修行1
昼食は執務室の隣の部屋に用意されていた。昨日夕食を取った食堂よりは小さな部屋で、長方形のテーブルは6人掛けだった。
「アンドレアス様も一緒なのですね…。」
アンナはレギンと二人で話せると思っていたので、当然のように王弟が席についていてがっかりした。
「おまえは俺のそばを離れられないのだろう。」
「そうでした……。アンドレアス様は自分の心の声が聞こえるような者が側にいて嫌ではないのですか?」
それを聞いて、王弟は馬鹿にしたような眼でアンナを見た。
『愛しい姫をそんな事くらいで嫌う訳がなかろう。』
突然、口を開いていないのに王弟の声が聞こえた。
「は?…愛しい…?。」
アンナは思わず王弟を凝視した。図らずも頬が少し赤くなってしまった。
「ははは!」
王弟が珍しく声を上げて笑った。
「お前に聞こえるのは俺の意識の表層に現れた言葉だけだろう。そんなもの恐ろしくも何ともない。むしろ心が読めるなどと思い上がっていると簡単に騙される羽目になるぞ。」
「からかったのですね!」
アンナは口惜しさと恥ずかしさで王弟をきつく睨んだ。
もう王弟とは話すまいと心に誓い、黙々とテーブルに並んだ昼食を口に運んだ。
しばらくすると、レギンを連れたヘレンがノックをして部屋に入って来た。
侍従と同じ服を着たレギンは、顔色は悪いままだったが、ボサボサだった髪は綺麗に整えられており、両手を拘束していた縄も外されていた。
「レギン、そこに座れ。」
レギンは王弟が示した場所に腰を下ろした。
「昼食は済んだのか?」
「ええ。済ませております。」
レギンではなくヘレンが答えた。ヘレンはレギンの前に置かれたカップにお茶を注ぐと、「失礼します。」と言って退出して行った。
レギンは王弟の向かい側に座らされ居心地が悪そうにしていた。右横にはアンナが座っている。
「レギン、先ほどの続きなのですが、どのように修行をすれば神の御力を制御できるのか教えて貰えますか?」
「…その前に、今はどのような状態なのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
レギンは極力アンナだけを見て話すようにしていた。
「お兄様から『遠視』の御力を授かった直後に、何百もの人が私の頭の中にいて大声で叫んでいるような声が聞こえたの。そして頭が割れるように痛くなったのよ。でも、アンドレアス様の側にいるとその声が止むのよ。なので、今はアンドレアス様から離れられない状態なの。」
レギンは驚いたように目を見開いた。
「頭の中の声は、御力を制御できずに、あらゆる人の声が聞こえてしまっている状態なのだと思います。しかし…将軍の側では聞こえなくなるというのは不思議ですね。」
レギンは手を組んで少し考えている様子だった。
「これは推測ですが…将軍の発する意思力が強すぎで周りの声を遮断しているのかもしれませんね。」
アンナはチラリと王弟を見た。王弟は興味深さそうに話を聞いている。
「ところでアンナ様は力を制御できるようになったら、どうされるおつもりですか?」
「私は女神から授かった御力を使って、一人でも多くの神聖皇国の民を助けたいのよ…。」
「それは…良い志ですが…。」
レギンは何か言いたそうに王弟をチラリと見た。
「アンナ妃、その男は俺におまえの御力を利用されることを恐れているのだ。勿論、その力が利用価値のあるものなら使わせて貰う。」
レギンは王弟を睨んで勢い良く立ち上がった。座っていた椅子が後ろに倒れ大きな音を立てた。
「アンドレアス様、どうかなさいましたか?」
扉の外で控えていたらしい衛兵がドアを開けて様子を伺った。
「なんでもない。案ずるな。…レギン、座ったらどうだ?」
レギンは王弟を睨んだまま椅子を戻して座り直した。
「アンナ様。この男は帝国の将軍です。神聖皇国を滅ぼした敵国に神の御力を利用される訳にはまいりません。」
「それはそうだけど…私は王族として、自分に出来る事をしたいと思っているの。今の私にできる事は、授かった御力を出来るだけ早く制御できるようになることなのではないかしら?」
「しかし、御力を帝国に奪われるくらいなら、いっそ失われてしまった方がましです。」
「ではお前はアンナ妃を殺すつもりか?そしてすでに滅んでしまった神聖皇国の民たちをおまえならどうやって救うつもりなのだ?」
「そ、それは…。」
「女神にでも祈るのか?どうか神聖皇国の民たちを救って下さいと。神頼みは楽でいいな。」
「なんだと!」
レギンはテーブルに両手をついてまた立ち上がった。
「レギン、お願いだから落ち着いて。私たちは今あまりにも無力だわ。民を救うには力が必要なのよ。御力を使いこなせるようにならなければアンドレアス様と交渉もできないわ。」
王弟は面白そうに二人を見ていた。
レギンは悔しそうに席に着くと、「わかりました。」と小さな声で答えた。
昼食が終わると執務室に戻り、アンナとレギンは御力を制御するための修行をすることにした。試しに王弟と離れてみるとまたアンナの頭の中で大声が響き出したので、仕方なく同じ部屋で修行をすることになった。どうやら5m以上離れる事ができないようだった。
「アンナ様。全ての修行の基本は精神統一からです。朝晩欠かさず瞑想し精神力を鍛えます。」
執務室の衝立の後ろに小さな絨毯を敷いてもらい、アンナはそこで座禅を組んで瞑想をした。隣の机ではレギンが何やら書き物をしていた。
執務室は人が引っ切り無しに出入りするし、話し声が頻繁にするので瞑想には向かない環境だったが、アンナは何とか頭を空にしようと試みた。
「アンナ様、こちらはアリウス様が幼いころなさっていた修行の内容です。」
アンナの瞑想が終わると、レギンが先ほど書いていた紙を見せて説明した。
朝食前…瞑想
午前中…祈祷・鍛錬
午後…勉強
就寝前…祈祷・瞑想
「瞑想の後は女神への祈祷になります。最も基本となる祈祷文をこちらに書きました。祈祷の後は体を鍛えるための鍛錬になりますが、こちらはその時によって色々あります。剣術、槍術、弓術、体術などが基本となります。」
アンナは何か特殊な修行を想定していたので、レギンが示した内容に正直ガッカリした。
(でも何事も基本が大切って言うわよね。)
気を取り直して、レギンが書いてくれた祈祷文に目を通した。幸い幼いころから慣れ親しんだ祈祷文だったので、アンナは紙を見ずとも諳んじることができた。
「うるさい!声を出すな!」
共に祈祷をし出したアンナとレギンに王弟の怒声が飛んだ。仕方なく二人は心の中で祈祷文を唱える事にした。
その日の修行を終えると、レギンは他の使用人たちと同じ扱いになるとのことでアンナと別れて食事に行った。アンナはアンドレアスの側を離れられないので、彼が仕事を終えるまで執務室に留まった。
王弟は夕食を執務室に運ばせて簡単に済ませ、夜遅くまで仕事をしていた。アンナも必然的に執務室での夕食となり、衝立の裏で瞑想や祈祷を行っていたが、たいくつなあまりウトウトしてしまう事も正直あった。
やっとの事で王弟と共に彼の寝室へ戻ると、広い寝室の3分の1ほどが衝立で仕切られていて、簡易ベッドやテーブル、衣装棚などが置かれていた。
「未婚の女性が殿方と同じベッドで眠るなど許されませんからね!」
いつの間にか後ろに控えていたヘレンが言った。
「おいおい、アンナ妃は俺に下賜された姫だぞ。」
「勿論、アンドレアス様がアンナ様を正式に奥様として迎えるのであれば話は違いますよ。もしそうだとしても婚姻前に同衾するのはどうかと思いますけどね。結婚するおつもりが無いのであれば手を出してはいけません。」
アンナはヘレンの主人に対するズケズケとした物言いに驚いたが、アンナを思って言ってくれている事は分かったので心が温まるのを感じた。
(ヘレンは実はとてもいい人かもしれない…。)
「アンナ様お疲れでしょう、湯あみの準備ができていますからね。」
「ヘレン、湯は普通主人の俺が先だろう。」
「女性は上がってからも色々支度があるのですから当然アンナ様が先ですよ。さあ、アンナ様こちらです。」
入り口とは異なる扉をくぐると、アンナがいた客室と同じ作りになっていた。浴室の手前の部屋にはタオルや着替えが置かれていた。アンナはヘレンの手伝いを断り、出来る限り手早く湯を使った。アンナが上がると侍従が来て素早く湯を交換した。
ヘレンはアンナの髪を丁寧にタオルで拭いて乾かし、その後も色々と世話を焼いてからようやく出て行った。
気が付けば王弟は既に寝ているようだった。
明日も投稿しますが、そろそろ書き溜めた分が少なくなってきました。
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