一章〜非望〜 六百一話 執着心と変えづらい関係
確かに、誰かを押し退けてまで何かを得たいという程の強い執着なんて感じた事は無いとアレルは思う。ただ、それもあくまで自身が覚えている範囲の話で、失ってしまった記憶の範囲ではどうなのか判らない。
──この嘘つき野郎ッ! お前なんか、死んじまえッ!
しかし、そんな失った記憶の中で唯一残り続けるその言葉が、アレルに自らの執着が他者の様々なものを壊してしまうのではないかという恐れを抱かせ続ける。
きっと、大切な存在のはずだった。なのに、自らの死を望まれる程に自身はその言葉を吐いた誰かを傷付けてしまったのだろう。いや、きっとそんな言葉を吐いた誰かも、そんな言葉を吐いたせいで自分自身を傷付けているかもしれない。
それなのに、もう償う事すらも出来ない現状に、アレルは自責の念を強めてしまう。だからこそ、アレルは余計に考えてしまう。最早、自身は何一つ望まない方が良いのではないかと。
そして現在、アレルには自身でも判別が上手く出来ない感情を抱えている。願望なのか、それとも執着と呼ぶべきものなのか······記憶のないアレルには、過去の経験と比較してその判別出来ない感情の名前を知るという事が出来ない。
それでも、今はそんな自身なんかよりも大切な存在が傍にいる。アリシアに瑠璃、それにメリルやミリアだって今のアレルを支える大切な拠り所だ。
ただ、そんな拠り所ともいつかは別れなければならないと、アレルはそのいつか必ず訪れる喪失感に備えて一定の所で線引きをしてしまっている。アリシア達とは公国まで、瑠璃とは別れた仲間と再会させられるまで、それが取り敢えずの約束のはずだった。
だがしかし、そんな約束を反故にしてしまってでも、その先もまだ共にいたいという感情もアレルは自らの中に感じている。それを執着というのであれば、それは正しく執着なのだろうとアレルは考える。
「執着も······無い訳ではないんだけどな」
「そうなんですか?」
「ああ······まあ、それも本当に執着かどうかはまだ解らないんだけどな」
アレルは、相槌を入れてきたミゲルに自身の戸惑いを漏らす。しかし、ミゲルは特にそれには言及する事なく、視線をアレルから外す。
「それでも、無いよりはマシです。私も、あの頃はただこのまま死にたくはないと、生への執着だけで生き延びましたから。······その為に、人には話せない事も色々としましたが」
「······それが良いとは一概に言えないけど、今のミゲルをミゲル自身が肯定出来ているなら、その時の後悔なんかもミゲルの糧になっているって事なんじゃないか?」
「肯定出来れば······そうですね」
ミゲルは、アレルの一言に応えると瞑目して静かに頷く。
それに、アレルは不意に何やら哲学的な事を口走った気がすると、この場の空気に流された事を僅かに後悔する。ただ、いい加減部屋へ行かないとアリシアがそろそろ心配するんじゃないかとアレルは思う。
「なあミゲル、そろそろ──」
「では、最後に一つだけ良いですか?」
「──へ、······ああ」
部屋へと、そう口にしようとしたアレルだったが、ミゲルがその前にと言うので先を譲る事にした。
「奪う奪われるの関係は、一度そうなってしまえばそう変わる事はありません。アレル様も、執着が無いからと他者へ譲ってばかりでは、奪われるだけの人生になってしまいますよ」
「ああ······肝に銘じておくよ」
「······そうですか、ではお部屋へ案内します」
アレルの返事に、どこか満足そうな反応を示したミゲルはそう言ってアレルの前を歩き始める。
しかし、アレルはそんな事を口にしておきながら、奪われるから奪う側に回るなんて本当に良いのだろうかと思ってしまう。但し、過酷な環境で生きてきたミゲルにとってはそれが真理だという事も理解出来るので、自身のただの綺麗事にしか聞こえない考えなんて口には出来ない。それでも、いつかはミゲルの様な生き方しか出来なかった人にも、綺麗事だなんて切り捨てられない考えを口に出来る様に考え続けなければいけないなとアレルは思う。
ただ、今は申し訳ないけれどそれについて考えていられる様な余裕はアレルには無い。それ故に、その事についてアレルは自身の胸の内の深い所にしまっておく事にした。
先を歩くミゲルを追い、アレルはカウンター前を通り二階への階段を上がる。
宿の造りは、長方形の全形に敷地内を塀で囲っているもので、宿の裏手の敷地には倉庫や馬房などがあるみたいだった。それから、宿の正面はやや南西の方角を向いており、二階の背面側が客室となっている為に全室に朝日が入る形になっている。一階には客室が無く、厨房などの設備がほとんどだと、アレルは歩きながらミゲルに説明される。
そうして、二階へと上がったアレルは何部屋か通り過ぎた後で足を止めたミゲルに続き自身も足を止める。
「こちらになります」
言いながら、ミゲルは隣り合った二部屋の扉を指し示す。それから、ミゲルはこれで案内は終わりとばかりに踵を返す。
「では、私は暖炉の始末に戻ります。それと、後程お部屋へ夕食を運びますので」
「ああ、ありがとな」
頭を下げて、ミゲルは速やかに一階へと下りていってしまう。そうして、扉の前に一人残されたアレルであったが、果たしてアリシア達はどちらにいるのだろうと途方に暮れる。
さて、どうしたものかと思って不意に視線を手に持つ外套へ落とすと、アレルは胸のナイフ帯に一つ空きがあるのに気が付く。
(そういや、道中で変な輩に投げたんだったな。······明日の朝にでも補充するか)
などと、考えていたらガチャっと向かって右側にある部屋の扉が内側から開かれる。一体誰がと、アレルが様子を窺っていると開かれた扉の隙間から、そっと外の様子を警戒しつつ顔を出すフードを被ったアリシアの姿が見えた。
「ア──ンネ?」
「あっ、アレル! もうっ、どこに行ってたの? 私、ルリちゃんから聞いたんだから、アレルが少し前に宿から出ていったって」
──主様、申し訳ありません。ルリは、てっきり何かの緊急事態かと思って······。
むくれるアリシアとは違って、瑠璃はそう言って自らの非を謝ってくるが、それはそもそも自身が余裕の無かったのが悪いのでアレルは精神感知で瑠璃に語り掛ける。
(ごめんな、瑠璃。あの時は、本当に焦ってて瑠璃に説明すらしてなかったから。本当に、ごめんな)
──いえ、ルリはいいんですが、そのアリシア様が心配していたので。
そのアリシアは、扉の隙間からジーッとまるで理由を話さない限り中へは入れさせないと言わんばかりにアレルを睨んでくる。それに、部屋の代金を支払っているのは自分なのに、随分と理不尽な事をされるもんだなとアレルは思う。
しかし、確かに心配させたなら話すのが筋だと感じて、どうにかアリシアを不安にさせない話し方を思案するのであった。




