伝承
人間が無自覚に差別的になる場合はいくつかある。
例えば、自分が正しいと思い込んでいる時。相手と信じる神が違う時。極めて切迫している時。
全部が揃った時は、まさに最悪だ。
教会にたどり着いたアリア達を待っていたのは、そんな状況であった。
「てなわけでな。ウチらはナルアー様の御使いとして――」
「ナルアー? 天使だと? そんな神は聞いたこともないわ! ここは聖堂教会だぞ、異教徒はさっさと出て行けっ!!」
「バ、バルドさん、まずはお話を伺いましょう。この方達はフェリナをここまで連れて来てくださったのですし……」
わめき散らしている中年男はバルドという商人だった。
なだめているのは司祭のワイスだ。老齢で足が不自由なのか杖をついている。
「ああ!? ここの司祭はあんただろ!? そのあんたが言わねぇから、俺が憎まれ役を引き受けているんだぞ!」
「い、いや……しかし、出て行けば屍鬼の餌食に」
ワイスの異議にバルドは噛み付いた。
「異教徒がどうなろうが、俺の知ったことか! 第一、これ以上ここに人を増やせるかよ!!」
礼拝堂の中は避難した人々が大勢いた。
長い脚付きの燭台からの弱々しい明かりに照らされた顔は、どれもげっそりとやつれ果てている。
「いやいや、バルドはん。ウチら腰を落ち着けるつもりはないんや」
「そうですわ。わたくし達は古城の――」
「うるさい、貴様らは喋るなっ!! 黙って失せろっ!!」
ヒステリックな一喝。
アリアとミィヤは閉口し、ひそひそ話を始める。
「何ですの、このおっさん。心底気に食わない輩ですわ。殴るしかないのでは」
「発想がシンプル過ぎやろ。ええか、ウチらは御使いやからな。現地でのもめ事はNGや。殴ったらあかんで」
「ええ……先っちょだけでもダメですの?」
「何の先っちょやねん。ウチかて魔物呼ばわり我慢しとるんやで! それに状況が状況やろ?」
教会はちょっとした砦のようになっていた。
すべての扉や窓には板を打ちつけ、さらに長椅子などを積み上げて厳重に塞がれている。出入りは二階の窓からロープを伝って行なうという徹底ぶりだ。
「臨戦態勢でピリピリしとるから、そら塩対応にもなるで」
「わかりますけど、こちらが口を開くだけで怒鳴り返す有様では話のしようがありませんわ」
「ともかく、おっさんが落ち着くまでちょい待っとき」
バルドはヒートアップし過ぎている。少々の時間で落ち着くとは思えない。
頼みはワイスの説得だがこちらも功を奏しそうになかった。
「信じる神が違うにせよ、救える命を無為に死に追いやるのは、教えに反します! あなたも信者なのだから」
「――司祭様よ、俺が寄付した金でこの教会を建てたんだろ? なら、ここは俺のものも同然じゃねぇか! 文句があるなら、あんたも出て行け!」
「そ、それは……」
バルドは馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、今度はフェリナをねめつけた。
びくんっ、とフェリナは身体を硬直させる。
「おい、フェリナ! 早く食い物を出せ!!」
「あ、あの……それが……」
アリア達と会った時に負っていた背嚢。
実はその中には、街で見つけた食料が詰め込まれていたらしい。フェリナがたった一人で屍鬼がうろつく街にいたのは、バルドに食料集めを命じられたからなのだ。
フェリナがおどおどと経緯を説明すると、バルドは愕然となった。
「す……捨てちまっただと!? ばっ、馬鹿野郎が、何しに行ったんだ! こっちはもう三日も食ってねぇんだぞ!!」
「ご、ごめんさい、わたし……っ!」
「ふざけるな、この餓鬼!! ごめんですむかぁっ!!」
バルドはフェリナの胸ぐらを荒々しく掴む。
凄まじい形相で睨まれ、フェリナは「ひっ」と悲鳴を上げた。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
「……行け」
「えっ?」
「もう一回、街に行って来い!! 今度こそ、ちゃんと食い物を持って来やがれ! 今すぐ行け、今すぐだっ!!」
「そ、そんな……!」
バルドの目は血走っている。
極限状態に飢えが拍車をかけ、常軌を逸しつつあるらしい。
「何だ、役立たずの奴隷のくせにっ!! おお、お前まで……俺に文句を言うつもりかぁっ!!」
「――っ!!」
振り上げた拳はフェリナに届かず、急停止した。
バルドの手首をアリアががっちりと握り締めていたのである。
たおやかで強靱な指が肌に食い込み、バルトはうめく。
「いででっ!! て、てめぇ、何しやがる!!」
「フェリナに荷物を捨てろと言ったのはわたくしです。文句があるならわたくしにどうぞ」
「い、いいから離せ、痛てぇだろうが!! 離してくれっ!!」
ぱっと指を開いて解放してやる。
バルドは慌てて身を引き、唾を飛ばして吠えた。
「くそっ異教徒め、ただで済むと思うな! 俺は領主にコネがあるんだぞ!! ひ、火炙りの刑にしてやるからなぁっ!!」
「まあ。それは正直、全然構いませんけど」
アリアは掌に拳を軽く叩きつけた。
「やっぱり、どーしても気に食わないですわ。恐れ入りますが、一発殴らせて頂きますね」
「な――」
にっこり笑って有言実行。
顔のど真ん中を強かに殴られ、バルドは鼻血を吹きながら吹っ飛んだ。
□
ここはコーメイと呼ばれるマンダリン王国の地方都市であった。
郊外には農地が広がっており、その向こうに深い森がある。
ある時、森の中に屍鬼がうろつき始めた。
放置するわけにはいかず、街は領主に嘆願して討伐隊を派遣してもらった。
討伐隊は魔物の対処に慣れた部隊だ。
普通に考えればあっさりと屍鬼が駆逐されて話は終わりだ。
ところが、隊員はみな屍鬼と化して街に戻って来たのだ。
街の住民達は驚き、外壁の門を固く閉ざした。
だがその日の晩、壁の内側に大量の屍鬼が発生したのであった。
「で、こうなってもうたんか。その原因が古城の悪魔かいな?」
「ええ、恐らくは。森の奥に崩れた城跡があるのです。五百年前、この一帯を支配していた貴族のものですが」とワイス。
貴族の名はキンドレィ・アナボリックス男爵。
もとは王族であったが、王位継承争いに敗れ、この地に追いやられたらしい。
着任早々、キンドレィは評判の悪い領主となった。
領民に難癖をつけては捕らえ、拷問や処刑を繰り返したのだ。
追放された憂さ晴らしと思われたが、実際の目的は別だった。
いかなる理由からか、彼は悪魔を召喚しようとしていたのだ。領民はその生け贄にされたのである。
やがて事が露見し、王家はキンドレィ殺害の命を出す。
「だが手遅れでした。キンドレィは召喚に成功し、自らを悪魔にしてしまったのです」
キンドレィは恐るべき力を振るった。
手も触れずに周囲の人間を屍鬼にしてしまう、まさに悪魔の力を。
数多の騎士や魔術士が挑んだが、ことごとくが返り討ちとなった。
領民の殺戮では飽き足らなくなったのか、やがてキンドレィは屍鬼の軍勢を率いて王都への進撃をもくろむ。
この悪魔を止めたのが、聖女ダミア・マッカである。
「聖堂の神の加護により、彼女には悪魔の力が効かなかったのです。まことに我が神のご威光は――」
「ふん、よく言うぜ。五百年前ならまだ聖堂教会はないだろ。神は神でも別の神のご威光じゃねぇのか?」
口を歪め、バルドは言い捨てた。
古き神を貶めたり、手柄を横取りしたりするのは後発の宗教がよくやる手なのだ。
ワイスは咳払いをすると、話を続ける。
「ともかく、聖女は己の命と引き換えにキンドレィを居城の地下深くに封印し、決してこの封を解かぬように言い残しました。それなのに……」
「何だ、ジジイ? 俺が悪いってのか!? あの城は俺が買ったんだぞ! 俺の好きにして何が悪い!!」
年月が流れ、聖女の伝承を知る者は少なくなった。
それでも土地の者達は城に近寄ることを禁忌としてきたのだが、バルドが手を出してしまったのだ。
「はーん。要するに大体、あんたのせいやな」
「うるせぇ! 五百年前のヨタ話なんざ、本気にする方がおかしいだろうがっ!? お、俺のせいじゃ……」
「お黙り、うっとうしい!」
アリアがぴしりと言い放つとバルドはぐっとうめき、言葉を呑んだ。
「ボコったお陰で大人しゅうなったな。ホンマはあかんのやけど……」
「――どう思いまして? ワイス司祭のお話」
「人間が悪魔そのものになった、ちゅうことはないやろな。なんぼ悪魔と取り引きした言うても、そら無理や」
「ふむ。であるにしても聖女が封印するしかなかったのなら、相当しぶといでしょうね」
「せやな。実際、めっちゃ時間経ってから蘇っとるわけやし」
「他の能力はわかりませんが、触れずに人間を屍鬼に変ずる特殊スキルも持っている、と」
十分過ぎる程の難敵である。
もし遠距離から屍鬼に変えられてしまったら、アリアには為す術がない。
拳が届く距離まで接近できるだろうか。
「あんたもめっちゃ加護されとるからな。スキル喰らいよったとしても、いきなり屍鬼にはならんと思うで」
ザイドリィの血に継承された炎の力は常にアリアの体内を巡っている。
これが外部からの干渉に対する障壁として働き、魔法系の攻撃が効きにくいのだ。
「うーん……どの程度抵抗できるかは、源になる力の属性と術式によりますわね」
「もっと情報が欲しいとこやけど……これ以上は無いものねだりやな」
「ですわね。古城とやらに行って確かめるしかありませんわ」
『フフフ、それには及ばぬ。こちらから出向いてやったからな――』
どこからともなく響く声。
驚く間もなく、礼拝堂の扉が吹き飛ばされた。
屍鬼の襲来であった。




