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第二の人生

「やあ、お目覚めかい。まずは第一段階、お疲れ様」


 海底の泥のように深く沈んだ意識が、聞き覚えのある声にかき混ぜられて覚醒する。

閉じていた目を開こうとするも、瞼はひたすらに重い。


 ん? 瞼?


 とても懐かしい感触がある。

 体だ、体があるのだ。


 瞼だけではなく、体もどこか重い。自分のもののようで、自分のものではないような。


「ああ、無理に動かない方がいい。まだ馴染んでいないからね。ゆっくりとだ」


 この声は、どこで聞いたんだったか。

 つい最近のような、遠い昔のような。


 自分はどうも、寝転んでいるようだ。

 背中に固い地面の感触、草と風がさわさわと肌を撫で、自然の香りが鼻腔を満たす。


 ゆっくりと、目を開ける。

 まず、青い空が視界を埋めた。そして、端に映った太陽の眩しさに目を細める。

 指先からゆっくりと力を込めて、体を起こしていく。


 まず上半身を起こして、周囲を見渡した。

 場所は、草原の真っただ中だった。


「……えっ、どこ、ここ」

「どこって、君が作った世界じゃないか」


 その声は背後から掛けられた。

 慌てて振り向くと、体に痛みが走った。


「だから気を付けなさいよと。意外とおっちょこちょいだね?」


 今度はゆっくりと振り向いた。

 そこに居たのは、一人の美青年。

 まるで漫画の世界から出てきたような、百人いれば百人が振り返るだろう、見目麗しい男がそこに立っていた。黒いタキシードに身を包み、艶やかな髪を風に遊ばせ、その端整な顔には柔らかな微笑みがたたえられている。


「やあ、一応、はじめましてかな。ご機嫌麗しゅう、トリッシュ君」

「あ、はあ、はじめまして……って、どなた?」


 その問いかけに、美青年はコロコロと笑う。


「その問いにはまだ答えられないかな」

「あ……その声、そう、思い出した。あの何にもないところで僕に話しかけてきた、あの」

「そう、そうだね。ようやく記憶が落ち着いてきたかな?」


 そう、僕はこの男と一度会っている。いや、会っていると言っていいのかはわからないが。

そして、この男と別れた後、あの何もないところで、僕は『世界を創っていた』。


 それで、今、なぜここにいる。


「なぜという顔をしているね? 教えてあげよう。君は名付けてしまった。あの最初の人間に、自分の名前を」


「名付けて……しまった?」


「そう、あのまま名付けさえしなければ、君は肉体を持たずにいられただろう。神の視点をもったまま、物語を紡いでいただろう。しかし、君がその体に、君と縁のある名前を付けてしまったことで、この“本”が君をこの世界に縛り付けた」


 そういうと、男は右手に持っていた真っ白い本を顔の前に掲げた。


「あっ、それ、その本!」

「そう、君の“創世の書”だ。お返しするよ」


 男の手をふわりと離れた本は、風のように舞いながら僕の手元へと届く。


「いやあ、しかし、神様でなく人であることを選ぶとは……君、難儀な性格しているね?それに、人になるとしても、もう少し世界を創りこんでからでも遅くはなかったんだが」


「ど、どういうこと? そもそも、この本って何? このリアルな世界が僕に創られたもの? え、僕に何をさせようっていうの?」


「ふふふ、それもまだ、言えないなぁ。だが誓ってここは、君が生きていた世界ではない、というのは保証しよう。君の受肉を持って、物語はまた一つ進んだ。ここからどういう世界を創るかは、またも君の腕にかかっているわけだ」


 頭が混乱する。

 だが、ここが、今までの世界と同じではないことは、頭のどこかで理解できた。


「そう不安そうな顔をするな。安心したまえ、君はこの世界の“作者”だ。少なくとも、悪いようにはならんよ……多分」


「ああっ、今ちっちゃく多分って言った! ね、多分っていったでしょ!」


「ははは、では、良い創世ライフを」


「えっ、この流れで?! この流れであんたどっか行く気か!? 正気ですか?!」


 はーはははは、という謎の笑い声を残して、タキシードの男はふわりと宙に消えた。

 もはや、存在は感じられない。


「……えっ、夢? 夢だよねこれ?」


 試しに、頬をつねってみた。

 い、痛い。

 夢じゃない、夢じゃなかったか。


 一人、たった一人、他に人間もいない世界に放り出され、途方に暮れる。

 だって、僕はまだ、僕しか人間を作っていない。

 あの何もない場所で物語を書いていたころには感じなかった、不安という怪物がどこからか僕を見ているのがわかる。

 もしかすれば、受肉をしたことによってより人間に近い精神構造を得たのかもしれない。


 ここで誰か相談できる、話が出来る人がいれば、もっと心も晴れようものだが、無いものをねだっても仕方がない。


「はぁ、これからどうしよう」


「どーするもなにも、書くしかないでしょ、書くしか」


「うわっ」


 そんな心配を笑い飛ばすかのように、またも突然として一人しかいないはずのところへ声が響いた。

 周囲を見渡すも、それらしい人影はない。


「そっちじゃない、こっち! こっちって! んもぉー!」


 呆れた様な声を上げて、ふわっと何かが空を飛ぶのが見えた。

 しっかりと視界でとらえると、ペンが宙に浮かんでいた。


 真っ黒いペン軸にくっついた真っ黒い羽根。ペン軸には細かい意匠が彫り込まれ、高級感が漂っている。

 あの何もない空間で、創世の書に必死に文字を書き込んでいた時の相棒であった、真っ黒い羽根ペンであった

 いや、実際には羽根がペンにくっついているだけなので、厳密には羽根ペンとは言えないのかもしれないが。


「いやぁ、どうもどうも。こうして話すのは初めてですねー」


「ぺ、ペンが……喋ってる」


「ん? ペンが喋るのが珍しい? あんたね、こんな風にして世界を創り上げておいて、今更ペンが喋ったくらいで驚いてる場合じゃない」


「いや、そう、それもそうなんだけど」


 確かにその通りで、深くは突っ込めない。

 ペンが喋るたびに柔らかそうな羽根がふわふわと揺れる。


「さぁさ、お困りのようですね。何はともあれ、あんたの使命は書くこと! いい?」


「書くったって、もうこうやって世界はほとんど完成してるでしょ」


「かぁーっ! 情けない、あんた、それでも物書き?!」


「いや、まあ、その端くれの、端くれの、底辺みたいなもんですけど……ってなんでそんなこと知ってるの?」


「それは秘密。底辺でもランク外でも物書きは物書き! だったら物語は最後まで書かなきゃでしょ!」


「だから、これ以上何を書くの?」


「まだ最初の人間のあんさんが生まれたばっかりでしょーが! 世界ってのはそれだけじゃ成り立たないの! 歴史の積み重ねってもんがあるでしょ!」


 歴史。

 ああ、なるほど、確かに。

 歴史というと物々しく感じるが、この世界で何が起きて、誰が何を成して、どうなっていくのか、それこそが物語である。

 今、この世界は、やっとその物語が乗っかる“土台”が出来ただけなのだ。


「はぁー、前途多難。うちの上司がサポートを頼む理由がよーくわかるよ」


「上司? 上司って、さっきのイケメン?」


「そそ、あのいけ好かない奴。あ、でも個人情報は喋らんよ?」


「けちくせーやつ!」


「急に言葉遣いこわっ!」


 さて、独りきりで心細かったが、頼りになるのかならないのか分からない相棒が出来て、一先ず不安は和らいだ。


 正直、言われるがままに進んできてしまって、分からないことは多い。

 前世の自分なら、とっくに投げ出しているだろう。

 だが、不思議と、書かねばという意欲は湧いてくるのだ。

 あのタキシードの男、何か呪いでもかけているんじゃないだろうか。


 ――いや、考えてもしょうがないか。


「底辺といっても、物書きの端くれ! いっちょ書いてやりますか!」

「いよっ、いいね、輝いてるよ! その前に、服を着てほしいもんだけどねっ!」


 そう、まずは服を――


「……服?」


 そういえば、目覚めた混乱で全く気にしていなかった。

 あの時、“何故か素肌に草の感触があった”。


 改めて自分の身体を見てみる。

 シミ一つない、綺麗な体だ。さすが神様が作った事だけはある。何の問題もない。

 その体が、何一つ隠されていないことを除けば。


「ひょあっ」


 思わず、持っていた本で宙に浮かぶペンをひっ叩いた。


ああ、書き溜めが間に合わない。

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