第一話:転生したので聖地巡礼
「はぁ、はぁ……コレットお嬢様、お待ち下さい。貴族のご令嬢が走ってはいけませんよ!」
緩やかな細い坂道を早歩きで登っていると、後ろから侍女のエルザの声が追いかけてくる。
けれど、そんなことに構っていられない。
だって――ここを登りきれば、あの場所なのだから。
ドレスの裾をつまみ上げて、私はさらに足を速めた。
緩やかな坂を登りきると――視界がぱっと開ける。
そこには、賑やかな大通りが広がっていた。
爽やかな風に街路樹の葉が揺れ、どこからか焼き菓子の甘い香りが流れてくる。
思わず足を止めて、思い切り吸い込みたくなるくらい良い香りだ。
色とりどりの旗が掲げられ、楽しげな音楽も聞こえる。
道沿いには店がずらりと並び、屋台も出ている。
みんな楽しそうで、見ているだけでワクワクしてくる。
「これよこれ!これが見たかったのよ!」
目の前に広がるのは、前世でやり込んだ乙女ゲーム『君のハートは誰のもの?』、通称『君ハー』のスチル――ゲームで表示される、あの一枚絵の背景とまったく同じだった。
確かここは、ヒロインが初めて街を歩くシーンの背景だったはずだ。
ヒロインが細い坂道を登って、この通りに出たところで、はしゃいだ小さな男の子が子犬を追いかけて道に飛び出し、つまずいて転んでしまう。
それをヒロインが慌てて駆け寄って助け起こし、子犬を抱えた男の子と一緒に笑い合う――そんな、ほのぼのとした場面がスチルになっていた。
……でも。
「やっぱり、私じゃイベントは発生しないか……」
ここには子犬も、男の子もいない。
イベントは、何も起きない。
分かっていたことだ。
私はヒロインじゃない。
名前も設定もないどころか、ゲームには出てこないただの令嬢なのだ。
つまり、モブですらない令嬢ってこと。
ゲームのヒロインは、元平民の男爵令嬢。
そして、王立学院に入学する少し前から物語は始まる。
ヒロインが初めて王都をひとりで歩いたとき、この通りに来ると子犬と少年のイベントが起きるのだ。
私はというと、ゲームに出てこない子爵家令嬢のコレット・ルヴィエとして生まれた。
だから私がこの通りを歩いてもイベントは発生しない。
「でもやっぱ嬉しいなぁ。イベントが起きた場所を、この目で見られるなんてね!」
嬉しくなって、思わず通りへと駆け出しかけた、そのとき――。
「コレットお嬢様、お待ちください。エルザが倒れそうですよ」
ハッと振り返ると、従者のヴァンが静かに立っていた。
ヴァンは私の家で働く執事見習いだ。今日は従者として付き添ってくれている。
といっても、ただの使用人ではない。
実は3歳年上の幼馴染なのだ。
ヴァンの家、ヴァルグレイ男爵家は、うちと領地が隣り合わせ。
だから、昔から顔を合わせてきた。
年上だけど、お兄さんという感じではない。
口調はぶっきらぼうで、少し皮肉っぽいし、正直、あまり愛想はよくない。
でも――何も言わなくても、必要なときは先に動いてくれるから、うちの執事見習い君は優秀なのだろう。
近所の若い令嬢や侍女さんたちに騒がれているから、見た目もいいのかもしれない。
少なくとも、周りはそう思っているらしい。
私から見たヴァンのイメージは――黒い子犬、かな。
領地の料理長が飼っていた、黒毛で、くるくるカールの子犬。
小さい頃のヴァンの黒い巻き毛に、よく似ている。
幼い頃の印象は大きくなった今でも続いていて、どうしても子犬の印象が――。
……子犬?
イベントの子犬!!
「ヴァン!私、イベントの子犬に会えたみたいだわ!」
思わぬ発見に、興奮で言葉が止まらない。
「少年には会えなかったけれど――いいえ、この際、ヴァンをちょっと成長した少年ってことにすればいいんだわ!ヒロインじゃないんだから、贅沢言っちゃいけないわよね」
「イベント?ヒロイン?おまえ……なに言ってるの?」
ヴァンの口調が、いつもの調子に戻った。
屋敷でいるときや、今日みたいに他に人がいるときは、使用人らしい受け答えをするけど、そこは慣れ親しんだ幼馴染。
二人きりになると、口調が昔のままに戻る。
「ふふっ、こっちの話」
「なんだよ、それ」
少しだけむっとした顔をしているけれど、彼に私の事情が分からないのも無理はない。
私に前世の記憶があるということは、私だけの秘密なのだ。
話しても理解してもらえるとは思えないしね。
私が前世を思い出したのは、まだ幼い頃のことだ。
お母様から言われた一言がきっかけになった。
「コレット、あなたが大きくなって学校へ行くようになったら、王子様、ユリウス・アルディオン殿下と同級生になるのよ。素敵ね!」
「ゆりうすでんか?」
ユリウス・アルディオンという名前を聞いて、なんだか懐かしい気持ちになった。どこかで聞いたことがあるような、よく知った名前のような、そんな感じ。
そして、その懐かしさの直後、激しい頭痛が襲ってきた。
「あたま、いたい……」
それから私は3日間、高熱にうなされて寝込んでしまった。
そして、その三日間を境に、私ははっきりと前世の記憶を取り戻したのだった。
前世の私は病弱で、ほとんどを病院で過ごしていた。
窓の外に制服姿の子たちが見えても、私は白いベッドの上から眺めることしかできなかった。
学校生活も、友人関係も、恋愛も、全部、ゲームの中でしか触れられないものだった。
つまり、私にとってゲームの中の日常は、画面越しに触れられる、もうひとつの現実だったのだ。
ユリウス殿下は、私が夢中になっていた乙女ゲーム『君のハートは誰のもの?』に出てくる王太子の名前だ。
攻略対象の一人で、サラサラの金髪に青い瞳の、見るからに王子様なイケメンなのだ。
そして、『君のハートは誰のもの?』の中のキャラクターが、この世界にいるということは、私がゲームの世界に転生したということになる。
「わたし、げいむのせかいに、きちゃった?」
そのことに気がついた幼い私は、それはもう興奮した。
「ゆりうすにも、あえる?うわあ、すごい……」
前世を思い出して寝込んでしまった私だけど、それ以外は有り難いことに、とても健康な子供だった。
健康な体に生まれ変わった今、私の願いはたったひとつ。
「すちるを、ぜんぶみたい!」
そう、ゲームのスチルに描かれた素敵なシーンを、この目で見たい。
それが、健康な体を手に入れた私の夢になったのだ。
推しキャラはいない。
でも、推しスチルなら山ほどある。
とはいえ、このゲームの主な舞台は王立学院。
スチルのほとんどは、入学後でないと見られない。
ただ、入学前に見られるスチルが、ひとつだけある。
それが、この王都の大通りの風景なのだ。
だからどうしても来てみたかった。
でも、こうみえても私は貴族令嬢。街なかを歩くことが、なかなか許されなかった。まだ小さかったしね。
王立学院への入学を控えたこの時期になって、ようやく許可が下りた。
エルザに加えて、ヴァンを従者として連れて行くことを条件に。やったね!
「ここには本当に来たかったの。もう最高だわ!ヴァン、ついてきてくれてありがとう」
「――なんだか知らないけど、楽しんでるみたいでなによりだ」
私が感激のあまり、少し涙目になりながらそう言うと、ヴァンは、ふいっと視線をそらした。
まあ、この感動は他人には分からないよね。
私が通りの様子を飽きずに眺めていると、ようやくエルザが追いついてきた。
「はぁ、はぁ……コレットお嬢様……お待たせいたしました……」
エルザには、今日、坂道を歩くことを伝えていなかった。
そのせいで彼女は、最近流行りの、少しヒールの高い靴で来てしまったらしい。
坂道でなくても歩きづらそうだけど、彼女は流行に敏感な人なのだ。
そして背が高くて、すらりとした美人。
そんなエルザと並ぶと、ちょっぴり引け目を感じてしまう自分がいる。
まあ、モブですらない私だから、そこそこの容姿で満足しておくべきなのだろう。
健康が一番だ。
「エルザ、無理をさせてごめんなさい。足、痛くない?」
「いえ、大丈夫でございます」
大丈夫だと言っているけれど、足を痛めさせてしまったかもしれない。
私?私はもちろん、履き慣れた歩きやすい靴を選んできた。準備万端なのである。
「もうカフェに行きましょう。エルザの足が痛くなると大変だもの」
今日の表向きの目的は、とあるカフェに行くこと。そして、そのカフェというのは――。
「じゃあ、ここから先は俺が……ではなく、私がコレットお嬢様をご案内いたします」
エルザにじとっとした非難の目でにらまれたヴァンが、途中で慌てて従者の皮をかぶり直した。
「じゃあヴァン、お願いするわ。あなたの家がやっているカフェがどんなところなのか、楽しみにしてたのよ」
今日、訪れる予定のカフェ――リーフェル庭園茶房は、ヴァンの家、ヴァルグレイ男爵家が経営している。
ヴァンがうちで働いているせいで、男爵家は家計が苦しいと思われがちだが――実際はまったく逆だ。
領地で育てた小麦とお茶を加工して売っていて、最近はカフェも始めた。
ヴァンにはお兄さんがいる。
男爵家はそのお兄さんが継ぐ予定なので、ヴァンは補佐役に回るらしい。
そのため、将来に備えて貴族の社交を学ぶべく、うちで執事見習いとして働いているというわけ。
スチルの背景を見るために、ヴァンの家のカフェを口実に外出したけど、どんなところなのか楽しみにしているのは本当だ。
「コレットお嬢様のご期待に添えるとよいのですが……。では、こちらへどうぞ」
ヴァンの案内で道を歩きながら、しっかりと通りを観察する。
色とりどりの布やリボン、小さな髪飾りまで売っていて、見ているだけで楽しい。
前世では、ゲームのスチルを見るだけでも楽しかった。
でも、同じ景色が目の前に広がっているとなると、やっぱり別物だ。
通りを歩く人たちの楽しげなおしゃべりや、屋台から漂う美味しそうな匂いは、イラストでは味わえない。
やっぱり、スチルは全部この目で見てみたい。
できるなら――最前列で。
「スチルの場面を最前列で堪能するには、どうすればいいのかなぁ……」
モブですらない私では、イベントは起こせない。
それは、さっきよく分かった。
だったら、起こせないものを無理に起こす必要はない。
イベントが起きる場所や、人の近くにいればいいのだ。
ヒロイン。
攻略対象。
悪役令嬢。
「……この中で、私が近づきやすい人って、誰だろう?」
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