17話『父親』
安藤の住処には、走れば十分足らずで家に付くことが分かった。ただし服は汗でビチャビチャになる。
というわけで特に何事もなく帰宅した俺は、洗面所に服を脱ぎ捨て上半身裸で自室に向かう。
階段を上がり、すぐそこの自分の部屋の扉を開けるとそこには、
ベッドに座る親父の姿があった。
「よう石火。なんだその眼帯は? はっ、まさか中二病……? か、かっこいいぜ?」
口を押さえ、気を使うようなわざとらしい演技でこちらを見る。
「こんな遅咲きの中二病があってたまるか。ただ怪我しただけだっつーの。ってそういう話じゃなくて! ……大丈夫なのかよ、親父。どっか痛まねぇか?」
「ははん、なーに言ってんだ。俺だぜ?」
「だから何だよ、知ってるよ。親父だからどうとかいう問題じゃないだろうが」
おどけてみせる親父を見て溜め息を吐く。こいつはまったく……。
笑みを浮かべたままの親父は、黒く染まった左腕を逆の手で撫でながら言う。
「まあ痛くはねぇよ。左腕と左足が動かないだけだ。しばらくは移動が難しいだろうが、まあ杖さえありゃどうにかなる範疇だろうさ」
杖さえあればって、その杖がねぇんだけどな。
「どうやって移動してきたんだ? 俺の部屋まで」
「んあ? お前がここに運んできたんじゃねぇのか? 眼ぇ覚めたときにはもうここにいたんだけどよ」
なるほど。安藤の奴、部屋を間違えやがったな。俺について調べたからといって部屋まではさすがに分からなかったか。
それはさておき。
「まあ親父一人で身体を起こすことぐらいはできるんならよかったよ」
「ジジイって歳でもねぇんだからそんぐらいできるっつーの」
わはは、と気持ちよく笑い続ける親父を見て、一つ疑問を抱く。
親父は黒く染まった腕を見て、なんとも思わないのだろうか。なぜ俺に何も聞かない?
あのとき、親父が浸食されていたときに、俺がある程度の事情を知っているってことは分かったはずだ。だというのになぜ問い詰めたりせず、笑顔を見せることができる?
そんな俺の疑問全てを察したかのように親父は言った。
「なーんか悩んでるみてぇだけどよ、お前が話したいと思ったときに話せ。不可思議な状態になって不自由になっちまったが、別にだから死ぬってわけじゃねぇんだ」
「親父……」
「そうだ、俺はお前の父ちゃんだ。踏ん切りが付くまでいつまでも待っててやるさ。そんでこの手が治ったら、また能力でも使って遊ぼうぜ」
「はっ、親父の遊びはめんどくせぇから却下だ。……まあ、たまにだったら付き合ってやらんこともねぇが」
最後にぼそりと付け足した言葉が聞こえたのかどうか。親父は再び大きな声で笑い始めた。
そんな親父を見て、急に照れくさくなった俺は振り返って親父に背を向ける。
「親父も腹減っただろ。おにぎりでも作ってきてやるから、そこで大人しくしてろ」
「石火。卵焼きも頼むぜ」
扉を開き、部屋から出ていこうとしていた俺の背中にそんな声が届く。
「ああ、任せろ」
振り向かずに小さく返事だけをして、静かに部屋の扉を閉めた。
そして、その扉に背を預ける。
まったく、父親って奴は……。息子がどんな不安を抱えていても、自身がどんな目にあったとしても、それを笑って受け止めやがる。
俺には馬鹿親父みてぇなことは到底できそうもねぇな。
だからまあ、代わりに相応の馬鹿息子でいてやるよ。
改めて考える。
俺の目的、安藤に注射のことを聞くというモノは既に達成された。だが、既に新たな目的は芽吹いている。
親父を一刻も早く元に戻すこと。だから、俺は異能細胞のウイルスを蒔いた張本人を見つけて全てを吐かせなければならない。
日常に帰るために。
ゆっくりと木製の扉から背を離し、眼帯の上から左眼を撫でながら上を向く。
覚悟はできた。この目的のためならば、俺は、ラスター化しても構わない。
俺達から、日常を奪ったツケは払ってもらうぞ、黒幕。
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目覚めはいつになくすっきりとしたものだった。それが、安藤の側に付きやるべきことが見えたからなのか、ベッドに残る親父の匂いに安心したからなのか、俺自身が覚悟を決めたからなのか。どれかは分からないし、もしかすると全てなのかもしれない。
能力を使わずとも湧いていた小さな頭痛も鳴りを潜め、左眼に違和感もありはしない。
リビングの壁に立て掛けてある丸いシックな時計に目をやると、針が八時ジャストを示している。三十分後には集合時間だ。もう行く準備はできている。
昨日、親父も自室の方が安心できるだろうと考えたことから親父を運び込んだ部屋に、朝飯のコーンフレークも運んだ。──無理を押して仕事に行こうとする馬鹿親父を止めるのに苦労したりもしたが。
朝食の後に頭痛薬も飲んで、眼帯も付けて、能力を使う準備は万端。当然、着替えも完璧だ。
あとは家を出るだけ、といったところで。
インターホンの鳴る音が、何者かの来訪を告げる。インターホンの外との通話状態をオンにすると、聞こえてきたのはうら若き女性の声。
『突然すいません。大威石火様のお宅で間違いないでしょうか?』
今までに聞き覚えのない声質。女性的、と言えばいいのだろうか。礼儀正しさが言葉どころか声にまで現れている、というか。
一言で言えば魅力的な声の持ち主に、動揺しつつもなんとか言葉を返す。
「は、はい。そうですけど……。何の用ですか?」
『安藤先輩……、で分かりますかね? その安藤先輩に言われてやってきました』
安藤……? なんで安藤が?
「あー、なるほど。分かりました、ちょっと待っててください」
とにもかくにも会って話さなければ分からない。どうせ安藤のことだ。人には何も告げず何かやろうとしているに違いない。
インターホンを切り、即座に玄関へ向かう。ゆっくりと扉を開くと、そこにいたのは。
────メイドさん。
それもただのメイドさんではない。和服に似たメイド服を着た、和装メイドさんだ。
なんだろう、この人。凄くコメントに困る。一番困るのは、恐らく二十歳ちょうどぐらいであろうこの女性が美人であることに加え、流れるような黒の長髪を兼ね備えているため、酷く和装メイドの服装が似合っていることだ。
何か一つ、ここで言うのであればそれは、
「……コスプレイヤーさんが何の用ですか?」
黒髪の女性は首を傾げた後、首を左右に振って辺りを見回す。そうして周りに誰もいないことを確認した後、心底驚いた様子で口を開いた。
「えっ? 私のことですか?」
あんたしかいないだろうがよ……。
額に手を当て、溜め息を落としてから女性に向き直る。
「もうどうでもいいんで、とりあえずあなたが誰なのかと、用件だけ言ってもらえませんかね……」
「コスプレイヤー……」
「落ち込んでないで早く」
「はい……。えっと、私は暮野美佳と申します。用件はご存じの通り、あなたのお父さんのお世話です」
ぺこりと頭を下げる暮野さん。なんと礼儀正しい御方なのだろう。台詞の中身を無視すればの話だが。
親父の世話? いやいや、それ以前に初対面の人を家に上げるわけがないだろう。
「いえ、ご存じじゃないですね。そのままUターンしてお帰りいただけると幸いです」
「そんな! じゃあ先輩に聞いてみてください!」
くそ、最初は礼儀正しい女性がやってきたと思ったがそんなことはなかったぜ。なぜ俺の周りには変人ばかりが……。
席強奪魔に白髪性別不明、毎朝能力で攻撃してくる親父と路上コスプレイヤー。
どう考えてもおかしい現実に辟易しながらも、路上コスプレイヤー暮野さんの懇願する通り、安藤に電話を掛けることにする。
スマホを取り出し、登録してあるナンバーをタップ。数コールした後、昨日よく聞いた性別不明ボイスが聞こえてきた。
『大威か? 何の用だ』
「何の用だ、じゃねーよ。お前に言われて来たっつーコスプレイヤーさんが今家の前にいるんだが? 何のつもりだ」
横から「暮野です!」という抗議の声が聞こえてくるが無視だ。構ってられるかそんなもん。
『ああ、そういえば連絡を忘れていたな。だが昨日言っただろう?』
「なんて?」
『父親のことは任せろと』
確かに、確かに言っていた。だがそれはてっきり、早く元の身体に戻してやる的な意味で言っていたものとばかり。
それがまさか、
「面倒を見るって意味だとは思わねぇよ……」
『お前が家にいない間どうするつもりだったんだ。碌に動けない者を一人にさせるべきではないだろう』
「まあそれはそうだが……。それでも初対面の奴と二人きりにさせるよりマシだろ」
能力者社会において初対面の人間ほど危ないものはない。なにせ能力が分からない以上は何をされるかもまた分からないのだからな。
当然そんなことを安藤が分かっていないはずもなく、
『問題ない。暮野の能力は世にも珍しい舌が変質するタイプのものでな。声を聞く者を癒し弛ませる能力を持つ。故に危険などまったくないと断言しよう。能力的にも人間性的にもな』
横目でちらりと暮野さんを覗き見ると、にこりと笑顔をこちらに向け首を傾げた。優しそうだということは伝わってくるが……。
と、そこまで考えて一つ思い出す。そういえば俺が手を組んだこいつ、安藤にしてもよく知らない奴じゃないか。
今更初対面がどうのこうのなどと考えるのは、あまりにアホらしいのでは?
もうここ数日で何度溜め息を吐いただろうと思いながらも、やはりまた溜め息を一つ落とし、安藤に告げる。
「……わーかったよ。こいつを家に置いとけばいいんだな?」
『ああ、そうだ。よろしく頼む』
「ちょ、待っ────」
返事も何も言わせず、早々と通話を切られた。あの野郎……。
とりあえずさっさとこの人をどうにかして公園に向かわないと。スマホで時刻を見れば既に八時二十分だ。間違いなく遅刻する。
「とりあえず暮野さん。まああんたの言ってることが真実だってことは分かりましたんで親父を頼みます」
暮野さんの方へ向き直りそう言うと、苦笑を浮かべられた。
「なんか口調が凄く砕けましたね」
「人のお世話するのにコスプレしてくるような奴に向ける敬意は持ち合わせてないんで」
「だーかーらー、コスプレじゃないですって! 何事も形から! でしょう!?」
だったら普通のメイド服とかでいいじゃねぇか。和装メイドな時点でコスプレイヤーと言われても文句は言えねぇだろ。
しかしもう思ったことをそのまま口に出していては待ち合わせに遅れるばかりだ。
頬を膨らませる暮野さんに内心呆れながらも、玄関の扉を開く。
「はいはい。じゃあよろしくお願いしますね」
「うぅ……、ぞんざい……。ですが分かりました。先輩に任された以上、こんなことでへこたれているわけにもいきませんし!」
玄関をくぐり家の中に入りながら、ぐっと拳を握る様が見える。
「それじゃ鍵は閉めといてくださいね」
「はい! では行ってらっしゃいませ、石火君!」
メイドに寄せたのか、馴れ馴れしくなったのか、よく分からない返答に溜め息を吐いてようやく俺は待ち合わせの公園へと向かい始めた。




