10.レイの家
「俺、あの人に主になってもらおうと思うっす!!」
曇りがかった6月の終わり、つまり楽しかった球技大会が終わって地獄の中間テストがやってきた今、勉強していた私の目の前に、ショウゼツさんがわくわくした様子で目の前に出てきた。彼は瀬名高君と私で交互に付いてきてもらっているけど、テスト期間中は私の方に付いてくることが多い。彼曰く、瀬名高君は勉強に必死で話を聞いてくれない、とのことだ。
確かに彼は運動神経はいいけど、勉強の方はいまいちっぽいので、頑張ってる彼を邪魔したくないのは、私もショウゼツさんも同じだった。
「・・・・・・とりあえず、ちょっと近いかな」
「すみませんっす!夕陽さんと過ごしてると、段々いい人だってのが分かってきたもんで、距離感が分からなくちゃったっす!」
「ぶ、物理的に近すぎるのは、私の心臓に悪いな。それで、あの人っていうのは、誰の事?」
シャーペンを置き、ベッドの傍に座った彼に向き直る。ガタイが良くて人懐っこいから、たまに彼がゴールデンレトリバーに見えることがある。尻尾をぶんぶんと振って、聞いてと言わんばかりだ。
「それは、夕陽さんの友達っすよ!!レイさん、って言いましたっけ?最近あの子から惹かれるオーラを感じるんす!前の主だったおばあちゃんみたいな!」
「・・・・・・その理由は本人には言わない方がいいね」
それにしても彼が言う、レイちゃんの雰囲気が明るくなったというのは私も感じていた。この所笑顔で帰ることが多くなったし、掃除の時間は楽しそうに箒で掃いていたりと、抱えていたものが解消されたみたいだった。まだ実際には神社の掃除に誘われてはいないけど、球技大会の時本音を話してくれたことが、彼女の背負っていた荷を軽くしたのなら、これほど嬉しいことはない。
「式神って、どうやって主を選ぶの?その惹かれるオーラを感じたら、ってこと?」
「うーーん、人にもよるっすけど、大体はあ、この人!ってピンときたら、みたいな感じっすかね。あと何より重要なことは、健康な人であることっす!除怨で力を貸してほしいのに、主が入院してたとか、シャレにならないっすからね。だから俺は正直、断金さんが夕陽さんを選んだ時、驚きだったんすよ。こんなひょろっこい人でいいのかなーって」
「ひ、ひょろっこいかな、私」
「だって断金さんの今までの主は、割とがっしりめの男の人が多かったっすよ。彼は強いっすからね、除怨の時に品減からもらうエネルギーの量も半端じゃないっす。逆に夕陽さんはよく耐えれてますよね」
私の前にもタンギンに主がいたことは、何となく今までの話を聞いていて知っていたけど、そういう人達を選んでいたのに、急に私みたいなのに変えたのは確かに不思議だった。でも熊田さんの件以来、何回か除怨に立ち会ってきたけど、最近はお腹が空きすぎて立てない、ということは減ってきた。知らないうちに、体力が付いてきたのだろうか。それも、私が健康な生活を送れるようサポートしてくれている彼自身のおかげなのだと思う。
「でも確かに、自分でも最近よく食べるなとは思うよ。今まではお茶碗一杯でお腹いっぱいだったのに、今ではおかわりするくらいだし」
「それは今までが小食すぎだと思うんすけど。それにしても謎っすねー、なんで夕陽さんを選んだんすかね?ピンと来たんすかね?」
「さあ、私も知りたい。ところで本人はどこにいるの?」
「朝洗濯物を干してて、ちょっと出かけてくる、って言ったぶりっすかね。多分今は碁色神社にいると思うっす」
「よく分かるね。じゃあ、レイちゃんにも会えるし、行ってみる?」
「え、いいんすか!?やったー!でも今はテスト期間で、きっと彼女も勉強してるっすよね。いきなり会いに行っちゃって悪くないんすか?」
「それがね、丁度午後からレイちゃんに誘われてるの」
私はスマホの画面をショウゼツさんに見せる。驚くくらいの丁度いいタイミングで来たメッセージには、『夕陽ちゃん助けて!一緒に勉強しよ!教えてーーー』と書かれてあった。
「それにしても、いい所っすね、ここは。療養期間中は何となくここにいたっすけど、改めてくると、空気が神聖っす」
「私もそう思う。何というか、深呼吸したくなるというか、身を委ねたくなるというか」
「それっす!やっぱ夕陽さんは感覚が優れてるんすねー」
碁色神社に着き、私とショウゼツさんは鳥居をくぐり、端っこを歩く。鳥居へ続く道は神様が通る道だから人間は端を歩かなくてはならない、と聞いたことがあるので、その通りにしているけど、私の隣にいるショウゼツさんは中央を堂々と歩いている。正確には浮かんでいるんだけど。
長い階段を上り切り、太い幹に括られている綱や紙垂をくぐり抜け、祀られている狐の神様にお参りをし、私たちは本堂の前に立った。小さい頃、中を覗こうとして永遠さんに怒られたことがある。彼の名前が浮かんだ瞬間、心が曇った。
「夕陽さん、お参りしようっす!お賽銭持ってるっすか?何円がいいんすかね?」
「うーん、よく聞くのは、五円玉でいいご縁がありますように、って話かな。私はいつも、十円か五円にしてる」
「じゃあ、十五円にしときましょう!なんかいいことも倍になって帰ってきそうじゃないっすか?」
倍ではないけど、と心の中で突っ込みつつ、私たちは二礼二拍手をして目を閉じる。こういう時は、私はいつも神様に挨拶をするようにしていた。願いを叶えてもらうのに挨拶もしないなんて、神様もきっと怒るよね、と永遠さんが言っていたのが、習慣化してしまった。
神様、こんにちは。私は椿夕陽と申します。お元気ですか。たまに訪れていたのですが、覚えていてくれているでしょうか。
「こんにちは」
挨拶だけで思いっきり願い事を忘れていたことを一礼をして思い出した直後、後ろから声がかかる。振り返ると、知らないおじさんが立っていた。眉に皺を寄せ、白髪を優しく流し、草色の着物を着ていた。眼鏡がきらりと反射していて、気難しそうな雰囲気だ。
「こ、こんにちは」
「・・・・・・若いのに珍しいですね。神様にしっかりとご挨拶をするなんて、礼儀正しい方だ」
「!!」
さっき心の中で神様に語り掛けていたことを見透かされたことに、私は驚いて言葉を失った。彼は少し口角を上げ、すっと振り返る。
「きっと、レイの友達でしょう。こっちにおいでなさい」
「は、はい」
彼は本堂を通り過ぎ、木々の間を通り、奥へ奥へと進んでいく。誰なのか分からないけど、風と共に揺れる木々と彼の着物がたなびく様がすごく神聖に見えて、私はなぜか切ないような、懐かしいような気持ちになった。置いていかれないよう必死に付いていくと、さっと道が開け、縁側のある一軒家が見えた。ワイン色の瓦屋根が神社の雰囲気と上手く調和していて、お堂にも見える。
「私はもう行く。ここで、レイを待ちなさい」
「はい。案内していただき、ありがとうございます」
その人は微笑むと、林の中に姿を消した。落ち着きのある大人の人だ。少し厳しそうな雰囲気はあったけど、案内してくれたし、優しいのが分かる。彼が消えた方向を見ながら呆然としていると、上からレイちゃんの声が降ってきた。見ると、玄関に面している窓から本人が身を乗り出して驚いている。
「嘘、夕陽ちゃん!?よくここが分かったね!?着いたら連絡してって言ったじゃーん!」
どたどたと階段を降りる音が、外にいても聞こえてくる。隣でショウゼツさんが「元気っすねー」とのんきに腕を頭の後ろで組んでいた。
「タンギンを探さなくていいんですか?」
「別にいいっすよ。俺がここに来たのはそれが目的じゃないし、断金さんなら本堂の中にいたじゃないっすか」
「え?」
「へー、これがレイさんの名前っすかー。戻る、って書いてレイだなんて、しゃれてるっすね」
ショウゼツさんが引き戸の傍に掛かっている表札をまじまじと見つめ、感心している。それよりも、タンギンが本堂に入れていることの方が驚きだった。式神は実体化しないと物に触れられないし、壁も貫通してしまうけど、流石に神様が祀られている場所に入るなんて非常識なことはしないだろう。ということは、タンギンは神様と同等の存在ということになる。突然の情報に頭が混乱していると、レイちゃんが引き戸をスパンと開けて出てきた。ミニスカートから出た足が最初に目に入り、ドキッとする。ジャケットもフリフリで可愛いけど、襟が付いているのでかっこいい印象だ。
「迎え行けなくてごめんね。お父さんに課題やるまで外に出ちゃいけないって言われてて。もう、なんなのあいつ、偉そうに!!」
「多分だけど、そのお父さんがここまで案内してくれたんだ。着物着てる、落ち着いた雰囲気の、眼鏡かけた人だよね?」
「そうそう。まあいいや、どうぞ入って入って!」
「お邪魔します」
レイちゃんの家は本当に昔ながらの日本の家という感じだった。高い座敷に、高級そうなグラスが並んだ棚に、傘を持った日本人形にと、歩くだけで和を感じる。洗面台を借りると、花の形をした石鹸から、いつもレイちゃんから香っているお香の香りがした。彼女の案内に付いていくと、部屋がある方とは反対の方に、中庭らしき景色が見える。松や置き石や池など、足を止めてじっくりと見たくなるけど、奥に行くと閉じた障子に遮られていて見えなかった。本当に神社の家なんだと、謎に納得してしまう。
「私の部屋、こっちなんだ。うちは廊下が長いから、夜とか結構怖いんだよね」
「確かに。でもこの中庭の方の障子を開けたら、月が照らしてくれそうじゃない?」
「綺麗な発想だけど、現実は虫がわんさか来るの・・・・・・」
「・・・・・・そっか」
揃ってしょんぼりしつつ、いくつもの障子を通り過ぎ、レイちゃんの部屋に着く。スパンと障子を引くと、あまりの世界観の違いに愕然とした。
「こ、これは・・・・・・」
「私の部屋。ね、可愛いでしょ?」
和の雰囲気とは全く違う、女の子らしい、白とピンクが溢れた部屋だ。決してすっごい派手というわけではないものの、どちらかというと洋風のお部屋という感じだ。畳にベッドがあり、ガラス板でできた机があり、くまさんやウサギさんのぬいぐるみやジュエリーボックスが大量に壁を埋め尽くしている。装飾品は埃がたまって掃除が面倒くさいから置かないタイプの私と真逆だけど、並んでいるのはどれも綺麗に整頓されていて、レイちゃんがいかに普段の手入れを欠かしていないかが分かる。
「すごいね。どれも綺麗だし、アクセサリーもこんなにたくさん持ってるんだ」
「うん!うちはピアス駄目だし、お父さんが絶対許してくれないけど、イヤリングは可愛いのたくさんあるよ!ほら、見てみて!」
私が興味を示したのが嬉しかったのか、レイちゃんがぱっと笑顔を華やかせて、ジュエリーボックスを引っ張り出してくれる。勉強はしなくていいのかと聞こうとしたけど、段々と私も楽しくなってきて、二人でお喋りし続けた。レイちゃんが私のこめかみに視線を移す。
「レイちゃんも、いつもヘアピンしてるよね。青のシンプルな奴」
「うん。これはお母さんがくれたやつで、ずっと使ってるんだ」
「素敵!!純粋に気になるんだけどさ、一回それ取ってみて!何もつけてない夕陽ちゃん見てみたい!」
期待に溢れた視線に負け、私は髪留めを外す。手の中にある青い、ガラスっぽい素材のこれも、大分色がくすんできたなと思う。正直思い入れがないわけではないけど、お母さんからもらったことは覚えてないので、なんとも言えなくて、無言で髪を撫でる。正直横の毛が前に来るだけなので、あまり印象は変わらないと思う、と言いかけた時、レイちゃんの悲鳴でかき消された。物色するようにレイちゃんの棚を見ていたショウゼツさんが飛びあがっている。
「かわいーーーーー!!!」
「うお、何すか!!サイレンっすか!?」
「れ、レイちゃん・・・・・・?」
「え、めっちゃいいじゃん!顔の横に髪があるかないかって、結構重要だよ!?ねえねえ、夕陽ちゃん髪長いし、ちょっと結ってもいい!?」
あまりの圧に、頷きを繰り返す。普段から髪は右も左も顔の横にあるけど、という私の意見は無視され、レイちゃんは縁にライトの付いた鏡を持ってきて、私をヘアアレンジしてくれた。勢いづいたのか、メイクまでしてくれる。何がなんだか分からなかったけど、メイク道具を持つレイちゃんは今まで見た中で一番楽しそうだったし、ショウゼツさんは飽きたのか本堂に様子を見に行ってしまったし、なるようになるか、と私は身を預けた。
耳にイヤリングをされ、「よし、出来た!」という声が聞こえる。目を開いて鏡に映った自分を見て、私は言葉を失った。
「え、これ、私・・・・・・?」
「そうだよ!ヤバイ、めっちゃ可愛いんだけど!!夕陽ちゃんまつ毛長いし、髪も綺麗だし、絶対この髪型似合うと思ってたんだ!ねえ、写真撮っていい!?」
「う、うん。すごいね、レイちゃん」
目はぱっちりと、頬はほんのりと、唇はつやつやにされた私の顔に、一瞬誰かと思ってしまう。お化粧はたまに永遠さんにしてもらうくらいで自分ではせず、軽くリップを塗るくらいだったので、ここまでがっつりするのは初めてだった。髪も、左右に三つ編みで(編み込みとレイちゃんは言っていたけど、違いは分からない)おさげになっていて、髪の至る所に宝石みたいなチップがまぶされている。顔の横に髪の毛はあるけど(触覚というらしい)、耳が見えるようになったので、ビーズがリング状に並んだイヤリングが目立つ。自分じゃないみたいで、自然と心が浮き立つ。こんなに可愛くなれるなんて、いつも可愛いレイちゃんの姿に納得してしまう。
「せっかくだから、服も着替えよ!私とそんなに身長変わらないし、ほら、これとかどう!?」
「え、この服、ここに穴空いてるよ?」
「そういうものなの!ほらほら、脱いで脱いで!じゃないと脱がしちゃうよー?」
「えええ?」
興奮状態のレイちゃんが引っ張り出してきた服に、息が詰まる。レイちゃんは笑顔の圧で私の服を吹っ飛ばし、プロさながらの手つきで私に服を着せていった。もう何とでもなれ、と私は口をつぐむ。
「ねえ、めっちゃ可愛いんですけど!?ヤバイ、お人形さんみたい!!」
甲高いレイちゃんの声と、スマホのシャッター音が部屋に響く。肩が出た、おへそらへんまでしか丈のない服に、普段絶対履かないようなスリットの入ったふりっふりスカートに、ニーハイソックスと、他の人が見たらコスプレとも言える服を着ている自分が鏡に映り、私は恥ずかしくて目を逸らした。
カメラを構えた彼女に、私は表情を変えることはできない、と申告したけど、逆にそのままがいい、と許可が出た。なんだかモデルさんになったみたいだし、プロデューサーの彼女は楽しそうだし、まあいいか、と腹を決める。
「これやばいよ!!インスタにアップしていい??絶対モテるって!!」
「え、う、うん。いいよ。すごいねレイちゃん、ありがとう。未知の体験で、楽しかったよ」
「こんなの全然、いつでもやるよ!夕陽ちゃんは素質ある、って思ってたんだよねー」
「そ、そうかな。でも、本当にすごいよ。将来はメイクアップアーティストになるの?」
そう言うと、さっきまで満面の笑みだったレイちゃんがふと顔を曇らせた。まずいことを言ったかな、とひやりとしたけど、レイちゃんの家の事情を知っていると、何となく察するものがある。
「私、長女なんだよね。一応弟はいるんだけど、この神社の神主は私が受け継ぐことになるんだと思う。ここが何の神を祀ってるのかいまいち分かんないけど、宗教とか営利団体とは結託してないから、後継者をよそから選ぶっていう感じでもないし。だから、私はたぶんなれないよ」
さみしそうに言う彼女に、私はもう一度自分の鏡を見た。美人に仕上がっている自分の顔がこちらを見つめ返してくる。この格好なら、街に出てみんなに見てもらいたい、と思う。
「・・・・・・もったいないね。こんなに可愛くなれるのに」
「ふふ、夕陽ちゃんならそう言ってくれるって思ってた。もういいの、自分でもこれは割り切らなきゃと思ってる。遊びは高校生までだ、って決めてるしね」
レイちゃんは「あ、見てみて、塩味君からインスタ反応来た!!」とすぐ切り替えていたけど、私は何も言えなかった。そもそも将来の夢を持ったことがない。小さい頃にはあったのかもしれないけど、覚えていない。
その時、不意に視界が暗くなる。見ると、まん丸に目を見開いたタンギンたちが立っていた。バンシキさんも心なしか少し驚いているように見える。こう見ると、式神が三人もいる光景は壮観だった。
「お、お前、その恰好・・・・・・」
ピンポーン!
「こんにちは、瀬名高です!碁色君の家で間違いないだろうか?少々呼び出しを食らったものでね、パンをお土産に持ってきたから入れてくれないか?」
「え、瀬名高!?なんであんたも来るのよ!聞いてない!!」
インターホンの音と共にそんな声がして、レイちゃんが叫んで部屋を出ていく。立て続けに出来事が起こりすぎてて、脳がショートしそうになる。とにかくまずは、式神からだ。
「え、えっと、タンギン、バンシキさん、ショウゼツさん。私が誰か分かりますか?」
「どういう質問っすか、それ。夕陽さんでしょ、人は分かりますけど、随分と可愛さがレベルアップしたじゃないっすか!これは世の中の男がほっとかないっすよー。ねえ、二人とも!!」
「・・・・・・可愛い。いつもと服装は違うが、椿に合っている」
「あ、ありがとうございます。そんなに褒められると、照れますね」
二人の絶賛に、心底ほっとする。可愛い服にメイクは私と程遠い世界かなと思っていたけど、これなら自信が持てそうだ。
横で固まったままのタンギンを見る。生きているだろうかと、私は近寄って目の前で手を振った。
「タンギン?どうしたの?」
「ち、近づくんじゃねえよ!!なんだお前その恰好!!ここ破けてんぞ!スカートも!!色々駄目だろうが!!」
顔を真っ赤にしながら、いつも『廃絶』から守ってくれる白いジャケットをかけてくれるタンギンに、私はほんのちょっとだけ安心した。何というか、お母さんが心配してくれたような感じだ。
「それはスリットって言って、ファッションの一種っすよ!破けてるんじゃなくて、こういう服なんす。断金さん、相変わらず遅れてるっすねえ!」
「なんだてめえその言い方!!こんなもんこいつが着て良いわけねえだろうが!!」
「何すか、俺以外の奴に肌は見せんな、って感じっすかー?それはもうお母さんというより彼氏っすよ!」
「てめえ、二度と口が聞けねえようにしてやろうか!?」
からからと笑っているショウゼツさんに掴み掛かろうとしているヒートアップしたタンギンを、バンシキさんが止めに入っている。なんだかんだ大切にされているのかな、と私は一人幸せを噛みしめていた。
すると、引き戸が折れるくらい勢いよく開き、瀬名高君が顔を出す。さっきからこの家の引き戸はすごい強さで開けられているけど、強度的に大丈夫なのだろうか。レイちゃんが疲れたように息を切らしながら、後に続いてきた。
「え、椿君?その恰好は一体なんだね?間違いなく似合っているが、珍しいね」
「はあ、はあ、勝手に人んちに押しかけてきといて、第一声がそれ?なんなのよあんた」
「いや、確かこの辺に・・・・・・」
きょろきょろした彼の視線が、バンシキさんで止まる。彼がこくりと静かにうなずくと、すっと私を指さしてきた。黙って心なしか満足そうにしているバンシキさんを、瀬名高君と交互に見る。
「え?呼んだのは椿君のイメチェン姿を見せたかったからなのかい?」
「瀬名高、あんた誰と話して、って・・・・・・」
レイちゃんの言葉が止まる。驚愕したように見開かれた彼女の目線の先には、明らかに式神たちに向いていた。私と瀬名高君はハッとして顔を見合わせる。
レイちゃんは、式神が見えている。その事実に、期待と緊張が入り交ざった気持ちが襲ってくる。瀬名高君は流石ベテランで、平然とした態度でレイちゃんに話しかけた。
「碁色君。この部屋には、何人人がいるかな?」
「・・・・・・・え?この人たち、誰?」
タンギンはさっきの調子と打って変わって、真一文字に口を塞いで、慎重に流れを見守っているようだった。横をショウゼツさんがすり抜けて、レイちゃんの元まで浮かび上がる。
「碁色戻さん!俺の主になってくれないっすか?」
初めて見る主のスカウトに、私はちらっとタンギンを見る。私たちの時は、こんなにはっきりとした申し出があったわけじゃなかった。私がバンシキさんと瀬名高君の除怨を目撃してしまって、そこに来たタンギンと目が合い、掴み合いになったのだ。タンギンは、主になってくれとは一言も言ってない。
私はタンギンに選ばれたわけではないのかも、と不安がよぎっていた時、レイちゃんが私の手を掴む。見ると、彼女は目に涙を浮かべていた。意外な反応に、その場にいた全員が凍り付く。
「レイ。さっきからやけに騒がしいが、何をしているんだ」
さらに混乱することに、レイちゃんのお父さんが私たちに騒ぎを聞きつけたのか、襖を開けて入ってきた。もう場は大混乱だ。
「ん、レイ、この男は誰だ。どこから入ってきた」
「初めまして、僕は碁色君と同じクラスの、瀬名高光と申します!挨拶もなしに勝手に入ってしまい、申し訳ありません。急用で彼女に伝えたいことがあり、お邪魔させていただきました!」
明らかに彼を訝しみ、眉間に皺を寄せたレイちゃんのお父さんの表情が、少し緩まる。彼の臆さない、はきはきした好青年の印象がついたのだろう。
「瀬名高、とは、あの近くのパン屋を営んでいる家の人かね?」
「そうです!ささやかですが、手土産にうちのパンをお持ちしました。ぜひ、食べていただけると嬉しいです!」
「うちも、よく買わせてもらってるよ。値段も高くないのに、美味しくて、私も気に入っている。丁寧に生地が捏ねられているのが分かる味だ」
「ありがとうございます!母も喜びます!」
彼への警戒を解いたのか、レイちゃんのお父さんは視線を外し、今度は私を見た。ぎくりとして、体が固まる。どうやらお父さんには式神は見えていないらしく、私を一瞥すると、レイちゃんをきつく睨んだ。
「レイ。彼女の服は、お前が着せたのか?彼女に無理を言ってはいないだろうな」
「・・・・・・」
黙ったまま目元を拭くレイちゃんに、私は慌てて弁解する。ただでさえレイちゃんは今、見えないはずのものが見えてしまって混乱しているのだ。ひとまずこの場を収めて、話をしたい。
「違うんです、私がお願いしたんです。レイちゃんの部屋があまりに可愛いから・・・・・・勝手に上がっておいて、すみません」
「本当かい?君はおしゃれやメイクを楽しむ人柄には見えないが」
「じ、実は、私はメイクとか大好きで、日々研究してるんです。それでレイちゃんと仲良くなって、勉強を教わるついでに、メイクも手ほどきを受けようかな、って」
お父さんはじっと私を見透かすように見てくる。冷や汗が背中を伝うのを感じつつ、私はここで目を逸らしたら負けだと思い、何とか身を固めた。でないと目が泳ぎそうだ。
「・・・・・・君は、不思議な子だね」
ふ、と顔を緩め、レイちゃんのお父さんは微笑んだ。突然の優しい表情に、言葉に詰まる。きっと彼は、私の嘘も含めて全て知っている。子供が本当は嘘を吐いているのは分かっているけど、その必死な様子に怒る気になれず、笑って許してしまうような、大人の温かさを感じる。
お父さんは扉の方に行きつつ、レイちゃんを振り返った。レイちゃんはまだ、戸惑っているような怒っているような何とも言えない顔をしている。
「レイ。友達にあまり迷惑をかけるんじゃないよ。後、課題は終わらせるように」
そう言って、レイちゃんのお父さんは去っていった。足音がしなくなると、その場にいた全員がふう、と息をつく。緊張の糸が切れて、私はしゃがみこんでしまった。
「ふう、何とか乗り切ったね」
「瀬名高君、よくあんな堂々としていられるね。私は少し緊張しちゃった・・・・・・」
「お前、嘘つくの本当に下手だな」
タンギンの冷たい指摘を無視し、私はいまだに黙ったままのレイちゃんを見上げる。目が合い、彼女は心配させまいという顔をしてにこっと笑った。
「ごめんね、夕陽ちゃん。庇ってくれてありがとう」
「ううん、私もメイクしてもらうの楽しかったし、きっかけを作ったのは私だから。お父さん、優しいけど厳しいね」
「うん・・・・・・私をないがしろにしてるってわけじゃないのは分かるんだけどさ、何せ言葉数が少ないから、何考えてるのか分からないんだよね。今だって、絶対夕陽ちゃんとか瀬名高に免じて許したって感じだったし・・・・・・全部、バレてるんだろうな」
レイちゃんの言葉に心当たりがあって、胸がずきっと痛む。私も表情がなくて大人しい分、何を考えているか分からなくて気持ち悪い、と言われたことがあったから、彼女の言葉が直接刺さる。横で、瀬名高君がきっと表情を引き締め、レイちゃんに向き直る。
「ひとまず話を戻そう。碁色君、君は椿君の後ろにいる彼らのことが見えるかい?」
レイちゃんに、部屋にいる全員の視線が向く。レイちゃんはさっきより元気をなくしたようで、静かに頷いた。
「うん。見えるよ。夕陽ちゃんがうちにはない白いジャケットを羽織ってるのも」
彼女の言葉に、ぐっと肩に掛かったタンギンの服を握りしめる。彼女は式神に対して、どういう反応をするのだろうか。
「そうか。ではさっき君に話しかけた、この緑色の髪の男性は見えるかい?」
「うん。主がどうとか言ってたけどさ。この雰囲気で言うのも何だし、引かれるかもしれないけど」
不穏な前置きに、固唾を飲んで見守る。バッと顔を上げたレイちゃんは、さっきとは打って変わって、少し明るい顔をして、ショウゼツさんを指さした。
「このめっちゃかっこいい人が、私を主として選んだの?」
「・・・・・・え、かっこいい人って、俺っすか?」
彼女の発言に、ショウゼツさんは目をまん丸にした後、「参ったなー」と頬を掻いていた。タンギンは気に入らなさそうに顔をしかめ、バンシキさんはほんのり笑っている。瀬名高君はふ、といつもの笑顔を取り戻すと、腰に手を当てて頷いた。
「そうだ。君も一緒に、主となって、戦ってほしいんだ」
結局、勉強は一切手を付けないまま、レイちゃんの家を後にすることになった。レイちゃんと瀬名高君はいつもの調子を取り戻したようで、彼が式神や主、『廃絶』のことを説明してくれていた。そして、私もつい最近主になったこと、式神は主を自ら選び、受諾したら悪意を祓う除怨に協力することをつけ足していた。相変わらず彼の説明は分かりやすい。どうしてこれが勉強でも生かされないのか不思議でならなかった。
「今日は夜になってしまったし、明日また詳しいことは話そう。今日はひとまず、ショウゼツは僕と一緒に来てくれ。テスト後、また落ち合おうじゃないか」
「そうね・・・・・・って、あーーー!!!課題一個もやってない!!!ヤバイヤバイ、夕陽ちゃん助けて!!」
真っ白なノートを目にした途端に一瞬で真っ青になって、レイちゃんは私に抱き着いた。何とかしてあげたかったけど、タンギンが私と彼女をべりっと引き剝がしてくる。もう姿を見られて吹っ切れたのか、隠れようともせずに私を玄関まで引っ張って行ってしまった。床に素足が擦れて涙が浮かんでくる。
「痛いいたい」
「あのなあ、こいつは体力ねえんだから、早く寝ないとなんだよ。課題やってねえのはてめえのせいだ、何とかしろ」
「はあ!?夕陽ちゃん、式神ってこんな口悪いの!?なんなのよこいつ!!」
「うるせーうるせー。ほら、帰んぞ」
「く、苦し・・・・・・レイちゃん、お邪魔しました。お父さんにもよろしく・・・・・・」
「夕陽ちゃん首絞まってる!!大丈夫!?」
そんなこんなでそれぞれ家に帰り、明日のテストに挑むことになった。提灯が足元を照らしている階段を降りる途中、瀬名高君と並んで話をする。彼がどうしてレイちゃんの家に急に来たか聞くと、やっぱりバンシキさんが呼んだかららしい。
「バンシキが呼ぶとなると、除怨関係かと思って、言われたとおり急いで来たんだが・・・・・・まさか、碁色君の家で、椿君までいるとは思わなかったよ。驚かせてすまないね」
「流石、足が速いね。そういえば、球技大会優勝おめでとう。まだちゃんと祝えてなかったね」
「ああ、ありがとう!!最近は僕も勉強をしろと母に怒られてね、椿君とじっくり話せる時間を取れなかったね。君の応援、嬉しかったよ」
そう言って笑いながら階段を降りる彼に、私は今までとは違う、何かしこりのようなものが体の中にあるような気がした。提灯と黒いオレンジ色の空に彼のシルエットが影絵のように浮き出る。暗くても分かる彼の身長の高さとすらっとした姿に、少しドキドキした。
「レイちゃんが主の仲間入りなんて、意外だけど嬉しいね」
「ああ。主が多いということは、除怨ができる式神が増えるということだからね。『廃絶』の威力が高まってきた今、仲間が増えるのは心強いよ」
「うん」
やっぱりこの神社は居心地がよく、階段を降りる度に澄んだ空気が感じられる。鳥居と階段を挟んで生える木が、葉っぱを揺らしている。顔を上げると、落ちかけた夕陽が遠く黒い町を飲み込んでいるのが見える。なんだか不思議とこのまま飛んでいけそうな気がして、勢いに任せて階段を降り、瀬名高君を抜かした。鳥居近くに掛かった一際大きな提灯の光が紅く光っていて、いい目印になっている。風が全身を切って、心地いい。
すると、誰かの手が私の手を掴んだ。前のめりになっていた体がぐいっと引き戻される。見ると、瀬名高君がこちらを見下ろしていた。いつになく笑っていない彼に、足を止める。式神たちも不思議そうにこちらを見ていた。
「瀬名高君?」
「・・・・・・君が、どこかに行ってしまう気がして。繋いでおかないと、と思って・・・・・・」
珍しく戸惑いの色を帯びた彼の目に、私も何も言えなくなる。何を言うでもなく、不意に繋がれた手が温かく、少し湿っていて、不思議と安心できた。こうでもしていないと、私か瀬名高君のどちらかが風で飛ばされてしまいそうだ。
「・・・・・・あ、すまない。はは、僕は何を言ってるんだろうね」
困ったように笑い、彼の手が離れる。もしかして、階段を先に降りるのは変な行動だっただろうか。また気持ち悪い行動をしたかな、と反省する。
「ううん、大丈夫だよ。心配してくれたんだよね」
「ああ・・・・・・椿君、君は不思議な人だね」
「え?」
「・・・・・・一緒に帰ろう。さあ」
「おい!!無暗にべたべたしてんじゃねえよ!!」
「え、あの二人、ほんとに付き合ってないんすか?さっきのはもうそういうことでしょ」
ふと優しく瀬名高君が笑って、手を差し伸べてくれる。私は日が落ちていて良かったと思いつつも、顔を下に向けながら手を取った。後ろからタンギンの喚き声とショウゼツさんの冷やかしの声が聞こえてくる。瀬名高君はどういう気持ちでいるのだろう、と彼を見上げると、彼は真剣な顔で前を見ながら、階段を降り続けていた。彼の寝癖が振動でぴょんぴょんと跳ねている。たまに見せる裏の彼の顔に、私は胸の高鳴りを感じつつも、その理由を知りたいけど知りたくない、相反した思いを感じた。
「じゃあ、また明日、椿君!テスト、頑張ろう!」
「うん、またね」
彼と別れ、タンギンと家に帰る。完全に暗くなった空を見ながら、タンギンがぼやいた。
「・・・・・・この街は、特別夕方が長いんだ」
「・・・・・・そうなんだ。確かに、ここの夕焼けは綺麗だよね。でも同じ日本なら、日照時間は他の場所と一緒じゃないの?」
玄関に着き、鍵を開けながらそう問うと、彼は空を振り返った。まるで敵と対峙する獣のように、静かな敵意を滲ませている。
「違う。ここだけ、特別なんだ。だから俺たちは、一番有利で、一番危険な場所にいるってことだ」
「・・・・・・どういうこと?」
「・・・・・・・まあいいわ。ほら、明日テストなんだろ?暗記パンでも焼いてやろうか?」
「それはお腹壊すから大丈夫」
ふざけてへらっと笑った彼に、まだまだ私には知らないことがたくさんあるなと実感する。でもひとまず今日は、明日のテストに向けて早く寝よう、と私は靴を脱いだ。




