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友として・6

「ゆっくり話がしたいのだが、良いだろうか?」


 こう切り出すのも心の臓が口から飛び出すかと思うほど緊張した。

 店を終えた後で、疲れているだろうから断られても致し方ないとは思っていたが……案に相違してスルギはあっさりついて来てくれた。並々でない武術のたしなみが有る所為か、私を『不逞の輩』とは異なる存在だと思ってくれているからなのか、あるいは……異世界での前世の記憶を持つ者同士の親近感なのか、あるいはその全てであるからなのか、良くは分からない。


「知人の邸」だと言って連れ出したのは判内侍府事の小ぶりな別邸だ。東の市場のすぐそばなので、スルギとの繋ぎを付けるのに好都合な場所だ。一見簡素なつくりだが、かなりの財物を費やして建てられたと見るものが見れば判る。そんな邸だ。庭には私が好む梅の花が咲き始めていた。


「これより大きなお邸は数々有りましょうが、ここは小ぶりでも風雅な良く出来た建物ですね。この丸い窓から、ちょうど一番枝振りの良い梅が見えるようになっているなんて、実に気が利いてます」


 最初はこんな当たり障りの無い話をしていたのだが、段々この国の未来とか政治的な話になってきた。女性と話をしてこんな具合になるのは初めてのことだが、スルギはこの国の行く末が心配だと大真面目に言った。


「どうしてこの国の官吏は、出身地や血縁関係ごとに固まって徒党を組み派閥を作り、他の派閥を蹴落とす事ばかり考えているのでしょうね。天主教の布教や商売を隠れ蓑に、領土を獲得しようと血眼になっている西洋人たちに目を付けられたら、今の我が国ではひとたまりもないでしょうに」

「我が国は貧しいから、西洋人からしたら旨味は少ないとは思うがな」

「確かに禿山が無秩序に広がり、例年水害に見舞われ、春先には必ず餓死者が多数出ると言う国柄ですが、港を開き、更に別の土地を物色するための足ががりには使われるかと思います。それに、朝廷の不逞の輩は内密に条件の良い場所に『隠田』を相当持っておりますし、勝手に開発された鉱山からそれなりに銀も出るようですから、一般的にこの国全体の富と信じられている物より三割から四割は多いのではないかとも思われますが……」


 こうまではっきり自分の治める国が貧しい事を指摘された事もなかったし、『隠田』や勝手な鉱山開発の話は初耳だった。


「やはり、八道全域の細かい測量が必要でしょうね。測量を現実に行うにしても……恐らく方々で土地の有力者や『隠田』を持つ朝廷の不逞の輩の養う私兵などが、ひどい妨害工作を働くでしょうが……」


 スルギはため息をついた。


「どうした?」

「この国はボロボロですね。まともな事を言ったりやろうとすると、誰かに足を引っ張られて、気が付くと牢屋行きと言う事も珍しくないですし……こんな国に見切りをつけて、さっさと、どこかもっと自由に暮らせる異国にでも逃げ出した方が賢いんでしょうが……殊にこの国の女は弱い立場ですから……でもなぜか……この国を捨てがたいのです」


 おもわずスルギの肩をつかんで「それはならん」と言いそうになったが、私の一方的な思いでスルギを煩わせることになるのだと思いなおし、ぐっとこらえた。ともかくも当分は国内に留まってくれそうだ。


「あの前世の異世界では、女の地位はもっと高く、身分の違いなどと言うものも殆ど無かったかな?」

「ええ。そうです。少なくとも女が政治に関して自分の意見を言ったからって、罰を受けたりしません」

「男も女もかなり長い間、皆学問をするのだったよなあ」


 そう、最低でも九年、十六年ほど学ぶものも珍しく無い。


「はい。そうです」

「スルギは前世に学んだ事を、覚えているか?」

「おおよそすべて、覚えています。あちらの世界は、色々と面白い読み物が有りましたが、こちらの世界はさっぱりですから、つまらなく感じます。まあ、漢籍をひっくり返すのも悪くは無いんですが」

「漢籍はどの程度読んでいる?」

「十三経に分類されるものは、おおよそでしょうか」


 儒学の書物であっても、四書五経を上回るそのような書物は、あまりこの国では読まれていない筈だ。


「四書五経、ではなくてか?」

「五経を学ぶ前段階として四書、っていうのは朱熹の提唱にすぎないわけでして、朱子学が国教のこの国ではそれ以外の選択肢は無いって感じでしょうけど……朱熹が切り捨ててしまった部分の方に私は興味が持てました」


 朱熹と言う呼び方は、確かにスルギ以外この国では誰もしないだろう。


「ほおお……そういう事は考えたことも無かった」

「朱子学なんて、儒学のほんの一部じゃないですか。前世では科挙で出題されないであろう古い時代のもの、朱熹が無視したものの方に興味が有りましたね。まあ朱熹って人は社倉を設けて難民の救済を行ったりもしてますが、この国の役人はそれを見習おうとはしませんね。朱子学は身分制度とか君子の権限を重視しますから、仏教の弊害を排除するのに具合がよかったのでしょう。でも、今の状況を見ると、朱子学が国教というのは、あまり感心しません。今更仕方ないんでしょうが」


 朱子学こそが儒学そのものと信じているような連中が聞けば腰を抜かしそうな言葉だが、深い学識が有るからこそ導き出される意見だろう。



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