酒の匂いをぷんぷんさせて馬に乗ったのは、この夜だけだった。
「久しぶりだが、息災か? 手紙を見て、いてもたってもいられない気分だった。その割には来たのが随分遅いがな……スルギ、許せ」
あつかましくも真夜中の女の一人住まいに、上がりこんでしまう。そう、酒の力でも借りないととても言いたい事が言えず、思いのたけをぶつける事が出来ない……そう感じていた。だが、私の体はそんな偽善者ぶった言い訳とは別に、卑しい本性をむき出しにし始めてた。
「まあ、妓楼にでもお出かけでしたか? それともどこぞで宴会でも? 」
私よりは随分と年下なのに、まるで出来の悪い弟をたしなめる様な、そんな口調だ。
「お前が居ないのに、飲んでも大して美味くない。近頃顔を見ておらぬので、寂しくてならなかった」
「御正室や御側室がおいででしょうに」
「居るには居るが、別に、義理や付き合いでそう言う仲になっただけの事。幼馴染であった最初の正室を亡くしてからは、どの女にも心を許せないのだ……すまない、本当にすまない」
すまないと言いながら、実に怪しからん暴挙に打って出た。だが、私なりに必死であったのも確かだった。狭い部屋の中で、思い切りスルギに抱きついてしまったのだ。スルギが逃げる気なら、私の手をねじ上げるなり、ひっぱたくなり、出来るだろうに……しない。それをよいことに、私はますます付け上がった行為を始めている。
「謝らないで下さい」
「イヤなら、私を突き倒して、頬を打て」
しなやかで芳しいスルギの体の感触に、うっとりして、思わず頬ずりをしてしまう。夢の中で勝手に妄想していたより、もっと骨が細く、いかにも年頃の乙女という感じがする。柔らかな肌にヒゲの有る顔を押し付けられては、迷惑千万だろうに……頬を打てと言って置きながら、恐らくは打たれないであろう事を心のどこかで信じていたのだ。