一章〜非望〜 五百五十三話 稀に緊張感が顔を出す昼食
昼食が開始されたものの、何故か速やかに食べ始めたのはアレルと瑠璃だけで、アリシア達はどこか戸惑っているみたいな様子だった。アリシアとメリルならば、冷めた物を食べるのに抵抗があるのかもしれないが、行軍の経験があるはずのミリアまでが戸惑うのがアレルには不思議に感じられた。
しまいには、バゲットをミリアがそのまま齧り始めたところで、黙って見てる事の出来なくなったアレルが待ったをかける。
「あのさ、何で誰も胡桃ペーストとレモンの蜂蜜漬けを食わないんだ?」
アレルが声を発すると、アリシア達三人の視線がアレルへと集まる。そうやって、人の注目を浴びると何故かその視線に対して緊張感を覚えるが、それぐらいで言い淀むのも変だなと思いアレルは続けて話す。
「えっと、一応どっちもバゲットに乗せたり付けたりして食べるように作っておいたんだけど······さ。あと、アヒージョもそのまま食うのも有りだと思うんだけど、飽きたらバゲットを浸して食べたりとか出来るかなと思って朝多めに作ったんだ」
「そう······なの?」
アリシアが、小首を傾げて可愛らしく訊き返す中アレルは自らバゲットを手に、立て膝で敷物の上に乗る。それから、胡桃のペーストを匙で掬ってバゲットに乗せ、続けて匙の背でバゲット上に延ばしてみせる。
「ほら、こんな感じで。特に、レモンの蜂蜜漬けなんかは疲労回復の効果も気休め程度にあるからオススメなんだけど」
アレルの記憶では、大航海時代にビタミン不足で懐血病が流行ったとかで、こぞってレモンを奪い合ったという話が残っている。その際に、圧政や侵略に対してやや非合法的な手段で対抗する為に生まれたのがマフィアの前身にあたる組織らしいのだが、まさかこっちの世界にはそんなのはいないよなとアレルは思う。
そんな事を考えていると、不意にアリシアが蜂蜜漬けの入った小さな樽を手にして、そこから薄切りにしたレモンを一枚フォークで掬う。アレルは、それをアリシアが自分で食べるのかと思い眺めていたら、アリシアはアレルの予想に反してそれをアレルへ差し出してくる。
「はい、食べて」
「へ?」
「へ? じゃなくて、私達の中で一番疲れているのはアレルでしょ? だから、アレルが最初に食べないと駄目っ」
そこで、アレルはようやく自身の失敗に気が付く。疲労回復に効果があると言えば、三人共食べると思って説明したのだが、アリシアの性格を考えればこうなる事は予想出来なくはなかった。
それでも、アレルに食べないという選択肢はない。今朝からの、わだかまりがせっかく無くなったのに、今ここで下手に断れば再び新たな軋轢を生んでしまう恐れがある。
なので、アレルは戸惑いつつも空いている方の手をアリシアが差し出すフォークへ伸ばす。
「手、汚れちゃうよ」
が、アリシアのその一言でピタリと止められてしまう。
何故だろう、魔物と相対している時よりも強い緊張を感じるとアレルは思う。こうなると、最早自らの口で薄切りのレモンを迎えに行くしかない。
そう覚悟を決めたアレルは、右に比べて僅かにフォークからはみ出ている部分の多い、向かって左側からレモンを迎えに行く。
「······どう、美味しい?」
「ああ······まあ、自分で作ったから予想通りの味しかしないけど」
と、言いつつも味なんてほとんど判らない程に、アレルは緊張してしまっている。ただ、そんな中でも皮の苦味だけはしっかりと感じるのが不思議ではあるなと思う。
(前は、餃子の時だっけか? 本当に、アリシアはこういう事を気にしないのかな······)
アレルは、平然としているアリシアを見ながらそんな事を思っていたが、いつまでも呆けているとアリシアに何か勘付かれそうだと感じる。なので、アレルは立ち上がって座っていた木箱へ戻る。
「ほら、俺も食ったんだしアンネ達も食えよ」
言いながら、アレルは木箱に腰掛けつつ手にしていた胡桃ペーストを塗ったバゲットの薄切りを齧る。それを機にしてか、アリシア達もペーストや蜂蜜漬けを食べ始める。その光景はどこか女子会の様でもあり、物珍しいものを前にして姦しくも楽しげに感想などを言い合っていた。
そうして、決して広くない荷台の中での賑やかな昼食の時間が過ぎていく。
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昼食後、いつもと同様にと言える程に当たり前みたく片付けをメリルが請け負ってくれたので、アレルは瑠璃とミリアの三人で出発までの周辺警戒にあたる。その際に、アレルは少しでも慣れておこうと騎士剣でルクスタニア流の基本的な動きを復習していく。
(長剣に比べて、少し重い感じがするな。握りの感じも、まだ違和感が残るしそれもどうにかしていかないと)
一振り一振り、周囲への警戒も忘れずにアレルは騎士剣の感覚を身体に落とし込む。本来なら、ルクスタニア流剣術古流の技を少しでも修練しておきたかったのだが、騎士剣に慣れずにそれを行うのは少々無謀な気がした。
それ故に、アレルは基礎からやっている訳なのだが、先程から馬車を挟んで逆側の警戒をしているミリアがチラチラとこちらを見ている。別に、それで集中が削がれるなんて事は無いのだが、何か良くない所があるならその場で指摘して欲しいとアレルは思う。しかし、それをミリアへ言おうとすると、ミリアは覗き見を止めてしまう。
──主様、ルリがアイツを折檻して来ましょうか?
(いや、止めとけ。瑠璃も、あまり邪険にするのは控えてやれって)
──解りました、主様がそう言うのであれば努力は致します!
などと、逆らいはしないけれど自らの意思表示だけはしっかりとしてくる瑠璃に、アレルは仕方ないなと口元を綻ばさせられてしまう。そのせいか、剣筋が僅かにブレてしまったのでアレルは騎士剣を振るのを止める。
「止めちゃうの?」
「ア、アンネ!?」
不意を突かれたアレルが声のした方を振り向くと、そこには中身が空の桶を抱えたアリシアが立っていた。その事に、アレルが戸惑っているとアリシアの方が話を振ってくる。
「今のって、ルクスタニア流の動きだよね? 私も、何度か見た事があるから判るよ」
「ああ······剣を換えたから、少しでも慣らしておこうと思ってさ」
「そうなんだ······」
言いながら、アリシアは桶を持つ右手に、まるでその右手を隠すみたいに空いている左手を重ねる。その仕草がどこか不自然で、それでもアレルにはまだ謝れていない負い目があるのでそこを問い詰める事も出来ない。
なので、アレルはそこでは話題を変える事にする他、その場の空気をどうにかする手段が見つけられなかった。
「その桶、イバレラに水を捨ててきてくれって頼まれたのか?」
「う、うん、片付けが終わったからって、それもアレルに伝えて来てって言われたから」
「じゃあ、そろそろ出発するか。時間も、余裕がある訳でもないし」
「うん、それならイバレラとクリスにも言ってくるね」
アレルの言葉を聞いて、アリシアはスタタタと桶を抱えたまま小走りでその場から離れる。その姿を見送りながら、アレルは騎士剣を鞘に納めるのであった。




