悩み
その晩、俺は必死で考えた。森野が前に進むならばこれまで通り陰キャの姫でいることは難しい。もちろん、属性やキャラ付けとしての『陰キャの姫』という二つ名を背負い続けることは不可能ではないだろうし、おそらくそれは続く気がする。
Ⅴライバー業界には「清楚」などの属性を冠しているが、実際そうではないⅤライバーはいくらでもいるし。
さらにはラノベやアニメを見れば、陰キャやボッチの皮を被った主人公がちゃっかりハーレムを築いていたり、陽キャリア充のくせにオタク趣味に興味を持っているヒロインなども枚挙にいとまがない。
そのような『属性』としての『陰キャの姫』を名乗り続けることは出来るし、おそらくそうなるだろうが、俺たちが期待するような真の意味でのそれではなくなるだろう。
おそらく森野はそれを感覚的に分かっているだろう。それでも彼女は前に進むことを選んだ。そして残された者を切り捨てることになるということも理解している。森野は彼らを救うために、自分の選択を変えることではなく後継者を設定することを選ぼうとした。森野が自己犠牲を選ばないのだとしたらその論理自体は分からなくもない。
しかし森野ではない誰かが森野の後継者たりえるのだろうか。単なる下位互換に成り下がるのではないか。
また、森野の選択が正しいとして後継者には俺がなるべきなのだろうか。
こちらにはなかなか答えが出なかった。なぜなら自分のことだからだ。
考えあぐねた俺は翌朝、起きるなり泥水サイダーにDMを送ることにした。とはいえ、寝付けなかったせいで起きたのは昼近くになってしまっていたが。頭の中にはもやがかかったようにすっきりしなかったが、俺はのそのそとベッドから出ると寝ぼけまなこでスマホからメッセージを送る。
『森野からDM来たか?』
泥水サイダーも同じように眠れなかったんか、返信はすぐに来た。
『そっちにも来たのか。俺は辞退した』
泥水サイダーは決断が早かった。
『理由を聞いてもいいか?』
『俺は小説を書きたいからな。配信している暇はないんだ』
確かに泥水サイダーらしい真っ当な理由だった。らしい、と言えるほど俺たちは親しいわけではないが。それでも泥水サイダーが小説を書くことに一途になっているということは伝わって来た。もっとも、それゆえに結果が出ないことの辛さもひとしおなのだろうが。
『それでそっちはどうするんだ?』
『悩んでる』
『正直俺も森野の代わりが他人に務まるかは半信半疑だ。だが、少なくとも君なら他人の痛みは分かるんじゃないかと思う』
いや、俺はそんな大層なものじゃない。所詮俺が分かるのは俺自身の痛みだけ。そして俺は自分の痛みを感じることに夢中で、他人に配慮することなど出来ない。
『俺みたいな奴がやって許されるのだろうか』
『知らん。許せる奴はついてきて、そうじゃない奴は離れていくだけだろ。これだけファンがいるんだから全員かゼロかってことにはならないだろ』
確かにそれはその通りである。
『そうだな。もう少し考えてみる』
『ああ、俺だってその時になってみないと君の配信見るかなんて分からないからな』
人生の袋小路に入っているだけあって泥水サイダーは達観しているようだった。要するに他人のことなど考えても仕方ないから、俺がどうしたいかを考えればいいということだろう、と俺はポジティブに解釈する。
「バイト行くか」
俺は決断を引きずったままご飯を食べて、出かける準備をした。
いつものようにクレッシェントに出勤すると、その日はバックルームに大量の段ボールがあった。おそらく入荷してきた商品が出しきれずにそのまま残っているのだろう。
「何じゃこりゃ」
珍しいことなので少し驚く。
バックルームの後ろの方にあるロッカーがあるスペースに行きたいだけなのに、段ボールを動かしたり降ろしたりで骨が折れる。
「お疲れ~、ごめんごめん、ちょっと今日入荷多くて」
そこへ桧山さんが空の台車を押しながらバックルームに入ってきて俺に両手を合わせる。ちょうどこの台車の商品を出し終えたところなのだろう。
「何かイベントとかありましたっけ」
このビルや近くでイベントなどが行われる際はお客さんが増えるので、多めに発注して入荷を増やすことが多い。
「違う違う。この前の発注のとき、メーカーが休業で入ってこない商品があったから、今回多めにとったの」
「じゃあ別に桧山さんが謝ることないじゃないですか」
「そうなんだけどね」
そう言いながらも桧山さんは次の段ボールを開いてテキパキと中身を仕分けしていく。ある程度中身を商品の種類ごとに分けておくことによって、品出しの手間が軽減される。しかし仕分けが遅かったり雑だったりするとかえって時間がかかることもあるので、何だかんだいつも桧山さんがやっていた。
基本的に入荷は朝に行われ、俺は遅番ばかりなので仕分けが終わっていない状況を見ることはあまりないが。
俺は荷物を入れてロッカーの鍵をかけ、エプロンをつける。まだ十分ぐらい時間はあったが、この状況を見るとシフトの時間までスマホで時間を潰すのは悪いと思ってしまう。
こういう細かいところではまじめになれるのに、なぜ自分の人生に対してはまじめになれないのだろうか。
「ではシフト入ります」
「はーい」
その後俺は三時間ほどレジと品出しを交互に行いつつ、心の中ではずっと森野の提案を受け入れるのかを考えていた。よく「出来るかどうかではなくどうしたいかが大事」と言う人がいるが、そもそもどうしたいかと言われれば俺は森野に今まで通りでいて欲しい。
正直、森野は優しいので熱心なファンを集めて土下座せんばかりの勢いで嘆願すれば二割ぐらいの確率で思いとどまってくれるのではないかと思っている。仮にそうではなくても軌道修正してくれるかもしれない。
だが、俺がそうして欲しいというだけでそんなことをしてもいいのだろうか。仮に森野がそれを恨みには思わないとしても、俺や似たようなファンの願いで森野の人生を捻じ曲げてしまうことは許されるのだろうか。
あと、もし俺が受け入れなかったとして、森野が俺の代わりに別の人物を抜擢する可能性もある。というか、もしふさわしい人物がいるなら是非そうして欲しい。それが叶うのならばある意味一番誰も不幸にならない可能性と言えるかもしれない。だが、その選択も結局他力本願であるため俺にはどうすることも出来ない。
となると考える価値があるのは、俺よりふさわしくてかつやる気がある人物がいなかった場合、俺が提案を受けるかどうかだ。ちなみに俺に配信経験はないし、友達と普通に雑談していてもしばしば会話につまる程度はコミュニケーションがうまくない。本当に仲がいい友達ならそれもそんなに気にならないが、配信だとやはり致命的である。
ただ、コミュニケーションだけで言えば実はある程度何とかなる。高校時代図書室に引きこもっていた森野でも普通に配信がこなせているのは、おそらく森野が雑談を装ってはいるが、かなりしっかりと事前に構成や話す内容を決めているからではないかと俺は勝手に睨んでいる。それは森野に自分と同じコミュ障であって欲しいという願望が創り出した妄想かもしれないが。
森野の配信スタイルを参考にして事前に募ったお便りを中心に何を話すか配信の計画を考えれば、あまり露骨に会話に詰まることはないはずだ。
また、これは俺の力量にもよるが、配信には多くのコメントが流れているので何でもいいから拾えば会話が途切れることはないし、熟練のリスナー(そういう奴は一定数いる)は配信者よりおもしろいコメントを打ってくれることもある。
ただ、当然だが俺は森野にはなれないし、森野より劣っている。それに今のリスナーは森野に対して今まで通りでいて欲しいのであって、森野に後継を作って欲しいという訳ではない。
つまり残るのは森野リスナーのうちの陰の気が強い者たちで、さらにそのうちの何割かは俺には興味を示さないだろう。そうなるとかなり辛い出だしになる。そして俺は森野の後継であるという以外に何のアドバンテージもない以上、出だしから失敗すれば後はない。
では失敗する可能性があるからやりたくないかと言われると、不思議とそういう訳ではなかった。純粋にⅤライバー自体は今の俺の唯一の趣味のようなところはあるし、自意識と無気力に取りつかれた俺が唯一やってみようか、と検討したことである。ただの趣味程度でやれる訳がない、と思う人もいるかもしれないが俺にとってその重みは違う。俺にとってはそれしかないのである。俺にとってはただの趣味というよりは唯一の希望なのだ。
そんなとりとめのないことを色々考えた末、やるやらないは別として、もう少し森野の話を聞いてみようかと俺は思った。
そんなことを考えていると瞬く間に時間は過ぎ、休憩時間になった。俺はふう、と一息ついてバックルームに戻っていく。
「休憩入りまーすって、桧山さん!?」
朝番だったはずの桧山さんはまだバックルームで仕分け作業をしていた。当然退勤時間は過ぎている。
「マネージャーには内緒だからね?」
そう言って人差し指を唇に当てていたずらっぽく笑う。ちょっと可愛かったが、言っている内容はブラックである。可愛く言ってすまされることではない。
「いや、さすがに良くないですって」
作業のキリが悪くて十分か十五分ほど残るとかならまだしも、すでに二時間ほど退勤時間を過ぎている。
「でも私が仕分けしとけば夜暇なときに月岡君が品出し出来るでしょ?」
確かに仕分けしてあれば一人番の時に品出しは出来るが、バックルームで仕分けをするのは厳しい。それに、俺は仕分けをほぼやったことがない。
「それはそうですけど……でもそれならマネージャーに電話して、残業申請してちゃんと時給もらいましょうよ」
桧山さんがこの感じのときはサイレント残業であると俺は経験から学んでいる。
前に理由を聞いたところ、従業員の勤務時間が長くなると人件費が上がり、マネージャーの上司に怒られるのだという。だが、俺はマネージャーの心労よりは桧山さんがちゃんと旧領をもらえることの方が大事だ。
が、桧山さんは婉曲に拒否した。
「うん、まあ考えとく」
残業の申請はするかしないか考えるべきものではない。というか今しかするタイミングはない。つまり桧山さんにする気はないということだった。俺はさらに言い返そうとしたが、桧山さんの方が早く口を開いた。
「ところで今日ずっと上の空だったけど何か悩み?」
先手をとられてしまい、俺は反論の言葉を押し込まれる。
やはり桧山さんにはばれてたか。ちなみに今日は川原さんもやけに静かだなと思っていたが、桧山さんが居残りしていたせいか。
しかし桧山さんには何と説明したものだろうか。Ⅴライバーがどうとか言ったらまずⅤライバーの説明からしないといけないので、長くなってしまう。
「俺のやりたいかもしれないことが見つかったんですが、それはおそらく仕事にはならないことなんです。その道に進むべきなのかなとずっと悩んでまして」
結局、俺は色んなことをぼかしながら話した。
「それって趣味みたいな感じ? 絵とか小説みたいな」
「まあそんなようなもの……ですかね」
それで生計を立てられるのが一握りの人しかいないという点では大体同じだ。俺の答えに桧山さんは仕分けの手を止めてこちらを見る。
「それは就職して仕事しながらじゃだめなのかな?」
仕事しながらでも出来るという点でも共通しているな。
「だめではないですが……本気でやったとは言えない結果になるでしょう」
Ⅴライバーは別に配信だけをしている訳ではない。動画制作などは行わず配信だけでやっていくとしても、配信のサムネを作ったり、リスナーからのお便りを読んで選別したり、俺の場合は話す内容をしっかり考えたりといった作業は必要になる。
さらにリスナーを増やそうとすればツイッターの活用、勉強のために他のⅤライバーや配信者の配信を見る必要もあるだろうし、他のⅤライバーとの交流も必要になるかもしれない。森野の例で分かるようにコラボというのは知名度アップの一つのきっかけとなる。もっとも、陰キャの姫を継承するならそっち方向の努力は必要ないかもしれないが。
それらのことと仕事を並行した場合、週に何回配信出来るだろうか。まあそれは仕事にもよるのだろうが。やってみないと分からないこともあるだろうし。
「うーん、でも月岡君ならきっと出来ると思うよ。それに仕事だってそっちの活動に何かしらのプラスにはなると思うし」
桧山さんは善悪や正しい・正しくないの感覚が的確な人だと思うし、人を見る目もある。だから桧山さんのアドバイスは一般的な意味においては正しいと思う。
俺も桧山さんの言葉を聞いて『正しい』とは思った。
しかしそれと同時に俺の中に奇妙な感覚も生まれた。
あえて言葉にするなら、『正しい』というのは逆に言えば一般的に正しくない人と交わっていこうという俺にあてはまるのかは分からない。だとしたら俺は『正しい』道を選ばないべきではないのか。
もちろん、その気持ちに就職という目前の辛いことからの逃避がないと言えば嘘になるが。
「分かりました、もうちょっと考えてみます」
結局、俺は桧山さんに対する返事を濁した。
「うん、それがいいと思う。ごめん、そう言えば休憩だったね。私もさすがにもう帰ろうかなー」
「俺の休憩はどうでもいいですが、桧山さんは早く帰ってください」
「じゃあこの箱終わったらね」
そう言って桧山さんは大きな箱を開け始める。全然帰る気はなさそうだった。
桧山さんは正しいはずなのに、どこか間違っている。それとも、実はこれが正しいのだろうか。俺は漠然とそんなことを思った。




