一章〜非望〜 六百話 妥協的な諦めが意味する事
暖炉の前までやって来ると、そこには暖炉の近くに掛けられたままの外套があり、これを忘れたせいで困った事になったんだよなとアレルは手を伸ばす。すると、外に出ていた自身とは違って既にほとんど乾いていた。
「それで、先程は一体どうしたんですか?」
そこへ、ミゲルが置いてあった椅子をアレルへ勧めながら訊ねてくる。それを、アレルは立ったままで良いと手振りだけで断るも、ミゲルはどうぞと再び念押しをしてくるので仕方なくアレルは椅子に座る。
「······本来なら、黄羽根の私から訊ける様な話ではないんですが」
「いや、ふざけんなよ。人に対する無礼を働いたのは俺だ······だから、その理由を訊くのはミゲルの人としての権利だろ? 羽根の色だとか、その他諸々なんて関係ない」
そう言うと、ミゲルは口角を僅かに上げながらアレルに頭を下げてくる。
「申し訳ありません。この期に及んで、あなたを試してしまいました」
「お前なあ······まあ、良いや」
ミゲルの出身や経緯を踏まえて、そんな風になるのも無理ないかとアレルはそんなミゲルの行いを水に流す。そして、アレルはこのまま理由を話した方が話が早いなと思い、続けて先程宿を飛び出した理由を話す。
「それで、さっきの事なんだけど、あの時ハウザー家の話をしていただろ? それがいたんだよ、門兵に扮して街の東門にさ」
「それは!? あ、あの、現当主がてすか?」
「ああ、それも本名を名乗っていたのにも関わらず、自分は家の次男だとか抜かしやがって······その辺、問い質したくて門に急いだんだけど、既に街から離れた後だったんだ」
アレルの説明に、ミゲルは驚きつつも成る程と納得した様子を見せる。
「······それで、どうされたんですか?」
「別に何も······残っていたら、意味のない嘘をついた理由ぐらいは吐かせたのにな」
それは、ただの虚勢だ。こちらは何一つ確証を得られていないのに、向こうには知りたい情報を渡してしまった可能性がある。
それに、今にして思えばクライドの嘘に気付けなかった事で、ルクスタニア国内の情勢に疎い事まで伝わってしまっている。そうなると、最後の助言は今後必ずセドリックを追いつかせる気はあるが、アレルのあまりの負けっぷりに同情して多少の勝ち目を与えてやろうという慈悲にすら思えてくる。
そこに気付いたアレルは、冷静になって頭が回る様になったのは良いが、今度は沸々と馬鹿にされた事に対する怒りが湧いてくる。
「······しかし、一体どんな考えでこの街で待ち伏せしていたんでしょうね? お客様が、この街に立ち寄る確証なんてないはずなのに」
「ああ、そこは俺も気になっているんだ」
東門での待ち伏せに関しては、シープヒルから西に向かっているのが判ればある程度の予測が出来るのでそれ程不思議ではない。しかし、アレルがミッテドゥルムへ立ち寄る事になったのは急な雨が直接的な原因になっている。
なので、もしもアレル達の動きを全て予測から捉えていたとすると、その予測は些か神懸かり過ぎている様な気がする。つまり、より現実的な考え方をするならば、どこからかアレル達の動きを正確に捉えた情報を得ていたと考えるのが普通で、アレルが把握している中ではそれが可能なのはクリムエーラしかない。
(直近で立ち寄ったのは、ヘッケルのハインリヒの所だ。確かに、ハインリヒは俺に対して敵意に似た嫌悪を向けていたけれど、アリシアに対しては敬意を払っていた様に感じた。······というか、こんな風に味方を疑うのは嫌だな)
ここまで、アレルが曲がりなりにもアリシア達を守れてきたのはクリムエーラの協力による所が大きい。そんな恩人に当たるクリムエーラに対して、疑いの目を向けるなんて恩を仇で返す様な真似にアレルは忌避感を感じる。
「どこかで、情報が漏れたのでしょうか?」
そこで、ミゲルが不意にそんな事を口にする。確かに、意図せず漏れたとするなら裏切り者を探すよりも幾分マシだなとアレルは感じる。
「······そんな、重要な情報を漏らす様な甘い組織じゃないだろ?」
「まあ······そうですね」
しかし、ここまでのやり取りから、クリムエーラの仕事ぶりに不満が無かった為にそれこそあり得ないとアレルはミゲルの言葉を否定する。それでも、クライドがこちらの動きをかなり正確に把握していた事は間違いない様にも思える。
ただ、無いとは思うがクリムエーラの中に情報を流している奴がいるなら、アレルはここまで世話になってる分仕方ないかとも思う。ここから先も、羽根達には世話にならなければアリシア達の安全は確保し切れないのだから、情報が漏れている可能性すら受け入れて対策を考えれば良い。
その分、アリシア達へ及ぶかもしれない危険は、自らが犠牲になってでも食い止めれば良いとアレルは覚悟する。最悪、命と引き換えならアマデウスの能力も、もう少し引き出せるだろうという多少の甘えと諦めを感じつつ、アレルは椅子から立ち上がる。
「お客様?」
「そういや、朱羽根を見せただけで名乗ってなかったよな? 俺は、アレルだ。そろそろ、服も乾いてきたし部屋へ行くよ」
声を掛けてきたミゲルに、アレルは名乗っていなかった事を思い出し、改めて名乗ってから部屋に戻ると口にしながら掛けてある外套を手にする。だが、そんなアレルにミゲルは訝しげな目を向けてくる。
「アレル様······ですか。あの、一言だけ良いでしょうか?」
「ああ」
部屋へは、ミゲルが案内すると他でもないミゲル自身が口にしていた。だから、その前にという事なのだろうとアレルは軽い気持ちで受け入れる。
でも、当のミゲルは真剣な表情でアレルに向き合ってくる。
「アレル様、失礼を承知で言いますが、あなたは自分の命を諦めてはいませんか?」
「は?」
「私は、それなりに劣悪な環境で過ごしてきた経験があります。その中で、絶望に染まった人間の表情や他者を貶めても何とも思わない人間の目なども見てきました。それで、そんな中でも一番目にする機会が多かったのが、全てを諦めた者の目です。······私も、そうでなかったとは言い切れませんが、あの者達程でないにはしろ今のアレル様の表情にも似た様な何かを感じます」
まさに、たった今それに近い覚悟をしたばかりのアレルは図星で言葉を失ってしまう。そんなアレルに、ミゲルは更に続ける。
「他者から、何かを奪おうする者の嗅覚はそういった諦めの臭いに敏感です。······あの、誰かから奪わなければ生きる事すらままならない場所では、そういった隙を見せた者からいなくなっていきます。あの場では、諦めというものは他者からの略奪を許容するのと同義です。そして、一度でも何かを奪われてしまえば、そこからは周りの認識もそういった行為を受け入れている者として全てを······命までもを奪われてしまいます。なので、アレル様もどんなに小さなものだとしても、そんな簡単に諦めないで下さい。マスターやあなたの様な人は、その性質故に他者よりもそういった執着が薄い」
ミゲルはそう言って、アレルが持っている欠陥という程ではないが、その弱みと成り得る部分を指摘してくる。その事に、アレルはそんな自らの性質について考えるのであった。




