第14章 「恋も魔法も制御不能!」
放課後の教室。
七年ぶりに再会した彼は、私の目の前で、「腹が減った」と言い放った。
――この、男は。
七年間、私がどれだけ心配して、どれだけ会いたくて、どれだけ「この日」のために練習してきたか、知らないで。
「……は?」
「“弁当”。約束だろ」
彼は、あの、七年前に見た、最高に意地悪な顔で笑った。
私は、さっきまでの涙も引っ込むほどの怒り(という名の照れ隠し)で、顔がカッと熱くなるのを感じた。
「…………」
「……ミリア?」
私は何も言わず、教卓の陰に置いていた、大きな保冷バッグを掴んだ。
そして、ドンッ!と音を立てて、教卓の上に、三段重ねの重箱を叩きつけた。
「……え」
今度は、リオが固まる番だった。
彼の無表情(を装った顔)が、わずかに引きつっているのがわかる。
「……なんだ、これ」
「見ればわかるでしょ。……“お弁当”よ」
ふふん。
驚いたか、馬鹿。
七年間、私がただ待ってただけだとでも思った?
いつあんたが「腹減った」と帰ってきてもいいように、私は料理の腕を完璧にマスターしたんだ。
あの日の、炭の卵焼きを作った私じゃない。
「……ミリア先生。これは、ちょっと、多くないか?」
「“顧問”は黙ってて。……いい? 見てなさいよ」
私は、内面の「どうだ!」というドヤ顔とは裏腹に、外面は「先生」らしい冷静な(つもりの)表情を貼り付け、重箱の一段目を開けた。
ぱかっ。
色とりどりの野菜のテリーヌ。
タコさんウインナー(七年前の彼への意趣返しだ)。
完璧な比率の煮物。
「……お前」
「まだよ」
二段目を開ける。
ふっくらと炊き上がった、梅と鮭のおにぎり。
そして、三段目。
重箱の中央に、鎮座している。
「……卵焼き……」
黄金色に輝く、一切の焦げ目のない、完璧な、だし巻き卵。
――これよ!
――このために、私は七年間、卵を割り続けた!
「……どう? 私の七年間の成果。……焦げてないやつ、でしょ?」
私は、人生で一番のドヤ顔(外面は無表情)で、彼を見上げた。
リオは、三段重ねの重箱と、私を、何度も交互に見た。
そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと、笑った。
あの、文化祭の時みたいな、破壊力抜群の笑顔じゃない。
屋上で私をからかった時の、意地悪な笑顔でもない。
ただ、どうしようもなく、愛おしいものを見るような、優しい顔で。
「……ああ。……すごいな、ミリア」
彼は、そっと卵焼きに手を伸ばすと、一切れ、つまみ上げた。
「……ありがとう」
そう言って、私に微笑んだ。
ドクン!!!!
――あ。
心臓が、警鐘を鳴らした。
七年間、忘れていた感覚。
感情のリミッターが、音を立てて粉砕された。
――無理無理無理!
――その顔は反則だ!
――七年間我慢してたのに!
――好き! 好きすぎる! 無理!!
――爆発する! 今度こそ教室が吹き飛ぶレベルで爆発する!!!
「……っ、くしゅんッ!!!」
七年ぶりの、盛大なクシャミ。
顔をそらす暇もなかった。
口から放たれた紅蓮の炎が、私が七年間かけて作り上げた「完璧な重箱」に向かって、一直線に放たれた。
ゴオオオオオッ!!
目の前で、黄金色の卵焼きが、一瞬で「炭」になった。
「「…………」」
静寂。
焦げた匂いが、春の教室に充満する。
私は、口からうっすら煙を吐きながら、ゆっくりと目の前の惨状を見た。
一段目、テリーヌ(炭)。
二段目、おにぎり(炭)。
三段目、黄金の卵焼き(無残な炭)。
「……あ」
「……」
「……あああああああああっ!!」
私は、その場に崩れ落ちた。
七年間の努力が、七年ぶりの再会が、七秒で灰になった。
――私の、馬鹿……!
もう、顔も上げられない。
涙でぐちゃぐちゃだ。
“無表情”どころじゃない。
その時。
カリッ、と小さな音がした。
恐る恐る顔を上げると。
リオが、無表情で、黒焦げの卵焼き(だったもの)を、口に入れていた。
「……え」
「……」
「ちょ、何してんの!? 炭! それ炭だよ!」
「……ああ」
彼は、私の制止を無視して、その炭を飲み込んだ。
そして、私の前にしゃがみ込むと、涙で濡れた私の頬を、大きな手で包み込んだ。
「……美味い」
「……は?」
「……やっと、食えた。……お前の炎の味がする」
その目が、あまりにも真剣で。
「……七年間、ずっと、これが食いたかった」
「……っ」
「……ああ、いや、違うな」
彼は、ふ、と笑った。
「七年間、ずっと、お前が好きだった」
――ああ。
涙が、また溢れてきた。
でも、今度は、悲しい涙じゃない。
七年間、ずっと聞きたかった言葉。
「……私の炎、大丈夫だったの」
「ドラゴンだからな。平気だ」
彼は、私の頬に残った涙を、指でそっと拭った。
「……ミリア。俺も、お前が好きだ。……だから、もう、俺の前で、その炎を我慢するな」
その言葉で、私は、本当に救われた気がした。
もう、火を吹くことは怖くない。
感情を殺さなくてもいい。
これが、「好き」の証拠なんだから。
これが、私の「成長」なんだから。
「……うん。……うん……!」
私は、炭で真っ黒になった彼の手を、力いっぱい握り返した。
エピローグ
あの日と同じ、屋上。
夕陽が、私と、隣に立つ彼の横顔を照らしている。
遠くからは、新入生たちの部活動の声が聞こえて、学園は、優しくて、温かい日常に包まれていた。
「……しかし、ひどい弁当だったな」
「……っ、うるさい! あんたが変な顔するからでしょ!」
私たちは、フェンスに寄りかかって、他愛もない話をしていた。
「……ねえ、リオ」
「なんだ」
「……火傷、残っちゃった」
私は、自分の左手を見つめた。
あの日、彼の炎に触れた指先に残った、小さな、小さな火傷の痕。
リオは、何も言わずに、その私の左手を取った。
そして、その火傷の痕に、自分の唇を、そっと押し当てた。
「……!」
「……お守りだ」
彼が、照れくさそうに呟く。
「……お前が、俺を繋ぎ止めてくれた、印だ。……だから、これは、俺の」
「……うん」
熱い。
火を吹くのとは違う、胸の奥が、じんわりと温かくなる熱。
私たちは、黙って、沈んでいく夕陽を見ていた。
――あの頃の火傷は、今では幸せの印。
夕陽が、私たちの二つの影を、長く、長く地面に伸ばしていく。
寄り添う二つの影。
その背中には、まるで、巨大なドラゴンの翼が生えているように見えた。
(第14章・完)




