一章〜非望〜 千六十九話 判る事を頼りに
靄の中へ入ると、その視界の悪さと反響する人々の叫び声とで吐き気を感じそうになってしまう。もしかしたら、それには靄の中に漂う瘴気の影響もあるのかもしれない。
そんな中を、アレルは風詠で気配を探りながらヘルマンの捜索を行う。
阿鼻叫喚、叫び声が反響するその空間に対してそんな言葉が真っ先に思い浮かぶ。
視界も、精々数m先までしか見えない状況が続き、空気も靄に覆われてる所為なのか重苦しく呼吸がし辛い。かといって、口呼吸をすれば靄に含まれる瘴気も多く取り込む事になるので迂闊には出来ない。
そんな息苦しさを感じながらも、どこか神経を逆撫でしてきているみたいな独特な嫌悪感が終始纏わりついてくる。そんな中では、正直なところ正気を保ち続けるよりもいっその事狂ってしまった方が楽なんじゃないかとすら思えてしまう。
そんな事を感じながら、アレルはヘルマンもこんな中で幽鬼君主を追っていたのかとその苦労を慮る。
「······にしても、うるせえな」
内耳までを貫く様な叫び声に対し、あわや平衡感覚まで異常をきたすのではないかと思わされる喧しさを感じてアレルはうんざりする。
更に、そもそもこういう事態になる前にオルフェが何とかするという話ではなかったのかと苛立ちを覚えてしまう。ただ、そんな苛立ちですら靄の効果である可能性を考えると、そのまま感情的になるのは良くないとアレルは心を落ち着かせる。
しかし、そんな靄の中でそれ程奥へは行けなさそうなのに、ヘルマンの姿が中々見つけられない。すると、見える範囲で手探りにヘルマンを探す中、アレルは不意に血溜まりの中に倒れ伏す男性の姿を目にする。
「何があった!? 大丈夫か?」
叫び声が反響する中、それに負けじと声を張り上げつつアレルは男性へと駆け寄る。
しかし、近くで見ると既に血溜まりの端が固まりつつあり、出血も止まっている事から男性が事切れている事が判る。それでも、一縷の望みに賭けて男性の首筋に触れるが、やはり冷たく脈も感じられなかった。
但し、背中まで貫かれた傷跡を見ると傷口は鋭い刃物で貫かれた様であり、事切れて前に倒れたとするなら正面から身体を貫ける長剣が凶器ではないかとアレルは思う。
「······まさかとは思うけど、ヘルマンが?」
思わず口にして、それだけはあって欲しくないとアレルはその推測を追い出そうと頭を振る。それでも、靄の中には正気を保てている人間はいないし、武器を手にしていた者も群衆の中にはいなかった筈だ。
そうなると、消去法でやはり男性の命を奪ったのはヘルマンしか考えられないが、先程の靄の外まで聞こえたヘルマンの言葉から察するに幽鬼君主に嵌められた可能性が考えられる。
早く見つけないと。
そうだとするならと、アレルは改めてヘルマンとの合流を急がなければと思い、男性の遺体へ手を合わせてからその場を離れる。
あくまで仮にだが、罠に嵌まり守るべき対象を自らの手で殺させられたヘルマンは、その怒りを鎮める事が出来ずに幽鬼君主を探している筈だ。ただ、この靄の中が幽鬼君主に有利な領域だと考えると、我武者羅に探した所で徒に体力を消耗させられるだけだとアレルは思う。
しかし、如何に靄の中が幽鬼君主に有利な領域だとしても、それを形成するのは魔法や魔術の類であるならばその法則性に則らなければならないが故の弱点だってある筈だ。そう考えるアレルは、先程の外から見えた靄の一部が渦巻く瞬間を思い出し、その直後にヘルマンの叫びが聞こえた事からその変化が亡くなった男性の死がきっかけなのではないかという 考えに至る。
つまり、靄という領域を維持するのには数人の起点となる者がいて、幽鬼君主はアンドレの中に潜伏している時に予め隔壁前へと向かう人々の中の数人にそういった魔術的な印付をしていたという事になる。
そこまで考えが至ったアレルは、直ぐに風詠の感知範囲を靄全体へと拡げる。
靄の中であっても、一応は風詠による感知は機能してくれる。それでも、やはり渦中からとなると文字通り霞がかった様な感じで気配が伝わる。
それによると、他と違う気配を感じる地点が四つ──先程の男性と合わせると五人の人物が靄という領域の楔になっていると予測出来る。そこに、アレルの魔術的な知識を照らし合わせるとなると、五という数字で最初に思い浮かぶのは五芒星だ。しかし、五芒星は魔除けや守護の意味合いが強いので、呪術に用いられ破壊を意味する逆五芒星に近い何かかもしれない。
詳しくは知りようもないが、そういった配置による儀式的な力の流れを利用して幽鬼君主は靄という領域を作り出していると考えられる。その裏付けに、一角を担っていたであろう男性が倒れた事で、靄の一部が渦を巻くなんていう変化が起きている。
ただ、その変化がこちらにとって好ましいものであるかは少し疑問が残る。
それというのも、ヘルマンが幽鬼君主の術中にあったのであれば、ヘルマンが男性を殺したのではなく幽鬼君主が男性を殺させたという事になる。
つまり、可能性としたはそうして楔となっている者を殺させる事で初めて、靄の中に溜まった瘴気を幽鬼君主が自分のものに出来るという考え方も出来る。仮にそうであるとしたら、ヘルマンは今も楔となっている者へと近づいている最中である事が考えられ、幽鬼君主の狙いを潰す意味でもヘルマンとの合流を目指すのにも、楔となっている人物の所へ行くのが一番だという結論にアレルは至る。
「······とはいえ、楔となってる人をどうすれば良いかってのも判ってないけど」
それでも、このまま幽鬼君主の好きにはさせておけないと、アレルは風詠が伝える気配を元に四人の中でも亡くなった男性にほど近い場所から感じる気配へ向かって歩を進める。




