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第5話


 アノーマリー55:コンバスト

 種別:黒

 不自然発火現象。大災厄以後に発生するようになったアノーマリーの過半を占める。

 発生現場は家屋、農場、商業施設など様々であるが、統計的に学校施設が最多。明らかに火の気がない場所での出火、あるいは燃え方が非人為的かつ科学的に説明が不可能な火災と確認された場合に限り、55と認定する。

 判断基準の曖昧さから、各地の警察機関により放火や事故として処理されてしまった事例の中に、当アノーマリーが多数含まれていると考えられる。


 さっきから電子音がひっきりなしに鳴り響いている。発信源は、枕のすぐ横に置いたスマホだ。

 セットしておいた時刻は7時30分。最初にアラームが発動してからしばらく無視を決め込んでいたので、そろそろ起きないとマズイかもしれない。


「うう……」


 もぞり、と杏樹はベッドの中でのたうった。

 頭が重い。全身がだるい。昨晩は諸事情から……えー、つまり湧き上がってくる怒りのせいで目がギンギンに冴えてしまったので、全然寝付けなかったのだ。

 結局ウトウトしだしたのは、空が白み始めたあたり。登校したら、絶対に谷崎のヤツを問い詰めてやろうと息まいていたのだが、そんなモチベーションも塵と消えてしまった。

 

「もうちょい。もうちょっとだけ……」


 スマホを引き寄せ、電源をオフにする。部屋の中に静寂が戻った。

 しかし毛布をかぶって丸くなろうとしたところで、またもや邪魔が入る。


「アンジー! いい加減に起きなさい!」


 1階から響いてくる怒声。母さんだ。


「遅刻するわよアンジー! 早くご飯食べなさい!」

「ふあぁい……」


 仕方なしにベッドから起き上がる。途端にお腹のあたりから情けない音が出た。

 

「ったくもぅ」


 初恋成就からの初失恋。昨日1日だけで急転直下の人生体験をしたというのに、いつも通りに健康的な自分の身体が憎たらしい。

 部屋を出て階段を下り、まずは洗面所に直行。顔を洗い、髪を整える。ちょっとだけ頭がすっきりした。目のまわりがまだ腫れぼったく感じるが、まぁこれくらいなら問題ないだろう。

 それからダイニングルームへ駆け込み、朝食が並んだテーブルの自席につく。今朝のメニューはフレンチトーストに目玉焼き、それにサラダとスープ。美味しそうだ。


「いただきます!」


 さっと手を合わせ、料理を口の中に放り込んでいく。すでに他の家族は食べ終えてしまったらしく、テーブルの周りはがらんとしていた。

 唯一、すぐ脇の床でシベリアンハスキーのチョロが横たわっていた。忠犬らしくご主人様を待っていた、という訳ではなく、食後の二度寝をしているらしい。これから杏樹は学校に行かねばならないというのに、まったくけしからんヤツである。


「気楽なもんよね、飼い犬ってのは。好きな時に食べて寝てられるんだから」


 そう言って頭をなでてやると、チョロは大きなあくびをした。

 実際コイツは物凄くマイペースなヤツで、子犬の頃から気ままな人生を謳歌している。お手やら何やらの芸は絶対に覚えようとしないし、散歩の最中には違う道を進もうとするし、挙句にはしょっちゅう隙を見て逃げ出すのだ。

 杏樹はその度に必死になって近所を探し回るのだが、ついぞ発見できたためしがない。んで、気に入らないことにコイツは、いつも幼馴染に連れられて帰ってくるのだ。なんだって杏樹ではなく、あんな不愛想な男にばっかりなつくのか。

 頭にきたので、ほっぺを摘まんで『うにー』なんてしてやっていると、またもや母さんが言った。


「ほら早く。もう新太君、待ってるわよ」

「うげ……」


 それからたっぷり十五分くらいかけてきっちり朝食を平らげてから支度をすると、杏樹はようやく玄関へ向かった。


「おはようアンジー」


 靴をつっかけて外へ出ると、すぐそこで新太が立っていた。いかにも『ずっと待っていましたよ』と言わんばかりに、単語帳なんかをパラパラめくっている。

 嫌味なヤツだ!


「……おはよ」

「じゃあ行こうか」


 新太は単語帳を鞄にしまうと、スタスタ速足で歩き出した。杏樹は3メートルくらい距離を置いて、それについてく。


「急がないと遅刻するよ」

「うっさいな。あんたと一緒に歩きたくないのよ」


 昨日のことももちろんあるが、中学生にもなってコイツと2人並んで登校だなんて恥ずかしい。

 そもそもこの新太とは、幼稚園からず~っと何をするのも一緒で、それこそ遊ぶのも出かけるのも2人でか、あるいは家族ぐるみでだった。

 んで、小さい頃は気にならなかったのだが、小学校の高学年あたりになると、この幼馴染のヤバさがイロイロと目につくようになってきた。

 まずもってコイツ、人の気持ちとか場の空気というものを全然理解できない。

 普通なら話の流れとか状況とかで判断できそうなものを、『はっきり言ってもらわないと分からない』などとのたまうのだ。

 おまけに身だしなみにもいっさい気を使わない。杏樹だって友達と比べればちょっと劣るが、コイツはもうお話にならない。

 まず、私服はいつも無地の白いシャツにグレーのパンツ。必ずその組み合わせだけ。洗濯してないとかではなく、同じのを何着も持っているのだ。さらに髪をまったく手入れしないから、寝ぐせだらけでいつもボサボサ。

 中学に進学して制服を着るようになってからはいくらか誤魔化せるようになったが、やっぱり今朝もヒドイ。頭が爆発したみたいになっている。

 一度、『なんでそんなに無頓着なのか』と聞いてみたことがあったが、『そんなことに時間的リソースを割くのは非合理的だから』とかなんとかワケの分からない言い訳をしていた。

 ヘンクツな陰キャめ。


「あ、そういえば新太」


 ふと思い出し、声をかける。昨晩は頭の中がグチャグチャになって忘れていたが、学校に着く前に釘を刺しておかなかればならないことがあったのだ。

 

「昨日のことなんだけど……」


 おずおずと話を切り出そうとすると、振り向いた新太がこともなげに言った。


「ああ。アンジーが谷崎先輩に告白されて魔法屋さんに行って、それでその日のうちに別れることになった話?」

「……」


 杏樹は無言で鞄を持ち上げると、新太の頭を一撃した。


「痛い! よせよアンジー」

「それ、誰かに言ったりしないでよね。絶対よ」

「もとから言うつもりはなかったけど。どうしてだい」

「恥ずかしいからに決まってるでしょ!」

「何が恥ずかしいんだ?」


 新太がきょとんとしながら見つめてくる。コイツ、本気で分かっていないのだ。信じられない、まったく。

 そうこうする内、帝大附属第一中学校に到着した。通称、第一中。杏樹たちの学び舎だ。

 自宅から徒歩で10分足らず。ホント、苦労して入った甲斐がある。朝ゆっくりできるって、サイコーだもんね。


「あら、おはよう。杏樹ちゃんに新太君」 


 校門に入ると、声をかけられた。生徒会副会長の神田亜子先輩だ。

 今日も今日とて魅力的なお姿。長くてきれいな髪に大きな胸。女の杏樹から見ても嫉妬することすらバカバカしく思える。それは他の人らも同様らしく、この第一中では男子はもちろん女子からも好かれていた。

 杏樹と新太は、そろって『おはようございます』と頭を下げた。

 すると亜子先輩は、いつもの人懐っこい微笑を浮かべながら、ちょっと大げさにぽんと手を打つ。

 

「ねぇねぇ杏樹ちゃん、昨日はどうだったの? 谷崎君と、魔法屋さんに行ったんでしょ?」

「ちょ!? 先輩! 声が大きいですって!」


 杏樹は大慌てで遮った。何もこんな人目に付くところで聞かなくてもいいだろうに。


「え? でも私、昨日からずっと気になっちゃって……」

「あーもう。とにかくこっちに来てください!」


 すばやく亜子先輩の手を引き、校門のそばの桜の木の下へと移動する。新太もちゃっかりついて来たが無視だ。


「他の人に聞かれるとマズイんですよ」

「あー。なんとなく予想はついていたんだけど。それで結局、どうなったの?」


 杏樹はため息をつき、ことの顛末を説明した。話し終えると、亜子先輩は「やっぱりね」とあきれたように言う。


「ありゃ。先輩、分かってたんですか?」

「だって谷崎君、私にも告白してくれたから」

「えぇ!? マジですか!?」

「お断りしたけどね。他にも告白されたって友達が何人もいたし。そもそも、サッカー部のマネージャーの子と付き合ってるって話だったし」

「うわ……」


 やっぱり、昨日の魔法屋さんで見た証拠写真は本物だったようだ。すぐに別れたのは正解だったな。うん。


「とにかく先輩。このままだと学校中が大騒ぎになっちゃうかもだから、黙ってください。お願いします」


 亜子先輩の手を握り、懸命に訴えかける。すると祈りが通じたらしく、亜子先輩は女神のような微笑でうなずいた。


「分かった、そうする。でも杏樹ちゃんも、もう魔法屋さんになんて行っちゃぁ駄目よ」

「うぐ……は、はい……」


 杏樹もぎこちない笑みを浮かべ、亜子先輩を見送った。

 ややあってから、新太がたずねてくる。


「なぁアンジー」

「なによ」

「どうして、みんなに話したら駄目なんだ?」

「……うっさい!」


 またもゴチャゴチャ言い出す新太へ対処しつつ、教室へ向かう。ちなみに2年1組。んで、このバカは……同じ2年1組。とことん腐れ縁だった。


 さて。ホーム・ルームまではどうにか耐えることができたが、授業が始まってしまうとそうはいかない。しかも1限目はニガテな英語だった。しかもしかも、2限目はもっとニガテな数学だった。

 杏樹のか細い抵抗も虚しく、限界突破した睡魔を前にすでに意識は雲散霧消直前だ。

 ああ、英単語が呪文となって襲い掛かってくる……

 ああ、訳の分からん数式が頭の上でぐるぐると踊り狂っている……

 それでも先生にバレそうになる度、隣の席の新太がつついて知らせてくれたので、注意されずに乗り切ることはできた。

 んで、2時間目が終わって小休止になると、今度はトイレに行きたくなった。今朝は寝坊してしまったので、家でゆっくりと用を足すことができなかったのだ。

 しかし席を立とうとしたところで、折り悪く引き留められた。クラスメイトの麗奈レイナだ。

 

「ねぇアンジー! ちょっといい!?」

「な、なに? 私、トイレに行きたいんだけど……」


 レイナのただならぬ剣幕と、そして後ろめたさと嫌な予感がないまぜになり、杏樹はそわそわしながら応じた。

 昨日魔法屋さんに見せてもらった証拠写真には、教室で谷崎とレイナがキスしているやつが含まれていたのだ。どうにも話しづらい。

 しかし杏樹の思いとは裏腹に、レイナはいきなり核心部分を突いてきた。


「谷崎先輩と魔法屋さんに行ったって聞いたんだけど、それ本当!?」

「えぇ!? 誰から聞いたのよそれ」


 まさかと思って隣に目をやるが、しかし新太は無表情のまま首を振る。こいつはイロイロと人間性に問題があるが、少なくとも杏樹を困らせるような嘘をついたことはない。

 ではいったい誰が?


「どうなの? 本当なの?」

「その……うん、本当」


 途端にレイナは顔を真っ赤にした。


「ちょっと待ってよ、先輩と付き合ってるのは私なのよ! 後から手を出そうなんて、アンジーでも許さないからね!?」

「いや、私からじゃないよ。先輩が」

「そんなの嘘よ! だって先輩、前から私のことが気になってたって……」


 どこかで聞いたようなセリフにうんざりしそうになる。あのケーハク男、女子を口説くのに定型句を使用しているようだ。そんなものに引っかかってしまったとは、我ながら情けない。


「あー、心配しないで。“私は”先輩と付き合ってはいないから」


 『他の女子については知らんけど』とか『少なくとも今は』とかの言葉はしっかりと飲み込んでから答える。するとレイナは拍子抜けしたような顔になった。


「そうなの? それなら……って、でもアンジー。だったらどうして先輩と一緒に……」

「ストップストップ! その話は止めて! 」


 見渡せば騒ぎを聞きつけたクラスメイトたちが、なんだなんだと周りに集まり始めていた。これ以上騒ぎが大きくなったらなし崩しだ。

 最悪、杏樹が怒られるのも恥をかくのも杏樹自身の落ち度なのだから仕方がない。

 しかし谷崎の女性関係まで明るみになれば、レイナは自分が弄ばれていたことを知り、深く傷つくことになるだろう。おまけに、こんな衆人環視の中でなんてサイアクだ。

 普段はけっこうサバサバしているけど、意外と精神的に打たれ弱い面のあるコだし。ここはゆっくり時間をかけて、可能な限りダメージが少なくなるようにタイミングをはかって話してやるべきだろう

 

「とにかく、レイナが気にしてるようなことは絶対ないから! それじゃ私、トイレ!」

「あ、待ってよアンジー」


 レイナを捨て置き、トイレへ向かう。

 しかしなんたる運命のいたずらか。実に折りの悪いことに、廊下に出たところで件の谷崎と出くわしてしまった。


「あ! 谷崎先輩!?」


 すぐ後ろについて来ていたレイナが気色ばんだ声を上げる。杏樹もまた、瞬間的に頭を沸騰させた。

 学校であったらああも言ってやろう、こうも言ってやろうと、昨晩ベッドの中で予行練習しておいたセリフが一気に吹き出そうになる。

 しかしそれよりも先に、レイナが杏樹を押しのけるようにして突っかかって行った。


「先輩、ちょうどよかった! 聞きたいことがあるんですけど!?」

「うわっ!?」


 谷崎はことさら驚いたように跳び上がった。そして初めて杏樹たちの存在に気づいたのか、2人の顔を呆然と見つめてくる。


「え、あ、ナニ?」

「とぼけないでください。先輩、私をカノジョにしてくれるって言ってたじゃないですか。それなのに、アンジーと一緒に遊びに行ったって」

「いや、オレは……」 


 そこで杏樹は、ふと違和感を覚えた。谷崎の様子が、明らかにヘンなのだ。

 昨日の魔法屋さんで、魔法少女を相手にしていたときと同じ。まったく余裕のなさそうな惨めな顔つきで、しかも落ち着きなく周囲を見回している。


「あの、先輩?」

「ひっ!」


 杏樹が話しかけようとすると、谷崎はさらに醜く顔をゆがめた。そして何か言いたげにモゴモゴと口を動かし、しかし結局黙ったまま走って行ってしまう。


「何なの? いったい……」

「さぁ……ともかく私、トイレ。マジでガマンできないから」

「あ、もう」

 

 納得いかない様子のレイナを振り切り歩き出す。と、今度は誰かと肩をぶつけてしまった。

 よろめきつつそちらを見る。知らない女子生徒だ。髪を後ろにまとめてポニーテールにした、それ以外はちょっと地味な印象の人。ちらりと見えた名札には、3年A組とある。上級生だ。


「す、スミマセン」


 反射的に頭を下げるが、しかしその女子生徒は杏樹に一瞥もくれず、そのまま廊下の向こうへ行ってしまった。

 さっきの谷崎もそうだが、どうして3年生がここにいるのだろうか。この教室棟の2階にあるのは杏樹たち2年生の教室で、3年生は1階なのだ。何か特別に用事でもなければ、ここに来る理由もない。

 それになんだろう。今の女子生徒も、なにかひどく切羽詰まった表情だったが。というか今の人、最近どこかで見たような……?


「っと! それよかトイレトイレ!」


 いい加減に限界だった。スタンディングからの猛ダッシュ。廊下を一直線に横切り、女子トイレへ直行。

 どうにか間に合いスッキリしたところで、トイレを出て教室へと戻る。残った時間は仮眠タイムだ。本当は谷崎に対してイロイロと追及してやりたいところだが、まぁそれはまた後日にしてやろう。


「あ! アンジー、待ってたわよ!」


 教室に足を踏み入れたところで、待ちかねたとばかりにレイナが声をかけてきた。勘弁してほしいなぁ、などと思いながらそちらへ歩み寄る。

 

 瞬間。

 けたたましい音が鳴った。

 杏樹を含め、その場の全員がぎくりと身を固くする。

 毎朝枕元で聞くアラームとよく似た、しかしより不安を掻き立てるような甲高い金属音だ。

 それが非常ベルの音だと気づいたのは、突進してきた新太のバカに押し倒された後だった。


「バカ新太! ドサクサで何すんのよ!」


 顔を赤くしながらひっぱたいてやると、新太が悲鳴を上げた。


「痛い! よせよアンジー」

「あんたこそとっとと離れなさいよ、このヘンタイ!」

「非常ベルだぞ。姿勢を低くしなきゃダメだろ」

「分かったから離れろっての!」


 ゲシゲシと新太の顔面を蹴りつけていると、今度は放送が流れ始める。教頭先生の声だった。


『つい先ほど、第2音楽室で火災が発生しました! 全員、指定された経路を通ってグラウンドに避難してください! ハンカチなどで口を覆い、決して走ったり人を押したりしないように! 繰り返します……』


 ひどく緊迫した声。訓練ではなく、本当に火事が起きてしまったらしい。

 新太を押しのけながら、しかし杏樹は首を傾げた。


「音楽室? なんで、そんなとこで火事が?」


 普通、学校で火事が起こるのって、理科室とか家庭科室ではないだろうか。音楽室なんて、アルコールとかガスとかみたいに火の気になりそうなものはなさそうだが。


「分からないけど。とにかく避難しよう」

「そ、そうね」

 

 新太の言葉にうなずきながら立ち上がる。

 そこで電子音が鳴った。実に無機質なアラーム。たぶんスマホの着信だ。しかも初期設定のままのやつ。

 誰のものかはすぐに分かった。新太が制服の内ポケットに手を突っ込んだのだ。


「ちょっと待ってて」


 そう言って新太がスマホを操作し始める。メールかメッセージアプリのようだが、こんなときに危機感のないヤツだなー。

 なんて思っていると、やにわに新太がこちらを向いて言った。


「ごめん。先に避難しててくれ」

「へ?」

「用事ができた。僕は行かなきゃならない」

「ちょっと待ってよ。あんたも避難しなきゃでしょ。ってか用事って……」


 それに答えようとせず、新太は廊下へ跳び出した。

 しかもあろうことか、グラウンドとは正反対の方向へだ。

 それはちょうど特別棟、つまりは火災現場である音楽室があるはずの方向だった。



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