回想
あれはまだ俺が幼かったころのことである。確か小学校低学年だったころのような気がする。
当時まだそこまでインドアではなかった俺は、夏休みに友達と近所の山に遊びにいった。何をしていたか、今となっては毎日毎日何もない山で何をしていたのかあまり思い出せない。虫をとったりかくれんぼしたり走り回ったりそんなところだっただろう。ちなみに、何があんなに楽しかったのかももう思い出せない。
そんなある日、俺は山の一角に一軒家があるのを見つけた。多分美化されているが、木で出来たちょっとおしゃれなログハウス的な外観だった気がする。まさかこんなところに家があるとは思っていなかった。
その時の俺は隠れ家でも見つけたかのようにテンションが上がった。そして他人の家の周りを探検気分でうろうろしていた。家自体は普通だったが、山の中の一角にぽっと建っているのが微妙に現実感がないところが良かった。
「うちに何か用?」
不意に鈴が鳴るような声が聞こえた。振り向くと、そこに立っていたのは白いワンピースを着た麦わら帽子の少女だった。おそらく同じぐらいの年齢なのだろうが、俺と違って深窓のお嬢様のような雰囲気があり、俺は不覚にもどきどきした。
真夏の照り付ける太陽とむっとする熱気に俺はおそらく全身汗だくだったが、彼女の周りだけはまるで涼しい風でも吹いているかのように涼し気だった。
俺は彼女を見ると不意に胸がどきどきして言葉がうまく出てこなくなった。単に初対面だから緊張しているのかと思ったが、後から考えるとこれはれっきとした一目ぼれだったような気がする。
「何? 答えられないなんて不審者?」
彼女はいたずらっぽく笑う。
「ち、違うって。ただこの辺で遊んでただけだし」
俺はどぎまぎしながら答える。
「じゃあ私とも遊ぼうよ。こんな田舎に来て暇だったんだから」
内心地元を田舎呼ばわりされたことにむっとしたが、そんなことはおくびにも出さない。
「いいけど、何するんだ?」
「いいの? じゃあ私一度サッカーしてみたかったんだ!」
「えー、女とサッカーしても楽しくねえし」
後の俺の人生から考えると当時人生の絶頂にいた俺だったが、普通の小学生らしく、好きと思った女の子には憎まれ口をたたいた。
俺の憎まれ口に彼女は口を尖らせた。
「ええ、私もサッカーしてみたい。それにボールも持ってるから」
「じゃあ少しだけだからな」
俺はまるでしぶしぶ折れたかのような口ぶりでサッカーに応じた。彼女は嬉しそうに家の中に駆け込み、ボールを持ってくる。
「それじゃいくよ~、えいっ……あれっ?」
彼女は思いっきりボールを蹴ろうとしたが、その足は見事に空振りした。
「い、今のなしだから。今度こそ……えいっ、やった!」
焦った彼女がばたばたと足を動かし、今度は見事ボールに命中し、ボールはきれいな放物線を描いて飛んでいく。
明後日の方向に。
おい。
「おい、どこに蹴ってるんだよ」
俺はぶつぶつ言いながらボールが飛んでいった方向に走っていく。そしてやっとの思いでボールに追いつくと、ため息をつきながら少女の元へ向かう。
「お前、全然だめだな。仕方ないから教えてやるよ」
「ミカ」
不意に彼女は少しだけ不機嫌そうなニュアンスをにじませて言った。
「へ?」
困惑する俺に、彼女は憮然とした表情で続ける。
「お前じゃない。ミカって呼んで」
「そうか、じゃあ俺はフユキだ」
こうして俺は友達そっちのけでミカにサッカーを教えにいっていた。サッカーに飽きると、彼女の家で一緒にご飯をいただいたり、トランプをしたり、他愛のないことを雑談したりした。
繰り返すがこれが俺の人生の絶頂期であり、人生でもっとも“充実”していた夏休みである。後にも先にも女の子とこんなに仲良くしたことはなかった。
が、夏休みももう終わりに近づくという日。俺が遊びに行くと、彼女は珍しく浮かない表情をしていた。それを見て俺は直感的に嫌な予感に包まれる。
「どうしたんだ?」
「実は私……明日にはもう行かないといけないの」
そこで俺はようやく気付く。同い年ぐらいである彼女が同じ小学校だったら気づくはず。そしてこの辺りの小学生は大体同じ学校に通っているはず。そもそもこの山自体しばしば遊びに来ていたのに出会うのが初めてということは、彼女はここにずっと住んでいるという訳ではなかったのだろう。
「どこに住んでるんだ?」
「京都。ここにはおじいちゃんが住んでるから」
ここは神奈川の田舎の方である。今だったら新幹線一本で行けるが、小学生の俺たちにとっては世界の果てのように感じられた。
そう言えば俺に手料理を振る舞ってくれたのもおじいちゃんだった。深くは気にしてなかったが。
「そうか……でも、また来るよな?」
「うん」
彼女はしっかりと頷いた。
「そうか、なら指切りしようぜ」
俺はすっと小指を差し出す。ミカもすぐに俺の小指に小指を絡めた。彼女の小指は俺に比べて色白で、すべすべで、滑らかだった。その手の感触は今でも鮮明に思い出せる。
「「指切りゲンマン、嘘ついたら針千本飲~ます、指切った!!」」
その後俺たちはいつも通りボールを蹴って、いつもよりちょっとだけ遅い時間に別れたのだった。
そしてそれきり、俺とミカは出会うことはなかった。次の夏、しびれをきらした俺が家に行ってみると、そこは無人になっていた。体調を崩して入院したのだろうか。それとも介護を受けるために京都の家に行ったのだろうか。いずれにせよ、スマホも持っておらず、SNSもやっていなかった俺たちは連絡先も交換しておらず、もう会うことは叶わなかった。




