完治
「誰が幸せにしてやるんだ?」
気が合うなんて思ったことは1度もない、幼なじみで同級生のヤツが言った。
何言ってるのコイツ。
そんなの私に決まってるじゃない!!!
あの子を幸せにするのは私達『家族』なんだから!!
「その服水嶋くんを落とした時のでしょ?随分気合いが入ってるみたいじゃない。」
イケメンなのにおねえ言葉で藍の髪を弄っているのは藍が行きつけの美容室のチーフ枝川学。
「赤は負けない自分を作る色」だと考える藍にとって、シャネルの真っ赤なスーツは藍のここ一番の勝負服。
現在の恋人である水嶋と恋人同士になったときもこれを着ていた。
その日も今日のように枝川にセットしてを依頼した。
ただしあの時身に着けていたアクセサリーはもっと控えめなやつだった。
今日の藍はデザインはシックだが、イヤリングもチョーカータイプのネックレスも上品さを損なわない範囲で大振りで服と合わせるとかなりの存在感を与える。
この美容室に行く前にネイルサロンも寄った藍の指先にはラインストーンが光っている。
今丁度最後のロッドが外され仕上がった髪型の全体が鏡に映し出されている。
けれども藍の表情は硬い。
「ねぇ、もっとこうオーラが出てます。って感じにして欲しいんだけど。」
「えっ?」
「いや三浦さん素のままでも十分オーラ出てますよ。」
藍の言いように驚いたのは枝川。
その隣りでロッドを片づけていた見習いの成田美幸がこれ以上派手にしてどうしたいの?と遠まわしに言ってきた。
「ん~。藍ちゃんの場合あんまりやり過ぎるとうるさいくらい派手になっちゃうから・・・こっちの半分だけゴールド系のヘヤスプレーしてみる?そんなにしっかり髪が金色になっちゃうわけじゃなくて、光の加減で少しキラキラって鳴る程度に軽くする感じで、それでオーラどう?」
「それって立ち位置とか関係する?」
光るスプレーなら光らないと意味がないのでは?と思う反面さすがに今日の藍は立ち位置は気にしてられない。
「外だと影響すだろうけど、室内で照明が所々にあるようならちょっと首傾げたりして髪が揺れると行けるはず。」
「なーる!」
枝川の考えるオーラに納得がいった藍は早速実行を願い出た。
「それやって!!」
数十分後、完全無欠の「三浦藍」が完成した。
神部さんごめんなさい。
貴女にはなんの恨みもないけど、今日恭輔とは、きっちり綺麗に別れてもらいます。
目的の喫茶店に着いた藍は一人であることを店員に告げていると、窓際に座る神部彩加をサングラス越しに確認した。
恭輔はまだいない。
窓際の席はどれも窓に対して横向きなっているから好都合と口の端だけで笑い、彩加の前方の座席を指して「あの窓際いいかしら?」と店員に問いかけた。
土曜日の昼前、店内に客は数人しかおらず、一人のものが多い。
音楽を聞いている者、パソコンをいじっている仕事をしているらしき者、携帯をいじっている者、コーヒーやちょっとした軽食をテーブル置いたまま、皆が自分の時間に没頭しているようだった。
その中で彩加だけは連れがいることを伝えてあるのかまだ何も頼んでいないようでテーブルには水滴のまとわりついた水の入ったグラスがあるだけだった。
服装も以前佐伯家で見かけたときの華やかのものではなくベージュのカーディガンに紺のスカートとシックに落ち着いたものだった。
「私傷ついてます。」って演出かしら?
心の中で毒を吐きながら、恭輔に見つからないようにと彩加のいるテーブルに背を向けるようにして座りコーヒーを注文した。
サングラスを外し、店の入り口のある左側の顔が髪で隠れるようにしてバックの中から取り出した文庫本を読む真似をしながら扉の気配に意識を集中した。
「お待たせしました」と店員が藍のテーブルにコーヒーを置いた時扉が動いた。
誰かが入店したようでその人物は彩加の席に向かっているようだった。
藍は横目でちらりと確認するとそれは期待通り恭輔だった。
視線を感じ取られたらマズいとも思ったが、幸い藍のテーブルにコーヒーを持って来ていた店員がカウンターに戻る時だったので、丁度壁となり恭輔に気づかれることはなかった。
そして恭輔は藍と背中合わせに座った。
「・・・結婚て、二股とかだったの?」
恭輔が席に着き二人が注文したものがテーブルに置かれた後、やっと彩加が口をきいた。
「いや」
「なにそれ?」
恭輔の即答に納得が行かない彩加。
藍の心はどこまでも冷静で、二人の会話の奥にある心理状態を感じていた。
「急に決めたから」
「誰?知ってる人。」
「神部には関係ないヤツ」
「ひどい男」
「そうだな。」
「結婚相手が可哀そう。」
「かもな。」
「どういう人なのかくらい話してくれもいいんじゃない。聞いたからって何かするつもりはないわ。」
「そんなことは分かってる。」
「だったら。」
藍は口元だけで笑っていた。
恭輔の決心が固いということがよく分かる。
そして恭輔が結婚すると決めた相手が千晴だということを現時点では誰にも知らせるつもりはないのだということも。
そうでないと、彩加との別れ話に千晴が巻き込まれる。
藍が今ここにいることが同じ理由だからだ。
一方の彩加は恭輔の心の隙がどこかにないか、彷徨っているようだった。
恭輔の心に自分が入りこむ隙がまだ残ってはいないかと、一縷の望みに縋ろうともがいているようだ。
『適齢期』そんな言葉が藍の脳裏に過った。
恭輔と付き合い始めたあの頃から彼女は焦っていたのかもしれない。
確信はないが藍はふとそう思った。
そして、千晴がずっと感じてきた焦りと比べれば大したことではないとも思った。
だから
藍はここで決めてもらおうと思い立ち上がった。
「そういうわけにはいかないのよ。ごめんさいね~」
赤いスーツに大振りなイヤリングとネックレス。
小首を傾げた仕草で髪が揺れ光が跳ぶ。
恭輔の方に置かれた指先がネイルで華やかに彩られた藍が不敵な笑みを浮かべて現れた。
「藍!」
「この人なの?」
「あっ私?この男とは同級生という以外全然無関係ですから。」
「それじゃあ貴女には関係ないじゃないの。」
「だったらもう終わりにしてくれないかな~。」
「バカにしてるの?」
「どうとってくれてもいいけどさぁ。恭輔が貴女の所に戻る気がないってことは分かってるわよね。」
あくまでも冷静な態度を崩さない彩加に最後通牒を付きつける。
彩加の表情が歪み、唇が震える。
強い視線で彩加を見つめる藍。
自分を追い払うためにと睨みつけてくるわけでもない藍の視線に彩加は少なからず脅威と感じた。
だかそれを認めてくないと思った時に手が動いた。
彩加はまだコーヒーが残っているカップを持ち藍と恭輔に向かって中身をぶちまけた。
「バカにして!」
そう言って立ち上がる彩加にこれ以上恭輔への未練も藍への戦意がないだろうと藍は思った。
足早に彩加は店を出て行った。
「バイバ~イ。」
店内にいる全ての人達を視線を浴びているにも関わらず、小馬鹿にしたように藍が手を振る。
「お前なぁ。一応会社の同僚なんだぞ。」
「じゃあ恭輔来週からいじめられちゃうね。わぁたあいへん。」
気を利かせた店員がお絞りを二人に渡した。
口にはしなかったがこのくらいのシミで済むならと藍も恭輔も思っていた。
「なんでここが分かった。」
唯一の恭輔の素朴な疑問だった。
「何のために金曜日にみんなで飲んでると思ってるのよ。」
恭輔は藍との同級生の友人が彼女とケンカしたから仲直りのきっかけになるようにみんなで飲み会をして欲しいと言われて行ったことを思い出した。
大方あのバカ騒ぎの中でジャケットに入れっぱなしの携帯をチェックしたのだろうと気づいた。
その同級生と彼女を最初に摂り持ったのが藍だから、恭輔の携帯をチェックする隙を作りたいと相談すればそれなりに協力はしてくれることは容易く想像できる。
コーヒーを清算し、騒ぎを起こしたことを詫びて店を出た二人だったが、用は済んだとばかりに一言も口をきいていない。
それでも藍は感じていた。
いつの日か千晴の元に嵐が来ると。
その嵐の全てから藍は千晴を守るつもりでいる。
だが、もしも藍では千晴を守れないような嵐が来た時。
佐伯恭輔という男は恋人や夫という立場を超えて、千晴を守ってくれる存在だと藍は理解していた。
嵐が来る。
かつて藍の元へ来た嵐よりも強くて激しい嵐が、迫っている。