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友として・4

「やはり、そなたは……友人としなければならないのかもしれないな」


 男女の仲になる事を慎んでほしい。そう言う遠回しな牽制なのかもしれないと、私は感じた。


「だが、それならば、なぜ……この栞をくれたのだ?」


 スルギの手作りだろう。梅の花型の赤い絹地で作った栞には、ほのかに香をたきしめて有る。心惹かれる、どこか懐かしく優しい香りだ。両手のひらでそっと包み込み、思うさまその香りを吸い込んだ。

 もしかして……スルギ自身も自覚しない内に、私に対する何がしかの感情が育ちつつあるのかも知れない。そんな期待を抱かせるには十分な、魅力的な香りだった。


「我慢強く待つしか無いのかもしれない」


 先ほど洪敬徳に釘を刺されたくせに、その言葉の妥当性も認めたくせに、私の感情は一向に納得していないのだ。実にもって全く……我がままな子供と大差無いのだった。


 その夜私は夢を見た。スルギを組み伏せ、思うさま嬲り抜き責め立てている夢だ。何とも賤しげな腰つきと、スルギの苦悶する表情が意味するものは、明らかだった。


「スルギ! スルギーっ!」


 おのれの発した叫び声で、目が覚めた。心の臓が早鐘の様に打ち、ひどく喉が渇いた。


「いかが遊ばしましたか?」


 判内侍府事の声だ。今夜の宿直とのいを務めていたものらしい。


「水をくれ」


 明かりをともし、すぐに水を持って来たこの内侍府の長に、私は問いたださずにはおれなかった。


「寡人は先ほど、何を叫んでいた?」

「……」

「答えよ。何を叫んでいた?」

「あの……女主人の名を呼んでおいでであったかと……」


 私は拳を床に打ち付けた。全く、もう、何という……賤しい自分が許せなかった。


「……かの人を、やはり後宮にお召しになりませんか?」

「ならん。それはならんぞ、判内侍府事! 絶対にならん!」


 海千山千と言われた老いた内侍府の長は、奇妙な生き物でも見る様な眼差しで、幾度も同じことを繰り返す私の顔を見つめていた。



 そのような事が有ってからしばらくして、スルギも母も免賤された。官婢身分からの解放に加えて、完全に士大夫としての身分も回復させたのだ。さすがに父の死後追贈された正三品に戻すのは適わなかったが……


「あの方の母君は正式に得度を受けて尼となられたようです」


 頼みもしないのに判内侍府事はスルギの母が尼になった事を、私に伝えた。あの、夜中の叫び声を聞かれて以来、恐らくは色々気にかけてスルギの事を調べているのだろう。


「そうか。得度にもまとまった金品が必要だと聞くが、免賤のために使わずに済んだだけ、願いを適える事が予定よりは早まったかな」

「左様でございましょう」


 私の出した手紙に絵と漢詩の一部を書き添えて寄越した以外に、スルギからは何の便りも無い。どうやらそのような独り言を私は無意識に口走り、判内侍府事の耳に届いていたようだった。


 私の出生以来ずっと付き添い、私が東宮になると内侍府の長に納まり、私のためなら『いかなる事でも』してのけるこの年老いた宦官は、私の傍にいても完全に存在感を消せる特技の持ち主なのだ。

 最近になって、こやつが私のためと信じてやってのけた恐ろしい犯罪の数々について気づいてしまったが、こやつが私の忠臣であるのは否定できない事実だ。幼い日に男の証を断ち、宦官として生きてきたこの男にとって、私と言う主は存在意義そのものになっているのだろう。「私は身も心も主上殿下に奉げております」と言うこやつの口癖は恐らくは全くの真実であって、それが有り難くもあり、時折恐ろしくも感じる。

 

「恐れながら……あの方からこちらに連絡をつける方法を、お定めになっておられぬのではないかと」


 確かにそうなのだった。市井の民の立場の人間が、身分を明らかにしないで微行する王に連絡の取りようも無いのは当然だった。


「では、連絡先を決めたいものだなあ……目立っては困るし、後宮の連中に知られたくはないし……」

「お任せ下さいましたなら、何とか致しましょう」

「これを……スルギに渡してほしい」


 渡した手紙は、士大夫の男が酒に酔って不貞寝している後姿を墨で描き、「きっと忘れられているな」という言葉だけを書き添えたものだった。それに清国渡りの紅絲硯という赤い独特の色合いの良い硯と出来の良い筆を数本、さらに上質の紙をまとめて一緒に持たせた。


 その日の夕方、返事が戻ってきた。



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