巨漢
大小の木片が飛散する。
一抱えもある岩石がアリアの目前に迫っていた。
(これを投擲して扉を壊しましたの!? 屍鬼がそんな真似――いえ、先ほどの声が――!?)
推察する暇はなかった。アリアはとっさに岩石を蹴り返す。
岩石が砕け、大きめの破片がちょうど礼拝堂へ入り込もうとしていた屍鬼に直撃した。
『グギャアッ!』
頭を潰された仲間を踏み越え、屍鬼の群れが礼拝堂へ入り込む。
避難民達は悲鳴を上げ、転げるように扉から身を遠ざけた。
「うわあああっっ!?」
「屍鬼だ! 屍鬼が入って来たぞっ!!」
アリアは逆に飛び出し、鎖を赤熱させた。
「しつこい奴らですわねっ!!」
たちまち数体を分断する。
扉の外にずらりと後続の屍鬼達を認め、アリアは冷たい汗をかいてしまう。
(まずいですわ……どう考えてもこんなに大勢斬る前に鎖が切れてしまいますわ……!!)
敗北すれば彼女一人の犠牲では済まされない。
アリアを助けてくれた勇敢な少女も無残な最後を迎えることになってしまう。
せっかくここまで生き延びた避難民も全滅である。
「ひ、姫様……!」
思わず駆け寄ろうとしたフェリナをミィアが制止した。
「お嬢ちゃん、邪魔したらあかん! あいつに任せるしかないんや!!」
言われるまでもない。
やれるだけやるでは、済まされない。
任されて、達成せねばならない。
「ああ、もう……だから御使いなんて嫌でしたのよ。肩が重いったらないですわ!」
わらわらと突入して来る屍鬼達。
もう鎖は長持ちしない。アリアはさっと視線を巡らせた。
礼拝堂には何がある? 避難民、屍鬼の群れ、散らばった長椅子、柱、壁、天井――
「燭台!! 燭台も鉄製です、姫様ーっ!!」
「――ありがとうフェリナ。お陰でつながりましたわ」
艶然と笑うアリア。
ひりつくような緊張と焦燥の渦からまろび出たのは、歓喜であった。
『ガアアアアアーッ!!』
アリアは鎖の熱を下げ、頭上に投げつけた。
礼拝堂の梁に鎖が巻き付く。
「先触れどころかノックもなしとは。もはやマナー以前の問題ですわ」
『オウアアアアッ!!』
「あなた達には、躾けが必要ですわね!!」
鎖を掴んだままダッシュし、屍鬼に跳び蹴りを放つ。
『ゴガッ!?』
頭蓋を砕かれた屍鬼を置き去りに、アリアは上方へ逃れる。
梁を支点に鎖がぴんと張り、ぐるりと輪を描く。
「深夜の訪問は非常識ですわよっ!!」
天井を蹴り、急降下。
二体の屍鬼が蹴り飛ばされ、仲間をなぎ倒しながら吹き飛んで行く。
他の屍鬼達がつかみかかろうとするが、もう遅い。
またも上方へ逃れたアリアは片手に燭台を握っていた。蹴りのついでに床からかすめ取ったのだ。
燭台がかっと赤熱する。
「言ってもわからないなら――お仕置きですわっ!!」
『ゴガアアアアッ!?』
アリアは縦横無尽に機動した。
鎖につかまりながら天井や壁を蹴り、身体をひねって軌道を変化させ、時に床に降り立ち不意を突く。寸刻も動きを止めず、すれ違いざまに屍鬼を叩き斬る。
「!!」
次々斬り伏せるうちに、燭台が折れてしまった。
鉄の質が悪いのか、鎖より早いペースで損耗するようだ。
折れた燭台を屍鬼に投げつけ、アリアは別の燭台を引っつかむ。
「うおおおおおらあああああーっ、かかってらっしゃーいっ!!」
『アア、アガアアアアーッ!?』
時折燭台を取り替えながら、アリアは無我夢中で暴れ続けた。
ところが、とうとう鎖が切れてしまう。
「しまっ――!!」
不意を突かれ、アリアは落下して床に身体を打ち付ける。
慌てて立ち上がったが、もはやまともに動ける屍鬼はいなかった。
すべて分断され、肉塊となってしまったのだ。
「あ、あら……終わりでしたの」
ほっと息を吐く。
日に二度も屍鬼の大群と戦うのはさすがに厳しかった。
だが、それで終わりではなかった。
『フハハハハハ、見事なり! まさか我が輩の親衛隊を全滅させるとは、天晴れな腕前よ!』
いきなり天井が崩れ落ちた。
もうもうと煙が上がり、ずずんと床が振動する。瓦礫と共に何者かが降って来たのだ。
「な……なんですのっ!?」
かがんだ着地の姿勢から、ソレはのっそりと起き上がった。
巨漢であった。アリアよりたっぷり頭二つ分は背が高い。手足は太く、胸板も分厚い。オークやオーガにも負けない体格だ。
『不朽不滅の男爵キンドレィ・アナボリックス、今宵推参であーるっ!!』
想定外なことに、古城の悪魔はムキムキであった。
豪華だが布地少な目の衣服を身につけ、キレキレのナイスバルクを晒しまくっていた。眉も睫も黒々として目立ち、濃ゆい顔つきである。
有り体に言って、ただの筋肉お化けにしか見えない。
悪魔っぽいのは口元の牙くらいだろう。
『だが調子に乗るなよ、小娘ぇ! しょせん奴らは我が輩の露払いに過ぎんのだからな!』
「……」
『ンンンン? さては驚いて声も出ぬか。フフフ、無理もあるまい。この五百年、鍛えに鍛えた我が筋肉大山脈の偉容は、まさに全人類登攀不能っ!! 遭難必至のきらめく逆三角無法地帯なのだからなぁぁぁぁっ!!』
意味不明であった。
珍しくもアリアは呆然としていた。呆然としながら、身体が勝手に動いた。
右拳が猛烈な勢いでキンドレィの鳩尾に叩き込まれる。
『はおっ!?』
深々と急所を抉られ、前のめりになったキンドレィの顎を左の掌底で打ち抜く。
『がぶっ!?』
脳を揺らされ、ぐらつくキンドレィを全力の回し蹴りで吹き飛ばす。
『げばぁーっ!?』
無様に床を転がるキンドレィ。
はぁはぁと息をつき、アリアは汗を拭った。
「あ……ああ、びっくりした! 急に気持ち悪いモノが出て来るから、思わず殴ってしまいましたわ」
「あんた、マジでやばいな。これまでに何人位、うっかり殺ってしもたんや?」
「失礼ですわね。わたくしが屠ったのは魔物だけですわよ。アレも魔物の類いなのですからノーカンですわ、ノーカン」
「そらたまたまやろ。気ぃつけんと、いずれ出会い頭に事故ってまうで」
「人を暴走馬車みたいに言わないでくださいな!」
などとゆるいやり取りを交わすうちに、キンドレィは立ち上がってしまった。
『げほっ、げぼはぁっ! お、おのれ……婦女子の分際で紳士に昼食をリバースさせるとは、言語道断っ!!』
キンドレィはびしりとアリアを指差す。
『我が輩は誇り高き男爵である! 貴様の卑劣な不意打ちになぞ、決して屈しはせんのだぁっ!!』
「不意打ちも何も、あんたの真正面から殴りかかってたやん?」
『屈しはぁぁぁ、せんのだぁーっ!!』
猛然とキンドレィは襲いかかって来た。
話を聞かないタイプのようであった。
『喰らえ、いきなり超必殺技ぁっ! バロン・メガハンマー・パァァンチ!!』
キンドレィは身体をぎゅるりと回転させ、強烈な裏拳を放つ。
髪一重でかわし、アリアはカウンターを叩き込む。
『バカめ、不意打ちでなけば婦女子の打撃なぞ――』
「――ふっ!!」
どんっ、と大砲を撃ったような重低音。
インパクトの瞬間、拳から放出された爆炎はキンドレィの胸部に大穴を穿っていた。ぽっかり開かれた空洞から反対側の景色がコンニチハしている。
『んなあああああっ!?』
「はぁっ!!」
軽く跳躍し、アリアは手刀でキンドレィの首を切断していた。
切断面から煙を噴きつつ、どうと倒れるキンドレィ。飛ばされた頭部は炎に包まれ、焼け崩れて行く。
避難民達からどよめきが漏れた。
「古城の悪魔が……倒された……?」
「た、助かったのか、俺達……!?」
ほっと息を吐き、フェリナは安堵の笑みを浮かべた。
ミィヤはキンドレィを見下ろす。頭部も心臓も無くなってしまった死骸を。
「うわ、瞬殺やな! せっかくおっさんの見せ場やったのにいけずやなぁ」
「知ったことじゃありませんわ。ここで屍鬼化のスキルを使われたら困りますもの」
アリアは構えを解き、髪を払った。
「このおっさんが元凶なら屍鬼はみんな死体に戻ったはずですわ。一応、街に戻って確認しましょう」
「あー、ちょい待ってや。生き残りのみなさんにナルアー様のこと、アピっとかんと」
「そんなことは後回しでいいじゃありませんの」
「阿呆やな、タイミングが命なんやで! ここでがっつり、ナルアー様への信仰を叩き込めばバッチリや! くっくっくっ!!」
悪い笑顔になるミィヤ。
確かに避難民達はみな虚脱状態になっていた。
極度の緊張と恐怖からいきなり解放されたのだから、無理もない。
つけこむのは気が引けるが、もともと布教の為に来たのだ。
アリアは肩をすくめ、踵を返した。
――おおーい君達、何終わった感出しているのさ。ちゃんとやらないと痛い目見るよ?
頭に響いた警告は、少しばかり遅かった。
『バロン・ギガトン・キィィィクッ!!』
「ぐぅっ!?」
丸太のような脚に蹴られ、アリアはのけぞった。
衝撃で視界がちかちかし、口中に血の味が広がる。
「な――っ!?」
巨漢がアリアを睥睨していた。
キンドレィ・アナボリックスは復活したのである。
読了ありがとうございました。
次回更新は6/19(金)の予定です!




