第57話 埋伏の毒
マイク・ロングスティアは、竜殺しの家系に生まれた長男だった。
文武両道。
幼い頃から魔術も武術も、どちらも秀でていた。
『天球世界』では、怪物のような才能を持った者が居る。人間を越えた才覚を持った存在が居る。
流石に、そこまでには及ばないが、秀才と呼ばれる程度には優れていた。
八つを越える頃には、下級ではあるものの、単独で魔物を撃破。
十を超える頃には、同期の子供たちの中では並ぶほどの者が無いほどの実力を示して。
ミネルヴァ魔法学校に入学する頃には、上級の魔物を単独撃破。更には、半死半生になりながらも、下級の竜を討伐することに成功していた。
まさしく、順風満帆。
竜殺しの家の長男として、相応しいだけの実績を叩き出していた。
ロングスティアの属する者のほぼ全ては、マイクがロングスティアの家督を継ぐものだと信じていた。
「我が一族の業はビリーに継がせる」
当主である父親が、暴挙に等しい発言をするまでは。
「馬鹿な!? 父上、何を血迷ったのです!? ビリーは軟弱です! 同期の子供たちの中でも、一番弱いのですよ!? そんなあいつに竜殺しの業を継がせるなど! 死にに行かせるようなものですよ!?」
当然、マイクは父親に抗議した。
自分の実力を認められない悔しさがあったものの、当時はそれよりも心配が勝った。
何せ、マイクの弟であるビリーはまるで戦いに向いていない。
優しいよりは気弱。気弱で臆病。
外で遊ぶよりも家の中で本を読みたがるような子供だった。
たまにマイクと稽古をすれば、直ぐに木刀で叩かれて泣いてばかり。
そんな弟に竜殺しの業を継がせるというのは、マイクをして、父親が判断を誤ったとしか思えない選択だった。
「…………そうか。マイク、お前にはまだわからんか」
ただ、そんなマイクの必死な抗議に対して、父親の返答は冷たかった。
「決定は変えん。ロングスティアの業はビリーに継がせ、奴には将来、竜殺しの旅に出てもらう。そして、この決定を覆したいのならば最低限、ビリーが隠しているものを見抜ける程度には力を付けてから言え」
見識不足の実力不足。
何もかも足りていない未熟者は口を出すな。
少なくとも、マイクはその時、父親に切り捨てられたような痛みを感じた。
これが、秀才だったマイクの心に、一つの毒が蝕まれることになったきっかけである。
マイクは強く在ろうとした。
今よりもずっと強くなれば、きっと父親も決定を取り消してくれるだろうと。
安心して、自分に業を継がせてくれるだろうと。
だからこそ、マイクはミネルヴァ魔法学校で優等生と呼ばれるほどに努力を重ねて。
――――そして知った。本物の怪物の前では、秀才の努力など意味はないのだと。
幾千の魔弾と幾千の傀儡を操る二重存在。
本物の竜を殺して鎧とした、ロングスティアとは異なる竜殺し。
盤上の指し手の如く、全てを見通す策略家。
一つの国すら滅ぼすほどの魔性を持つ、混沌の王。
そして。
「お前がマイク・ロングスティアだな? 貴様の研鑽、称賛に値する。是非とも、俺の片腕として、共にこの学校の秩序を守ってくれ」
マイクは生涯、仕えるべき主を見出した。
秩序派閥の王とされる生徒に傅き、己の身の程を知ったのである。
所詮、自身は秀才。常識の範疇。その常識外に存在する父親が下した判断ならば、きっとビリーに竜殺しの業を継がせることは間違いではないのだと。
長男としては忸怩たる思いはあるが、それでも自分は超人たちとは違うのだから、身の程を弁えるべきだと。
そう、納得していたのだ。
「魔王の力が欲しくはありませんか? 竜すら殺戮する、恐るべき魔王の力が」
レイゼ・カロンナルファという革新主義者と出会うまでは。
「馬鹿馬鹿しい」
最初、マイクはレイゼの提案を切って捨てた。
革新主義者というテロリストの提案だ。いくら、接触する際に『竜の心臓』なんて貴重品を差し出してきたとはいえ、警戒するに越したことはない。
だが、マイクは知ってしまったのだ。
レイゼがシロナから借り受けた、超越者とも呼ばれる条理の外側に居る存在、その力の一端を。世界すら覆す力を。
知ってしまったのだ。
竜どころか、個人で世界を左右するだけの力を持った者が、この世界には居るのだと。
「無論、貴方はまだ学生です。我々の犯罪行為を手助けして欲しいなんて言いませんとも。ええ、ほんの少しばかり、学校で見知ったことを知り合いに話す。これだけの、そう、罪にも問われぬ世間話をしてほしいのです」
一度、心を揺さぶられてしまえば、後は簡単だった。
自らの心に元々あった毒。
レイゼの舌先から生まれた毒。
それらは段々とマイクを蝕んで行って…………やがて、いつの間にかマイクは、積極的にレイゼの手助けをするようになってしまった。
もちろん、いつでも綿密に連絡を取り合っているわけではないので、突発的なアクシデントの場合は、自身の立場を守るために敵対の体を取ることはあった。しかし、マイクには最初からレイゼを捕まえる気など毛頭なかったのである。
全ては、竜すら殺戮する魔王の力を手に入れるため。
そのためならば、マイクは後輩の邪魔だってしよう。
鈴木千尋を遠ざけよう。
魔王転生者の――天原ヒカリの不意を突こう。
他者を踏みつけて、己が利益を奪い取ろう。
――――マイクは気づかない。
己の中にある毒が、いつの間にか自身を悪竜へと仕立て上げていることに。
●●●
「……うぐっ」
血しぶきがかかった瞬間、ヒカリは苦悶の表情で自らの胸を抑えた。
それとほぼ同時に、展開していた【魔王儀典】が解除されてしまう。
「魔王転生者は例外なく、初代魔王の意志に呪われています。その記憶から、人類撲滅の衝動を植え付けられます。無論、歴代の中には意志が強く、その衝動をある程度押さえつけられる者も居たようですが……この通り、その呪いを増強させる媒体を与えれば、理性を保つことは困難になるでしょう――――魔王閣下、今の貴方のように」
倒れ伏していたレイゼは、説明と共にゆっくりと起き上がる。
「…………っ!」
反対に、ヒカリは己の内なる衝動に耐えきれず、床に勢いよく倒れ込んだ。
「ご心配なく。聡明なる貴方が理性的に魔王の力を使うならばともかく、衝動に飲まれて暴走状態になってしまえば、いかようにでも転がすことは可能です。少なくとも、そう出来るだけの準備はしてあります」
「……お、まえっ!」
「だから、安心して意識を落してください。ええ、貴方には二つの世界を脅かす脅威になって貰いますが、間違っても人類撲滅なんてさせませんとも」
「………………ぐ、う」
しばらく歯を食いしばって最後の抵抗をしていたヒカリだが、やがて、ぐわんと頭が揺れ、そのまま意識を失った。
だが、それは無力化とは程遠い。
ヒカリが意識を失った瞬間、魔王として今までヒカリが押さえつけていた膨大な魔力が噴出し、空間が捻じ曲がるほどの力場を発生させる。
「おい、レイゼ」
「ああ、マイク様。いやはや、助かりましたよ! 実に絶妙なタイミングで!」
「下手なお世辞は良い。それよりも、本当に大丈夫なんだろうな?」
普段の丁寧な口調とは異なる、粗野な面を隠すことなく、マイクは訊ねる。
「ええ、もちろん」
すると、レイゼは特徴の無いその顔に、三日月の笑みを浮かべて答えた。
「魔王対策に関しては、個人的な知人からのアドバイスと協力を受けていますので。ええ、代償として寿命は削れますが、問題無く捕獲可能です」
「……歴代魔王の力の抽出は?」
「無論、捕獲後に行いますとも。私は、共犯者に支払う報酬は渋りません」
共犯者、という言葉に、マイクの表情が僅かに歪む。
その歪みを、レイゼは見逃さなかった。
「マイク様。ご心配なく、貴方様への報酬の受け渡しは細心の注意をもって行います。万が一にもバレることはありません」
「…………ああ」
「さぁさぁ! それでは、共に暴走した魔王の力を堪能しようではありませんか! あ、もしも私が死にそうな場合は、手伝ってくださいね?」
「それは、まぁ、手伝うしかないが……」
お道化て、笑って、その罪悪感を包み隠す。
万が一にも、ここで共犯者が良心を思い出して、離反などしないように。
何せ、相手は理性が無いとはいえ、暴走状態とはいえ、魔王なのだ。
対策はあるものの、下手を打てば普通に死ぬのは間違いない。
故に、レイゼは今の今まで、マイクと会話しつつも、一瞬たりともヒカリから目を離さずに居たのだが。
「ごほっ……うん?」
レイゼは急に、己がせき込んだことに奇妙な違和感を抱いた。
達人クラスの魔術師は常に、オドを体内に巡らせて、肉体を隅々まで掌握している。
普通、レイゼが意図しない咳が出るはずがない。
出るはずがないのだが。
「ごほ、ごほっ!? う、あ……こ、れは?」
何度も、何度も、レイゼの意図しない咳が続き、ついには内から鮮血が飛び出た。
吐血。
通常の咳ではありえない状態に、レイゼは急いで自身の肉体を掌握し直そうとして。
「う、あ?」
がくん、と膝の力が抜けて、床に倒れこんでしまう。
まるで、先ほどまでのレイゼ自身のように。
「……な、なん、です、か。これは?」
困惑と共にレイゼは必死に、自身の状態を解析する。
そして、ようやく気付いた。
レイゼの肉体は今、無臭透明の毒ガスに――ヒカリが魔術によって発生させた毒ガスによって浸食され、死の一歩手前にあることに。
「まさ、か」
理解と共に、レイゼはヒカリの様子を見る。
これ見よがしに、魔力を迸らせて、『如何にもこれから破壊魔術を使います』という様子のヒカリを見る。
内臓が冷えるような後悔と共に。
「魔術を用いた化学兵器……っ! ただの暴走ではない!? こちらの意識を集めるブラフを仕掛けた末に、毒ガスによる搦め手。げほっ、げほっ! ま、まさか、初代の呪いが強まり過ぎた結果、その意識が――」
「やかましい」
言葉の途中、レイゼの肉体は床にクレーターを作ってめり込んだ。
ヒカリ――否、記憶から顕現した初代魔王の意識が、重力魔術によって圧殺したのだ。
「さて、もう一人は…………ふむ」
そして、魔王はもう一人の方に、マイクの方に視線を向けるが、直ぐに外した。
「…………う、あ」
何故ならば、マイクは既に瀕死の状態だったからだ。
だが、それも当然のことだろう。
達人クラスのレイゼで対応できない毒ガスに、学生の秀才程度のマイクが対応できる道理が無い。
故に、マイクはそのまま苦しんで意識を失った。
このまま放置すれば、遠からず命を落とすだろう。
「さて」
だが、その程度の些事を魔王は気にしない。
これから多くの人間を殺すのだ。殺して、殺して、殺し尽くすのだ。
今度は『天球世界』だけではなく、『地球世界』も全て。
「随分を遅れてしまったが、今こそ約束を果たそう」
初代魔王は、ヒカリの口で、ヒカリの記憶ではない約束の履行を呟いた後、魔術の行使を始める。
「まずは手始めに、この学校の人間たちだ」
学び舎に集まった魔術師たちを、皆殺しにするための魔術の行使を。




