隣の席の蓮見さん その1
「はぁっ……はぁっ……あーっ、脇腹いってぇー……」
心春を一人屋上に残し、俺はひたすらに走っていた。
今日、蓮見さんに絶対に言わなきゃいけないことがある。
心春との関係は、今日を境に変わるだろう。
なら、蓮見さんとの関係も、今まで通りではいられない。
明日じゃなく、今日、変わらなければいけない……でないと、心春に蹴っ飛ばされるだろうしな。
心春の顔が脳裏をよぎる。
……10年近く心春と一緒にいたけど、初めてみた、最後の表情。
あんなにへったくそな笑顔の心春を……。
「……っ!」
正直、あの時の心春を思い出すと、胸が痛む。
多分俺は一生、あの時の顔を忘れられないと思う。
だけど、それでいい。
この胸の痛みは、絶対に忘れちゃいけないものだと思うから……。
「はぁ……っ! ……っとついたっ!」
学校から走って走って……ひたすら走って。
たどりついたのは、蓮見さんの家。
もう二度と来ないと思っていたのに、まさかまた来ることになるとはなぁ。
「はは、疲れて膝、笑ってるんですけど」
普段ここまで走ることがないせいで、くたくたのよれよれだ。
てか、これから蓮見さんに大事な話をしなきゃいけないのに、こんなボロボロでいいの、俺!?
……やば、めっちゃ緊張して足が震えてきた。
疲労と緊張の合わせ技で効果は抜群だ。
ヤバい、逃げたくなってきた……いや逃げないって、わかってるから心春。
お前だって、逃げないで来てくれたもんな……?
「よし! いくか!!」
「どこに行かれるのですか?」
「ひえっ!?」
「ごきげんよう天方さん、初めて来られた時と、反応が同じですよ?」
は、蓮見さんのお母さん!?
なんなのこの人、前回といい今回といい、ちょっとタイミングよすぎない?
なんなの、エスパーなの? 空気読む力に長けてるの??
ほんっと、心臓に悪い!
「び、びっくりさせないでくださいよ!?」
「まさかそんなに驚かれるとは思わず。ところで、今日はどのようなご用件で?」
「あ、そうでした」
危ねぇ、蓮見さん母のインパクトで危うく目的を見失うところだった。
蓮見さんとは違う意味で、インパクト強いよなぁこの人……花七お姉さんもそうだけど、なんなの一瞬に全てをかける家系なの、蓮見家って。
「すいません、蓮見さんはお帰りですか?」
「蓮見さんですか……ちなみに、私も蓮見ですが」
こてん、と首を倒す仕草は年齢の割にかわ……いや待って、なんか背筋がゾッとしたんですけど今。
やっぱりエスパータイプかな、この人?
「あーえっと……その、す、鈴七さんはお帰りですか?」
うわ、恥ずかしい、なんだよ鈴七さんって。
しかもそのお母さんの前で鈴七さんとか、何この恥辱に満ちたプレイ。
俺、そういう趣味ないんですけど?
「鈴七なら、一度帰ってきて、出かけましたよ」
「えっ、そうなんですか……あー、そうか、用事あるって言ってたもんなぁ」
しまった、こっちに来たのは間違いだったかもしれない。
でも、ほかに蓮見さんが行くような場所に心当たりは……。
「鈴七なら、今日は本屋さんに行くと出て行きましたよ?」
「本屋ですか」
「ええ、何やら購読している本の発売日だから、と浮かれて行きましたので、恐らく駅前でしょう」
「!! あ、ありがとうございます!」
「いえ、どういたしまして。ただ……そうですねぇ」
すぅ、っと目を細める蓮見さん母に、思わず背筋が伸びる。
うおっ、なんか冷気が漂ってくるんですけど!? こえぇ!
「今日は無理でしょうから、今度鈴七と一緒に我が家に来るように。」
「あ、はい、それだけでいいなら」
この前も来たんだ、今更この家を訪ねて来るなんてなんともないぜ!
「夫の予定を合わせておきますので」
天方日葵、終了のお知らせ。
「あ、はは……わかりました、予定、開けておきマス……」
「ええ、そうしてください。この前のように手土産など不要ですからね?」
「ワカリマシタ」
「よろしい、それでは、行ってもいいですよ?」
「あ、はい、行ってきます!」
それにしても駅か……ここからなら、10分もすれば着く距離だ、本音を言えば、家にいてもらいたかったけど、文句は言うまい。
蓮見家の前で少し休めたし、それくらいなら余裕で走れるはずだ!
すぐ後ろで、蓮見さんのお母さんがどのような視線を俺に向けているのか。
最後まで気づくことは、できなかった。
「そういえば……天方くんは長男、だったかしら……入り婿は大丈夫かしらねぇ……?」
*
駅前の本屋! と意気込んできたものの、よく考えてみれば駅前には本屋が確か……4店、あるんだよね。
さて、その本屋のどこに蓮見さんがいるのか……でも、この数ヶ月、蓮見さんを見てきた俺なら、絶対に見つけられるはず!
唸れ俺の脳みそ! 蓮見さんを見つけ出すんだ!!
「なーんて思っていた時期が、俺にもありました」
結局、どの本屋にも蓮見さんはいなかった。
まさか見つけられないとは……完全に予想外だ。
何度か電話を鳴らしてみたのだが、そちらも珍しく反応はなく。
蓮見さんの行き先がわからなくなり、完全に詰まってしまった……。
「くそっ、どこにいるんだよ蓮見さん……!」
今更ながらに思い知る。
俺は蓮見さんのこと、何も知らないんだな、って……。
こんな時に蓮見さんがどこに行くのか、休日に何をしているのか、俺は全く知らないし、なんなら聞いてすらいなかった。
俺の知っている蓮見さんは、いつもちょっとおかしな事を言っていて、変な本を好んで読んでいる、そんな変わった所しか……。
『じゃあ、まずは一つ、私、動物が好きなんです』
まてよ……。
『中でもネコちゃんと……あと、柴犬が好きなんです』
ふいに、動物園でした蓮見さんとの会話を思い出した。
そうだ、蓮見さんは猫と……柴犬の、犬士郎が……好き!
そうだよ、なんで忘れてたんだよ! バカか、天方日葵!!
駅前で動物といえば……あそこしかない!
ようやくわかった蓮見さんの居所。
疲れた体に鞭を打ち、俺はまた走り出した。




