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29.学園祭1日目

今日は、朝からとてもいい天気だ。平べったい雲の後ろには真っ青な空が広がっていて、少し木の葉の匂いが混じった心地いい風が吹き抜けていく。

私は玄関の鍵を閉めると、ぐっと伸びをした。縮こまっていた筋肉が広がって、心も体も開放的になる。手に持った鞄の重さが、重りになって余計に背筋が伸びた。

「・・・・・・それ、何が入ってんだ?一昨日からなんか間抜けな鼻歌歌いながら荷物詰めてたけどよ」

後ろからひょっこりとタンギンが仏頂面で姿を現し、ひょいと私の手から鞄を取り上げた。彼も最近、私に負けないくらいに無表情だ。歯磨きをしていると、鏡に二人セットで感情のない人が映るから、なんだか笑ってしまいそうになる。

鏡に映るといえば、彼は最近よく実体化する。私が部屋で宿題をしているとまめに飲み物を持ってきてくれたり、寝る前に鋭い眼光のまましばらく見守ってくれたり、学校で荷物を運んでいると代わりに持ってくれたりしていた。そのせいで一度他の生徒にバレそうになって、突然姿を消した彼の手にあった荷物の先が私の足に激突し、周りの子の神妙な目線を受けながら暗い廊下にうずくまったのを覚えている。実体化はかなり体力を使うから、除怨のためにも控えたい、と言っていたはずだったけど、もう慣れたのだろうか。それとも、彼の中で心境の変化があったのだろうか。

私は歩き出して、玄関の門を閉める。主だから感じ取れる式神の感情は、日に日に強くなっている気がした。

タンギンは、何かを恐れている。

それはきっと、私の身に降りかかるものだろう。だから心配で、実体化して私を守ろうとしてくれているのだ。確かに、この前ホウキョウさんの結界に閉じ込められた時は、タンギンは私たちの存在を感じ取っていたらしい。と言うことはつまり、結界の中で私たちがどうなろうと、安否確認ができないということだ。瀬名高君と二人っきりで、しかも仲直りできたことに浮き足立っていたけど、これは一度みんなで真剣に話し合うべき問題かもしれない。

「おい、聞いてんのかよ。これはなんだっつうの」

「ご、ごめん。考え事してた。この中身は、別に変なものじゃないよ。ほら」

私は袋の中身をタンギンに見せると、彼は?を頭の上に浮かべ、怪訝そうな顔をした。普段しない素直な反応に、可愛いとすら思えてくる。それが伝わったのか、彼の眉間の皺が増える。

「これは学園祭で使う布だよ。お化け屋敷だから、客寄せで巡回する時用に使うんだって。被れるくらい長いタオルなんだけど、私は全然使ってなかったから、引き出しから引っ張り出してきたの」

「・・・・・はあん。くそどうでも良かったわ。そういや、今日は学園祭だったな。お前は何やるんだよ」

タンギンは腑抜けた相槌を打ちつつも、話に食いついてくる。彼が学校行事に興味を持つなんて珍しい。今は実体化せず私の隣を浮いているけど、もし彼が式神じゃなくてクラスメイトだったら、こんな風に一緒に登校してただろうか、なんて一瞬頭をよぎった。私は少し高い彼の目を見上げた。半透明の彼越しに、黄色く染まった銀杏が見える。

「私は、なんだったかな。一日中巡回だった気がする。明日も」

「2日間開催なんかよ。しかもずっと巡回かよ」

「うん。明日は、レイちゃんと学校の出し物回って、後夜祭に出るつもり・・・・・・だって、知らない人脅かすの、無理だもん。緊張する」

「おめえは変わんねえなあ。そういや、メイドお化け屋敷なんだろ?メイドってなんだ?」

私は隣にいる少年の姿をしたおじいちゃんを凝視する。彼は極端にカタカナに弱い。今時おじいちゃんですらメイドなんて知っている気がするけど、一体彼は何歳なのか。

「なんだよ、そのジジイを見るような目は」

「ようなじゃなくて、そうなんだけど」

「ああ!?てめえ調子に乗りやがって!!」

タンギンに掴み掛かられそうな所で、道に人通りが増えてきて、彼は舌打ちを残して消えてしまった。見ると、サラリーマンの後ろから、うちの制服を着た学生がわくわくした顔で追い抜かしていった。衣替えも終わったので、ブレザーの下にニットを着てる子もいる。パーカーは校則で駄目らしいけど、着てる子も全然いるから、うちは校則に関しては緩めみたいだ。

「夕陽ちゃん、おっはよーー!」

校門に差し掛かったところで声をかけられ、振り返ると、頬を赤く染め満面の笑みを浮かべたレイちゃんがこっちに向かってきていた。季節外れだけど、向日葵顔負けのキラキラした笑顔だ。しかし、目の下にとんでもない隈を作っている。何事か聞こうとしたけど、彼女が手に持っている大きな紙袋がガサガサ音を立てていたので、まずはそちらから聞くことにした。

「おはよう、レイちゃん。その荷物って、もしかしてお化け屋敷で使う服?」

「ううん、これは手持ち看板!昨日徹夜で作ったんだー。そう言えば夕陽ちゃんてお客さん勧誘で学校中歩くんだよね?そしたらこれ夕陽ちゃんが持つんじゃん!頑張ってよかったー!!」

袋から出てきたのは、『1-C メイドお化け屋敷』の文字と、可愛いポップなキャラクターが描かれた手持ち看板だった。結構な大きさで、プラカードくらいある。これを一人で作ったなんて、レイちゃんは美術部でも活躍できるかもしれない。

「すごいね、これ。文字も丸くて可愛いし、このイラストも・・・・・・これは、誰だろう。でもこれ、時間かかったよね」

「え、レイちゃんこのキャラクター知らないの!?今流行ってんのに、相変わらず流行に疎いねー!そーなの、もう5時間くらいかかってさ、2時間しか寝てない!でも楽しい!!」

さらっと棘を刺されたけど、レイちゃんはこれからのお祭りが楽しみで仕方ない様子だった。私も釣られて笑顔になり、ちょっと駆け足でクラスへと向かった。

「ありがとう。私もすごく楽しみだよ。1日目、楽しもうね」

「うん!!私午前中は運営で抜けられないから、午後は一緒に巡回しよ!!他のクラスの様子も分かるし!」

レイちゃんはふらつきつつも、階段を上っていく。ちょっと調子が悪そうだけど平気かな、と彼女の背中を見ていると、するっとショウゼツさんが出てきた。私の思っていることに気付いたのか、大きな背を丸めてこそこそ声で私に話しかけてくる。

「おはようございますっす、夕陽さん」

「お、おはよう、ショウゼツさん。その、レイちゃん大丈夫かな?すごい隈だけど」

「それが、2時間しか寝てないとか言ってたっすけど、ほんとは一睡もできてないんすよ。昨日からそわそわしてたし、楽しみで眠れなかったんじゃないっすかね。俺も気を付けてみてるっすけど、夕陽さんもちょっと気にかけてあげてほしいっす」

「分かった」

すっかり遠くなったレイちゃんが、クラスのみんなと楽しそうに看板を見せ合って笑っている。隣でタンギンが、「遠足が楽しみな小学生かよ」とつぶやいていた。そういう現代のあるあるは分かるんだなと思いつつも、私はすっかりいつもの教室と違った部屋へと入っていった。





うちのクラスはお化け屋敷がメインなので、窓は全部暗い布で覆われている。でも、全部暗くすると防犯面で危なかったり、下が見えなくて転んだりする、と台心先生から指摘が入り、1メートルごとに豆電球が設置されているので、重苦しい雰囲気はない。

メイド、と名乗っている以上、脅かしに出る幽霊役も、受付もメイド服を着ているので、開始前のクラスの雰囲気はコスプレ大会みたいだった。なにせ半数がふりふりした服なので、先生もどこか居心地悪そうにしている。ちなみに先生はいつものスーツだった。メイド服は断固拒否したらしい。私は拒否し仕切れずに白くなっているふりふりの瀬名高君を見た。到着早々みんなの輪の中にいたので、彼とはまだ話せていない。ちょっとでもいいから、一緒に回りたいな、と思う。

そんなことを考えていると、先生の朝礼が終わり、壁に設置されているスピーカーから呼鳥先輩の声が聞こえてきた。去年は学園祭が始まる前に全生徒が体育館で開会式をして大混雑したらしいので、今年は省エネで各クラスで先輩の挨拶を聞くだけらしい。先輩の後ろからくすくす笑い声が聞こえ、きっと生徒会役委員の人たちが彼の後ろにいるんだろうなと想像がつく。

《では皆さん、今年に一度しかない学園祭、はしゃぎすぎず、最高に楽しみましょう!!》

その声を皮切りに、わっと学校中から歓声が沸いた。うちのクラスもみんなで拳を振り上げ、渇を入れる。

「よし!脅かしに脅かしまくって、出し物ランキング一位獲るぞーー!!」

「「「おおーーーー!!!」」」

「よし、全員持ち場に付いてくれー!!」

「あ、すごい!見て、門から他校の人たちが入って来てるよ!!イケメン来るかな!?」

「脅かすグループの人たち、一旦こっちきてー!!」

周りにはもう他校の学生服を着ている人たちが見えて、これからもっと込みそうだな、とぼんやり思いつつ、私は自前の布を頭から被って、レイちゃん特製の看板を持つ。事前に目元に穴はあけてあったので、なんとか前は見えた。メイドの中にお化けっぽいのが混じっていると目立つのか、クラスの子の笑い声が聞こえてきた。笑い声と言っても、嫌なものではなく、微笑ましいと言った声で安心する。

「ふふ、その中にいるの、夕陽ちゃんでしょ」

「なんか可愛い。客引き、頑張ってね!」

「うん。いってきます」

みんなの見送りを背に、私はクラスから出ようとした、その時だった。


「ちょっとレイ、大丈夫!?」

萌ちゃんの声が聞こえて、私はすぐ踵を返して、お化け役の子たちが集まったグループがいる方へ向かった。人だかりの隙間から、レイちゃんがしゃがみ込んでいるのが見えて、私は一瞬で血の気が引いた。

「レイちゃん、大丈夫!?」

「ゆ、夕陽ちゃん・・・・・・なんだか、急にだるくなっちゃって・・・・・・」

「ちょっと男子、先生呼んで!」

彼女の耳は赤く、でも顔は白かった。目元の隈が一層際立って見える。やっぱり体調が悪かったのだ。すぐに保健室の先生と実行委員の救護班の子たちが駆けつけてくれて、あっという間に担架に担がれていく。

「レイちゃん・・・・・・」

「夕陽ちゃん・・・・・・一緒に回れなくて、ごめんね・・・・・・後は、頼んだよ・・・・・・」

「おい、碁色。死ぬんじゃねえんだからさ」

「レイ、ちょっと笑ってない?」

燃え尽きた様子で私に手を差し伸べるレイちゃんに、クラスの子から突っ込みが飛んでくる。レイちゃんはぷっと笑うと、体を横にしたまま、ちょっと笑った。でも心配だ。

「大丈夫、ちょっとくらっと来ただけだから。ごめんね、おおがかりにしちゃって。明日には絶対直ってるようにするからさ、今はみんなで作り上げたお化け屋敷、楽しんで!!」

そう言って、レイちゃんは退場していった。クラスのみんなは名残惜しそうにしつつも、一般のお客さんは入り口で待機しているのが目に入ったのか、ぱっと持ち場に付いている。グループのリーダーの子が「あ」と声を漏らしたのと、私の布の裾を引っ張ったのが同時だった。

「ねえ、この中にいるの、椿さんだよね?」

「う、うん。ほら」

私は咄嗟に顔を見せると、その子はパッと顔を明るくして、私の手に服を乗せてきた。それが何かを見る前に、嫌な予感が背筋を伝ってくる。彼女は脅迫にも似た笑顔で頬を引きつらせながら、私の手をガッと握った。あまりの圧に、言葉が出ない。

「ねえ、椿さん。レイの代わりに、脅かし役、やってもらえないかな?午前中だけでいいから。ね?」

「え、えっと。う、ん。これ、着るの?」

「もちろん!うちのコンセプトはメイドだから。露出も多くないし、服余ってるし、暗いから良く見えないし。ね?」

この子は確か、頬月まいちゃんだ。今まであまりしゃべったことはなかったけど、ここまで押しの強い子だとは思わなかった。彼女に負けて、私は大人しく更衣室に行ってさっさと着替えてくる。ここでごねていても仕方ないし、お客さんが廊下を歩いていると、早く持ち場に行って脅かさないと、と謎の使命感が襲ってくる。私も浮かれてるな、と思うけど、レイちゃんの役にも立ちたいし、とエプロンを付けた。

よく見ると瀬名高君が着ていたものと一緒で、長袖の黒いワンピースにふりふりの白いエプロンという、ザ・メイドって感じの服だ。お化け屋敷要素なのか、お情けで若干エプロンに雑に赤いペンキがちりばめられている。意外と丈が短くてハイソックスだけじゃ寒いし、どこで買ってきたのか知らないけど丁寧にカチューシャとヒールの高い靴まであって、予想以上に恥ずかしい。会場は暗いから、と自分に言い聞かせて更衣室の扉の前に立つ。横からタンギンがすんごいじろじろと見てくるので、私は彼のいる場所にぶんぶんと手を振って追い払った。もちろん透けているので意味はない。

「・・・・・・はー、これがメイドって奴か・・・・・・」

「は、恥ずかしいから見ないで。これ着るのが嫌だったから布にしたのに」

「・・・・・・別に、恥ずかしくねえだろ。でも、ちょっと丈が短けえな。ジャージ履けや」

彼の声もそこそこに聞きつつ、持ち場に急ごうと更衣室から出ると、一気に人の視線が集まってくる。私は何かいけないことをしてしまったかと、もう一度扉を閉じた。

「おい、何してんだよ。いつまでもこの部屋に閉じこもってるわけにはいかねえだろ?」

「で、でも、なんかみんな、すごい見てきたよ。私、やっぱり似合ってないから・・・・・・」

扉の前でしゃがみ、羞恥心と戦う。タンギンの言う通り、ここでまごついていても仕方ない。さっさとクラスに行けばいいのに、人の目が気になって仕方ない。私は熱くなった顔を抑えつつ、タンギンを見上げた。見ると、タンギンも顔が赤い。その意味が何となく察することができて、私は頬から湯気が上がりそうだった。

「た、タンギン。変じゃ、ないかな」

「・・・・・・うるせえよ!さっさと教室行って脅かしてこいや!!」

彼の喝に、私は頷いて、目を伏せたまま扉を開けて、クラスの方へと向かった。普段下を向いて歩いているせいか、靴の方向で人がどう進むか大体分かるので、上手く人込みに紛れて人の目に映らないようにする。もうすぐクラスの入り口だ。ここなら、暗いから目立たない。

すると、思いっきり誰かにぶつかってしまった。一般の人だったらどうしようと顔を上げると、そこにはお揃いの服を着た瀬名高君が、私を見て一瞬で顔を真っ赤にしていた。前まで付いていなかった血が、彼のエプロンにも付いていて、急遽こしらえられたものだと分かる。

「つ、椿君!?どうしてその服を着ているんだい!?いや、似合っているが!って、そうか、碁色君が早退してしまったから、代わりをやってくれているのか」

「う、うん。レイちゃん、大丈夫かな。後でお見舞いに行かないと」

「じゃあ、今日の帰りに一緒に行こうか。彼女にはショウゼツが付いているから、何かあったら彼が連絡してくれるだろう」

「う、うん・・・・・・」

喋るほど恥ずかしそうに赤くなる瀬名高君に、私まで彼の顔が見れなくなってくる。この前の仲直りの時に、彼に抱きしめられた感覚が取れなくて、体がぞわぞわした。そうしているうちに、一般のお客さんがこちらに並んでいたので、急いで中に入る。

「せ、瀬名高君。私、恥ずかしくて、お客さんを脅かせられないかもしれなくて・・・・・・頑張るけど」

彼の背中に話しかけると、彼が急に止まる。背中に軽くぶつかってしまい、上を見上げると、彼は「いい提案がある」と私にウインクした。豆電球の光が彼の顔色をごまかしていて、良かったと思った。





「メイドお化け屋敷って何だろうと思ったけど、ただのお化け屋敷っぽいねー」

「ね。なんかたいして面白くないし、学生がメイド服着たかっただけ、みたいな?」

「あはは、言えてるー」

お客さんの声が近づいてくる。大きな木のオブジェの陰に隠れ、私はドキドキと胸を打つ心臓をどうにか抑えようと、ぎゅっと拳を握りしめて胸に当てた。2人分の知らない声がクラスの壁に反響する。そろそろ、出番だ。私はゆっくりと、影から姿を現した。

「あ、また学生さんかな?どんな子が・・・・・・」

「・・・・・・」

「う、うわあーーーっ!!」

「え、なになになに!?って、きゃーーーー!!!」

耳を塞ぎたくなるお手本のような悲鳴を上げて、二人組は大急ぎで出口へと進んでいった。一人は腰が抜けてしまったのか、四つん這いになりながら明るみへと向かっていく。

ちょっと意地悪しすぎたかな、と思いつつも、上手くいったことが嬉しくて、私はまた持ち場へと戻った。先ほどの悲鳴が聞こえたのか、廊下を挟んだ向こうの空間からざわめきが聞こえる。

「・・・・・・底なし元気馬鹿も、よく考えるよな。メイド、っつう概念はぶっ壊したけどよ」

「でもこれ、効果てきめんだね。そんなに怖いかな?」

横から出てきたタンギンが、さっきみたいに私を頭から先まで見る。顎に手を当てつつ、ふっと鼻で笑った。

「さあな。まあ、この暗闇の中じゃ不気味に見えんじゃねえの。客はメイドしか出ねえ、って油断してる最後に、お前だもんな」

瀬名高君の提案は、私が巡回用に被っていた布を被って脅かしたらどうだ、というものだった。メイド服を着る、というコンセプトである以上、脅かす人は人間だから、最後にまた人間だろうと油断した所で、人間以外が出るのは効果的だ、とのことだった。この短時間でここまで考えられるなんて、彼のアイディア力には脱帽だ。しかも私がゆっくり出るのがさらに不気味なのか、さっきからお客さんが異常に驚いてくれる。メイド服を見られるのが恥ずかしかったから一石二鳥だ。私はちょっと楽しくなりつつ、またオブジェの陰に隠れた。

「さっきの声、このクラスからだろ?一体何が出たんだ?」

「でもずっとメイドが脅かしてくるだけだよ?そんな変なものなんて・・・・・・」

「・・・・・・あの」

「うわっ!!で、出た!!」

「なにこれ!!キモ!!」

お客さんの声が遠ざかっていく。さっきまでのわくわくした気持ちが一気に萎んでいって、私はまた陰に隠れようとした。でもさらに後ろに人がいたのか、私の姿に硬直しているのか見える。私は急いで振り返ったので布を踏んづけてしまい、体制を崩してしまった。布が一気に広がり、前が見えなくなる。

「わっ!!」

「・・・・・・危なっかしすぎだろ」

「う、うわあああああ!!!!」

タンギンの声が耳元で聞こえたと思ったら、大きな男の人の悲鳴が出口へと遠ざかっていった。私の姿はそんなに不気味だろうか、と段々悲しくなってくるけど、さっきのは完全に私のミスだ。それでも倒れてないのは、タンギンが支えてくれたからだろう。私は顔を上げると、タンギンがそっぽを向いて完全にずれた布を私にバサンとかぶせてきた。視界が一気に塞がれる。

「わ。あ、ありがとう、タンギン。危うく転ぶとこだったよ」

「・・・・・・お前の後ろで、俺が花札で下から光を当ててやってたんだよ。だから客から見たら化け物に見えんだろ。お前が不気味なわけじゃねえよ」

そう言って、タンギンは消えてしまった。よく見ると、確かにオブジェの下には花札が何枚か置いてある。でも、懐中電灯のようにほんのりと明るいだけだから、これが大きく影響しているわけじゃないだろう。タンギンのフォローに、心が温かくなる。

それに、タンギンが私を支えてくれた感覚がまだ腕に残っている。瀬名高君に加えてタンギンにまでも体を掴まれて、なんだかおかしくなりそうだ。下を向くと絵の具にまみれたフリルがうすぼんやりと見える。なんだかんだ言ってタンギンは私を支えてくれるんだなと思うと、安心して生活できる。私は前に進み、油断しておしゃべりしているお客さんの前に出て悲鳴を聞いた。





「いやー、椿さん、お疲れ様!ありがとね、急遽お化け役入ってもらって!レイにも伝えとくよ。それにしても、椿さんのゾーンでめっちゃ悲鳴上がってなかった?どうやったの?」

午前中の部が終わり、私含めた脅かしグループの子たちが一度教室の端にある控室に集まった。確かにみんなメイド服を着ているので、私だけがお化けっぽい見た目だ。私は事情を説明すると、みんな納得してくれたようで、この布を午後でも使っていいか聞いてくれた。

「なるほどね、確かに驚かしてくる奴が全員メイド服だけってのも物足りなかったかもね。これ、ほんとに借りててもいいの?」

「うん。結構効果あったと思うし、私はもう使わないから・・・・・・コンセプトとはずれちゃったんだけど、ごめんね」

「いいのいいの!いいアイディアありがとね!じゃ、午後も任せて!巡回は任せた!」

頬月さんはそう言って私の肩をポン、と叩くと、午後の部の脅かし隊の子に声をかけに行った。頼れる子だな、と思っていると、「椿君!」と声がして、振り返る。見ると、メイド服の瀬名高君が笑ってこちらに手を振っていた。心が跳ね、急いで彼の元へ飛んでいく。

「お化け役、上手くいったみたいだね。お疲れ様!椿君ならできると僕は信じていたよ!」

「ありがとう。瀬名高君のおかげで大成功だったよ。布も、今後使っていくみたい。良かった」

「いいじゃないか!これでうちのクラスの出し物はまた有名になってしまうね!はっはっは・・・・・・ところで、椿君は午後はどうするつもりかな?」

彼の言葉に、一瞬思考が停止する。午後はレイちゃんと巡回しつつ他のクラスの出し物を見に行こうとしていたので、レイちゃんがいなくなった今、予定は白紙になった。一人で巡回すると思うと気が重い。でも、放課後瀬名高君とレイちゃんのお見舞いに行けると思うと、なんでも頑張れる気がした。

「何も決めてなかったな。瀬名高君は予定あるの?」

「実は、風紀委員の何名かが学校全体の警備と監視を行っていて、僕はそれに選ばれてしまってね、午後はそれにつきっきりなんだ。だからもし放課後、長引きそうだったら君の所に連絡を入れるよ」

「そ、そっか・・・・・・」

困り顔の彼に、やっぱり人気者だなと思うと同時に、もしかしたら彼とお見舞いに行けないかもしれないことに、膨らんだ期待が萎んでいくのを感じる。すると、横で誰かの気配がした。肩が彼の胸に当たっても違和感のないくらい身近なその人は、ふっと笑うと、私が手に持っていたプラカードをバットのように肩に担いだ。

「じゃあ、その役割は俺が引き継いでやるよ。こいつと巡回もしてやるし、見舞いにも行ってやる。廃絶がこの人込みの中を狙ってくるかもしれねえし、丁度いいだろ?」

「タンギン・・・・・・」

「ふむ、確かに・・・・・・しかし、君はいささか学校では目立ちすぎるんじゃないのかい?式神は顔が整っているからね、バンシキが実体化したのを見られた時なんて大騒ぎだったよ」

その時の苦労を思い出したのか、瀬名高君が眉根に皺を寄せる。タンギンは今も実体化しているので、私は周りのみんなが騒がないか内心ひやひやしていた。心なしか、さっきよりも人の目がこちらに向いている気がする。すると彼は、いつも羽織っているトレードマークを肩から降ろし、頭から被った。まるで、さっきまでの私のように。

「んなら、こうしてりゃあいいだろうが。これなら俺の顔も見えねえし、お化け屋敷の客引きっぽいし、丁度いいだろ」

「た、確かに。それ、そんな長かったんだね。前は見えるの?」

「お前、誰に向かって口きいてんだよ。式神に見えねえもんなんてねえっつうの」

タンギンはぶっきらぼうに言うと、横でひっそりと私たちのやり取りを見守っていたバンシキさんに向かって怪しく笑った。バンシキさんはしどろもどろしながらも、自分の主をチラチラ見ている。どういう感情なのかは、私にはまだ計れなかった。

瀬名高君は優しく笑うと、眉を下げて口を開いた。ちょっと躊躇っている彼は珍しい。

「・・・・・・じゃあ、お願いしようかな。僕は僕でできることをしよう!タンギン、椿君をよろしく頼む!」

「はっ、言われなくても。つうかお前ら、恰好似てんな。揃いも揃ってふりふりしやがって」

タンギンの指摘に、私は今自分がどういう恰好をしているか気づき、一気に恥ずかしさが襲ってきた。あの布を引き渡してしまったということは、このメイド服のまま巡回をしないといけないことになる。しかも横にはどでかいジャケットを被ったどでかいお化けがプラカードを持っている状態だ。こんなの、目を引かないわけがない。私はどうにかして存在感を消そうと、背を丸めて出来るだけ自分を小さく見せようとした。遠くから瀬名高君を呼ぶ声が聞こえて、彼が振りかえる。

「じゃあ、僕は行くよ。巡回中、見かけたらまた声かけることにしよう!君とお揃いの恰好をしている人がいたら、ぜひ近づいてきてくれ!」

ひらりと振られた手に、私も振り返す。人込みの中に消えていった彼を何となく見ていると、隣で肩をゴンッと殴られた。いたずらを仕掛けた小学生のような無垢な笑いを浮かべるタンギンが、ジャケットの下から片目を隠してこちらを見ている。大勢の知らない人が行きかう秋晴れの中、タンギンがこうして隣にいるという光景に、私は不思議な高揚感があった。眩しく光るオレンジのピアスが、彼が現実にいることをありありと証明している。

「お前、昼飯食わなくていいのか?ぶっ倒れても知らねえぞ」

「う、うん。午後、よろしくね」

「午後も何も、ずっと一緒にいるだろうが」

「・・・・・・うん、ありがとう」


今となっては当たり前になってしまった、自分を理解してくれる相手が隣にいるということに、私は幸せに身を浸した。ただでさえでかいタンギンが真っ白な物体となって廊下を突っ切ってくれるから、人にぶつかることなく私は1階の玄関前のスペースに無事につけた。クラスが並ぶ廊下は大混雑しているけど、ここは教室と職員室を挟む廊下なので、他の人も休憩中のようだ。

いつもはここにおにぎりやさんやパン屋さんが出張で売店を開いているので、4時間目のチャイムが終わった直後にダッシュでみんなここに集まる。今日は学園祭だからいないかなと思ったら、いつものおにぎり屋さんが、テーブルに綺麗に並んだおにぎりの前で寂しそうに肩を落としていた。出し物の中にはご飯を食べられるところもあるので、確かに今日は売れないかもしれない。私はしょんぼりしたおじさんの元に向かい、なんの種類があるかな、と札を見た。三角や俵型に握られたおにぎりが可愛く思える。おじさんは立ち上がり、話しかけてきた。

「おや、お嬢ちゃん。出店のご飯を食べなくていいのかい?」

「はい・・・・・・ちょっと、人込みから離れたくて」

「なるほどね。分かるよ、ちょっと休憩してきな。隣のお化けさんも、良かったらどうだい?」

おじさんが優しく笑い、隣で背後霊のように突っ立っているタンギンにも話しかけている。まだ他人を警戒しているのか、彼は一言も話さなかった。布を取る予兆もない。おじさんははは、と笑うと、また椅子に腰を下ろした。いつもはパン屋さんの売店の方が人気があるので、パンを逃してしまった学生が流れてくるらしいけど、ここのおにぎりもおいしい、と地味に人気があるようだ。私はタンギンがお弁当を作ってくれるので滅多に購買には寄らないけど、何回か見かけたことはある。こんなに優しい雰囲気のおじさんだったのか。

「・・・・・・たくさん、種類がありますね」

「そうだね。好きなの選んでいってよ。今なら全種類買い放題だしさ。おすすめは、出汁味だよ」

「出汁、ですか。具はないんですか?」

「ああ。でもちゃんと味はするよ。僕が一番気に入ってる奴さ。僕のばあちゃんから伝わる秘伝の出汁でね、隠し味もあるよ」

「美味しそう・・・・・・」

「お嬢ちゃん、ご飯食べるのは好きかい?」

おじさんの言葉に、顔を上げる。

彼は笑顔で私を見て、自分の作ったおにぎりに視線を移した。私より何歳も年上の、分厚くてシミのある手を開いたり握ったりしている様子を見て、おじいちゃんがいたらこんな風に話していたのかなと思う。


「ご飯が美味しいって感じるって、ほんとに幸せな時なんだ。それが誰かが作ってくれたものなら、その人が好き。それを誰かと一緒に食べたら、そのご飯が好き。味の好みもあるだろうけど、人間が好きになる食べ物って、その環境が大きく影響してる。お嬢ちゃんも、好きな人と好きなご飯たべな。できれば、おじちゃんのおにぎりを好きになってくれると嬉しいけどね」

周りの喧騒が一斉に止んだのかと勘違いするくらい、おじさんの言葉がクリアに自分の中に入ってくる。好きな食べ物は?という質問に、今までは答えられなかった。ずっと家で一人で、カップラーメンやコンビニのお弁当を食べていたから。美味しいとも不味いとも思わなかった。その分、食べようとも。

でも、今は違う。タンギンがタンパク質、ビタミン、炭水化物とバランスのいい食事を、3回用意してくれる。私が美味しいと言ったものは、週に3回は出てくるし、苦手な食べ物があると自覚できたのも、タンギンがご飯を作ってくれるようになってからだ。お昼ご飯のおにぎりも、自分が作るのとは違って、レイちゃんとクラスの端っこで食べるのが好きだし、外に出たら必ず瀬名高君のパンが食べたくなる。こんなに食に興味が湧いたのは、今年からだ。私はおじさんに向かって深く頷くと、自分が食べたいと思ったものを指さした。

「・・・・・・じゃあ、出汁味一つください。あと、たらこと、牛しぐれ。あとは、天むすも食べたいです」

「はいよ。はは、たくさんお食べ。そこの少年はどうする?」


「・・・・・・これ」

隣で、金色の髪が肩から垂れ下がったのが見える。まさかと見上げると、タンギンがジャケットを頭から降ろして、出汁味のおにぎりを指さしていた。窓から日差しが差し込んできて、タンギンの真っ白できめ細やかな肌が露出する。銀の瞳が太陽に照らされ、ガラスと勘違いしてしまうほど美しく見えた。その瞳がぱっとこちらを向き、ぐっと細められる。ハッとしておじさんを見ると、ポカンと口を大きく開けてタンギンを見ていた。きっと私も同じ顔をしていただろう。

「なんだよ。お前もじいさんも、二人揃って。俺の顔が綺麗すぎてぐうの音もでねえってか?」

「・・・・・・タンギンが隣にいる」

「はあ?何当たり前のこと言ってんだよ。ほれ、じいさん。これ、食べてみてえっつってんの」

「あ、ああ。まいどあり。えっと、5つで、900円だね・・・・・・はい、丁度。それにしても、お兄さん、綺麗な顔してるね。神様かと思ったよ。神様もご飯を食べるんだねえ」

おじさんにお金を払うと、わざわざ袋に入れて持たせてくれる。おじさんの賞賛に、タンギンは顔をぷいっと背けた。ピアスがきらめいて、鈍い光を放つ。

「・・・・・・どーも。別に、あんたの飯がうめえか、気になっただけだ」

「はは。ありがとね。お嬢さんも、たくさん買ってくれてありがとう。たくさん食べてな」

「私こそ・・・・・・温かい時間と言葉、そしておにぎり、ありがとうございます」


笑って手を振ってくれるおじさんに手を振り返し、私たちは別棟近くの階段に向かった。先には赤いパーテーションがかかっていて、立ち入り禁止と言うのがありありと分かる。

「そういや前、この向こうで莫目に会ったな。あん時はお前がまだここに来てから間もなかったよな、確かよ」

「そうだね。こんなに分かりやすく乗り越え禁止なのに、私はここをずんずん進んじゃってたのかな。それも廃絶の力なのかな」

「知らねえ。なんならあいつらがおめえの手を引っ張って連れてくることだってできんだからよ。あいつらの厄介なのは、実体に触れられることだ。気持ち悪りー」

そう言ってタンギンはプラカードを降ろし、パーテーションがある壁のすぐ傍に座った。私も少し距離を空けて腰を下ろし、足をまっすぐ伸ばす。黒いソックスとヒールのある靴が見えて、自分の恰好を思い出す。もう慣れて、恥ずかしさが段々薄れてきていた。でもヒールは履かないので、じんじんとつま先が痛かった。

袋の中から、おじさんがくれたおにぎりを取り出す。ちょっと買いすぎたなと思っていると、出汁味が二つ出てきて、タンギンを見た。やっぱり実体化した彼が隣にいると、彫刻のように美しい彼に影ができているのが見えてちょっとドキッとする。

「なんなんだよさっきから、ジロジロ見やがって。文句あんならハッキリ言えや」

「文句じゃないよ。はいこれ、タンギンの分のおにぎり。というかタンギンって、ご飯食べられるの?」

彼がジャケットを取っておじさんの前に姿を現したのは、何となく想像がつく。きっと、おじさんの言葉の温かさに、心が動いたのだろう。でも彼は実体化できるとは言え、式神だ。普段も、私のためにご飯を作ってくれて、彼は食べない。食べている私を向かいの席で見ているだけで、最初はすごく気まずい思いをしていた。

「俺は人間の飯は食べられはするけど、そのまま物体が口に入った瞬間消えちまうんだよな。消化って機能がねえし、食いもん無駄にするのと一緒だから、普通の式神だったらやらねえな」

そう言いつつ、彼は私からおにぎりを受け取ると、袋を破いて手に持った。不器用なのか慣れてないのか、力を込め過ぎて少し潰れてしまっている。私が彼を見ていると、不機嫌な顔をして顎でしゃくった。

「なんだよ、早くお前も開けろよ」

「・・・・・・一緒に、食べてくれるの?」

「早くしろよ」

私は急いでおにぎりの袋を開け、中身を取り出す。ほのかに色のついたお米が艶めいていて、すごく美味しそうだ。匂いは特にしない。

「じゃ、食べようか。いただきます」

「・・・・・・ただきます」

私たちは手に持っていたおにぎりを口に思いっきり運んだ。一口目から、優しい出汁の味がする。しょっぱくないけど、出汁の甘みが口の中に広がっていく。確かにちゃんと味がする。しょっぱくも甘くもない。ただ、美味しい。不思議だなと思うと共に、私は隣にいる式神を見た。そのまま、固まってしまう。


彼は見たこともないほど目をきらめかせ、おにぎりを凝視していた。まるで人生で一番おいしいものを発見したかのように、言葉にならないほど美味しいと感じているのが見ただけで分かる。こんなに嬉しそうな彼を見たのは初めてかもしれない。ぱくぱく、と大きく口を開けて、あっという間に食べきってしまっていた。彼は私に気がつくと、ぽっと頬を赤くした。見られているのに気が付かないほど、おにぎりが美味しかったのだろう。

「・・・・・・美味しいね、このおにぎり」

「・・・・・・別に。まあ、及第点だな。人間のわりに、よくやった」

「タンギンがご飯食べてるとこ、初めて見た」

「まあ、俺も人間の食いもん食ったの何年ぶりだろうな。その中でもこれは美味い方だったわ」

「そうなんだ。出汁味ってどんな味かと思ったけど、甘くておいしいね。優しい味って感じ」

「な。なんの出汁使ってんだろ。俺も真似できっかなー」

「これがおうちで出来たら、私毎日ご飯おかわりしちゃうかも」

「はっ、服入らなくなるくらい太らせてやるよ」

とてもゆっくりした、平和な時間だ。階段の隅にある消火器にタンギンが興味を示して、噴射ノズルを引っ張りそうになって止めたり、プラカードに書かれているキャラクターが最近はやっているらしいけど二人とも知らなかったり、メイドの歴史をタンギンが知りたがっていたり、色々他愛のない話をずっとしていた。出汁おにぎりに続き牛しぐれを食べ終わってしまった私は、たらこと天むすは晩御飯に食べようと袋にしまった。タンギンが立ち上がってぐっと伸びをしていたので、私も一緒に伸びをする。

「なんか、こうして実体化してると、友達みたいだね。一緒のクラスだったりするのかな」

「友達だあ?クラスは違えだろ、俺の方が先輩だからな」

「そうかなあ。というか、タンギンて何歳なの?」

彼はその質問には答えず、ジャケットを肩にかけて階段を下りていった。無視したというより、答えたくなさそうだったので、私はプラカードと袋を持ちつつ、話題を変える。

「でも、毎日ご飯作ってもらったり、一緒に住んでるから、友達っていうより家族だね、私たち」

「・・・・・・なんだよ、さっきから。俺はお前の式神であって、友達でも家族でもねえっつうの」

「分かってるけど、こうして体が実際に隣にいると、もしタンギンが人間だったら、って想像しちゃうんだ。もちろん、式神として隣にいてくれるのも嬉しいんだけどね」

私はどんどん先に降りてしまう彼を追う。ジャケットにいつもより濃い影が出来ていくと同時に、どんどん周りが騒がしくなっていく。人込みが近づくと、彼はジャケットを頭から被った。

何人か階段から現れた私たちを見てぎょっとしている。メイドのコスプレと頭から真っ白な人間がいるのだ、それは驚くだろう。でもすぐ興味を失ったようで、人込みの中に消えていった。着物を着ている人もいるし、どでかい見たことがあるようなキャラクターの被り物をしている人もいるし、この中にいれば浮きはしないだろう。でも、午前中より人が多くて、はぐれてしまいそうだ。私はタンギンのジャケットに手を伸ばそうとしたけど、彼は先に行ってしまう。人をかいくぐるのが上手い。

「待って、タンギン」

中庭で開催されている吹奏楽部の演奏が、私の声をかき消してしまう。タンギンが振り返ろうとしてくれているのが見えたけど、目の前が人で暗くなった。誰かにぶつかってしまったらしい。

「わっ!ご、ごめんね。って、わー」

「ご、ごめんなさい。お怪我、ないでしょうか」

顔を上げると、他校の制服を着た男の子が数人で固まっていたようだった。私にぶつかった人は私を頭から足まで品定めするようにじろじろ見ると、にこっと笑った。周りの子がおや?と言った様子でこちらを見てきて、あまり気分は良くない。

「ぶ、ぶつかっちゃってごめんなさい」

「いや、全然大丈夫だよ!それより、君に怪我はない?見た所、大丈夫そうだけど」

「はい。すみませんでした。それじゃあ」

「待って待って、それってさ、クラスの出し物の恰好?可愛いね、ふーん。1-Cか。メイドお化け屋敷って、コンセプトすごいね」

「そう言えばさっきすごい悲鳴が上がってたっけ。俺ら、丁度通り過ぎちゃったよなー」

「でもこんな可愛い子、いなかったけどなー。まあ、声かけたらばれるくらい中明るそうだったけど」

「お前最低だなー」

勝手に盛り上がっている低い声に嫌悪感が沸き上がってくる。どうしようかと思っていると、ぶつかった生徒がすっとこちらに手を伸ばしてきた。思わずプラカードでガードしてしまう。でも彼は負けじと、ガシッと板を掴んできた。急に距離が近くなって、背筋がすっと冷たくなる。

「ねえねえ、この後俺らと一緒に回らない?この板、誰かにお願いしちゃってさ。これだけ人がいたら、ここら辺に置いといてもバレないだろうし。あ、ご飯食べてたの?残念、一緒に食べたかったのにー。じゃあ、食後のデザートでも探しに行こうよ」

「お、あそこのクラスの出し物美味そうじゃね?行こうぜー」

「やっぱこの学校顔面偏差値高いよなー。来て正解だったわ。俺もどっかの子に声かけよー」

怖くて声が出ない。嫌だと言えばいいだけなのに、体が動かない。彼は沈黙を肯定と受け取ったのか、プラカードを奪い取って私の手を掴んできた。マクモさんに触れられるよりも嫌な感覚が走り、振りほどこうとした時だった。


「おい、お前ら。俺の女に何手ぇ出そうとしてんだよ」

私の手を掴んでいた男の人の胸ぐらを、タンギンが掴んでいる。はたから見たら真っ白なお化けが人間に掴み掛かっていて、通り過ぎる人たちがくすくす笑っているのが聞こえるけど、私にとっては救世主だった。私が何か言うより先に、彼は手を引き離し、彼に触られていた箇所を、被っているジャケットで拭っていた。つやつやした感覚に、彼のジャケットの生地は意外ときめ細やかなのかと場違いな考えが浮かんでしまう。それくらいしないと、心臓が持たなかった。『女』という言葉が、頭から離れない。まるで少女漫画みたいな言葉だけど、熱くなった頬と彼に掴まれている手の感覚が、現実のものだと実感させてくる。

「げほっ、急に何すんだよ。顔も見せねえで、ムカつく奴!」

胸ぐらを掴まれた男の人が苛ついた様子で、タンギンのジャケットを勢いよく引っ張った。反動で、タンギンの帽子までもが取れて、床に落ちる。面倒くさそうにジャケットと帽子を拾い、前を向いたタンギンの顔を見て、男の子たちは目も口もまん丸に開けていた。

「ったく、失礼な奴なのはどっちだよ。人間風情が俺にたてついてんじゃねえねえぞ」

「・・・・・・」

「・・・・・・綺麗」

「ああ?」

タンギンの周りからどんどんと人の流れが止まり、みんな一様にタンギンの顔にくぎ付けになっている。ぽつりと零れた誰かの呟きを皮切りに、一気に声援が湧いた。

「誰あれ、かっこよすぎ!!アイドルかな!?」

「彫刻かと思った・・・・・あんなイケメン、この世に存在するんだ」

「ねえねえ、サインもらいに行こうよ!あとついでに、連絡先も!」

「外国人じゃね?行ってみようぜ!」

わっとその場が騒がしくなり、タンギンに人が押し寄せてきた。横から人の圧が襲ってきて、私は思わず体制を崩しそうになった。ヒールのダメージがじわじわと足を侵食している。焦った顔のタンギンがこちらを向いたのが隙間から見えたけど、すぐ人の塊に飲み込まれてしまった。

「夕陽!」

私は何とか人の波に負けないよう身を固くして、タンギンへ手を伸ばす。彼も私の名前を呼んでくれるけど、それも虚しく、彼の姿は人に埋もれて見えなくなってしまった。

何とかして、彼と合流しないと。私は懸命に手を伸ばすと、何かしら誰かの手を掴んだ感触がした。きっとタンギンだ、と私は顔を上げる。



その人の顔を見た瞬間、周りから音が消えた。人込みも消えた。それすらも気にならないほど、その人は私の目をまっすぐに見ていた。

「久しぶり、夕陽ちゃん」

「・・・・・・永遠さん?」

次の瞬間、私は意識を失った。






「おい、夕陽!どこ行った!!」

断金は怒鳴って自分の主を呼んだ。まだ人が集まる中、彼女の声はおろか、気配すら感じない。おかしい、式神が自分の主の気配を感じなくなることなんてないはずだった。

スマホを掲げた人間たちが、自分が消えたことで混乱している様子を気にもせず、断金は人の頭をすり抜けて盤渉の元へ向かった。

この経験は、最近もした。それは、廃絶の作った結界に夕陽と瀬名高が閉じ込められた時だ。また二人いなくなったかと流れる景色の中舌打ちする。

盤渉の気配を辿ると、そこには物珍しそうにきょろきょろしながら巡回している瀬名高と、盤渉がいた。瀬名高はメイド服を脱ぎ、制服のジャケットの上に腕章をつけている。そういえば、風紀委員の仕事で校内の監視をしていると言っていた気がする。

「おお、タンギンじゃないか!そういえばさっき下の階からわっと人の歓声が上がった気がしたんだが気のせいかな?」

「おい、盤渉。夕陽の気配が消えたんだが、何か知らないか?」

その途端、瀬名高と盤渉の顔が固まった。互いに顔を見合わせ、瀬名高が焦ったように口を開く。どんどんと顔色が悪くなっていくのが、自分の目から見ても分かった。

「タンギン。それは本当かい?廃絶の気配はあったかい?」

「それが、なんも感じなくてよ。俺が実体化した姿を人間どもに見られちまって、ちょっと騒ぎになっちまったんだ。その時にあいつと別れて、すぐ探したんだが・・・・・・くそ、腹立つ!!」

どうしようもない怒りを、拳に込める。痛みよりも焦りの方が強い。自分がもっと彼女の元にいれば、こんなことにはならなかった。しかし、それにしては一瞬すぎた。見失った瞬間に人間一人を結界の中に閉じ込めるだなんて、そんな芸当、神仙くらいしか思い当たらない。

「・・・・・・頭が、直々に手を下したのかもしれない」

盤渉の言葉に、瀬名高の顔が青くなる。断金は素早く力を込め、自分の品物である花札を生み出した。勢いよく床に叩きつけると、地面が波打ち、黄色い花火が上がる。空気が浄化されたかのように、ふっと揺らいで光を帯びていった。

「除怨ができるってことは、まだ遠くには行ってねえはずだ。くっそ、なんで見えねえんだよ・・・・・・」

唇を噛み、上を見やる。盤渉と瀬名高が何も言えずにいると、突然、空から聞いたことのある声が聞こえてきた。


「いたいた。なあ、次の会議っていつ、どこでやんの?神仙からなんも連絡ないんだけど」

「鸞鏡、てめえなんでここに!?」

銀の髪に黒の目をした、軍服を着た式神が、すっと壁を通り抜けて姿を現した。彼は長旅で疲れたのか、ぐーっと伸びをして自分の肩を揉んだ。左肩についている肩章に気付き、はあ、とため息を吐いてぐるぐると回している。

「何でも何も、会議が・・・・・・って、お前ら、どうしたよ。なんかあったのか?あれ、今日は断金と勝絶の主はいねえの?」

ただならぬ空気を感じ取ったのか、鸞鏡はその場にいる顔を見回した。盤渉がいつものゆっくりとした口調で説明すると、鸞鏡は顔をぐっと歪ませ、チッと舌打ちした。

「そりゃあ、まずいんじゃねえのかい。断金が感じ取れない気配ってのは、どんだけ強い廃絶の奴なんだろうな。もしかして、ボスとかだったりしてな」

鸞鏡が冗談めかして空気を盛り上げようとしたが、誰も笑わず、より一層全員の顔が暗くなった。彼は舌打ちをして、頭をぼりぼり掻く。パイロットキャップがずれそうになって、慌てて被り直した。

「断金、除怨はできるのか?」

「・・・・・・ああ、まあ・・・・・・」

「なんだよ、元気ねえなあ。それなら、そんな遠くには行ってねえはずだ。だったら・・・・・・」

「っ、つ、椿君を助けてくれ!!もし彼女に何かあったら・・・・・・」

鸞鏡に掴み掛かる勢いで、瀬名高が身を乗り出した。彼の顔は脂汗が滲み、顔は真っ白だった。細かく震えた彼の手に、鸞鏡は自分を手を重ねた。実体化はしていないので、そのまま通り過ぎてしまう。

「・・・・・・そんな暗くなりなさんな。俺の能力、忘れたのか?」

「ランケイの力・・・・・・」

復唱した瀬名高に、彼はにっといたずらっぽく笑った。黒い瞳がじわっと水が滲んだように揺らめき、徐々に透き通っていく。

「ほら、俺に任せろよ。大切な椿さんとやらを、見つけに行こうぜ」



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