希望の光・4
夜には確実に降るだろう。そんな空の色だった。
「判内侍府事、例の場所へ使いを頼む」
私はスルギに手紙を書いた。と言っても晩唐の詩人・李商隠の『夜雨北に寄せる』の後半を書いただけだが。
「何か当に 更に西窓の燭を剪り 却つて話らん 巴山 夜雨の時なるべし」
あの西向きの窓べでお前と二人きり、夜更けまで灯心を切りつつ語りあえるのは、一体いつだろうか。その時こそ巴山に雨が降る今の私の心を語りあえるのだが……と言ったところか。元の詩は、夫が妻に情愛を込めて囁くと言った内容で、気恥ずかしくは有るが、あの邸の窓辺でじっと手を取り合っていた時の気分を思い返して書いた。そしてそこに、物思いに耽る男の後姿を書き添えた。
「雨が酷くなるかもしれんな。返事は貰わなくて良いぞ」
返事を待つために使いの男がスルギの家で雨宿りする事に成るのも、なにやらイヤだったのだ。
深夜になって、小さな梅の花が沢山組み合わさった意匠の愛らしい書類包みが届けられた。判内侍府事の付けてきた説明書きによると、スルギ自身が「心を込めて縫った」と言っていたらしい。
「来年こそは、一緒に梅が見たい」
まだこの時は、その希望が実現可能かどうか丸で見当がつかなかった。
翌日、宮中は朝から騒然としていた。
「何卒御賢察下されませ」
宮廷の爺連中はまた一斉に大合唱だ。今度は何をしろと言うのかと思えば……
「この『高南君逸話集』なる悪書を焼却し、読んだ者を罰し、作者をとらえて晒し首になさって下さい」
馬鹿め、有り得ぬわ。晒し首にしたいのはお前らの方だとは思ったが、無論、そうは言えない。
騒いでいる連中の女房子供だとて、皆この本は読んでいるだろうに。無性に腹が立って言ってやった。
「この作者の話は面白い。悪書だとそちたちは言うが、宮中の女官もそちたちの夫人や娘・息子達も、恐らく読んでおるぞ。まあ、良く確かめてみよ」
王自らが読んだと言っているだけでなく、煩い連中の家族だって読んでいる。事実幾つかの確証も有る。こやつらは自分の妻や子供らの事なのに、案外わかっておらぬ。
「成弘の死のいきさつが奇妙だと常々思ってきたが、この本の通りなら辻褄が合う。寡人も一冊持っているが、焼却すると言うなら差し出す。作者はともかく、読んだ者まで罰してはならん。作者が誰か丸でわからぬのだから、まずお前たちが自分で探せ。後の処分はそれからだ。そちたちが潔白なら、成弘の死の真相を皆の納得いくように明らかにして見せよ。さもなくば、寡人も多くの読者同様、その『高南君』の言葉が真実に迫っているのだとつい、思ってしまう。もう読んだ故、寡人の分はそちたちに渡そう」
連中は静かになったが……スルギをかえって危険な目に逢わせる事になったのかもしれない。
その翌日、珍しく、いや、初めてスルギの方から手紙が来た。急ぎの用事だと言うので慌てた。どうやら、スルギの留守に何者かに家探しをされて、部屋中ひっくり返されていたらしい。
「連日、不逞の輩に見張られております。梅里様もくれぐれも御用心なさって下さい。取り急ぎ要件のみにて失礼いたします」
相変わらず官吏か学者の様な書きぶりの手紙だった。だが、初めて文を貰えたのは実に嬉しかった。確かに、緊急事態では有るのだが。
「さて、どこにかくまうべきかな。都を離れて、母親のいる山の寺に行かせるのが良いかもしれん」
「ですが、尼僧では不逞の輩からあの方を護る事など出来ましょうか? お手元にお引取り遊ばせば宜しゅうございましょう。何も、後宮である必要はございません。あの方は学問も武芸もなまじの男よりよほどお出来になるのですから……内侍府でもお引き受けできそうです」
「今の後宮は恐ろし過ぎる故な……だが、そうなると、私はスルギに王だと明かさねばならなくなる」
「どのみち、すでにあの方はお分かりなのではございますまいか?」
「やはり、そうかな」
「左様でございましょう。あの『高南君逸話集』の作者でいらっしゃるのですから、もう、はっきりお分かりではないかと推察しますが」
「そ、そういうものだろうかな……」
「あるいは林亮浩と夫婦となり、清国辺りに行ってしまわれるようにお勧めになるとか」
「な、何? 清?」
「はあ。あの方も林亮浩も、清の言葉に堪能だそうです」
私はその事を全く知らなかったので、衝撃を受けた。
「私は清の言葉の事などまるで知らなかったぞ」
「さようでございますか、とうの昔に御存知だとばかり思っておりました。あの亮浩という男、腕も立ちますし、あの方が共に旅をなさっても安全でしょう」
「判内侍府事、何が言いたい」
「その、一体全体どうなさるのか、そろそろお決めになるべき潮時かと」
「判内侍府事としては、あの男と夫婦にすべきだと、そう考えているのか」
スルギを清にやるなど耐えられない。そうなれば、永遠に会えないだろう。それに、林亮浩の妻となるのをただ見守っているのも難しい。私の意識と感情は、その問題に関してずっと堂々巡りを繰り返してきたが、終わりにすべき時が来たのだ。好むと好まざるとに関わらず。
誤字訂正しました。すみません




