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30.二対

ぼんやりと、意識が覚醒してくる。目の前には、曇った一面の空だ。昼間のようだけど、空気は真冬のように冷たい。

いつの間にか寝ていた体を起こし、真っ黒なニーハイソックスが目に映る。そうだ、今は私は文化祭で、レイちゃんの代わりにメイド服を着てお化け屋敷をやっていた所だった。そして、タンギンと校内を巡回している時に、他校の男の人とぶつかって、タンギンが助けてくれた。しかし、実体化した彼を見て騒ぎになり、人込みに揉まれた結果、誰かの手を握ったら、そこで意識が途絶えたのだ。芋づる式に思い出された記憶に、私は心底このインパクトのある服を着ていてよかったと思った。

周りを見ると、ここは他無県のようだった。あちこちに監視カメラみたいに仕掛けてある巨大なモニターがはめ込まれているビルが並んでいる。大きなスクランブル交差点の中央で、私は一人地面にしゃがみこんでいた。車はエンジン音すら聞こえないので轢かれる心配もなさそうで、擦れて消えかけた白線を指でなぞる。他無県と違って、人は誰一人いないし、信号も建物の電気も点いてない。ホウキョウさんの結界に閉じ込められた時みたいに、自分だけがこの世界から取り残されてしまったようだった。でもなぜか、この異常な事態に、私は不思議と落ち着いていた。ゆっくりと立ち上がり、とりあえず現状を整理しようと探索を始める。

流れていく景色を見れば見るほど、他無県にそっくりだ。というか、ここは私が中学生だった頃の通学路だった。ここのマックで同級生の子たちが楽しそうに寄り道していったり、この駅の入り口で大半の生徒は右に曲がるので、帰りは私一人のことが多かった。まあ、そうじゃなくても私は一人だったんだけど。段々と昔の記憶が蘇ってきて、でも意外と苦しくなくて、私は探索を続けた。駅に続く階段のガラスには、私の能面みたいな無表情が映っていた。

しばらく歩いていると、私がかつて住んでいた、叔母さんたちの家に着いた。この景色を見る度に胃が痛くなって、帰りたくなくなった時は、永遠さんの家に駆けこんでいたものだ。お母さんからの再会のお願いを断ったのが自信になっているのか、今はこの家を見てもなんとも思わなかった。確かにお世話にはなったし、今もなっている。だからといって、特別な感情は浮かんでこない。私は踵を返して、本当の目的地である永遠さんの家に向かった。


彼の家は一軒家ではあるけど、平屋で縁側があって、外壁のコンクリートにひびが入っていて、昭和の家という感じがする。窓ガラスは綺麗な星の形が入ったものだし、ドアはガラガラと音がする引き戸だし、縁側にはいつも猫が居座っている。たまに野良猫たちが集まって会議をしていて、永遠さんとひっそり観察したことがある。あの時は永遠さんが猫グッズが入った箱を落としてしまい、猫たちが一斉に逃げてしまって、二人で大笑いしたっけ。

《楠摸》と書いてある玄関の前に立ち、インターホンを鳴らす。なぜか音が鳴らなくて、私は玄関の門に手をかけた。鍵は開いていたので、軋む蝶番の音を聞きつつそのまま入って、彼の家のドアまで来てしまう。


「・・・・・・永遠さん」


この変な世界で初めて発した言葉が、空気に溶けていく。家の中からは物音ひとつせず、ただしんと閉ざされた扉の前で立ち尽くした。段々と雲が晴れてきて、温かい日の光が差し込んでくる。

こうして今変な世界に来てしまったのに、最終的に頼るのはタンギンでも瀬名高君でもなく、永遠さんなのだと実感すると、なんだか自分がいつまでも親離れできない子供のようで、可笑しいような、情けないような感情になる。

扉に背を向けてしゃがみ、手入れの全くされていない庭を見る。一面ススキのような穂のついた雑草に覆われていて、玄関への道だけ綺麗に整備されている。秋である今、黄金に波打ったそれは、風が吹く度にキラキラした粒子を舞わせているようだった。トンボが飛んで来たらもっと秋っぽいのにと思いつつ、この世界には生命の証が何一つないことに、死後の世界みたいとさえ思えてくる。

どうして、今自分はこんなに冷静なのだろう。早く元の世界に戻って、自分を待ってくれている人たちの所に戻らないとなのに。穏やかに青空が見えていく中、私は手を掲げて太陽を遮った。

・・・・・・自分を待ってくれている人なんて、いるだろうか。


掲げた手がぴたりと止まる。向こうから、誰かが歩いてくる。丁度、大人二人分伸びた影は、ゆらゆらとおぼつかない足取りでこちらに向かっていた。ただ物ではない雰囲気を感じ、私は立ち上がった。

その影は永遠さんの家の玄関の門の前で止まり、ガチャガチャと開けようとしている。さっき私は鍵をかけたつもりはないけど、化け物がこちらに来れない状況に、とりあえず一息ついた。でも早く、どうにかしなくては。私は振り返ってもう一度、玄関の扉を叩いた。引き戸からは、やっぱり誰の気配も感じない。

ガキ、と嫌な音が背後から聞こえる。見ると、不気味な影が二人、門の鍵を壊していた。こちらにゆっくりと、千鳥足で歩いてくる。私は焦って、扉を叩いた。ついには引き戸を引こうとしたけど、鍵がかかっていて開かない。

「永遠さん、永遠さん」

声も虚しく、扉は開かない。前はとびっきりの笑顔で迎え入れてくれたその顔は、いまでは記憶もあやふやなほどに薄れてしまった。私はそれがどうしようもなく悲しくて、拳で引き戸を殴った。今も、後ろからどんどんと影が迫ってくる。

「っ、永遠さん!」

ガン、と扉を殴る。それと同時に、ピタ、と冷たい何かが頬に触れた。

日光が遮られて視界が暗い中、後ろを振り返る。真っ黒な二人の影が、私を覆い隠すほど膨れ上がり、ぽっかりと二つの目を開けてこちらを見ていた。恐怖に、腰が抜けてしまう。

なんで、私を追いかけてくるのだろう。この人たちは、誰なのだろう。似たような経験が、前にもあった。確か、高校に来て初めて廃絶を見たときだった。陸上部の、同級生の子を助けようと、私は悪意に立ち向かった。あの時は、誰が助けてくれたんだっけ?

段々薄れていく記憶の中、黒い影がかぱ、と口を開ける。どす黒い口内が見えて、私は吐きそうになった。何か、ぐちゃぐちゃと喋っている。

怖い。でも、どうしたらいいのか分からない。

伝う涙で視界がぐらついた時、化け物同士の隙間から見えた日光が一瞬オレンジに光り、私はハッと、いつも自分を助けてくれる存在を思い出した。丁度、この稲穂のように金色の髪で、日光を閉じ込めた眩しいオレンジのピアスをしている彼。

彼の名前は、



「夕陽ちゃん」


背中を預けていた扉の感覚が消える。上を見上げると、穏やかに眉を下げて笑っている青年がいた。彼の名前は、さっきまで呼んでいた気がする。彼は優しく微笑むと、いつの間にか私の喉に絡まりついていた黒い影を、デコピンで弾いた。すると、ぶわっと強く風が吹いて、そこから崩れ去るようにさらさらと、その影たちは姿を消していった。途中消える時に何かを言っていた気がするけど、何も聞き取れなかった。

「夕陽ちゃん。大丈夫?」

「・・・・・・」

彼はしゃがみこんだ私に手を差し伸べ、にこりと笑った。大きなコートの隙間から、鋏やら筆やら鉛筆やらが留められたベルトが体に巻き付いているのが見える。その特徴的な青年は、私が伸ばしかけた手をぐっと掴むと、自分の方に引っ張った。自然と私の体がその人の方へと寄っかかってしまう。その温かさと胸の厚さに、何か思い出せそうな気がするけど、何も頭に浮かんでこない。彼は私の頭を優しく撫で、ふふっと微笑んだ。

「夕陽ちゃん。お待たせ。もう、ずっと一緒だよ」

顔を上げると、彼は微笑んでいた。彼の紫に輝いた瞳に、自分の能面のような顔が反射していた。





「ほんっと、何やってんだよ、俺もあいつも。俺から離れなければ、こんなに連れ去られることなんてねえのによ」

「お前、結構一人でほっつき歩いたりするだろ?そういう時に狙われるんじゃないのか?」

「うるっせえ!!早く夕陽を取り戻せ!!」

「それが人にものを頼む態度かよ」

「・・・・・・鸞鏡。私たちは、人ではない」

「そんなん、分かってるっつうの」

不満そうに舌打ちをする断金に、鸞鏡が突っ込みを入れる。盤渉さえも乗っかっていて、瀬名高は焦りを感じない彼らの態度にもどかしさを覚えた。今は一刻を争う時ではないのか。

「き、君たち!!椿君をこちらの世界に取り戻さないと、下手をしてからでは遅いんだよ!?もう少し焦りたまえ!!」

「はっ、そんなに焦りなさんなよ、盤渉の主さん。俺らだって、今が十分ヤバイ自体なのは理解してるさ。今は、うちの主が到着するのを待ってんのさ」

「うちの主、ということは、日ノ坂君、だったかな。彼が、雨宿県に来ているのかい?」

瀬名高の問いかけに、鸞鏡がにやっと、整った美しい顔に邪悪な笑みを称えて、どこからか取り出した、円盤型の茶色い板を手に取った。抱えて持っても大きいそれは、裏返すと鏡になっていて、焦った顔の瀬名高を映し出した。自分はこんなに不安げな顔をしているのか、と彼は自分の顔を触る。しかし驚いたことに、隣にいる自分の式神も、断金も映っていた。式神は実体化しないと映らないのに、どうしてだろう。しかも、鏡に映る盤渉は苦痛そうな顔を、断金はあちこちをきょろきょろとして落ち着かない顔をしているが、実際の本人たちは平気そうに真顔だ。どうしてこの鏡に映る情報と、現実の情報が違うのだろう。

「ははっ、久しぶりに見るわ、その反応。この鏡は、真実を映し出す。こいつらが焦った顔してんのなら、実際は平気そうにしてても内心ドッキドキってことだな。俺の前じゃ、嘘なんて通用しねえぜ」

断金は鏡に映し出された自分の焦った顔に、嫌悪感を示すかと思いきや、はあとため息を吐いて頭をがしがしと掻いた。鸞鏡のこの鏡にはもう慣れっこのようだ。

「ほんっと、立ち悪ぃよな、こいつの能力。こいつこそ、組む主を選ぶんじゃねえの?なんせ、嘘どころか、考えてることすべてが筒抜けになんだろ?よっぽと肝が据わってる主じゃねえと、やってらんねえよな」

「ま、確かにな。でも俺は、必要のない時はこれは使わねえよ。で、これからお前の主を見つけるのにこれを使うわけだが・・・・・・あ、ほら来た」

鸞鏡が言葉を区切り、ぶんぶんと手を振る。見ると、そこにはすっかり息が切れた様子の火ノ坂が駆け寄ってくるところだった。普段運動をしていないのか、秋なのに滝のような汗をかき、眼鏡を外している。

「全く、参考書を買いに来ただけなのに、なんでこんな人込みに来なければならないんだ・・・・・・それに、なんだ、ランケイ。急にどこかへ行ったと思ったら、急に呼びつけて。俺も暇ではないんだ、除怨なら一人でやってくれ」

「君は、日ノ坂君!なるほど、君は他無県に住んでいると思っていたが、今日は雨宿県に遊びに来ていたんだね!」

「お前、人の話聞いてたか?誰がこんな田舎に遊びに来るか!」

「まあいい、鸞鏡、早く夕陽を探してくれ。あいつが今、もし廃絶に襲われてるとしたら・・・・・・」

断金が言葉を切る。下を向いた彼の顔は見えなかったが、鏡に映る彼はぽろぽろと涙を零していた。ハッと日ノ坂が鼻で笑う。

「ふん、あんたでも主を大切にすることがあるなんて、今日は雪でも降るんじゃないか?まあ、俺はなんだっていい。早く帰って問題集を解かなければ」

日ノ坂の言葉に、断金が顔を上げる。彼の目は、これ以上ないほどの苛つきを称え、銀に光っていた。今にも掴み掛かりそうな雰囲気だ。

「てめえ、人間のくせによく喋るなあ。雑魚は黙ってろよ」

「あんたみたいな不真面目な奴が僕は一番嫌いなんだ。この場でランケイが力を使ってあんたの主を探すみたいだが、ランケイは俺が力を貸さないと力を使えない。別に貸さなくったっていいんだが、どうする?」

日ノ坂の煽りに、断金がギリリと歯を食いしばる。はあ、とため息を吐いて場を収めたのは、鸞鏡だった。チッと舌打ちをして、パイロットキャップを付け直し、断金の肩に手を置く。

「今はそんなことを言ってる場合じゃないだろ。将悟、悪いがちょいとばかし力を貸してくれないか。今回のはちょっとてこずるぞ、飯めっちゃ食っといてくれ」

「はあ?今かよ。そんなこと言っても食うもんもないし、屋台も、この人込みじゃうまくたどり着けないし・・・・・・」

「それなら、ぜひうちのパンを食べてくれないか!今あるのはあいにく、メロンパンとカスタードパン、焼きそばパンだけなんだが・・・・・・」

「うわ、お前は瀬名高、とか言ったか。というか、どこからそんな大量のパン出したんだよ!?やっぱ主って変な奴しかいないな!!」

キラキラした目を向けながら彼にパンを差し出していて、日ノ坂が口角泡を飛ばしつつ受け取っている。慣れっこの光景に断金は目を逸らしつつも、自分の品物を布巾で磨いている鸞鏡に耳打ちした。美少年が2人並び、人によってはその美しい光景に鼻血を出して倒れるところだろう。

「おい、そろそろ始めてくれねえか?こうしてる間にも、夕陽になんか起こってるかもしれねえし・・・・・・」

「・・・・・・はっ」

「んだよ、その笑いは」

「いや、あんたがそんなに主を気にするなんて、ほんとに珍しいなと思ってね。いや、皮肉とかじゃなくて、マジでいい傾向だよ。きっとあんたは、いい主に巡り合えたんだな。いやはや、良かった良かった」

「・・・・・・てめえには関係ねえだろ」

「そんな言い方するなよ。あんたの暴走を一番近くで見てた俺が言うんだから、間違いないって」

鸞鏡がそう言って、断金に微笑み返す。断金は拗ねたような照れたような顔をして、口を尖らせた。そんな様子を盤渉は真顔で見ていたが、心なしか口元が笑っているようだった。

「ほら、いい加減やるぜ。将悟、飯食ったか?その瀬名高サンのパン」

「あ、ああ。結構上手いな。これ、後でまた買いに行ってやってもいいぞ」

「本当かい!?君はいい人だね!君ならいくらでもサービスするよ!!」

「ほら、始めんぞ」

鸞鏡はまたふざけ始めた空気をぴしっと締めるように、ぐるんと自分の胸元に鏡を手繰り寄せた。手袋を付けた彼が、指先で小さくふっと鏡を浮かせると、それは壁にかけられたようにその場でピタッと止まった。瀬名高は鸞鏡の除怨を見るのは初めてだったので、食い入るように見つめている。日ノ坂は表情を変えるでもなく、ただ自分の式神の様子を腕を組んで見ていた。

鸞鏡は鏡の銅枠をなぞるように手を動かすと、指の先から鏡の欠片がパキ、と零れ始めた。みるみるうちにジャラジャラと手から鏡の破片をあふれさせた彼は、自分の両脇で積みあがっていく破片の一つを手に取り、ぼそっと呟いた。


「西寺の老いねずみ若ねずみ」


破片は途端に動き出し、ダイヤモンドダストのようにきらめかせながら形をネズミに変えていく。大の成人男性くらいの背格好のそれも気にせず、鸞鏡は周りの粒をつまんで、パズルのように組み合わせて、細長い笛を作った。ガラスでできた縦笛はまるで宝石のようで、その場で彼を見ることができる全員はじっと彼に魅了されていた。


「御裳つむつ、袈裟つむつ、けさつむつ」

彼は手に作った笛を唇に当てると、浮かんでいる鏡に向かって一拭きした。音は真っすぐ飛んでいき、固いはずの鏡の表面が、水面に雫が落ちたように波打った。すると、さっきまで大人しくしていた、鏡で出来たネズミたちが、待ってましたと言わんばかりに駆け出し、鏡の中に飛び込んでいった。鸞鏡は見送る時、また歌でも歌うように笑って言った。


「法師に守さむ、師に申せ」

すうっと、周りの空気が落ち着いていき、神聖な空気から一転、元の学校の喧騒に戻っていった。まるで夢でも見ていたかのような幻想的な光景に、瀬名高はただ、先ほどの美しい光景に黙るしかなかった。断金はふん、と言いつつも、満足そうに顔を横に向け、盤渉はただ真顔で拍手をしていた。日ノ坂はもう興味を失ったようで、参考書に目を落としている。

「・・・・・・さすが、鸞鏡。これで、椿の居場所が分かる」

「え、バンシキ、それはどういうことだい?」

瀬名高の問いに、代わりに本人が答える。かなりの力を使ったからか、自分の主を案じてちらりと見たが、平気そうな無関心な彼に苦笑していた。

「俺の力は、簡単に言うと追跡能力、って奴だな。天国の頂点でも、地獄の底でも追いかける。除怨の時はあんま関係ないんだけど、これが便利なもんでさ、失くしたもん見つけんのにめっちゃ便利なの。よく将悟は目薬を失くすから、結構頼まれるわ」

その話が出た途端、さっきまで我関せずといった様子で真顔だった日ノ坂が、顔を真っ赤にして鸞鏡の肩を持った。彼は実体化していたわけではないので、するりと日ノ坂の手が空間をすり抜ける。

「おい、その話は今関係ないだろう!!」

「へえ、除怨の能力に加えて、そんなことまでできるとは・・・・・・そう言えばバンシキも、僕が疲れていたら癒してくれる!それも、こういう能力の一つなのか?」

「・・・・・・ああ。私は、触れた者の疲労を軽減させることができる。光はよく無茶をするから、この力を持っていて良かったと思う」

「ああ、よく助けられるな!あったかくて心地いいんだ!」

「はーん。すげえこった。俺はなんもできねえからなあ」

「そういや、あんたの能力は聞いたことがないな。ただ隠してるもんだと思ってたが、自覚自体がないのか?」

鸞鏡の問いに、断金は考えるように手を顎に当てた。何を考えてるか分からない顔に、鸞鏡は笑いつつも顔を逸らし、まだ浮かび続ける鏡を見やった。自分の使いが帰ってくるのを待つ間、鸞鏡は、背後に映る断金の顔が悲しそうにぐっと歪んでいるのを見続けた。





「夕陽ちゃん、僕のこと、分かる?永遠だよ、楠摸永遠」

彼の声が頭の上から聞こえる。彼の体はとても暖かく、いつの間にか冷え切っていた体がじんわりと温まっていって、とても心地よかった。そう言えば、私が一番大切な人は、この楠摸永遠と言う人だった気がする。でも、もう一人いたはずだ。いや、もう二人だったか。もっとたくさん、私を受け入れてくれる人がいたはずだ。思い出そうとするけど、頭に靄がかかっていて、今はとにかく体を温めたかった。ぎゅっと彼の胸に頭を埋めると、彼は上でふふっと笑った。

「夕陽ちゃんは変わらないね。いつもこうやって、学校帰りに辛そうな顔をして玄関前に立っていて、僕がぎゅっとしてあげると喜んでたっけ。ふふ、大きくなったのに、まだ子供だね」

学校、とは何だっただろう。私はいつも辛そうにしていたらしいけど、何も思い出せない。ふと腕の力が緩まり、顔を上げると、そこには紫色の目をした青年が立っていた。顔立ちが整っていて、見ていて神聖な気持ちになる。優しく垂れ下がった目元に、長いまつ毛に、人の良さそうなくせっ毛がくるんと頬にかかっている。この人の顔を見たことがあるような、ないような、私はひたすら彼の目を見つめるだけしかできなかった。その人はにこっと笑い、私の頬に手を伸ばした。驚くほど冷たい感触が走る。

「僕は、夕陽ちゃんとこうして過ごせるだけで幸せだったんだ。両親がいなくて、親戚や学校でいじめられて、居場所のない君が、僕の所に無垢に頼ってくれる君が、僕にとっての生きがいだったんだ。二人でお散歩に行って綺麗な夕焼けを見たり、修学旅行で行けなかった観光地を一緒に回ったり、この家の縁側で猫を撫でたり。そんな何気ない日々が幸せだったんだよ」

彼が言葉を発するたびに、それが映画の一部のように記憶に思い起こされて、私はハッとした。どうして、彼との思い出を忘れていたんだろう。そうだ、私は彼に支えられて、ここまで生きてきたんだ。

「君の幸せを祈って別の地へ案内したけど、失敗だった。僕には君が必要なんだ。君さえいれば、何もいらない」

いつの間にか両手で頬を掴まれて、ぐっと首が上に持ち上がる。思わずふらつくけど、私は特に何も感情が浮かんでこないまま、彼の独白を聞いていた。ふと、彼の片手が離れ、私の首の後ろを支えるように移動する。彼は、片腕に何かを持ったまま、勢いよく振り被っていた。それがナイフだということを私は自覚しつつも、何も感情が浮かんでこなかった。


「って、奴は言ってたよ。じゃ、死んで」


その時、ガシャン!!と強烈な轟音が聞こえて、私は思わず振り返った。ぼんやりしていた頭が、驚いたおかげで少し覚醒してくる。


そこには、ちかちかと体中日光を反射させながら息を整える動物が二匹、家の玄関ごと破壊しているところだった。あれは何だろう。とても大きくて、眩しくて、すごく綺麗だ。

その動物の一匹が途端に私たちに近づいてくると、永遠さんの片腕にかじりついた。衝動で、私を支えていた手が離れ、私は地面に転がり込んだ。強く頭を打ったのか、鈍い音と痛みが走るけど、何もできない。体に力が入らない。この状況は、もしかしたら私の体は可笑しくなっているのかもしれない。と気づくと同時に、永遠さんがにやっと笑って、腕にそのネズミをぶら下げたまま、片足で思いっきり蹴飛ばしているのが見えた。彼は、あんな邪悪な笑い方をする人だっただろうか。

ネズミは吹っ飛び、庭に生えていた木に思いっきりぶつかり、ガシャン!!と派手な音を立てて崩れ落ちた。ガラスかと思っていたその破片は鏡だったようで、辺りのススキの金色をこちらの目に映してくる。

そう言えば、こういう色を私は好きだった気がする。こういう色の髪をした人が、傍にいたはずだ。私は全身に力を込めて、地面から起き上がった。その途端に、永遠さんがこちらを振り返り、私の元に駆け寄ってきた。眉を下げ、心配そうにしているけど、顔は笑っている。こんな意地悪な顔をした人だったのかと思うくらい、彼の顔は歪んでいた。

「夕陽ちゃん、大丈夫!?変な奴が来ちゃったね。ここは危ないから、一緒に逃げよう。ほら、立って。夕陽ちゃんなら、立てるよね?」

私は途端に地面から立ち上がり、彼の手を取った。体が言うことを聞かない。上から糸で操られている感覚に、違和感を覚えた。視界の隅で、ずっとススキ色の鏡がピカピカとちらついている。

「外には怖いものがいっぱいあるね。大丈夫だよ、僕が傍にいれば、こんな怖くて悲しいことは起きないから。僕が守ってあげる。だから、行こう」

永遠さんが笑いかけてくれる。彼の顔を見て、私は直感的に、何かが違うと思った。


「・・・・・・誰?」

彼の目が大きく見開かれたのと、彼の背後からもう一対のネズミが襲い掛かろうとしているのとが同時だった。永遠さんは咄嗟に腕でネズミの攻撃を抑え、ネズミは地面に着地し、臨戦態勢を取った。ぽた、と音がして見ると、永遠さんの腕からだらだらと血が流れていた。私は彼の服の裾を引っ張り、自分が付けていたエプロンで彼の傷口を抑えた。心臓がバクバクと胸を打っている。そうだ、私は血が怖いのだ。大切な人が死んでしまうかもしれない状況が、すごく怖い。じわじわと赤く染まっていく布を見て、どうしてその前から赤い斑点が付いていたのだろうと思っていると、永遠さんが私の手に自分の手を重ねてきた。

「夕陽ちゃん、ありがとう。やっぱり君は優しいね。そんな君が欲しくて、奴はこんなにも頑張っているってのに。誰、だなんて、やっぱり偽物は分かっちゃうか」

彼が眉を寄せて笑う。この顔を見たことがあるはずなのに、彼は私の知っている永遠さんではないと、何となくそう思った。

さっきからずっと、視界の端で、ネズミだった破片に金色が映って目を刺してくる。目を刺してくると言えば、もっと濃いオレンジの宝石が、私の日常の中にチラチラ映っていたはずだ。永遠さんと離れた時から、ずっと私を理解して、傍にいてくれた存在がいた。



「そうだよ、てめえには俺がいるってこと、忘れんなよ!!!」

「・・・・・・タンギン」


永遠さんの影から、白いジャケットを大きくたなびかせて現れた彼は、上げていた腕を大きく振り下ろした。血まみれだった永遠さんの腕に置かれた花札は、そこから光り出し、永遠さんが一気に苦悶の表情を浮かべた。

「ぐっ・・・・・・やっぱ、来たね。断金」

「あったり前だろ!!俺をなめんなよ。俺は式神の中で一番強いんだ!!易々と自分の主を手放したりするかよ」

そう言って、タンギンは私を見て笑った。その不敵な笑顔に、私は体がドクンと波打ったように活気が溢れてくるのを感じた。

「よお、いつにもまして間抜け面してんなあ」

「・・・・・・タンギン。助けに、来てくれたの?」

「はあ?そんなんじゃねえよ。廃絶のボスの結界ってもんが、どれくらいなもんか、この目で見てやろうってだけだ」

「・・・・・・ありがとう。みんなは?」

「まあ、後から来るだろ。俺だけ、先に来た。まあ俺は強いからな」

私の元に舞い降りた彼は、白い学生帽を取って、私にぼすっとかぶせた。ぞわぞわしていた肌がすうっと落ち着いた感触がする。金色の髪をたなびかせた彼がふいっと顔を背けると、耳についているオレンジのピアスがキラッと太陽の光を反射した。そうだ、この色が、私の見たかった色だったんだ。私は彼の帽子を被り直し、こちらを睨んだままの永遠さんとタンギンが対峙する様子を見ていた。

「よお、あんたが廃絶のボスって奴か?随分手間かけたことしてくれんなあ。おかげで探すのに一苦労だったぜ」

「へえ。君ほどの力の持ち主なら、どうってことないんじゃないかな。僕が本気を出せば、君ですら辿り着けない空間も作ることができたんだけどね。この鬱陶しいネズミは、別の奴の力かな?これ、ほんとに厄介なんだよね。まあ、君の力じゃないみたいだけど」

「言ってくれるなあ。つうか、てめえは何者だよ。上っ面は楠摸永遠だが、中身は誰だ?」

タンギンの言葉に、私も何となくそう思う。彼は、永遠さんの見た目をした、別人だ。意識がはっきりしてきた今、こちらを見て穏やかに笑っている彼が、本物の永遠さんではないことは分かっている。

「そうだねえ、僕の正体をこう易々と明かしてもいいけど、それじゃあつまらないよね」

「つまるつまらないの話じゃねえんだよ!!いいからさっさと吐けや!!」

タンギンの啖呵をどう捉えたのか、永遠さんの見た目をした彼はにやっと笑うと、いつも永遠さんが着ているトレンチコートの隙間から、ずるりと縄がついた銃を出してきた。マジックのようだけど、真っ黒い不快な何かが襲ってきたり、鏡で出来たネズミが助けに来てくれたりした光景を見てきて、もう驚く心も麻痺してきたみたいだ。

彼は自身の体の肩くらいまである銃を地面につけて、正面にいるタンギンを見た。どちらかというと彼の背後にいる私を見ているようで、全身がびくっと震える。廃絶なのに目に光のある彼は、私の心を見透かしたようにニコッと笑った。いつの間にか、彼は持っていた銃に火をつけて、こちらに銃口を向けている。


「夕陽ちゃん。今、本物の永遠は、眠っているよ。永遠に」

「え」

私の口から声が漏れたと同時に、パアン!!と激しい音が響く。気が付くと、タンギンが私の肩を掴んで横に倒してきた。まさに今弾丸が飛んできて、崩れた鏡の山が根元にある背後の木に当たる。弾丸は幹を貫通し、もくもくと黒い煙を立てていた。もしあれが当たっていたらと思うと、身の毛がよだつ。タンギンが手を差し伸べてくれてどうにか起き上がったけど、見た目が永遠さんなだけに、ショックがでかい。まさか、永遠さんが私に銃を放って来るだなんて。そもそも、本物の永遠さんが永遠に眠っているということは、どういうことだろうか。嫌な想像ばかりが頭を支配し、私は自分の息が荒くなっていくのを感じた。うまく酸素が吸えない。

「おい、しっかりしろ。本物のあいつがどうなってるかなんて、あいつにしかわかんねえだろ。あいつを捕まえて聞いてみりゃいいだけの話だ。お前が動揺してたら、助かるもんも助からねえよ」

タンギンが背中を擦ってくれる。彼を見ると、彼は冷静に私をまっすぐ見つめてくれていた。瀬名高君もそうだけど、私の感情を汲み取ってくれる人は、目の奥を見続けてくれる。それが恥ずかしくて顔を逸らしてしまうけど、今は彼と顔を合わせても、むしろ勇気が湧いてくる。お互いが言いたいことを正直に言いあっているから、心が通じ合っているのだろうか。

「・・・・・・あ、ありが・・・・・・」

「今は喋んな。今は落ちつくまでそこで見てろ。で、元気が出たら、お前にやってほしいことがある」

すると、パアン、とまた乾いた発砲音が聞こえる。タンギンは素早く私を木の陰に押しやると、永遠さんの方に向かって走り出していった。永遠さんの武器は大きいからか、銃声と実際に弾が飛んでくるまでの時間がずれている。

私はタンギンの言う通り、とりあえず今は呼吸を整えることに専念した。でも一人だと、本物の永遠さんが今どうなっているのか気になって、とても不安になる。私は懸命に顔を上げて、自分の式神を見た。彼も偽永遠さんも挑発に乗りやすいタイプなのか、銃声や弾丸を花札で弾く音が聞こえていても、何か言い合っているのが聞こえる。

「てめえとこうして戦うのは初めてだなあ。廃絶のボスさんよお。ボスなんていって、そんな弱そうな見た目の奴に成り下がるなんて、センスがねえなあ!!」

「そういう君こそ、学生服なんて、いつまでも学生のままでいるつもりかな?君の青春は存在しないんだ。なぜなら君は、人間ではないから!」

永遠さんの放つ火縄銃は着火してから発砲までに時間がかかるものの、何台もあると連続で襲い掛かってくるので、タンギンは宙に浮いたり彼の背後に回ったり、常に動いていないといけない。しかも厄介なことに、真っすぐしか飛ばない特性を生かしてか、360度打てるように何台もの銃が彼の周りにあるので、逃げ場がない。タンギンは上手くかわしつつも、大分苦戦しているようだった。彼の白いジャケットが段々と黒ずんでいく。実体化していない彼にも、周りの草木にも干渉している彼の存在は、実体があるのかないのか分からず、私はただ激戦を傍観するしかできなかった。

「君は11もの仲間がいていいね。夕陽ちゃんはたった2人の両親を亡くし、祖父たちからも煙たがられ、居場所がなかったんだ。彼女の傍にいれるのは、僕だった。君じゃなかったんだよ」

「そんなん、昔の話だろ!!今あいつの傍にいんのは俺だ!!大体、式神は仲間じゃねえよ!!」

「そうなんだ。信頼できる存在がいないって、悲しいね」

「ああ!?夕陽がいるだろうが!!」

私はタンギンからお願いされた作業を進めつつ、彼らの会話に耳を傾けた。ここにまで煙が広がってきて、火薬と草の焼けた匂いが鼻をつく。偽永遠さんは攻撃を仕掛けつつ近づいてくるタンギンを交わし、ついに彼の腕を掴んだ。鼻と鼻がつきそうな距離で、お互いを睨んでいる。永遠さんが犬歯をむき出しにして口を開いた。声は小さくて聞こえない。

タンギンはそれを聞いて、一瞬硬直し、動きを止めた。その隙に、永遠さんはいつの間にか持っていた細長い槍を、タンギンの体に突き立てた。

思わず立ち上がる。痛そうに顔を歪めるタンギンに、私は気が付いたら走り出していた。焦って転びそうになるけど、それどころではない。早くタンギンの元に行かないと。

「タンギン!!大丈夫!?」

「こっち来んな、馬鹿!!」

「嫌だ!タンギン!!」

銃に塗れた永遠さんと、槍が胸の辺りに深々と突き刺さったままのタンギンに近づくと、彼はそう怒鳴った。私は無我夢中で、ぐりぐりと刃先を動かしている永遠さんの腕を掴んだ。この前会った時に体を鍛えていると言っていたのは本当なのだろう、彼の腕は逞しく、びくともしない。永遠さんは私を見てにこっと微笑むけど、腕は止めない。

「夕陽ちゃん、どうしたの?腕なんて掴んで、また抱きしめてほしいのかな」

「違う!!タンギンを離して!動かさないで!!」

「なんで?こいつは式神だよ。ほら見て、血が出てないでしょ?別に死ぬわけでもないんだし。消えるだけだよ」

「え?」

「ぐっ!!」

タンギンが苦しそうな声を上げる。彼のこんな苦しそうな声は初めて聞いた。槍は刃先どころか柄の部分までタンギンに刺さっており、体の向こうに貫通している。人間なら大事故だ。血は出てないものの、苦痛に顔を歪める彼に、私は目の前の永遠さんが本当に永遠さんではないことを自覚した。この人は最低だ。

「き、消えるってどういうこと!?いいから放してよ!!」

「どういうことも何も、そのままの意味さ。断金という存在は消滅する。彼の存在を知るものの記憶から彼の存在がすべて消え、元から存在しないものが完全にいなくなる、ということだよ。幽霊だってそうでしょ?信じれば存在自体はあるけど、信じない、いないと思えばいない。単語としては残るだろうけど、そこに人格は完全になくなるというわけさ。むしろ、単語に人格がある方が珍しいんだけどね。分かる?」

そう言って永遠さんは私の手を掴むと勢いよく突き飛ばし、私は後ろに倒れ込んだ。地面に散らばった銃の山が体に当たって痛い。永遠さんはそれでもタンギンへの攻撃は止めず、槍ごと地面に突き刺し、タンギンの喉元に銃口を向けた。

「お終いだ。君が消えたら、夕陽ちゃんを我々から守る術はなくなる。君は断金という単語から外れ、永遠に存在しないものとして、消え去る。もちろん、みんなの記憶からも。楽しみだね。散々人間を殺しておいて、どう糾弾されるだろうね。あ、存在しなのだから、死んだ人間たちからは見えないか」

永遠さんはお伽噺でも話すかのようにふふっと笑い、タンギンを見た。彼は荒い息を続けながら、永遠さん一点を見ている。私はここに来るまでに続けていた作業をしようと、起き上がると、永遠さんがぐるんとこちらを見て、笑った。こんなにも笑顔が作れることに憧れていたのに、彼の笑顔は怖い。

「夕陽ちゃん。最期に彼に何か言うことはある?彼はもう君の記憶から消えるわけだけど、何か伝えたいことがあれば、今のうちにどうぞ」

「・・・・・・夕陽・・・・・・」

二人の目がこちらに向く。私は目を閉じて、耳を澄ませた。


大丈夫。タンギンは、大丈夫。


心の中でそう唱え、自分がさっきまでいじっていた尖った鏡の破片を、自分の首元に当てた。一瞬永遠さんがぎょっとしたように笑顔を消す。

「な、何やってるの、夕陽ちゃん」

「タンギンを離してくれないのなら、ここで死にます」

「待ってよ。自殺されると、魂が僕たちの所じゃなくて別の方に行っちゃうから、僕たちとは一緒にいれなくなるよ。交渉してもいいけど、骨が折れるから。僕が君を悪意で殺さないと、意味がないんだよ」

「じゃあ、タンギンを離して。お願い」

私の言葉に何を思ったのか分からないけど、永遠さんはタンギンの喉元へ構えていた銃を一瞬ずらした。


その瞬間、今まで黙っていたタンギンの口が、すうっと横に引き伸ばされた。赤い三日月のように笑った彼は、ぐっと上を向き、すうっと息を吸い込んだ。反動で、刺さっていた槍が深く突き刺さっていく。

「今だ!!!」

「うおりゃっっと!!」

彼の声を皮切りに、木の陰で隠れていたショウゼツさんが勢いよく出てきて、永遠さんの体を思いっきり蹴飛ばした。すぐにバンシキさんがタンギンに刺さった槍を抜いて、介抱に入る。

ススキの山に道を作って吹っ飛ばされた永遠さんが前を向く間もなく、鏡で出来たネズミが二匹とも彼の体を抑える。私が作り直したネズミがちゅう、と鳴くと、ふわっと空からランケイさんとシンセンさんが降りてきて、永遠さんの手足を紙垂で縛り上げた。まるで、天使と神が降臨したかのような光景に、私はふと気が緩むのを感じる。

「夕陽ちゃん、大丈夫!?」

「椿君、手から血が!」

「お前、意外とやるな」

永遠さんを完全に抑え込んだのを見ていると、レイちゃんがまだパジャマのまま、頬を赤く染めながらもこちらに駆け寄ってくれていた。瀬名高君は私を見てほっとしたようで、顔を緩めている。驚いたことに日ノ坂さんもいて、私は夢でも見ているんじゃないかと、手を伸ばしてきた瀬名高君の手を握り返した。しっかりと、彼の冷たい手の感触がする。

「ちょ、椿君?」

「・・・・・・本物だ。みんな、来てくれたの?」

「そりゃそうよ!!日ノ坂さんが血相変えてうちに来てさ、もう何事かと思ったもん、ごほごほ!!」

「レイちゃん、大丈夫?風邪ひいているのに、ごめんね」

「大丈夫!!夕陽ちゃんがボスに連れ去られたって聞いて、いてもたってもいられなくなって・・・・・・うちの境内からランケイさんの力を借りて、この空間に入ったの。なんかよく分からないけど、とりあえず夕陽ちゃんが無事でよかった・・・・・・」

レイちゃんが目にたくさん涙を浮かべながら、へなへなとしゃがみこんでしまった。体調が悪いのに駆けつけてくれた友達に感謝しつつ、私の手にぐるぐるとハンカチを巻きつけてくれている瀬名高君を見た。優しい若葉色のハンカチから血が滲んでいて、私は慌てて彼の手を止めた。

「せ、瀬名高君。私なら大丈夫だよ。ハンカチが汚れちゃうよ。ごめんね、気づいたら切っちゃってたみたい」

「そんなこと気にしなくていい。君の怪我の方が僕は心配なんだ。全く、椿君はすぐ危ない目に遭うね。人気者の証拠だろうけど、僕は心臓がいくつあっても足らないよ!」

そう言って、きゅっとハンカチの先を結ぶと、瀬名高君は私の手を取って、祈るように頭を下げた。彼の髪が手の甲にかかり、すごくくすぐったくて、恥ずかしい。

「本当に、無事でよかった・・・・・・」

「せ、瀬名高君・・・・・・」

「なんだ、こいつら付き合ってるのか?」

「うん、もうほぼ」

横から声が飛んできて、二人ハッとする。日ノ坂さんも、このためだけに雨宿県に来てくれたのだろうか。私は急いでお礼を言った。同じ関東だけど、決して近くはないだろう。

「日ノ坂さん。わざわざここまで来てくださって、ありがとうございます」

「ふん。別にお前のためにここに来ていたわけじゃない。買いたい参考書があったから、学校帰りにたまたま寄っただけだ。ランケイがついでだから、次の会議の開催場所をお前らに聞きに行こうとしていたんだが・・・・・・学園祭だというのに、何をやっているんだ。いや、学園祭だからか」

日ノ坂さんが私の恰好を見て怪訝そうに顔をしかめ、眼鏡をくいっと上げる。そうだ、私は今血塗れのエプロンを付けたメイド姿なんだ。この血は、永遠さんのもの。私は急いで顔を上げ、戦闘の場を見た。でも、もう決着はついているようだった。

紙垂で縛り上げられた永遠さんのお腹を、ランケイさんが足で踏んづけている。シンセンさんは特に笑いも怒りもせず、淡々と彼の様子を見下ろしていた。永遠さんはなぜかにこにこと笑っていて、もう彼がずっと一緒にいた存在だとは認識できない。

すると、急に彼がぐるっとこちらを向いて、口を開いた。ひゅっと心臓が縮む。

「夕陽ちゃん」

「おい、勝手に喋んな。口も塞いでやろうか」

「いや、鸞鏡、やめておこう。こうして会話ができる今、聞き出せるだけの情報は聞きだしておきたい」

「夕陽ちゃん、こっちにおいで」

「夕陽ちゃん、行かなくていいよ!!」

「うっ!!」

レイちゃんが私を庇うように、永遠さんとの間に体を挟む。安心したのも束の間、急に頭の中に、レイちゃんの体が真っ赤に染まり、彼女が苦しむ光景が浮かび、私は思わず声を漏らした。レイちゃんが振りかえる。私はレイちゃんの体を借りて立ち上がり、大人しく永遠さんの元に向かおうとした。冷や汗が止まらず、手がべっとりと手汗で濡れている。

「夕陽ちゃん!?あんな奴のとこに行く必要ないって!!」

「だ、大丈夫・・・・・・レイちゃんは、ここにいて」

「だって顔真っ白だよ!?」

「碁式君も椿君も顔色が優れない。ここは僕が行こう」

瀬名高君が立ち上がって、永遠さんたちの方に向かおうとする。すると次は、瀬名高君が目を覆って地面に突っ伏す様子が、フラッシュバックのように頭をよぎった。私は必死で、瀬名高君のスカートのすそを引っ張る。彼の恰好に、普段だったら笑えていたけど、今はもう彼らを傷つけたくない一心で、それどころじゃない。

「椿君?」

「本当に、大丈夫だから。私が行く」

「行かせてやれよ。お前、何かあの廃絶に仕組まれてるんじゃないか?」

日ノ坂さんの言葉に、瀬名高君がハッとした様子で私の顔を見る。どうして彼は分かったのだろうと日ノ坂さんを見ると、彼はふん、と鼻を鳴らして腕を組んでいた。

「まさか当たっていた、とか言うんじゃないだろうな。俺は人の気持ちを察するのが一番嫌いなんだ。こっちを見てないで、さっさと自分でカタを付けるんだな」

「ちょ、そんな言い方ないじゃん!あんたの言ってることが本当なら、夕陽ちゃん、今めっちゃ苦しい状況なんだよ!?」

「ふん、そんなの俺には関係ない」

二人の喧嘩を後ろに聞きつつ、私は永遠さんたちの元へ向かった。この嫌な光景を見せるだなんて芸当、きっと彼にしかできない。永遠さんは私の方を顔だけ向けて、にこっと笑った。その途端、またぐっと頭が押さえつけられる感覚に襲われる。

脳裏に浮かんできたのは、ビルも地面もぼろぼろになった景色の中、レイちゃんや瀬名高君、バンシキさんやショウゼツさんが倒れている光景だった。私はただ立ち尽くすことしかできず、呆然と前を見る。すると、タンギンがひとり、後ろを向いてぽつんと立っていた。私は駆けだして、彼のジャケットを引っ張る。しかし、触ったところからどろっと赤く染まって溶け出し、一瞬でジャケットが消えてしまった。タンギンに触ろうとしても、彼自身も溶けてしまいそうで、怖くて手が出せない。

ふと、タンギンがこちらを振り返る。その顔は、落書きされたように、真っ黒に塗りつぶされていた。あの綺麗な目が見えない。金の髪も、オレンジのピアスも、全部黒く染まって溶け出してしまう。私はそれでも手を伸ばすと、彼はジャケットと同じように、赤く溶け出して消えてしまった。

「タンギン!!」

「おい、夕陽さん?しっかりしなよ。断金はそこで寝てるって」

次に目に映った光景は、ランケイさんの綺麗で、眉に皺を寄せた怪訝そうな顔だった。背中に温かい摩擦を感じる。彼が私の背中を擦ってくれているみたいだった。胃がずっとヒリヒリしてすごく気持ち悪い。でも、彼の整った顔と透き通った瞳を見ていると、幾分かましになった。

「ご、ごめんなさい。なんか、ちょっと体の調子がおかしくて」

「全部こいつのせいだよ。なんか変なもん見せつけられたんだろ?ほんっと、廃絶って立ち悪いよな。あんた、顔真っ青だぜ?もう吐いちゃった方が楽なんじゃないのか?ほれ、あっち行こうぜ」

ランケイさんがてきぱきと私を抱えて立ち上がらせ、鏡で出来たネズミが壊れていた木の根元に私を運んでくれた。あまりにも手際の良い介抱に戸惑っていると、私の口に向かって指を突っ込もうとしてきたので、掌で止める。吐き気は大分収まったけど、こうも喉元に向かってくる指を見ると、また気持ち悪くなってくる。

「だ、大丈夫です、ランケイさん」

「あ?俺は人間が吐こうが何しようがなんとも思わねえから安心しな。ほれ、吐け吐け」

「ちょ、大丈夫です。す、すごく介抱に慣れてますね」

ランケイさんは私の背中を擦ってくれていた手を止めて、うーん、と考え込んだ。まだ会って数回しか経ってないのに、彼がすごく人間の体調に詳しいことが分かる。それに、面倒見がいい。ぶっきらぼうな態度はタンギンと似てるけど、タンギンよりサポートしてくれるし、とても親切だ。

「そう言えば、タンギンは・・・・・・」

「あいつは今、盤渉に手当してもらってるから平気だよ。あいつの治癒に、あんたの体力も大分削られてんだ。それに加えて廃絶の嫌がらせとくれば、参らない方がおかしいってもんさ」

ランケイさんがこちらを見て微笑んでくれる。その背中越しに、シンセンさんが永遠さんの頭と首を思いっきり掴み、何かを話しているのが見えた。永遠さんは苦しそうだけど、シンセンさんは笑っているのがまた不気味だ。私の様子に気付いたのか、ランケイさんがおっと、と顔を合わせて私の視界を遮る。

「ほれ、もういいって。一般の女の子には刺激が強いよな。ほれ、俺の顔でも見て落ち着きな。よく言われんだよ、イケメンだって。イケメン見たら女の子はイチコロだろ?」

ランケイさんのウインクに、少し笑ってしまう。確かに彼はイケメンだけど、何より気遣ってくれる気持ちが嬉しくて、私は少し元気が出てきた。ふう、と息を吐く。こんな時でもお気楽な彼に、さっきの嫌な景色が記憶から消えたわけじゃないけど、大分心が落ち着いた。

「ありがとうございます、ランケイさん・・・・・・大分、楽になりました」

「お、よかった良かった。断金も目覚ましたみたいだし、一見落着だな」

その時、バアン!!!と爆発音がして、ハッと二人とも振り返る。永遠さんたちがいた所からもくもくと煙が上がり、向こうで何が起こっているのかよく分からない。粉塵がここまで迫ってきて、弱っていた気管が刺激される。

「おいおい、何が起こってんだ?」

ランケイさんがまた私の背中に手を回して、私が離れないようにしてくれる。ほっとしたのも束の間、次の瞬間、目の前に永遠さんの顔面が目の前に現れた。一気に死臭が辺りに充満する。見たことのないほど血と土で汚れた顔で、ただいつものように優しく笑う彼は、真っ赤な手をこちらに伸ばしてきた。

「夕陽ちゃん、こっちにおいで。お父さんが待ってるよ」

「死人は戻ってこない。夕陽は生きている。干渉する必要はない」

永遠さんの手が私の頬に触れる前に、シンセンさんが彼の後ろから現れて、通る声でそう言った。シンセンさんは永遠さんの首に紙垂を勢いよく巻き付けて、ぐいっと後ろに引っ張り、私と距離を取った。ぶらんと縄から垂れ下がった永遠さんはこめかみに青筋を立てつつ、薄く笑うシンセンさんを睨みつけている。絞殺現場にも似た光景が目に焼き付き、ぐっと胃が上に逆流してくるのを感じ、咄嗟に口を抑えた。背中に回っていた手が私の背中を擦ってくれて、少し安心する。

「ほれ、もう吐きな。神仙の奴、人間になんてもん見せんだよ。あんなやり方しなくてもいいだろうに」

「うう・・・・・・すみません」

「なんで謝んのさ。お前さん、謝り癖があるね。つうかほれ、吐きなって」

「な、なんで吐くのを勧めてくるんですか・・・・・・」

そうこう言っているうちに、シンセンさんがついに何かをぼそっと呟き、首つり状態になっている永遠さんに向かって手をかざした。すると、さあっと辺りが新鮮な空気が立ち込め、呼吸が楽になっていく。逆に永遠さんは体を縮こませ、苦しんでいる。

「ああ、あああああ!!!」

「と、永遠さん」

「夕陽さん、あれはもう永遠って奴じゃねえよ。ほれ、もうじきに本性が出てくるって」

空中で、さなぎのように永遠さんの形が崩れ、ぼろぼろと皮がはがれる。それを見て、本当に目の前の彼は永遠さんじゃなかったんだという驚きと、廃絶のボスは永遠さんではないんじゃないかという期待が満ちてきて、思わず見入ってしまった。

皮がはがれ切ったその物体は、まだ人型をしていて、黒くなった身を掻きむしっている。すると、ぴたりと動きを止め、ピンと背を伸ばし、くるりと一回転した。ぐっと体を折り曲げ、パッと手を広げた瞬間、体中の黒い皮が剥がれ、またぱっと宙に舞った。


「じゃじゃじゃーん!!みんなお待ちかね、莫目でーーす!!可愛い僕がこの殺伐とした空気の中降臨して、この物語をクライマックスに導いちゃいますよー!?」

ぱっちりとウインクをして、さっきまで永遠さんがいた場所に急に現れた彼は、この空気をぶち壊すほどの明るさで、くるくる楽しそうに回った。その場にいた全員が呆れて声も出ないようだ。私もその一人だったけど、永遠さん自体はどこにいったのか気になって、辺りを見回した。彼の姿はどこにもない。立ち上がりたいけど、まだ体に力が入らなくて、ランケイさんに寄りかかる形になってしまう。自分の非力さに嫌気が差してくる。

「お、大丈夫か、夕陽さん。吐くか?」

「は、吐かないです。それより、永遠さんはどこに行ったんでしょうか」

「お前さん、なんでそんなにあいつを気にすんのさ。何か事情はあるんだろうけど」

ランケイさんは私が廃絶のボスから気に入られているということを知らないから、私が内通者ではないと信じてこうして心配してくれているのだろうか。彼のまっすぐ瞳に、もう洗いざらい話してしまいたくなる。口を開こうとすると、鋭い声が飛んできて、次の瞬間には視界がぐわっと横にずれた。

「夕陽!!」

ドゴン!!と地面がえぐれる音と、凄まじい粉塵が辺りに満ちる。抱えられている感覚に、またランケイさんが守ってくれたのかと見上げると、そこには顔が土で汚れたタンギンがいた。胸元には血が出ていないものの、槍が突き刺さった大きく穴が開いた跡が見えて、痛みを想像してしまう。

「タンギン」

「お前はすぐに気を抜くな。ここが廃絶のボスの結界内だってこと、忘れんなよ。もうじきにここも崩れる。ほら、行くぞ」

「行くって、どこに?」

怪我のしんどさを一ミリも見せず、彼は私を抱えたまま笑った。大きく動いた永遠さんの存在で心が疲れていたのか、タンギンの笑顔が数倍も愛おしく見えて、ぐっと涙腺が緩む。何で悲しくもないのに涙が出てくるんだろう。もう、私の情緒は壊れてしまっているのだろうか。

「元の世界に帰るんだよ。お前はこの後、俺と学校を見て回るんだろ?」

タンギンの服の裾を掴む。眩しい光を受けた彼は、躊躇なく空に向かい、その光めがけて飛び込んでいった。視界がホワイトアウトする。思わず目を閉じると、胃の中に残っていた不快な空気が揺れ動いて、話しかけてきた。

「ねえ、夕陽ちゃん。俺のこと、軽蔑しちゃったかな?」

「・・・・・・」

「言っとくけど、僕は永遠じゃない。本物の永遠は、今、ここにいるよ」

「待って。それはどういうこと?ここって、一体どこのこと?今あなたはどこにいるの?」

「おい、何一人で喋ってるんだよ」

タンギンの静止も聞かず、私は自分の胃に向かって叫んだ。その声は可笑しそうに笑みを含ませた声でまだ話しかけてくる。声は永遠さんなのに、全くの別人に聞こえた。

「そんなに質問しないでよ。隣にいる永遠が起きちゃうだろ?ここがどこかなんて、君はもう知ってるのにさ」

「え?何を言って」

「もう永遠は永遠ではいられない。次に君に会った永遠は、僕か、本物の永遠か、見極められるよね、夕陽ちゃん?」

その声を最後に、私は意識を失った。





「おい、いい加減起きろっての!!」

ぺしんと頬を叩かれた感触に、私は目を覚ますと、そこは保健室の天井だった。板からぶら下がったカーテンレールが広がっていて、何回か見たことのある景色に、現実に戻ってこれたんだと実感して、何回か手を開いたり握ったりして感触を確かめる。すると、上からひょっこりと、タンギンとバンシキさんが私を見下ろしてきた。普段通りの彼らに、私はほっとして、ゆっくりと重たい体を起こした。

「ここって、保健室だよね。みんなは?二人は、なんともないの?」

「おい、まだ寝てろって」

「・・・・・・ここは保健室。光たちは、椿の横にいる」

バンシキさんの落ち着いた声に右隣を見ると、横にはレイちゃんと瀬名高君が隣のベッドに横になって、すやすやと眠っていた。レイちゃんはまだ頬がちょっと赤いけど安からな顔をしているし、瀬名高君は軽くいびきをかいている。良かったと安心したのと同時に、私をあの結界から出すのに一番協力してくれた二人組が気になって、辺りを見回した。

「お、もしかして俺らのこと探してる?よお」

声に左側を振り返ると、仏頂面で膝を机にノートに何か書いて勉強している日ノ坂さんと、にかっと屈託なく笑うランケイさんがいた。この二人がいなかったら、私はここにいることさえ危うかっただろう。ふと日ノ坂さんが手を止めて、こちらをじろりと睨んでくる。私は丁度いいと思って、ベッドの上で正座をし、二人に向かって頭を下げた。

「日ノ坂さん、ランケイさん。本当に、ありがとうございました。二人が近くにいてくれたから、私は廃絶の結界の中でも生きていられたんだと思います」

「いいって。マジで、タイミングよく雨宿県にいて良かったよ。俺の力の本領発揮、って感じだな。な、将悟」

「・・・・・・ふん。ここにこんなに長くいる必要はない。欲しい参考書がなかったら、放って帰っていたところだった」

ランケイさんが不敵ににっと笑い、対して日ノ坂さんは眉間にぐっと皺を寄せてこちらを睨んでいる。どこの本屋さんかは分からないけど、そこの品ぞろえの良さに感謝していると、タンギンが学生帽を取ってぼりぼりと頭を掻いていた。もうすっかり土汚れを落としたようだけど、服はまだ大きく破れたままだ。彼は疲れている素振りは全く見せない。

「ま、確かに今回はマジでいい時にここにいたよな。鸞鏡の能力なんて、このためにあるようなもんだろ」

「なんつー言い草だとは思いつつも、確かに今回ばかりは俺がいて良かったな。なんつっても、地獄の果てまでも追いかける追跡術は、神仙でさえ唸ったほどなんだぜ?」

得意げなランケイさんに、そう言えばあの後シンセンさんはどうしたのか聞くと、もうとっくに帰ってしまったようだった。結局廃絶のボスはマクモさんに入れ替わった後、なにも仕掛けることなく私たちの退散を見ていたらしい。

「シンセンさんも来てくれて、安心しました」

「あいつ、全国に目と耳があるんじゃないかっつうくらい、どこにでも来るからな。すげえ奴だとは思いつつ、あいつの力にはちょっと引くわな。強すぎんのも、考え物だよなあ」

「・・・・・おや。僕はいつの間にか眠ってしまったみたいだね。あ、椿君!!無事だったかい!?」

瀬名高君が目を覚ましたのか、彼がこちらに向かっていつもの声量で話しかけてくる。その声に驚いたのか、日ノ坂さんが滑らかにノートの上で滑らせていたシャーペンをピタッと止めた。今にもベッドから起き上がってこちらに向かってきそうな彼を止めようと手を上げる前に、バンシキさんがすっと私の横から移動して彼の元に行った。じっくりと瀬名高君の顔を観察しつつ、デッサンでもするように遠くからも一通り見終わったバンシキさんは、真顔だった美しい顔をふと緩めて微笑んだ。さらり、と斜めにカットされた長い髪が揺れる。

「・・・・・・光。良かった、元気そうで」

「バンシキがすぐに僕を守ってくれたからね!僕はなんにもダメージはないさ!といいつつ、あの空間に長くいるのは堪えたがね。どうにも廃絶の結界の中にいると、気が滅入る気がするよ」

「いや、気のせいじゃないと思うぜ。あそこは時空も空気も歪んでやがる。人間がずっといていい場所じゃねえのは確かだな」

「ランケイ!いやー、君の能力には脱帽だよ!!よく椿君を救ってくれた、ありがとう!!指先から鏡の破片を溢れされる姿は、まさに魅惑の魔術師と言わざるを得ないね!!」

「・・・・・・うるさい」

日ノ坂さんがぼそりと零す。確かに、保健室のベッドの端と端で会話しているので、まだ寝ているレイちゃんも挟んでいることだし、こっちに来てもらった方が良かったのかもしれない。

「そう言えば、ショウゼツさんは?」

「あ?あいつはハート女の中で寝てるよ。そいつも風邪ひいてるし、ショウゼツはもともと力が強え方じゃねえからな」

レイちゃんも、風邪気味の中わざわざ私の元まで来てくれたのだ。良い友達を持ったなと思いつつ、私は彼女を呼びに行ってくれた日ノ坂さんにもう一度お礼を言った。彼は参考書に目を向けたままだけど。それでもいい。

「日ノ坂さん。レイちゃんたちを呼びに行ってくれて、ありがとうございました。ほんとに、二人のおかげでとても助けられました」

「礼はもう聞き飽きた。ランケイがこの女たちを呼びに行ってくれと言われたから、そうしたまでだ」

「将悟、超合理主義だから、必要なこと以外はしないんだよ。今回は夕陽さんたちのために必要だと思ったから、わざわざ走って碁色神社まで行ったんだよな」

「なっ、それは今関係ないだろう、ランケイ!!」

「今も何も、めっちゃ今に関係することだろうが」

ランケイさんが意地悪顔で横からこっそり補足して、日ノ坂さんが顔を赤くして参考書を乱暴に閉じた。この数時間だけでも、この二人はとても相性がいいことが分かる。人間に理解のあるランケイさんに、一見冷たいけど私を助けてくれた日ノ坂さん。こんないい二人が他無県にいると思うと、あの場所も悪くないな、と思えた。

「おお、日ノ坂君もいるじゃないか!!どうだね、せっかくだから一緒に学園祭を回らないか?僕がこの学校を案内するよ!!」

「うわ、せ、瀬名高。君、声が大きいぞ。ちょ、暑苦しい!」

瀬名高君がにこにこしながらこちらに来て、日ノ坂さんにちょっかいをかけている。彼も嫌がってはいるものの、完全に振り切りたいようではなくで、なんだかんだいいコンビだなと思い、ふと目を真っ白なシーツに落とす。手にこびりついていた永遠さんの血は、誰かが拭いてくれたのか、自然と消えたのか分からない。私は結界を去る前に、胃の中にいた不快な塊に話しかけられたのを思い出した。

《僕は本物の永遠じゃない。本物の永遠は、ここにいる》

《もう永遠は永遠ではいられない。次に君に会った永遠は、僕か、本物の永遠か、見極められるよね、夕陽ちゃん?》

この言葉の真意が掴めないまま私は記憶を失ってしまったけど、声は確実に永遠さんのままだった。今、永遠さんの体は乗っ取られているということなのか。だとしたら、一体いつから?私と出会った時は、本物の永遠さんだったのだろうか。あんなに優しくて、私のことを気にかけてくれた彼は、既に偽物に切り替わっていたのだろうか。彼との大切な思い出がよみがえってくると同時に混乱してきて、私は頭を抑えた。

すると、すっと両側から、私の手に何かが触れた。見ると、タンギンとランケイさんが私の手に触れて、互いの顔を見合わせている所だった。ポカンとしたランケイさんに、タンギンがすっと目を細めて口を開いた。

「・・・・・・こいつは俺の主だ。こいつの面倒は俺が見る」

「おーおー、そいつはすまんね。ほんとにこの子にかける熱量が違うな。結界の中でも、一目散にこの子を助けようと、怪我してんのにこっちにとびかかってきてさ」

ランケイさんはぱっと手を離し、降参というように手を上げた。あの煙が一気に上がった時、傍にいたのはランケイさんだったのに、私を支えてくれたのはタンギンだった。自分も万全の状態じゃないのに無茶したのかな、と思いつつ、私は段々と顔が熱くなっていくのを感じた。心配以上に、嬉しさが強い。

「そんなんじゃねえ!!こいつがいなくなったら力を使えなくなる、それだけだ」

「はいはい。そういうことにしときましょうかな」

「おい鸞鏡!!お前ほんとに口減らねえなあ!!」

タンギンが苛ついた様子でランケイさんに掴み掛かり、彼はそれをカラカラと笑って抑えている。二人とも仲がいいなと思っていると、傍にバンシキさんが来たので、私はそれを伝えた。

「・・・・・・二人は、一時期対となって活動していた。今でいう、鳧鐘と黄鐘のようなものだろうか」

「え、えっと。もう少し、身近な人で言うと、どんな感じでしょうか」

「・・・・・・雙調と平調のようなものだろうか」

「・・・・・・シモムさんと、カミムさんみたいな感じですか?」

「・・・・・ああ」

その例えがあったか、とゆっくり目を見開くバンシキさんを微笑ましく思いつつ、私は二人がそこまで親密な仲だったことに驚いた。ランケイさんはまだしも、タンギンは誰かと行動するのに向いてるとは言い難いタイプだ。そんな彼が対となって過ごしていたなんて、私は逆にランケイさんに興味が湧き始めた。

「おい、盤渉。夕陽に何を吹き込んだのか知らねえが、俺はこいつと対になんてなってねえよ。俺は誰かとつるんだりなんかしねえ」

「ま、それに鳧鐘と黄鐘はまた別のつるみ方だしな」

じゃれていた二人がこちらを振り返り、口を挟んでくる。タンギンがバンシキさんを睨むけど、彼は頭に?を浮かべている様子に諦めがついたのか、はあ、と大きくため息を吐いてランケイさんの首根っこを離した。ランケイさんは服装を直しつつ、自分の主を横目で見ていた。日ノ坂さんは瀬名高君に絡まれて顔は嫌がっているけど、友達と話せて嬉しそうにしているようにも見える。ランケイさんはふ、と笑い、よっこいせ、と私のベッドに腰を下ろした。まだ帰るつもりはないらしい。

「まあさ、そのうち断金は自分の口から語ってくれる日が来るだろうよ。俺との熱いバトルの話とかな」

「はあ?バトルってなんだよ。現代語に染まっちまいやがって」

「お、おい。バトルくらいは知っとけよ、おじいちゃん」

「誰がジジイだ!!」

「う、うーん・・・・・・あれ、なんかいっぱい人がいるように見える・・・・・・幻覚?」

タンギンの声に起きたのか、隣でずっと眠っていたレイちゃんが目を覚まし、ゆっくりと起き上がった。目を擦ってまだ眠そうだけど、大分顔色がいい。後ろからぴょこっとショウゼツさんが顔を出し、レイちゃんを心配そうに見下ろしている。

「レイさん、大丈夫っすか?俺のせいで力を遣わせないように、ここで大人しくしてたんすけど・・・・・・」

「ショウゼツ、ありがとね。もう大分よくなったよ。やっぱ睡眠時間は削るもんじゃないねー。寝たらよくなったんだもん」

「ほんとに、俺がいくらもう寝ましょって言っても聞かないんすもん。いつの間にか俺が寝ちゃってたし。もうこれからは、レイさんが寝なかったら実体化してでもベッドに連れてくっす!!」

「ええ、それはちょっと・・・・・・」

「その言い方は年頃の女の子にはちょっと過激だよなあ」

意気込んだ様子のショウゼツさんに、レイちゃんがさらに顔を赤くする。何となく私とランケイさんは想像できたけど、タンギンとバンシキさんはピンとこなかったのか、不思議そうな顔をしていた。タンギンが意味を理解したら、途端に顔を真っ赤にするだろうな、と簡単に想像できる。

「ま、まあともかくっす!夕陽さんも廃絶から奪還できたし、レイさんも健康になったし、一見落着っすね!」

「ま、俺が一応診とこうかな。レイさん、ていうの?ちょっと悪いけど、診察させてもらうぜ」

「え、ええ!!??め、めっちゃイケメンがこっちに近づいてくる!!さっきは緊急事態だったからスルーしたけど、何、私こんなにイケメンに囲まれて、今日が命日!?」

顔をさらに赤くして布団で顔を隠すレイちゃんに、ランケイさんは容赦なく近づいていき、顔を覗き込む。ショウゼツさんが下を向いてジャラ、と耳から垂れ下がった鎖のピアスをいじっていて、拗ねているのかなとちょっと可愛く思えた。

「ほら、イケメンな俺の顔を見てな。うん、目の充血はあるものの、顔色は良好だな。舌出して」

「ええええ!??どういう要求よ!?私、そこまで変態じゃないんですけど!?」

「診察だっつうの。ま、年頃の女の子はこの反応が普通か。普段将悟の傍にいるから、忘れてたわ」

「いや、そいつは普通じゃねえよ」

「黙っててよタンギン!!」

私はベッドから起き上がって一連のやり取りを、ショウゼツさんの傍に行って見守ることにした。彼は私の存在に気付いたのか、私を見下ろして困り笑いを浮かべている。彼も十分イケメンだと思う。赤い目と緑の髪、鎖のピアスに大きい体躯は、一度見たら忘れられない。

「夕陽さん、体調は大丈夫っすか?」

「はい。ショウゼツさんも、来てくれてありがとうございます」

「いやいや、俺は何もしてないっすよ。俺も除怨とは別に力があったらよかったんすけどね」

「式神って、除怨以外も力も使えるんですか?」

私の質問に、ショウゼツさんは意外そうに眼を見開いた。私を気遣ってくれてか、彼は中腰になってくれたので、首が痛くならなくて済む。

「断金さんから聞いてないんすか?そうっすよ、式神は、持っている力が強ければ強いほど、主から離れて活動できるし、除怨以外に何か能力を持ってるっす。鸞鏡さんは断金さんの次に力が強いっすからね、あの魔法みたいな力も使えるってわけっす」

「鏡で出来たネズミが、私と永遠さんの元に来てくれたやつ、ですか?」

「そうっす。物体をどこまでも追跡できる能力は、自分の主の行方を捜すのにうってつけっすからね。盤渉さんだったら、人間を癒すことができるっす。ほら、レイさんを癒そうと近づいてるけど、はしゃいでる彼女に近づけなくて、おろおろしてるっす」

「・・・・・・バンシキさんらしいですね」

「っす。あー、いいなあ。世の中、不公平っすよねえ。イケメンな人には、力もついてくるんすから」

ショウゼツさんはぐーっと背伸びをして、ふう、と軽く息をついた。マクモさんからちょくちょく力が弱いと言われてしまう彼は、自分が周りより劣っている、と感じてしまっているのだろうか。その気持ちはすごく分かる。でも、彼に対しては私はそうは思わなかった。

「・・・・・・ショウゼツさんは、十分かっこいいですよ」

「え?」

「最初にあった時から、私にすぐ挨拶してくれたし、主が決まる前までは親しく話しかけてくれたし。すぐレイちゃんとも仲良くなったし、タンギンがいくら暴れても、私たちが重い空気になっても、明るくしてくれたのはいつもショウゼツさんだったじゃないですか。それって、十分能力だと思うんです」

私の言葉に、段々とショウゼツさんの頬が赤くなっていく。彼のこんな顔初めて見たかもしれない。でも、私は言葉を止めなかった。

「周りの空気を明るくするのは、私はできません。多分、タンギンも出来ないだろうし。ショウゼツさんにしかできないことが、たくさんあります。レイちゃんを守るのも」

私はふと前を見る。修学旅行の時、レイちゃんがショウゼツさんに対しても思いを零していたことを、私は聞き逃さなかった。自分を守ってくれる存在がかっこいいと思えるだなんて、とても幸せなことだ。

「それに、除怨する時のショウゼツさん、とてもかっこいいですよ。レイちゃんも言ってました」

「ゆ、夕陽さん・・・・・・」

ショウゼツさんは軽く目じりを拭うと、がしっと私の両腕を掴み、ぎゅっと自分の胸元に引き寄せた。あまりのことに、何が起こったのか分からず、思考停止する。

「夕陽さん、ありがとうっす!!誠実で純粋な言葉に、清められたっす!俺には俺にしかできないことがあるっすよね!!そうすっすよ、落ち込むなんて俺らしくな」

「おい勝絶!!!てめえ何やってんだ!!」

「ゆ、夕陽ちゃん!!??」

ショウゼツさんの言葉が途切れ、彼の体がタンギンによって即座に横にはったおされる。混乱した様子のレイちゃんが体を揺さぶってきて、誤解を解いたころには、学園祭1日目は終わっていた。





「じゃ、俺たち帰るわ。長居しちまったなー。将悟、電車あるか?」

「あと20分後だ。まだ間に合う」

楽しそうに頭で手を組んでつやつやしたランケイさんと、瀬名高君にもみくちゃにされて髪がぼさぼさの日ノ坂さんを見送るため、みんなで校門前で立ち止まる。レイちゃんは大事を取ってショウゼツさんと先に帰った。もうすっかり日が暮れて、人の影と建物の影が一緒に溶け込んで地面に落ちている。日ノ坂さんは参考書から目を離さないものの、手には瀬名高君からもらったであろうパンの手提げ袋が下がっていて、思わず微笑んだ。ふと彼が顔を上げ、きらりと眼鏡を反射させる。

「なんだ?もう俺らを変な事件に巻き込むのだけは止めてくれ。今日は随分時間を無駄にしてしまった」

「え、えっと。今日は本当ありがとうございました・・・・・・・ずっと、何を読んでいらっしゃるのかなって」

「これは医学書だ。以上。ランケイ、帰るぞ」

「ええ?風情がねえなあ。ここに来ることも早々ないんだし、瀬名高君に何か一声かけてやってもいいんじゃねえの?」

「もう十分話した」

「日ノ坂君!!今日は本当に来てくれてありがとう!大したもてなしもできず、申し訳ないね!今度は僕から君に挨拶に行こう!その時は、焼きたてのパンを持っていくから安心してくれたまえ!」

「も、もういい!いらない!」

二人がまたぎゃーぎゃー言っている間、私は目の前で二人を微笑ましそうに見ていたランケイさんに話しかけた。たくさん介抱してもらったからか、なんだかお兄ちゃんができた気分になる。

「ランケイさんって、なんでそんなに人間の体調に詳しいんですか?」

「ああ、俺、ずっと医者の主についてたのよ。診察の時、傍で観察しててさ。ずうっと見てたら、人間より人間に詳しくなっちまった、って感じかな」

ランケイさんが微笑む。実体化していない分透けて見えるけど、パイロットみたいな服装に医者の能力があるのはすごいな、と思う。くせっけの髪をいじりつつ、ぐっと顔を近づけてきたので、思わずのけぞってしまった。

「夕陽さんは、今ちょっと貧血気味だな。帰ったらレバニラでも食べな。はは、これ以上医者まがいのことすると、式神たちからの視線が痛いわ。俺の主に近づくな、ってな」

ランケイさんの視線の先を見ると、後ろでタンギンがおよそ命の恩人に向けていいものではない目線を彼に送っていた。私はもう一度頭を下げると、彼の声が飛んでくる。

「もしお礼したいんだったらさ、将悟と仲良くしてやってくれや。あいつ、あの態度だから友達がいねえのよ。でも、瀬名高君とは仲良さそうにやってるし、お前さんのことも無視してないしさ。あいつ、興味ない人間は無視するから」

「そ、そうなんですか。わ、分かりました」

すると、ランケイさんがあ、と言ったようにポンと手を叩き、「あんなところにスーパーの特売のチラシが!」と後ろ側を指さした。タンギンの目が光り、彼が一瞬私の後ろから離れると、ランケイさんは私の耳元にぐっと口を近づけてきた。式神からは匂いなんてしないはずなのに、消毒液の匂いがふわっと香ってくる。

「断金の能力、除怨以外に見つけたら声かけてよ。俺、あいつのことが心配だからさ」

「・・・・・・心配?」

私のオウム返しに、彼は眉を下げてふっと笑うと、顔を離してふらりと手を振った。タンギンが即座に走ってきて、私とランケイさんの間に鉄拳を突いてくる。

「おお、危ね。じゃあな、皆さん方。次はお茶にでも行こうや、そんなに遠くないんだしさ」

「もう来ないからな。来るならお前らから来い」

「ああ、僕たちから行こう!!またな、日ノ坂君!」

「・・・・・・ふん」

「ありがとうございました」

「ああ。またな」

そう言って、ランケイさんはふっと姿を消して、日ノ坂さんだけの姿が駅へと向かっていった。壮絶な学園祭1日目が終わり、私とタンギン、瀬名高君とバンシキさんだけが門の前に残る。私たちは同時にふう、と息を吐くと、顔を見合わせた。途端に、瀬名高君が大きく口を開けて笑う。バンシキさんも口元を抑えているし、タンギンも吹き出して顔を横に逸らしていた。

「ははは、今日は本当に色々あったな!ため息もつきたくなるというものだよ。しかし、学園祭だというのに、気が付いたら終わっていたね」

「明日もあるけど、ほぼ片付けと後夜祭だもんね。出し物、回りたかったな」

「・・・・・・光と椿が楽しそうにしているところを、もっと見たかった」

「結局、夕陽と巡回も出来なかったしよ」

タンギンの発言に、みんな一斉にん?といった様子で振り返る。彼は気付かないのか、もう一度ふう、と息を吐くと、私を振り返った。暗闇の中だと、彼の顔色は分からない。

「お前、疲れてんだし、もう帰ろうぜ。俺も今日は堪えたわ、コンビニでいいか?」

「う、うん。タンギン、やっぱり怪我痛む?」

「いや、なんとも。盤渉のおかげでだいぶ良くなったわ。助かった」

「・・・・・・いや。大したことはしていない」

と言いつつ、バンシキさんはタンギンに近寄ると、長い前髪を上げて、自分のおでこをタンギンのおでこに当てた。美少年同士の接近に、レイちゃんが悲鳴をあげそうだなと思いつつ、やっぱりタンギンは本調子じゃないんだなと察する。一方本人はぎょっとした後、ゴツン!!と頭を突き出してバンシキさんに攻撃していた。くらっと彼の体が傾き、私と瀬名高君が慌てて支えようとするけど、当然すり抜けてしまう。

「てめえ、急になんだよ!?餓鬼じゃねえんだ、熱の測り方くらい他にあるだろ!!」

「・・・・・・すまない。これが一番早いと思って」

「お前の基準はあてになんねえ!!」


そんなこんなで、私たちは教室に戻って着替えると、帰路を歩いていった。瀬名高君も隣にいたけど、正直何を話したのか覚えていない。思ったより疲れていたのか、ご飯を食べた後すぐお風呂に入って、体が早めにベッドに向かっていた。タンギンも私の後ろでずっと眠っている。あれだけ大きな怪我をしたのだ、みんなに心配をかけないよう、強がっていたのだろう。

電気を消して、体に布団をかぶせる。今日起きたことを頭の中で反芻しようとするけど、思い出したくない、と自分で記憶に蓋をしてしまう。きっと、考え始めたら、泣いてしまうかもしれないから。

「おやすみ、夕陽」

ぼそりと、小さく声が聞こえて、思わず起き上がって後ろを振り返る。タンギンとは思えない小さく柔らかい声に、私は布団をかぶり直して、目を閉じた。怖かった時、助けに来てくれた美しい金色の彼が思い出される。

「・・・・・・おやすみ、タンギン」

私の言葉は暗い部屋の中に溶けていき、私は眠りに落ちていった。




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