五十四話 次元の狭間と見えざる魔女たち
見えざる獣が虫のような外見をしていたこともあり僕はその巣がグロテスクな物なんじゃないかと想像していた。映画に出てくるような粘性の液体滴る半生物的な構築物…………しかし目の前にはそんな光景はどこにもなく、ただただ真っ白な床と壁が広がっている。
何の荒もなくなだらかでらかで平行に区切られたその壁や床は、虫の巣どころかどこかの研究室のような印象すら覚える。
「ふむ、壁だな」
こつりとその壁を叩いて晴香が呟く。その音の感じからするにコンクリートとかに近い材質なのだろうか。
「そんなものは見ればわかるの」
「脊髄反射の皮肉を言う前に少しは考えろ。私は壁が有る事の意味について考えてんだよ」
「す、巣なんだから、壁くらい…………あるんじゃ?」
むっとした結が爆発するよりも前に切歌が意見を口にする。これは多分こんなところで喧嘩している場合ではないという彼女なりのアピールだろう。引っ込み思案の切歌からすれば精一杯の結へのフォローだ。
「そうだ、ここは見えざる獣共の巣だ。では何のために壁作り巣にするかと考えれば外の危険から身を守るため…………つまり壁の外は危険なわけだ。そして壁の外には何がある?」
「次元の狭間?」
僕らの世界と見えざる獣のやって来た世界の中間点。この場所が見えざる獣の元居た場所ではないのなら、その狭間の中を壁で区切って彼らはこの拠点を作ったのだろう。
「つまり次元の狭間は獣共にとっても危険な可能性が高いってことだ。単純に宇宙みたいな空間でそのままじゃ集まってられないとかそういう理由かもしれないがな」
宇宙、というと僕らの世界の空の果てに広がっているという空間の事か。衛星が打ち上げられていたように崩壊前の世界では人間が宇宙に行くこともあったらしいが、僕が知るのは授業で聞いた話といくつかの参考画像くらいだ。
「長いの、とっとと結論を言うのよ」
「危険だから壁をぶち抜くな」
憮然とした表情で簡潔に晴香は答えた。
「お前の事だから逆だと思ったの」
「…………正直に言えば次元の狭間がどんな場所か私も興味はあるがな、獣共が生きていけない場所なら私達にとっても危険だし昼月ならなおさらだろう。いずれ準備して検証してやるつもりではあるが、わたしにだって優先順位を判断するくらいの理性はある」
晴香はあらゆる物事に対する興味を見たいしたいと思っているが、逆に言えばそれは特定の興味に対する執着が薄いという事もであるのだろう。一つの興味で壁にぶつかったならそれを保留にして次の興味に移る…………そんなスタンスなのかもしれない。
「あ、そういえば美優と夏妃は?」
僕は先に飛び込んだ二人の名前を口にする。話していたせいで忘れていたが美優と夏妃は僕らに先行する形でここに飛び込んでいた。今の話を聞く限り夏妃の落とすという力は使い方を誤るとこの場では危険だし早めに伝えたほうがいい話だ。
「んふふ、お姉さんならちゃんとここにいるよ?」
「私もです。夏妃は団体行動をちゃんと守れる妹なのですから」
「よく言うの。どうせ少し進んだところで冷静になって戻って来ただけなのよ」
いつまにかしれっとそこにいた二人に結が呆れるようにツッコミを入れる。
「あー、お前ら。私に言われたくはないだろうが団体行動は守れ…………身の安全の為にもな」
「本当にお前が言うな、と言いたいところだけど今はその理由を聞いてやるの」
話の重要さを感じ取ったのか結が茶茶を入れず神妙に尋ねる。
「朝倉、お前の力で適当なもんをあっちに伸ばしてみろ」
「一々頭ごなしで癪に障る女なの」
文句を言いつつも結はどこからともなくナイフを取り出す…………相変わらずどこから取り出しているんだろうか。羽織った布の下は全裸のはずだし布に括りつけてあるのかな。
「伸ばす」
僕らに力の発動をわかりやすくするつもりだろうか結が呟き、同時に普段よりも緩やかにそのナイフの刀身が伸びる。晴香が指示した方向には何もない白い通路が伸びている。遮るものが無いのでその奥まで見えるが、突き当りには扉のようなものがあるらしい…………美優と夏妃が何も言わないところを見ると二人はその先にまでは行かずに戻ってきたのだろう。
通路の長さは百メートルくらいだろうか。結のその力であれば難なく伸ばす事の出来る程度の距離だ…………しかしナイフの刀身はその半分くらいの距離で伸びるのを止めた。
「そこが限界か?」
「そのようなの」
さして驚く様子もなく結が答える。
「わたくしの力が弱まったわけでも別の力に干渉されたわけでもないの…………けれどそれ以上向こうには伸びないの」
「折り返せるか?」
「それはできるようなのよ」
ナイフの刀身が限界点で折り返してその刀身をさらに伸ばす。それはつまりそれ以上ナイフの刀身が伸びられないのではなく、限界であった地点より向こう側へと伸びられなかったということだ。
「どういうことか説明するの」
何か起こるだろうと思っていたから結は驚きもしなかったのだろうけど、その理由までは流石にわからず素直に晴香へと尋ねる。
「つまり今の時点で私達の世界があそこまでってことだ…………私達は世界の根幹とも言えるシステムと繋がっているからこそ世界を改竄できる。だがそれは逆に言えば繋がりがないものはどうにもできないってことでもある」
「…………理解したの。確かにこの場所はわたくしたちの世界ではないの」
「あ」
結のその言葉で僕も理解する。次元の狭間が世界と世界の間にある場所ならばそれは僕らの世界ではない。それはつまり見えざる魔女の力による世界の改竄も行えないという事だ。
「だけど今わたくしたちは力を使えてはいるの」
制限はあるようだが世界の狭間に作られたはずの見えざる獣の拠点で確かに結はその力を使って見せた。
「比喩的な話を飛躍させるのは好きじゃないんだが、私達見えざる魔女は世界のシステムに片足を突っ込んだ存在だ…………それじゃあその状態で世界の外に出ようとしたらどうなるかって話だ」
「足が千切れる!」
楽し気に残酷な事を舞が口にする。
「そうだな、足が千切れるかもしれん…………だがまあ、多分足が千切れるより前に世界そのものが私達に引っ張られてくれるんじゃないかと私は思うわけだ」
「あ、なるほど」
世界というものが例えばゴムのようにある程度の伸縮性のあるものだとすれば、それに繋がった魔女が世界の外に出ようとしてもある程度は伸びてついて来てくれることになる。しかしそれはつまり基本的には魔女の周囲と後方にしか僕らの世界は存在しないという事になる。
もちろん今結が伸ばした距離を見れば前方にもある程度余裕はあるのだろうけど、基本的に前方に対して見えざる魔女の力はそう遠くまで届かせることはできないと考えたほうがいいだろう。
「で、万が一にも足を千切らないためには繋がりを太くした方がいいということなの」
「そうだ」
ゴムの例えで言えばそれが細ければ長くのばせば千切れやすい。しかしそれが太いものであればより遠くまで千切れることなく伸ばせるだろう…………だから見えざる魔女が固まって動くことで世界との繋がりを合わせて太くする。それによって元の世界から切り離されてしまう可能性を低くしようということなのだ。
「聞いての通りなの。今更注意するようなことでもないはずなのだけど……………くれぐれも出し抜こうなど思わない事なのよ」
同盟関係を結んだはずの仲間たちへと結は釘を刺す。仲間同士の信用という点で言えばそれはお前達を信頼してないというようなものなのだけど…………今さっき美優と夏妃が抜け駆けしようとしたばかりな事を考えれば苦言もやむなしだろうか。
「んふふ、もちろんお姉さんはそんなことしないわよ」
「もちろんなのです。先程は出し抜こうとしたわけではなく気が逸っただけなのですから」
「だといいの」
白々しいとでも言いたげな表情で結は二人を見やる。
「ねー、まだ行かないの?」
そこへ飽きてきたと言わんばかりに舞が尋ねた。結としてもこれ以上二人に釘を刺すつもりはなかったのか晴香へと視線を送る。
「そうだな。最低限確認したいことは確認できたし行くか…………離れ過ぎんなよ?」
「わかってるの」
頷いて結が切歌へと視線を向ける。隠れるような障害物もなく、流石にこの場所で壁や床に潜むのはリスクが高いと感じたのか切歌は僕の後ろに中腰で隠れている。先程は結をフォローしようと話に割りこんだりと努力はしているのだけれど、本質的なところで気が弱いのは変わっていないのだ。
「くれぐれも注意するのよ」
「う、うん」
驚いた拍子で壁や床に潜んでその先にまで抜けてしまうのも危険だし、潜んだ状態で距離を取り過ぎて元の世界から切り離されればそれこそどうなるか分かったものではない。
「ええと、手でも繋いでおこうか?」
「!?」
「陽、切歌を甘やかしすぎては駄目なの」
「うう」
「それなら舞が繋ぐー!」
僕の提案に結が苦言を口にし、切歌が一喜一憂する…………そしてその隙を点いて舞が僕の手を取る。
「ほらおにーさん行こー!」
言動は子供でも舞の体格は殆ど大人の女性に近い。そこに見えざる魔女としての身体能力も加わっているから僕は彼女に引っ張られるままに進んでしまう。
「あ、ああ…………王子、様」
「そんなところに蹲ってる暇があったらとっとと追いかけるのよ」
舞に引っ張られながらも後ろを見る僕の目には面倒そうに切歌の手を掴んで立ち上がらせる結の姿があった。
「待つのです! 妹である私もニーサマと手を繋ぐべきです!」
「弟君を引っ張ってあげるのはお姉さんの役目だと思うなー」
空いた僕の左手を駆け寄って来た夏妃が掴み、さらに美優も僕の手を取ろうとする。
「いくらネーサマでもこれは譲れません」
「んふふ、お姉さんに逆らうなんて夏妃ちゃんも成長したのね」
珍しく反抗した夏妃に美優が微笑ましい表情を浮かべる。舞が手に取る右手を取り合おうとしないのは二人の優しさなんだろうけど、出来ればその前に両手を取られて走り続ける僕にも少し気を遣って欲しい…………訓練で鍛えているとはいえ見えざる魔女の身体能力に合わせるのはかなりきつい。
特に舞は何の配慮もなく全力だし、少しでも遅れると手が千切れそうな痛みが走ってかなり怖い。
「こら待つの。それはわたくしのものなのよ!」
酸欠で薄れつつある意識の中で思わず本音が出たような結の声が聞こえる。
「やれやれ、本当に団体行動できない奴らだな」
その後に小さく、呆れるような晴香の声が聞こえた。
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