一章〜非望〜 五百五十四話 町の明かりを目指して
昼食を終え、アリシア達が荷台に乗ったのを確認したアレルは再び馬車をヘッケルへ向けて走らせる。GPSなんて、人工衛星を介した便利な物が無いので正確な位置は判らないが、出発前に確認した地図で見るとヘッケルまでは残り四十から五十km強といった感じだった。
林と呼べる程ではない、それなりに日の差す木々の間に通る旧道を馬車で走る。午後の昼下がり、程よい日差しの暖かさと馬車が走る事で頬を撫でていく柔らかな風が心地良さを感じさせる。空腹も満たされ、腹の底からポカポカと体温が緩やかに保たれどこか眠気を誘ってくる。その上、パカラパカラと一定の拍子を刻む馬達の蹄の音、カラカラと回る車輪の音、空を飛ぶ鳥の囀りなども耳を楽しませてくる。
ふと耳を澄ますと、後ろの荷台からも幌の隙間から誰かの寝息が重なって聞こえてきて、アレルはなんだかなと思いながらも欠伸を噛み殺す。昼食後は、魔物の姿も目にする事がほとんどなく、見かけてもこちらを襲ってなどは来ない。そんな、穏やかな時間も悪くないと思いながらも、アレルは自身が寝てはいけないと気を引き締め直して馬車を走らせる。
しばらくして、偶に馬車へ近づこうとしてくる魔物をクロスボウで追い払いながら馬車を走らせていると、乱立している木々の間が狭くなり徐々に見通しが悪くなってくる。
おそらく、旧道の出口が近いのだろうと思ったアレルは、頭の中で覚えていた地図の該当箇所を思い浮かべる。旧道の出口は、ヘッケルとその南にある町とを繋ぐ道の途中に出る。つまり、旧道からその道に出た後は街道に向かい北上する事になる。ただ、旧道から出ればそこは普通の人々も行き交う道になるので、旧道から出る所を見られてはいけないとアレルは馬車の速度を落とし始める。
(瑠璃、この先の人の気配とかは判るか?)
──はい、魔物などよりは判りづらいですが、主様達以外の人の気配も何とか判ります。
(それなら、旧道の出口付近の人の気配を教えてくれないか?)
──はい、出られる所を見られて不審がられるのを防ぐんですね!
どうやら、瑠璃は既にアレルの考え方を学んでいるみたいで、そう返して説明の手間を省いてくれる。
(悪いけど、頼むな)
──はいっ、お任せ下さい!
元気な返事を返す瑠璃に、少し和みそうになったアレルだが、気を引き締めて馬車の手綱を握る。
そうして、馬車をゆっくり走らせて旧道の出口付近まで行くと、流石の黒羽根と言うべきだろうか合流する道からは見えない位置に丁度馬車を停めておける場所があった。アレルは、一旦そこで様子を窺い瑠璃からの合図で旧道から出ていく事にした。
ただ、その待機している間にアレルは荷台にいるメリルへ声を掛ける。
「イバレラ、少し良いか?」
「はい? ······あっ、はいっ! すみません、何でしょうか?」
最初、どこか惚けた返事を返してきたメリルだったが、直ぐに慌てて訊き返してくる。その反応に、少し間が悪かったかなとアレルは申し訳ない様な気がしてくる。
「悪い、寝てたか?」
「い、いえっ!? その······すみません、アレルさんの方が疲れているはずなのに」
「別に良いよ、そっちだって疲れているんだろ? それより、イバレラはそろそろ自分の荷物を纏めておいてくれないか?」
「はい、今夜は馬車から離れるからですね」
「ああ」
建前としては、瑠璃を介したやり取りに慣れておく為と言ってあるが、それに関しては既に大角牛と戦った際にある程度出来ていた。それでも、予定を変更しない事には理由も少しあって、この先不測の事態で全員がバラバラになってしまった時の訓練の様なものも兼ねての事だった。
考えうる限り、最悪はアレルを含めて一行がそれぞれ単独でバラバラになる事なのだが、その際にはアリシアを一人にする時間を極力短くしたい。それ故に、感知能力の高い瑠璃をアリシアと常に一緒にいさせる為の口実として、今夜の様な試みをアレルは行おうとしている。
正直な所、瑠璃に頼り切りな上に騙すみたいな事をして申し訳ないのだが、瑠璃がアリシアと一緒にいてくれれば取り敢えずアリシアを最初に見つける確率を上げる事が可能になる。そして、ミリアとメリルの二人の場合だが、ミリアには自衛する能力があるし、王都側にしてみれば優先度の低いメリルは落ち着いてさえいれば合流するまで逃げるだけの賢さがある。要するに、アリシアに比べればメリルとミリアに関しては時間的な余裕はあると考えられる。
すなわち、こちらで最悪なのがモタモタしている内にアリシアが王都側へ捕らえられてしまう事なので、メリルとミリアには申し訳ないが万が一が起きた際に、アリシアの身柄の確保を優先した布陣を組む為の布石が今夜なのだ。
という訳で、アリシア以外の三人には本当に申し訳ない気持ちになるアレルだったが、アリシアの無事が最低限の必須条件なのですまないと、アレルは心の中で三人に謝る。
「それと、直に日も傾いて夕刻に差し掛かる。他の二人も寝ているなら、そろそろ起こしておいてくれないか? 昼寝も、程々にしておかないと夜に眠れなくなって明朝に差し支える」
「はい、解りました」
──主様、今なら人の気配は近くにありません。
と、そこで瑠璃からの報告を受けたアレルは、手綱を握り直して馬車を進める。
そうして、旧道から一般の道へと出てきたアレルだったが、旧道の出口が一般の道へ沿うみたいに湾曲していたお陰ですんなりと紛れる事が出来た。これならば、余程近くで見てない限り少し蛇行していた様に見えるだけだろうとアレルは安堵する。
ヘッケルへの道は、相変わらず舗装などされていない土が剥き出しの道だが、それなりに均されていて思いの外走りやすい。こちらの道から見れば、林の様に見える旧道とは違って見通しも良く魔物の姿も見当たらない。その事に、アレルはヘッケルまでは何事もなく進めそうだと感じる。
頬を撫でる風が徐々にヒンヤリとしてくる中、日差しの方も段々と低くなり赤みが増してくる。そうして、見通しが悪くなる程にどこか不安を煽られる気がして、早く落ち着ける場所へと行きたくなる衝動に駆られる。
これが、所謂逢魔が刻というやつで、魔に逢いやすい時間帯なんて魔物がいる世界では洒落にすらならないとアレルは思う。ただ、そのせいか道を行き交う人々はめっきり減って、馬車の周りには人気が無くなる。ここまでになると、目が見える間に野営場所を確保したり簡易宿泊所へ駆け込む者が多いのだろう。
しかし、そんな状況でもアレルはヘッケルへ向けて馬車を走らせる。日が完全に落ち切る寸前、カッと瞬間的に眩しくなる夕日に目を細めると、瞬く間に周囲は暗闇に覆われる。今日は、ほとんど走りっぱなしである為に馬達も限界が近いはずだ。
いい加減、ヘッケルへ行くのを諦めて野営地を定めるべきなのか? アレルがそう思った瞬間、遠くにようやく町の明かりが見え始める。なので、アレルは瑠璃を通して馬達にもう少しだけ頑張ってくれと伝えると、その明かりに向かって馬車を急がせた。




