32、変わりゆく日々
……困ったな、と思う。
平民街の商業区は、賑やかだ。
大通りには露店が立ち並び、その奥には店が連なる。
行き交う人を呼び止めようと、商人たちが声を張り上げる。
道幅はそこそこあるが、人気の露店の前はどうしたって狭くなり、人とぶつかりそうになる。
それを避けると、今度は隣を歩くヴェルナレット嬢との距離が近づいてしまう。
これが、問題である。
今の彼女は、ドレスではない。
アイボリーのブラウスに、柔らかな茶色のシンプルなデザインのワンピース。
控えめながら、非常に可愛らしい。
だが……
(……う……つい、目が)
吸い寄せられるように、胸元の控えめな細いリボン……いや、紐だろうか?
その揺れるさまを追い駆けてしまう。
いや、正直に言えばそれだけではないのだが。
(……無防備すぎるだろう)
令嬢方の見慣れたドレスは、これでもかと布を纏っている。
だが、ワンピースは違う。
機能性を重視しているせいか、本来の意味で軽やかだ。
そのせいで、なんというか……目のやり場に困るのだ。
ヴェルナレット嬢にフードを被るように言われた時には驚いたが、今となっては有難い。
ルシアンの戸惑いや、しょうもない感情を隠すことができている。
(こんなつもりではなかったのだが……)
少しでも彼女が生活しやすいように。
そう思って、ジュールやアルマン、マルグリットに相談した。
彼女が持ち込んだ荷物のうち、おそらく本人のものと思われるのはドレスではなく、ワンピースだと聞いたから、だから、ドレスなんて無理しなくていいと言ったのだ。
その結果がこれだ。
だいたい、騎士団の仕事として平民街に行くことだって珍しくはない。
ワンピース姿の女性も、それなりに見てきた。
そもそもドレスだって、胸元が開いた大胆なものもある。
今まで気にも掛けなかったというのに。
ヴェルナレット嬢というだけで、こんなに動揺させられるとは思いもしなかったのだ。
(最悪だ……いや、最低だ)
大切にしよう、これ以上傷つけることがないように。
そう思っているはずなのに。
感情どころか、行動すら思うようにならない。
だからといって、彼女と距離を置こうなんて、そんな選択肢を選ぶつもりもない。
(それだけは、絶対に嫌だ)
自分の傲慢さに呆れる。
本当に、どこまでも我がままだ。
それでも、『契約の期間だけだから』と自分に言い訳して。
彼女の傍を選んで。
せめて、彼女に合わせようと思っているのに。
気づけば。
イチゴを彼女の口の中に入れた。
可愛かったのだ。
ルシアンに勝ったことが嬉しかったのか、笑った彼女はとてつもなく可愛くて。
そこから、どういうわけかイチゴを彼女に食べさせていた。
自分でもどういう原理なのか分からない。
……ただ、その後も可愛かった。
真ん丸の目も、なんだか怒っている様子も。
怒っているのに可愛くて。
どうしていいのか分からない。
……苦しいなと思う。
どうして、契約なんかで縛ってしまったのだろうか。
でも、そうでなければ、ルシアンは彼女の存在を知らないままだった。
彼女にとっては最悪なことかもしれないけれど。
それでもルシアンにとっては、これ以上ない結果だ。
「ルシアン様?」
ぼんやりと歩いていたせいか、ヴェルナレット嬢がルシアンのフードの奥の顔を覗き込もうとする。
必然的に距離が近づいているのだが、フードのせいか彼女は気づいていない。
こういう、ちょっと危なっかしくて鈍感なところもいい。
あまりにも好きなところが増えていくから、たまに嫌いなところを考えるようにしている。残念ながら、今のところ見つかっていない。
怖いなと思った。
「あの角を曲がったら、次のお店だ」
そして、もっと怖いのは自分だ。
図々しくもその手を掴み、彼女の許可を求めもしない。
「え……あのっ!!」
はっきりと断られないことをいいことに、そのまま手を繋いで歩く。
彼女のペースに合わせると拒否されるだろうから、少しだけ速度を上げて。
ドレスなら躓く心配があるけど。
ワンピースは彼女を軽やかにする。
ルシアンには、実に都合のいい服だった。




